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「それじゃあ、私も彼女と同じものを」


 丼物専門店と言うこともあり、それなりのこだわりがあるのだろう。メニューも実に豊富であり、どれを頼んでいいのか分からなくなってしまった私は、無難に彩香さんと同じものを注文することにした。


 大将が返事をして厨房に引っ込むと、しばらくして良い香りが漂ってくる。厨房から聞こえる音も美味しそうだ。朝を簡単に済ませたこともあったか、腹の虫が自己主張をした。


 彩香さんは割り箸を右手に持ち、万全の体制で丼物が出てくるのを待っているようだった。お行儀が悪いからやめなさい――と注意してくれる人がこれまでいなかったのであろう。


「はい、お待ちどうさま」


 大将が盆に丼を乗せて厨房から出てくる。私と彩香さんの目の前に、蓋のされた丼を出すと「どうぞごゆっくり――」と言葉を添え、また厨房の奥に引っ込んでしまった。狭い店内であるがゆえ、カウンター越しに大将がいると、どうにも食べにくい。ここの大将なりの気遣いなのであろう。


「いただきます」


 両手を合わせて深々と頭を下げる彩香さん。その姿に少し戸惑いつつ、私も「いただきます」と呟いた。


 彩香さんは素早く蓋を外すと、右手に握った箸で親子丼をかきこむ。これだけ豪快に食べてくれれば、作った人は実に嬉しいことであろう。米と卵と鶏肉を一度に頬張り、ほっぺには米粒をつけながら親子丼を食べ進める――いいや、むさぼり食らう。


 残念な美人。どこか人とずれていて、普通に振る舞っていれば美人なのに、その言動で損をしている。彼女からはそんな印象を受けた。実に変……いや、個性的な人である。


「そういえば、少し確認したいことがあるんです。スガヤドンさん、あの作品は様々な人の目線で展開するオムニバス形式ですよね? ということは、全てが全て事実というわけではないのですよね?」


 親子丼を半分くらい平らげた後、多少は食欲に対する衝動が満たされたのか、ようやくお茶に手を伸ばしながら彩香さんが問うてくる。


「えぇ、私も全てを見てきたわけではありませんから、フィクション――というか想像で補完したところもありますよ」


 私の書いた作品――赤沢村での惨劇は、視点が次々と入れ替わるオムニバス形式である。私が自分の目で見てきたことについては可能な限り事実に近い形で書いているが、しかし村全体で起きていたことを全て把握しているわけではない。よって、私の想像で書いている部分もある。


「そうですか……。それでは、もうひとつ確認を。作中で少し触れられていましたけど、村の人が寝訃成になった原因は、最終的に明らかになるのでしょうか?」


 今度は惜しむようにゆっくりと、一口ずつ噛み締めながら親子丼を食べる彩香さん。そんな風になるのであれば、最初からがっついて食べなければいいのに。私もそんな彼女を尻目にようやく親子丼に口をつける。とろとろの卵と絶妙な加減の味付け。鶏肉も肉厚だ。――美味い。


「どうしてそんなことを?」


 原稿を読んでもらっている手前、あまりネタバレに関することは口にしたくない。私が聞き返すと、彩香さんは再びお茶に手を伸ばした。


「わたくし、これでもミステリ畑出身でして、曖昧あいまいなものがあまり好きではないのです。ほら、特にゾンビものって、何が原因か分からないけど、なぜかゾンビが現れました――みたいな設定多いじゃないですか。しかも、その謎が明かされることもなく、なんだか良く分からない天災だったみたいな、こじつけみたいなものも多い。わたくし、そういうの嫌いなんです」


 ゾンビもの。当事者ではない人間からすれば、赤沢村での出来事もゾンビものになってしまうのか。ならばいっそのことゾンビにでもなってくれていたほうが良かったのかもしれない。生き残りとしては、その方がまだ踏ん切りもついただろう。


「それに関しては心配いりません。作品を読み進めてもらえば、いずれ明らかになりますよ。どうして赤沢村に寝訃成が出てしまったのかね」


 私が答えると、お茶を一口飲んでから「なら良かったです」と漏らす彩香さん。彼女の読む気をなくすような真似はしたくない。むしろ、ここで彼女がさらに原稿を読みたくなるような要素を付け加えてやろう。その場の思いつきであったが、どうしても最後まで彼女に原稿を読んで欲しかった私は、ある事実を口にした。


「それに、あれは天災なんかじゃない。間違いなく人災です。人の手によって引き起こされた惨劇なんですよ――」


 どんなにゆっくりしたペースで食べても、いずれ終わりというものは訪れてしまう。最後の数口を寂しそうにしながら口に運ぶ彩香さん。


「人災――ですか?」


 とうとう最後の一口を平らげてしまうと、まだほとんど手付かずになっている私の丼に視線をやりつつ呟く彩香さん。彼女に私の親子丼は絶対に渡さない。


「えぇ、人災です。しかも、私自身を含めて作中に出てくる登場人物の一人が引き起こしてしまった惨劇なんです。福光さんはミステリ畑の出身なんですよね? ならば、果たして誰が人災を引き起こしてしまったのか――推理しながら読んでもらえると、さらに楽しんでもらえると思います」


 こう言っておけば、少なくとも最後までは読んでくれるはずだ。どんなにつまらないラストであったとしても、本の帯に【驚愕きょうがくのラスト】なんて銘打っておけば、最後まで読んでもらえるのと同じだ。もっとも、そのような作品の大半は、悪い方向で読者の期待を裏切ってしまい、意味の違う驚愕のラストになることが多いのだが。


「作者から読者への挑戦状ってやつですね? いいですね、それ。面白そうです」


 私の提案――最初の読者である彩香さんに対する作者からの挑戦状は、思った以上に彩香さんの心をくすぐったらしい。何かを思い立ったかのごとく、いきなり立ち上がった。


「そうと決まれば、編集部に戻って続きを読まねば! 大将、ごちそうさまでした!」


 まだ私はほとんど食べていないというのに、彩香さんはそれを待ちもせずに店の外へと向かって歩き出した。


「あの、ちょっと――」


「あ、編集部には勝手に入ってきてもらって構いませんので。それではスガヤドンさん、ごちそうさまでした」


 ちょっと待ってくれ……と言いたかっただけなのであるが、全く見当違いのことを口にして店の外に出て行ってしまった彩香さん。残された私と、少し冷め始めてしまった親子丼。私は大きく溜め息を漏らすと、とりあえず親子丼を味わうことにした。


 完全に彼女に振り回されてしまっている。これまで何人かの業界関係者と仕事をしてきたが、彼女ほどの個性を持った編集はいなかった。あれくらいの個性がないと、編集なんて仕事はできないのかもしれないが。


 親子丼は美味かった。私にとってスイーツではなかったが、実に絶妙なバランスの親子丼だった。店を出たら、まずは喫煙所を探さねば――そんなことを考えつつ、厨房のほうに向かって声をかける。


「すいません! お勘定をお願いします!」


 原稿の持ち込みという無謀なことを敢行し、そして彩香さんという個性的な編集と知り合った私。果たして、原稿は何かしらの形で世に出してもらえるのか。それとも、このままお蔵入りとなるのか。とりあえず今のところ、作品の行方は編集担当の彼女にかかっている。彼女みたいな個性派で大丈夫だろうか。いや、大丈夫に違いない。


「はい、じゃあ親子丼ふたつのお勘定ね」


 そう、さりげなく私に親子丼を奢らせるくらいの人だから、きっと大丈夫なはず。私は自分をそう慰めながら、泣く泣く財布の中に潜んでいた過去の偉人を引っ張り出したのであった――。

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