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 高校を出てから、美和子の旦那は地元の配管業者へと入社した。それから今日にいたるまで、ずっと配管工一筋だ。継続は力なり。大学で遊びすぎた挙げ句、就職活動に失敗し、数年間フリーターとして職を転々としていた誰かさんとは大違いだ。


「普段はこんなことないんだけどね……。あ、ナオちゃんも遅くなるって。田原さんのお婆ちゃんが風邪をこじらせたとかで。心配はないと思うけど、念のために診ておきたいんだって」


 美和子の言うナオちゃんとは、同級生で村医者の息子である加賀屋直斗かがやなおとのことだ。芒尾が進学するのと同じタイミングで、どこぞの医大へと進学した。医者になるには時間がかかるとのことであったが、先に地元へと帰ってきたのは加賀屋のほうだった。今は実家の加賀屋医院の若先生だったはず。


 なんだか浦島太郎になったような錯覚におちいってしまう。芒尾が怠惰な生活を送っている間に、みんなは所帯を持ち、それぞれの居場所を作り、そして村にはゆっくりと時が流れ続けていた。もちろん、みんな歳をとった。泥だらけになって夕方まで遊び回っていた日々は、遠い昔になってしまった。


 ――これからは村と一緒に歳をとることができる。大人になり、子どもの時と全く同じとはいかなくとも、同じ時を共有することはできる。こんなことならば無理に都会に就職しようとせず、仕事先を地元に決めてしまえばよかったのだ。まだ働き口は決まっていないが、年齢的、土地柄的に見ても、ここならばやり直せる。そのためのリハビリ期間があってもいいのではないか。


「ちょっと早いけど、始めちまうか」


 襖が開くと中町がビールケースを持って個室に入ってきた。店も大分忙しいだろうに、わざわざビールを持ってきてくれたようだ。


 ビールの栓を中町が開け、それを持った美和子が酌をしてくれた。ビールを注いでもらった芒尾は、そのまま美和子からビール瓶をもらう。現状、まだ酒を飲める人間は、芒尾と美和子しかいなかった。すっとぼけてグラスを差し出していた学生服の悪ガキどもを見て、芒尾は溜め息をもらした。


「お前達はまだ未成年だろ? ジュースにしとけ、ジュースに」


 もちろん、今日の集まりに未成年が参加することを知っていた中町は、事前にジュースを用意してくれていた。瓶に入ったオレンジジュースだ。それの栓を抜くと、美和子が瓶を受け取る。


「美和子ぇ。今日くらいはいいじゃねぇか」


「そうだそうだぁ。俺、正月にお酒呑ませてもらったことあるぞ」


「二人とも無理言うなよ」


 ジュースを注いで回ろうとした美和子に対して文句を垂れたのは、花巻太一はなまきたいち石野洋二いしのようじの二人。諭したのが加瀬裕太かせゆうただ。最後に会ったのは、彼らがまだ小学生の頃だったと思う。弟と同級生だから、今年の春で高校三年生になるはずだ。彼らと弟は仲が良く、しょっちゅう家に遊びにきていたから嫌でも覚えている。だが、今日はここに弟の姿はない。小さい頃から四人でセットだったから、妙な違和感があった。


「駄目です。あなた達にお酒は早いの。全く……。今日は私が保護者代わりなんだから言う事を聞いてよ」


 弟も今日の集まりに参加するはずだった。しかし、今朝から急に寝込んでしまったのだ。昔から遠足などのイベントの直前に熱を出したりしていたから、恐らくそれだろう。


「大輔のぃ。秋紀あきのりの具合――どんなだ?」


 美和子の説教から逃げるようにして、花巻が問うてくる。茶髪とやらが最近の若者の間で流行っているらしいが、花巻の髪の色は、それよりもさらに明るくて金に近い。これからのトレンドは茶色よりも金色になるのかもしれない。


「いつものやつだろうから、心配しなくてもいいよ。わざわざ気を遣わせて悪いな」


 芒尾が答えると、花巻は「そうか」と呟いた。芒尾達がそうであるように、きっとこいつらは弟――秋紀にとって、一生涯の付き合いになる連中なのであろう。利便性に関しては都会に遅れをとっているが、このような人の繋がりの強さは、田舎ならではのものである。


「はい、お待たせしました――」


 真美がお店のほうからやってきて顔を出す。乾杯だけでも付き合ってくれるのだろう。中町が真美にグラスを渡し、それにビールを注いでやる。お返しとばかりに真美が中町にグラスを渡してビールを注ぐ。なかなかに見せつけてくれるではないか。


「それじゃあ、今日の主役から乾杯の音頭を」


 中町から乾杯の音頭が芒尾へと振られる。全く何も考えていなかった芒尾は、グラスを持ったまま固まった。早くしろといわんばかりにビールの気泡が次々と弾ける。


 幼馴染の美和子、同級生の中町と妻の真美、弟の同級生であり、芒尾からすれば弟同然の花巻、石野、加瀬。これから遅れてくる人間もいるが、これだけの人間が芒尾のために集まってくれた。実にありがたいことだった。


「えーっと……」


 みんなからの期待のこもった眼差しを向けられ、なおさら言葉に詰まってしまう芒尾。このような時、どんな挨拶をしていいのか分からない。


「大輔、俺達は店に戻らなきゃならんから早く。簡単でいいんだよ挨拶なんざ」


 グラスを片手に芒尾をせかす中町。仕事を抜け出してまでわざわざ乾杯の場へとやってきてくれたのだ。これ以上、中町を拘束しては申しわけない。


 結局、芒尾の口から出た言葉は、簡単なものだった。乾杯の挨拶とは言えないほどの、簡単なもの――。


「えーっと、みんな、ただいま! 乾杯!」


 そう言って右手に持っていたグラスを高々と掲げた。みんなが「乾杯」と続き、宴は始まった。


「それじゃあ、俺達は店が終わってから参戦するから。大輔、それまでに潰れんじゃねぇぞ」


 中町はグラスの中身を一気に飲み干すと、芒尾に釘を刺して店に戻った。妻の真美は「それではごゆっくり」と後に続く。芒尾はそれを見送ると、帰ってきたことを祝ってくれる仲間に小さく頭を下げてから座布団の上へと戻った。


「とりあえずお通しです。ちょっと珍しいものが手に入ったから食べてみて」


 しばらくすると真美が料理を運んでくる。とりあえず、それぞれの膳に配って回ったのは、わらびのようなものをゴマであえたものだった。ぱっと見た感じでは完全にわらびであり、珍しさの欠片もない。


 しかし、口に運んでみると、明らかにわらびとは食感が違った。くにゃりとした歯応えの後に、芯のあるしゃきりとした歯応えが追いかけてきて、それが二重奏となって絶妙な食感をかもし出す。ゴマの風味と相まって、これまで食べたことのない濃厚な旨味が口の中へと広がった。


 山菜なのであろうが、どちらかと言えば肉を食しているような感覚である。田舎の生活も短くはない芒尾であるが、これまで食べたことのない山菜だった。


 他のみんなも同じだったようで、舌鼓を打ちながら、美和子にいたってはどこの山で採ってきたのかまで聞き出そうとしている。それに対しても真美は「芒尾さんに聞いたらどうですか?」と、なぜか話を振ってくる。いやいや、話を振られても困る――と首を横に振ると、美和子も話を聞き出すのを諦めたようで、その話題はそこで終わった。


 お通しから満足できるものが出てきた中町の店は、芒尾達の期待を裏切ることなく趣向を凝らした味わい深い料理を出してくれた。


 村から崖を下ったところにある渓流で釣ったヤマメと、季節の食材である、ふきのとうのてんぷら。抹茶塩をつけて食すことが、これほど美味いものだとは芒尾も知らなかった。

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