5

「スガヤドン、なにをしている! さっさと行かんか!」


 山村の怒号が再び飛び、芒尾は混乱しながらも、山村の猟銃と弾の入った麻袋を荷台に積んで、軽トラックの運転席に飛び乗った。猟銃を使って山村を助けようという発想にはいたらなかった。山村が助からないことは、もう誰が見たって明らかだった。医者ではない芒尾にだって分かる。


「スガヤドン! 他の悪ガキ共にも伝えといてくれ! 山さんからの最期の説教だ!」


 軽トラックに乗り込んだというのに、山村の怒鳴り声はうるさいくらいだ。雨の音なんてものともせずに、ダイレクトに芒尾の胸に届いた。


「最期だなんて……言うなよ」


 頬には涙が伝う。どうして――なんの罪もない、ただ穏やかに長閑のどかな村の暮らしを営んできた人達が死ななければならない。どんなに悪いことをしても、死にいたるまでの罰が与えられることはまれなのに、どうして自分達ばかり、こんな目に遭わねばならないのか。


「何があっても生きろ! 格好なんてつけなくてもいい! とにかく、生きろ!」


 その言葉に泣き崩れそうになりながらも、芒尾は軽トラックのエンジンをかける。山村のほうは怖くて見ることができなかった。ただ、ここに留まり続けていれば、いずれは寝訃成の餌食となるだろう。


「だからって、格好つけて死ななくてもいいだろうが……」

 

 ぽつりと漏らし、ギアを入れてアクセルを踏み込むと、山村の怒鳴り声が聞こえたような気がした。


「まだお前さんが死ぬには早い! もし早々とあっちのほうに来たら、この山さんが追い返してやるからな! 覚悟しとけぇ!」


 軽トラックは無情にも走り出した。山村を救いたい気持ちと、どう頑張ったところで救えないという事実。結果的には山村を見捨てる形になってしまったことに、嫌でも自分を責めてしまう。ふと、サイドミラーに目をやると、寝訃成相手に、山村が本当にゲンコツをくれてやっているのが見えた。彼は――最期の最期までカミナリ親父であり続けようというのか。サイドミラーから彼の姿が見えなくなると、芒尾は涙を拭ってアクセルをさらに踏み込んだ。山村の想いを絶対に無駄にしてはいけない。ならば、今の芒尾がやるべきことは、無事に旧公民館まで戻ることだった。


 どのように軽トラックを走らせたのか、正直なところ覚えてはいない。ただ、寝訃成に遭遇しなかったことを考えると、無意識に山村に教えてもらった道をたどっていたのかもしれない。


 旧公民館に到着した頃には、雨も小降りになっていた。軽トラックが敷地内に入るなり、待っていたとばかりに見張りをしていた快晴と加賀屋が駆け寄ってくる。


「芒尾さん、山さん、よくぞご無事で。まぁ、お二人なら問題なく――」


 そう言って運転席のほうに駆け寄ってきた快晴は、山村の姿がないことに気づいて言葉を詰まらせた。


「大輔、その……山さんは?」


 加賀屋の言葉に、これまで我慢していたものが込み上げてきたのであろう。ハンドルに突っ伏した芒尾は情けないことに声を上げて泣いた。


「――そういうことですかい」


 きっと、芒尾の様子を見るだけでも、何があったのかは伝わったのであろう。


「先生、とりあえず芒尾さんを中へ。後は私がやっておきますので」


 快晴の声が聞こえると、今度は運転席のドアが開く音がする。


「さぁ、大輔。僕の肩に腕を回して――」


 涙で視界が滲んでいたが、なんとか加賀屋の助けを借りて軽トラックから降りる。膝はガクガクと震え、加賀屋の肩を借りなければ立っていることすらままならない。


「直斗、俺――俺、山さんのこと助けられなかった」


「今は何も話さなくていい。ちょっと休もう」


 加賀屋はそう言ってくれるが、しかし突如として芒尾の心の中に罪悪感のようなものが込み上げる。


「俺の――せいだ。俺のせいで――山さんは死んだんだ!」


 取り乱しそうになった。いいや、取り乱していたのだろう。次の瞬間、肩を貸してくれた加賀屋がいなくなったと思ったら、頬に衝撃が走った。


「しっかりしろ! 大輔!」


 加賀屋に頬を張られたのだと気づいた芒尾は、驚きもあってか妙に冷静さを取り戻した。人を救うことには貪欲であるが、しかし決して人に手をあげたことなんて一度もなかった加賀屋が、芒尾の頬を張った。加賀屋に頬を張られたという事実より、加賀屋に頬を張らせてしまったことが、なんだかショックだった。その場に崩れそうになった芒尾を、慌てて加賀屋が支えにきてくれる。


「直斗――」


「大輔、今は休んだほうがいい。色々なことがあったみたいだけど、今はとにかく何も考えずに休むんだ」


 芒尾は加賀屋の言葉に頷いた。まだ涙は止まらないが、それでもしっかりと前を向く。加賀屋の肩を借りながらも玄関から旧公民館の中に入り、そして上の広間のほうへとエスコートしてもらった。


 二階の広間では、体調が良くなったのであろう。座ったまま壁際に寄りかかる美和子と、芒尾の姿に目を丸くした花巻、駆け寄ってきて「何があったのですか?」と問うてきた岬がいた。


「ごめん、今は何も聞かずに休ませてやってくれないかい?」


 加賀屋が岬の言葉を制して、広間の隅に連れて行ってくれた。壁に寄りかかると、びしょ濡れになった服の不快感に襲われた。その辺りに気を向けられるくらいには、ここを安全だと自分で認識しているのであろう。


「大輔、僕は快晴さんのところに行ってくる。何かがあった時に見張りがいないと困るしね。とにかく、落ち着くまで休むといい」


 芒尾は加賀屋に言われて、そっと瞳を閉じた。やはり経験したことが経験したことであり、脳はフルで覚醒していたのであろう。眠れはしなかったが、たまに耳に入ってくる花巻達の会話を漠然と聞きながら、体を休めることはできたと思う。


「芒尾さん、調子のほうはどうですか?」


 ――次に目を開けた時には、快晴の顔が目の前にあった。心配そうに芒尾の顔を覗き込む快晴に「あぁ、多少は良くなったよ」と返した。体感的には短く感じたが、外がやや暗くなりつつある。自覚はないものの、少し眠ってしまったらしい。それとも、脳の処理能力が追いつかず、オーバーヒートを回避するために気絶していたのかもしれない。


 薄暗くなった大広間にはみんなが集まっていた。快晴、加賀屋、花巻、岬、美和子――そして、軽トラックの荷台から回収したのであろう。山村の猟銃が広間の片隅に立てかけられていた。


「花巻君からもお話を伺いました。芒尾さんも分かってはいたでしょうが、石野君と加瀬君も――」


 首を横に振る快晴。それを聞いてショックだったというよりも、やっぱり――という納得のほうが強かった。ふと、美和子のほうへと視線をやると、目が真っ赤になっているように見えた。立て続けの訃報に涙したのであろう。


「山さんのことも、事情は聞かずとも芒尾さんの様子を見れば分かりますから――」


 芒尾は体を起こして立ち上がってみる。大広間には悲しみの雰囲気が広がっていた。外が薄っすらと暗くなりつつあるのに電気を点けないのは、寝訃成に気づかれるからか。そんな薄暗がりの中、快晴は中央に向かうと、静かに口を開いた。


「それでは、こんな半端者で申しわけありませんが、亡くなった石野君、加瀬君、山さんに、私が念仏を唱えさせていただきます」


 快晴は大きく息を吸い込むと、さすがは曲がりなりにも坊主の端くれ、薄暗がりの中に向かってお経を唱え始めた。みんな、それぞれに両手を合わせる。芒尾もまた両手を合わせた。


 快晴による読経が終わると、辺りはしんと静まり返った。しかし、誰も合わせた手を元に戻そうとはしなかった。


「散々、生臭だって言ってた坊主に念仏を唱えられるとは、さぞ山さんも無念なことでしょうねぇ。こんなことなら、あの人の前でも真面目な坊主でいるべきでしたよ」


 快晴の言葉が薄暗がりには妙に響いた。外は徐々に暗くなりつつあり、惨劇が始まってから二度目の夜を迎えようとしていたのであった――。

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