【《現在》平成27年4月某日 午後 ―私―】1

【1】


「もし、わたくしが作者ならば、ここで挑戦状を挟みますね。と言っても、残りの枚数もわずか。クライマックスというところですけど――」


 私が編集部に戻ってから、どれだけの時間が経過したであろうか。どうせ三時になったらなったで、三時のおやつだ――なんて言い出すかと思ったのであるが、珍しく原稿に集中していた様子の彩香さんは、それをスルーした。物語が佳境に差し掛かっていたからなのかもしれない。


「さて、読者の諸君。全ての材料は出揃った。果たして、惨劇の引き金を引いたのは誰なのか。そもそも惨劇はなぜ起きてしまったのか。答えはすでに諸君の手中にある。さぁ、答えを明示せよ――みたいな具合ですね」


 原稿をテーブルの上に置くと、私のほうを見てかすかな笑みを浮かべる彩香さん。それがどうにも勝ち誇っているように見えるのは、私の気のせいなのではないのだろう。


「その様子だと、どうやら答えが見えたようですね――」


 私が言うと「えぇ。多分、間違いはないかと」と自信満々の彩香さん。ミステリ畑出身の彼女に調子を合わせつつ、私は口を開く。


「それでは、名探偵様の推理を拝聴させていただくとしましょうか」


 名探偵――と呼ばれて嫌な気はしなかったのであろう。彩香さんは立ち上がると「お茶を淹れて来ます」と、編集部の中へと姿を消す。しばらく待っていると、カップをふたつ持って戻ってくる彩香さん。私の目の前に置かれたカップからは湯気が立ちのぼり、コーヒーの香ばしい香りが漂う。


「推理物にコーヒーはつきものですから。それでは、ワトスン君。わたくしの推理にお付き合いを」


 私がかの有名なジョン・H・ワトスンだとすれば、さしずめ彼女はシャーロック・ホームズといったところか。さてさて、果たして目の前にいる名探偵様は謎を解き明かすことができるのであろうか。しかも、ジョン・H・ワトスンは、いつだってホームズの味方だとは限らない。むしろ、今回のワトスンはへそ曲がりだ。


「えぇ、それでは早速いただきます」


 コーヒーは恐らくインスタントなのであろうが、濃さが絶妙であり、私好みの味だった。彩香さんもまたコーヒーカップを口に運ぶと、小さく咳払いをする。


「では、僭越せんえつながらわたくしの推理を――。まず、わたくしが気になったのは、花巻君と岬ちゃんの両名です。この二人、物語が進むにつれて理解できない行動を取り始めます。花巻君は旧公民館を飛び出し、最終的に快晴さんの運転する軽トラックに自ら飛び込みました。岬ちゃんはマイクロバスを運転していた加賀屋先生をボウガンで殺害。明確な描写はありませんが、美和子さんの命を奪ったのも、岬ちゃんが放ったボウガンだった可能性が高い。では、どうして二人はこんな行動を取ったのか――」


 作中の花巻と岬は、ある時を境におかしくなり始める。もちろん、それには明確な理由と私なりの意図がある。この二人から切り込む辺り、彩香さんの推理はきっと、そこそこ良いところまでいっているに違いない。


「それは、二人がおかしくなる前に何をしていたのかを考えれば明白です。確か、二人は共通して、村の郷土史などの書物を調べていたはずです。もしかして、そこで何かを掴んでしまったのではないでしょうか? 本当ならば知るべきではない大変な事実を知ってしまったのだと、わたくしは思います」


 さすがはミステリ畑出身の編集者だ。的確に物語の流れを掴み、疑問を洗い出し、それを解決する能力が備わっているのだろう。作品を生み出す作家よりも、編集者のほうがよっぽど能力が高いのではないかとつくづく思う。


「その事実とは?」


 私は彼女の推測に合いの手を入れるかのごとく問う。しっかりとワトスンとしての役割を全うしていると、我ながらに思った。


「その事実――これではないかというものがあるのですが、それを提示するためには、まず解決しておかねばならない問題があるんです」


 彩香さんはじらすかのごとく、私の顔を見て笑みを浮かべた。きっと私の顔には苦笑いが浮かんでいたに違いない。


「はぁ、解決しておかねばならない問題ですか?」


 実は私は意図して彼女に伝えていない情報がある。しかし、かと言って嘘はついていない。ただ、ある事実を伏せていただけだ。もし、それに彼女がたどり着いているというのであれば脱帽ものである。ただ、推理の筋道の立てかたから察するに、もうそこにもたどり着いている可能性が高いが。


「えぇ、そうです。ある人物の正体をはっきりさせておく必要があるのです」


 彩香さんはそう言うと、私が問うのを待つかのごとく、私のことを見据える。


「その、ある人物とは?」


 いまだに私のほうを見据えたまま、しかし待ってましたと言わんばかりに口を開く彩香さん。


「それはもちろん――芒尾大輔です」


 その言葉に私は原稿のほうへと視線を移す。それを見ていたのか、彩香さんが首を大きく横に振った。


「いえいえ、作中に登場する芒尾大輔ではありません。今もこうしてわたくしの目の前にいて、少なくとも途中までは、わたくしが芒尾大輔であると思い込んでいた――あなたですよ」


 あぁ、やはり彼女は私が意図的に伝えなかった情報もお見通しなのだ。別に騙すつもりなんてなかったし、悪気があったわけではない。ただ、その情報はある意味でネタバレになると思ったのだ。私の作品をまっさらのフラットな状態で読んでもらうためにも、あえて伝えなかった情報なのである。


「この作品の主人公は芒尾大輔と言っても過言ではないでしょう。そして、物語は芒尾大輔を主軸にして、寝訃成に抗いながら生きようとする人々の群像劇が描かれます。惨劇の生き残りであるというあなたが持ち込んだ物語なのですから、自然とわたくしはあなたと芒尾大輔をイコールで結びつけてしまいました。なぜなら、芒尾大輔の両親は彼自身の手で殺害されていますし、弟さんは寝訃成になっている。他に家族として描写されている人物もいません。ゆえに、消去法で考えても生き残る可能性があるのは芒尾大輔しかいないからです。でも、本当にそうだったのでしょうか?」


 彩香さんはそこで言葉を区切り、私の腕時計に視線を移すと、けれどもすぐに私のほうへと視線を戻してから、彼女なりの着地点を私に突きつけてきた。


「あなたが持ち込んだ物語は、寝訃成という化け物と芒尾大輔達が戦う、ある意味で王道な物語。でも、わたくしはそうではないと思っています。むしろ、こう考えれば作中でわたくしが感じた違和感や、登場人物がとった行動など、全てに合点がいくんです」


 私は王道というものが、あまり好きではない。テンプレートというものも得意ではない。だから、あえて真相を隠しながら、この作品を書き上げた。わざとらしくテンプレート……既視感があるように書き上げたのも、その真相を隠すためのミスリードのつもりだった。だが、そのミスリードは彩香さんには通用しなかったようだ。


「つまり、この物語は寝訃成となった村人と芒尾大輔達が戦う物語ではなく――だった。そうですよね?」


 彩香さんは私の顔を見つめながら、決定的な事実を口にする。それは、私があえて情報として彼女に伝えていなかった事実だった。


「弟のさん」


 彼女にフルネームで呼ばれた私ことは、名探偵の手際の良さに思わず苦笑いを浮かべてしまった。

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