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「きっかけは本当にささいなこと。あなたの発した一言にありました。山さんが亡くなった場面に対して、わたくしが異議を唱えた際、あなたはなんと返したか――覚えていますか?」


 彩香さんはそう言うと足を組み替える。名探偵様の推理は、着実に真相へと迫りつつあった。どうやら、彼女は私が無意識に発した一言から答えにたどり着いたらしい。ミステリ畑出身の編集者というのは伊達ではないようだ。


「事実、山さんの遺体は加賀屋医院の近くで発見されたんだから――そんなニュアンスのことを言ったと思います」


 私の言葉を聞いた彩香さんは満足そうに頷く。


「そうですね。でも、その一言……ちょっとおかしくないですか? 妙に他人行儀というか、客観的すぎるというか」


「――それはつまり、どういうことですか?」


 彩香さんが言いたいことはニュアンスで分かる。しかしながら、あえて真意を問いただす私。 彼女の思考プロセスに興味が全くないといったら嘘になるだろう。


「作品は可能な限り事実に沿って書かれている。もちろん、全てを見たわけではないから、想像で補完している部分もある――あなたの言ってたことが事実なのだとすれば、果たしてあの時、他人行儀で客観的な発言が出たでしょうか? だって、芒尾大輔は山さんと同行していたんですよ? 自分の目で山さんがどうなったのかを見たはずです。だったら、もっと主観的な発言になると思いませんか?」


 私は芒尾大輔ではない。よって、山さんこと山村源治が亡くなる直前の場面は、当然ながら想像で書いたものになる。もちろん、実際に兄である芒尾大輔が同行していたとも限らない。ただ、山さんのトラックからバッテリーが抜かれていたこと、マイクロバスにサイズの小さいバッテリーが繋がれていたこと、そして山さんの遺体が加賀屋医院の近くで見つかったことから、そうであったのではないか――という憶測で物語を書いた。だからきっと、とっさの発言が客観的で他人行儀になったのだ。もし、私がその場面を見ていたのであれば、伝聞で知ったような発言は口にせず、自分の目で見たことを語ったであろう。すなわち、私が芒尾大輔だったとすれば、根拠となる情報の順番が明らかにおかしいことになるのだ。まず先に、自分の目で見たことを根拠としていたはず。


「言われてみればそうかもしれませんね――。でも、それだけで私が芒尾大輔ではないと見抜いたのですか?」


 彩香さんの言っていることは、なかば状況証拠のようなもので、決定的な根拠にはならない。しかし、彼女は確信を持って、私が芒尾大輔ではないと見抜いた。となれば、それなりに決定的な根拠があるはず。


「いいえ、当然ですが、それだけではあなたが芒尾大輔ではないと確信することはできませんでした。ここまでの話は、あくまでもきっかけにすぎません。もちろん、もっと決定的な証拠がありますよ」


 状況証拠だけでも、カマをかければ私自身が芒尾大輔ではないと認めていたかもしれない。現状、私は自身が芒尾大輔ではなく、弟の芒尾秋紀であることを認めたわけではない。あくまでも彼女の推測に耳を傾けるスタンスを取っており、否定もしなければ肯定もしていなかった。さてさて、名探偵様のお手並みを拝見させていただこう。


「あなたが芒尾大輔ではないかもしれないと疑ったわたくしは、あなたの過去の言動で不自然な点を見つけたのです。普通の食生活の方が、あの段階でラーメンなど食べれる状態ではないことくらい分かっていました。無理に誘ってしまったことは謝ります。でも、わたくしはどうしてもあなたを食事に誘い、今一度確認するべきことがあったのです」


 私はここに来てから、すでに彩香さんと二度食事をしている。親子丼からのラーメンはさすがに厳しかったのであるが、どうやら彩香さんは確かめたいことがあって、私を食事に誘ったらしい。あの時は人のことを考えない傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりが目立ってしまったが、ちゃんと意図があったということか。


「そうしたら、やっぱりそうでした。あなた、わたくしの左隣に座ったんです」


 彩香さんはそう言うと、何かを思い出すかのように宙へと視線をやる。その視線の先を私も追いかけてはみるが、何もない空間があるだけだった。


「親子丼を食べる時はカウンター席で、あなたはわたくしの左隣に座りました。この時は席もガラガラでしたし、あなたがどこに座ろうとも違和感を抱かなかったのかもしれません。でも、ラーメン屋でわたくしの左隣にあなたが座ったのは、普通の感覚からすれば明らかに不自然でした」


 普通の感覚――あぁ、なるほど。そういうことか。私は少数派であるがゆえの弊害を解消するために、無意識の内にそのような行動を取るようになったのだが、ごくごく普通の人から見れば、理由が分かるまで私の行動の意図は読み取れないのかもしれない。実はカウンター席のような、誰かと隣り合うような形の席に座ること自体、私はあまり好きではなかった。


「そんなに不自然でしたかね?」


 私はあえてとぼけてみせる。彼女がカマをかけている可能性は低く、明確な根拠があることは間違いない。あまりにも見事な道筋の立てかたに、ちょっとだけ嫉妬したのかもしれない。


「えぇ――とっても。あの時、店員さんがわたくし達を席に案内してくれました。いいですか? 案内してくれるってことは、少なくともわたくし達の人数分の席が準備できていたってことです。空いていた席は壁際からの三席。その三席の真ん中にわたくしが座りました。となると、あなたが座るのは、わたくしの右隣か左隣になる。そして、もう一度言いますが、席の準備ができたからこそ、店員さんはわたくし達を案内してくれたのです。事実、わたくしの席と、わたくしの右隣の席は綺麗に片付けられていたのです。しかし、あなたはわざわざ左隣の席に座りました。しかも、前のお客さんが帰ったばかりで片付いていなかった左隣の席にです」


 彼女の言う通り、私はカウンター席のような形の席では、可能な限り人の左隣に座るようにしている。しかも、願わくば一番端が好ましい。誰かの右隣には座りたくないし、自分の左隣に誰かが座るのも嫌だ。なぜなら、私の左隣に座る人は、かなりの確率で食事がしにくいという状況ができあがるからだ。もちろん、私自身も食べにくくなってしまう。


「なぜ、あなたがそこまでわたくしの左隣にこだわったのか。それは、ラーメンを食べているあなたを見て確信できました。あなたはだから、わたくしの右隣には座らなかったのです。左利きだからこそ、自分の利き手側に人が座るのを嫌がった。その結果が、あなたの取った行動ということです」


 ――その通り。私は左利きである。しかし、世の中のほとんどの人は右利きであり、残念ながら世の中も右利き用に作られていることが多い。これは左利きの人間にしか分からない苦悩だと思う。


 私は左利きだからこそ、腕時計をつける腕も右腕になる。カウンターで彩香さんの左隣に座ったのは、彼女が右利きだからだ。右利きの人間の利き手側――つまり右隣に左利きの人間が座ってしまうと、互いの肘がぶつかり合うという、互いにとって不快な現象が起きる。右利きに比べると左利きは少数であり、ゆえに無意識のうちに気を遣って、カウンター席の左端に座りたがったり、テーブル席を選ぶ左利きの人も多いのではないだろうか。

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