【《過去》平成12年4月16日 日没 ―飯田快晴―】1

【1】


 ほぼ真っ暗になってしまったガレージ内。豆電球を点けようと思えば点けられるのであるが、明かりを点けて寝訃成に見つかっては堪らない。幸いなことに旧公民館の二階にある倉庫でロウソクとマッチを見つけたから、それで辛うじて辺りを照らしていた。きっと、何かあった時のための備蓄だったのであろう。もっとも、想定されていたのは地震などの災害であって、決して寝訃成が出ることに対しての備えではない。なんにせよ、大っぴらに電気を点けるわけにはいかない一同にとって、マッチとロウソクはありがたかった。


 あれからというものの、それぞれがそれぞれに過ごしていた。芒尾と加賀屋の二人には玄関の見張りをお願いしてあった。


 美和子は相変わらず仲間の死から立ち直ることができていないようで、とりあえず二階の広間で休ませていた。岬がそばにいてやろうとしたのであるが、本人が一人になって整理したいとのことで、あえて美和子は一人にしてある。


 お役御免となった岬は、花巻と一緒に旧公民館の一角にある本棚の前で調べ物だそうだ。本棚には郷土史を筆頭とした地元の書物が多く、もしかしたら寝訃成のことが分かるかもしれないとのこと。なんでそんなことを知っているのかと問うたら、まだ旧公民館が公民館として機能していた頃、芒尾の弟が郷土史などを読むために入り浸っており、花巻も暇な時はそれに付き合っていたからだそうだ。少しでも二人の気がまぎれるのならばとお願いはしたが、旧公民館にあった、普段は誰も手に取ることのない郷土史などを調べるのだ。もしかすると、もしかするかもしれない。


 快晴はというと、脱出に向けての準備を着々と進めていた。軽トラックをガレージに横付けして、芒尾が持ってきたバッテリーを降ろす。芒尾の話だと工具箱は山村のトラックからバッテリーを外す時に荷台から降ろし、そのまま置いてきてしまったらしい。それを聞いた時はどうなることかと思ったが、やってみるとなんとかなるものだ。


 まずマイクロバスのバッテリーを取り外す必要があった。バッテリーは基本的にナットで留まっていることが多い。けれども、工具箱を芒尾が置いてきてしまったため、ガレージの中で見つけた結束バンドでナットを回すことを試みた。ナットに対して結束バンドを強く巻きつけると、バンドごと引っ張る。もちろん、何度も失敗したし、本当にナットが回るか心配にもなった。だが、最終的には快晴の執念が勝ち、無事にナットを回してバッテリーおよび、ケーブルを外すことができた。どこの誰が何のために結束バンドなんてものをガレージの中に放置したのかは知らないが、結果オーライである。


 芒尾が持って帰ったバッテリーのサイズは、マイクロバスについていたものより一回り小さかった。けれども、サイズが小さいからといって使えないわけではない。バッテリーを外した時と同じように、手である程度ネジ山にナットをかませると、結束バンドでナットを締めてケーブルを留め、そして バッテリーを固定した。


 燃料は調達できていないが、古そうながらも燃料は少しだけタンクに残っていることが確認できている。ゆえに、バッテリーを繋いだ時点でエンジンがかかるか試してみることにした。


 バスに乗り込み、運転席の下に潜り込むと、直結でエンジンをかけてみる。いざ、エンジンを止める時は、ギアを入れてわざとエンストさせてやればいい。とにもかくにも、バッテリーがしっかり仕事をしてくれるか試しておく必要があった。いざ使う時にエンジンがかからなかった――では、笑い話にもならない。


 赤沢トンネルという要塞を突破するためには、まずマイクロバスが動くという前提が必要だ。快晴は願うような気持ちでエンジンの直結を試みる。マイクロバスなんてもののエンジンを直結できるなんて、なんとも自慢できない特技である。ただ、これで生き残ったみんなを助けることができれば、それもチャラになるのではないだろうか。


 ――快晴の願いは届いた。やや異音がしているものの、エンジンがかかってくれたのだ。運転席に座り、試しにギアを入れてアクセルを踏んでみた。しばらく身動きひとつしていなかったであろうマイクロバスは、ところどころを軋ませながらも、ゆっくりと前進した。


「よし、これでいい!」


 燃料が古いことがネックになっていたが、とりあえずは動いてくれる。山村の一件もあったから、わざわざリスクを背負って燃料を取りに向かう必要はないのかもしれない。芒尾も多少は落ち着いたようだが、まだ戦力として数えることはできないし、無理に人手を割くのは危険だ。とりあえずはこれで良しとすべきである。


 わざとバスをエンストさせると、早速バスが動いたことを報告すべくガレージを後にする。まずは玄関先にいる芒尾と加賀屋に報告だ。小雨になった雨の中を玄関へと急いだ。すると、まるで快晴が報告に来たことを感じ取ったかのごとく人影が飛び出して来る。もしかして、エンジン音が玄関まで聞こえたのかもしれない。それでバスが動いたことを知った芒尾か加賀屋が飛び出して来たのだろう――と思ったら、意外にも違った。玄関先のロウソクの明かりに照らされた金髪は他の誰でもない。花巻だった。


「ちょっと待つんだ花巻君! 一体、何があったんだい?」


 花巻に人影が摑みかかる。その声からして加賀屋であろう。それに加勢するかのごとく芒尾も花巻を引き止める。


「ここを出て行くって――他にどこに行くんだよ!」


 大人二人に力づくで引き止められた花巻は、しかし声を張り上げて抵抗する。


「いいから離せよ! もう終わりなんだ――何をしたって終わりなんだよ!」


 花巻が激しく暴れ回り、加賀屋の腹部に肘を決め、身をひるがえすと芒尾の腕を蹴り上げる。


「ちょっと、何があったんですか? とりあえず落ち着き――」


 快晴が仲裁に入ろうとするが、拘束を逃れた花巻はすでに走り出していた。それも「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」と、なにやら絶望に満ちた叫び声を上げながらだ。あんな声を上げて走り回ったら寝訃成に気づかれてしまう。それに、この薄暗がりの中、たった一人で飛び出すのは危険極まりない。快晴は花巻のことを追いかけることにした。加賀屋に向かって言う。


「先生! ここは私に任せて下さい!」


 小雨の降りしきる薄暗がりの中、明かりも持たずに出歩くなんて自殺行為だ。花巻を追って暗闇の中に飛び出した快晴が、自分にもそれが当てはまると気づいたのは、完全に花巻の姿を見失ってしまった時のことだった。数少ない街灯の明かりを頼りに走ってきたが、これ以上行くと旧公民館に戻れないような気がした。


 見渡す限り辺りは闇、闇、闇。はるか遠くに明かりが見えるものの、あれは地獄へといざなう明かり。この状況で堂々と明かりをともせるのは、寝訃成くらいだ。両膝に手をついて呼吸を整えると、危険なことを承知で花巻の名を呼んだ。


「花巻君! いたら返事して下さい! 私達から離れたら危険です! 今すぐに戻って下さい!」


 快晴の叫びは暗闇の中へと吸い込まれて消え、花巻の返事の代わりにいびきの音が聞こえたような気がした。目が暗闇に慣れているおかげか、うっすらと辺りが確認できる程度の視界だ。街灯の数も少なく、どこから寝訃成に襲われても不思議ではない。これ以上の深追いは危険である。


 後ろ髪引かれながらも、快晴は旧公民館に戻ることにした。さっきは花巻を引き止めることに必死だったが、改めて旧公民館へと戻る道に寒気がした。こんな状態では、本当にいつどこから寝訃成に襲われてもおかしくはない。花巻も無事でいてくれると良いのだが。こうなってしまったら、無事でいてくれることを祈ることしかできない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る