【《過去》平成12年4月16日 明け方 ―芒尾大輔―】1

【1】


「……スガヤドン。それで本当に上手く行くと思っているのか?」


 芒尾が考えを話すと、山村は明らかな難色を示した。隣の美和子も不安そうな表情を向けてくる。


「上手く行くかどうかは分からないけど、あっちの銃撃を防ぐには、こうするしかない」


 相変わらず一定の距離を保って追尾してくるパトカー。一本向こう側の旧道を走るヘッドライトは、下手をすると本道との合流点に到着してしまったかもしれない。


 後続のパトカーには拳銃を持った駐在。窓から身を乗り出せば発砲されるだろうから、そこからの射撃は難しい。身を乗り出した銃撃が危険ならば、まずはそれを解消しなければならない。すなわち、こちらが安全に銃撃できる状況を作ればいい。


 映画のように機転の利いたアイディアなど現実ではでてこない。普段の思考に毛が生えた程度のことしかできないのがリアルだ。芒尾が思いついた策だって、そんなに大したものではなかった。


「スガヤドン。さっき撃ってみたから分かると思うが、そいつはかなり反動が大きい。バランスを崩したらどうなるか分かっているだろうな?」


「そうなった時はそうなった時だ。最悪、俺のことは放ってもらっても構わない。とにかく、駄目元でも試してみたいんだ」


 芒尾は山村の言葉に返すと、足元に転がっていた折り畳み式のスコップを手に取る。やめたほうがいい――と言わんばかりの視線を美和子が送ってくるが、他の手段を模索している暇はないし、やるしかない。山村が諦めたかのように溜め息を漏らした。


「山さん、後で弁償するからな……」


 そう断りを入れると、芒尾はスコップの先端をフロントガラスに突き立てた。一度ばかりでは何も起きず、何度も何度もスコップを突き立てる。


「絶対に弁償しろよ。一括でだ」


 溜め息混じりで呟かれた山村の言葉には、ほんのかすかな期待が含まれていたような気がした。いいや、そう考えでもしなければ、人のトラックのフロントガラスを割るなんて、罪悪感が先行してできないだろう。


「分割じゃ駄目……か!」


 語尾に力を入れると共に、スコップをフロントガラスに突き立てる。すると蜘蛛の巣のように、亀裂がフロントガラスに走った。今度はスコップを突き立てる位置をずらし、同じ行為を繰り返す。


 亀裂はさらに細かく、そして広がるようにしてフロントガラスを縦横無尽に駆け抜ける。できる限り邪魔にならないようにと、運転席側まで亀裂が走らぬように考慮したつもりであるが、力加減というものが難しい。


「山さん、前は見えるか?」


 山村は前のめりになりながら、亀裂の走っていない部分を見つめつつ「なんとかな……」と呟く。ここまでしたのだから、もう後には引き返せない。


 芒尾はごくごく普通の凡人である。大勢のゾンビに囲まれても、平然と銃を撃ち放ったり、使ったこともない銃を手にした直後には、百発百中で命中させてみたりと、映画の主人公のように補正はされていない。現実なんてそんなものだが、しかし芒尾達は切り抜けなければならない。ごくごく一般の人間が、それこそ扱い慣れていない銃で場をしのがねばならないのだ。これなら、針の穴に糸を通すほうが数百倍簡単である。


「美和子、危ないから伏せてろ」


 芒尾が言うと、美和子は頭を守るようにして、助手席の下へと頭を潜り込ませる。それを確認すると、亀裂の入ったフロントガラスで、もっとももろくなっているであろう場所をスコップで突いた。思っていたよりも派手な音はせずに、スコップがフロントガラスを突き抜けた。続いて、体を助手席の背もたれに預け、フロントガラスを力の限り蹴る。まるで、かさぶたがベロリとむけるかのように、助手席側のフロントガラスは割れていながら、しかし運転席側に繋がったままの状態で外へと垂れ下がった。フロントガラスが一枚ものだからであろう。確かフロントガラスというものは、事故が起きた時に飛び散らないように加工もされていたはずだ。


 雨上がりの生暖かい空気が、勢い良く車内に流れ込んでくる。エンジン音が耳に痛い。それに加えてサイレンも混じるのだから堪ったものではなかった。山村はさらに前が見えにくくなったようで、しきりに視線の位置を変えて、視界の確保をしているようだった。


「スガヤドン、俺が一度だけスピードを限界まで落とす! 狙うならそこにしろ。素人のお前さんに言うのは酷だが、この機会は一度限りだ。絶対に外すなよ!」


 ようやく前が見渡せるポイントを見つけたのか、山村は首を傾げたままの状態で声を荒げた。なかばフロントガラスを失ってしまったトラックの車内は、エンジン音と吹き込む空気の音、そしてサイレン音で支配されてしまっている。


「いいか? 簡単にだが、散弾銃の狙いのつけ方を教えてやる! 何度も説明している暇はないだろうから、よく聞いておけ!」


 山村はトラックを運転しながら、正に散弾銃を手に取った芒尾に向かって叫ぶ。吹き込む空気のせいで、美和子の髪が後方へとなびいていた。


「まずは自分の利き目を知る必要がある。指で輪を作って、両目で見て何かが輪の中に入るようにしてみろ! 対象は何でもいい!」


 芒尾は言われた通りに指で輪っかを作り、スピードメーターの給油マークが収まるように調整する。山村が言った通り、恐らくチャンスは一度限り。危険を何度も犯すわけには行かない。素人なりにできることはやっておきたかった。


「輪の中に対象を入れたぞ! どうすればいい?」


 輪っかを通して給油マークを眺めつつ、芒尾は次の指示を仰いだ。何度も危険を犯したくないし、ここは狩猟のプロにアドバイスを求めておけば間違いない。


「その状態で、目を片方ずつ閉じてみろ! どちらかの目で見た時に、対象が輪から外れるはずだ!」


 言われるがままに左目を閉じてみると、見事に輪の中に給油マークが収まっていた。しかし、右目を閉じると輪の中から給油マークが外れてしまう。


「山さん! 左目だ。左目を閉じた時は、輪の中に対象が収まってる!」


「と言うことは、お前さんの利き目は右目だ! 散弾銃で狙いをつける時も、右目で狙いをつけろ! ちなみに、利き目と利き手は同じ場合がほとんどなんだが、お前さんの利き手は右で問題ないな?」


 漠然と利き目が云々と言われてもピンとこないが、利き手は右であるし、とりあえず頷く芒尾。利き目と利き手が違うと面倒なのだろうか。


 遥か遠くに学校のシルエットが見えてきた。もうしばらく行くと合流点だ。残された時間は少ない。合流点に到達するまでに決着をつけねばならない。


「散弾銃の銃身の先端に、突起があるだろう? そいつは照星しょうせいと呼ばれるもので、散弾銃の照準になる。その手前にあるのが中間照星。これらが一直線に重なるように構えて、パトカーと照星が重なったら撃て! 利き目で狙いをつけるんだぞ!」


 矢継ぎ早に説明される言葉を、咀嚼そしゃくする暇もなく飲み込む芒尾。利き目で見た時に、銃の先端部分の突起とパトカーが重なるようにすればいいのだろうか。これは言葉だけではなく、実際にやってみて感覚を掴むしかないようだ。これが一発本番というのだから笑えない。

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