【《過去》平成12年4月15日 夕刻 ―芒尾大輔―】1

【1】


 古ぼけていていながら味があり、えらく達筆に【なか屋】と店名が記されている暖簾のれんをくぐると、十数年間全く変わっていない店内が、彼を出迎えた。


 左手には、ひとつの広間を低い仕切りで幾つも区切った、少人数用の小上がり席。右手にはそれぞれ部屋が独立した中人数対応の小上がり席が三席ほど。確か店の奥には個室席もあったはずだ。奥ばったところに厨房を兼ねたカウンター席があり、カウンターの中には懐かしい顔があった。


「いらっしゃい……。おぉ、大輔! 久しぶりだなぁ」


 カウンターの客と喋っていた板前が、彼――芒尾大輔すすきおだいすけに気づいて、笑顔を浮かべた。


 カウンター客もつられて芒尾のほうへと振り返る。作務衣さむえの似合う初老の男性だった。その男性の顔を見て芒尾は思わず苦笑い。


「ほら、スガヤドンのところのせがれだよ。山さん、覚えているだろ?」


 板前が言うと、山さんと呼ばれた作務衣の男が、目を丸くして驚いたような表情を見せた後に笑みを浮かべる。芒尾からすれば、あまり嬉しくはない再会なのであるが。


「おーおー、スガヤドンとこの悪ガキかぁ。一丁前な面構えになって……」


 作務衣の男――山さんとは通称であり、本名は山村源治やまむらげんじという。もっとも、板前と芒尾の年代からすれば、近所のカミナリ親父という呼び方のほうがしっくりと来る。


「都会のほうでしばらくブラブラしてたけど、これでも大学を出たからね。少しくらい面構えも、まともにはなるさ」


 小さい頃は熊のように大きく見えた山村の背中も、随分と小さく見えるようになった。長い間、この赤沢村を離れていたから、なおさらそのように見えるのかもしれない。


「大輔、今日は山さんが仕留めた猪の肉を仕入れたんだ。滅多にない上物だから、お前の帰郷祝いには打ってつけだな。山さんに感謝しろよ」


 板前の名は中町誉志男なかまちよしおといい、芒尾の同級生である。ただ、中町は家業を継ぐために、中学校卒業と同時に街の割烹屋へと弟子入り。芒尾より一足先に村を離れていた。


「山さん、相変わらず鉄砲打ちしてるのか。もういい歳なんだから、隠居したら?」


 芒尾はそう言うと、山村のそばにあった徳利とっくりを手に取り、山村のお猪口ちょこ熱燗あつかんを注ぐ。


「まだまだ隠居するにゃあ早ぇなぁ。まぁ、スガヤドンの悪ガキに酌をしてもらうようになったってことは、俺も歳をとったってことだなぁ」


 山村は小さくお猪口を掲げると、かすれた声で「乾杯」と呟いて、熱燗を口へと運んだ。


「奥の個室にみんな集まってる。俺も店が落ち着いたら行くからよ、先に始めちゃってくれよ」


 中町はそう言うと、厨房のほうへと声をかけた。それに応える形で、奥から着物姿の女性が出てくる。髪を後ろでひとつにまとめ、はっきりとした目鼻立ちは、正しく大和撫子といったところだ。


真美まみ、こいつを案内してやってくれ……。ほら、覚えてるだろ? 俺達の式で派手に酔い潰れたやつ」


 二人の結婚式のことを思い出して、芒尾は申しわけない気持ちと一緒に会釈をした。中町は街の割烹屋で働いていた真美と結婚。その時、芒尾も友人として招かれたのだが、舞い上がって泥酔してしまい、とんでもないことをやらかしたらしい。


 そんな中町夫妻は、結婚を期に村へと戻った。両親から家業を引き継ぎ、しばらくは両親と一緒に切り盛りをしていたらしいが、父親が病に倒れて隠居。それからは中町夫婦で店を切り盛りしている――と、確か昨年か一昨年の年賀状に書いてあった気がする。


 ふと、辺りを見回してみると、見知った顔が小上がりにちらほら見える。全ての席が埋まっていて、満員御礼の様子だから、代が変わっても繁盛しているのであろう。村唯一の飲食店というのも、その要因と言えるだろうが、やはり中町夫妻の努力があるからこその賑わい振りだと思う。


 カウンターから出てきた真美は、芒尾の顔を見るなりクスリと笑った。


「ごめんなさい。あの時の芒尾さんの体を張った芸を思い出してしまって――」


 一体、どんなことをやってしまったのであろう。いつか聞き出してやろうかと思っているのだが、今のところ真相は明らかになっていない。


「さぁ、芒尾さん。こちらへどうぞ。お部屋にご案内いたします」


 笑いをこらえているような真美に、芒尾は小さく溜め息を漏らすと、山村に「じゃあ、また今度」とだけ挨拶をして真美の後に続いた。味のあるふすまを真美が開けると、一斉にクラッカーの音が鳴り響いた。真美はあらかじめ知っていたらしく、襖のかげに隠れる形で難を逃れたが、何も知らなかった芒尾は、何本ものクラッカーのテープを頭からかぶることになってしまった。


「せーの……」


 クラッカーテープにさえぎられた視界の隙間から、幼馴染の一人である佐武美和子さたけみわこが、音頭をとるのが見えた。


「大輔! おかえりなさい!」


 そして、美和子の音頭に続いて、合唱するかのように響く芒尾へのメッセージ。本来ならば目頭が熱くなる場面なのであろうが、クラッカーテープが邪魔で、雰囲気をまるでぶち壊している。色とりどりのクラッカーテープにまみれた芒尾は、奇抜な髪型をするアーティストのようになっていることだろう。


 数年前に大学を卒業した芒尾だが、就職活動に失敗。その挫折があったせいか、しばらくフリーターをして生活していたが、このままではよろしくないとの危惧感もあり、思い切って地元である赤沢村に帰ってきた。もちろん狭い村だから噂は一気に広まり、地元に残っていた仲間から早速電話がかかってきた。


 久しぶりだから、みんなで飲もう――そんな誘いを、美和子の旦那であり、これまた芒尾とは幼馴染の佐武貴徳さたけたかのりから受けたのが、村に帰ってきてすぐのことだ。懐かしの顔ぶれと酒を酌み交わすことを楽しみにしていたのだが、こんなサプライズがあるとは思わなかった。


 クラッカーテープを払うと、美和子が芒尾の手を引く。


「さぁさぁ、主役は上座に」


 個室の一番奥の席へと案内された芒尾は、嬉しいような、こっぱずかしいような、そんな複雑な思いと一緒に、上座へと着席。


「いや。なんだか恥ずかしいなぁ」


「だってダイちゃんが帰ってきたんだよ? これくらいのことはやって当然だよ。まぁ、言い出したのはうちの旦那なんだけどね」


 芒尾が言うと、美和子は誇らしげに胸を張った。芒尾大輔、佐武貴徳、そして旧姓安住あずみ美和子は家が近所で、小さい頃から一緒に遊んでいた腐れ縁――もとい、幼馴染だ。


 幼馴染同士の結婚など、漫画や小説の中だけの話のように思えるが、二人は中学校に入った頃から付き合い出した。しかし、だからといって芒尾が邪険に扱われることもなく、二人きりのデートのはずなのに、誘われてついて行ったりしていた。芒尾のほうが気を遣うくらい、二人の愛が育まれるのを近くで見てきた。


 そんな二人は足掛け10年の交際を経て入籍。幼馴染から夫婦へとなった。


 当然、二人の式にも呼ばれた芒尾だったのであるが、式まで後少しという時期に、不運にも急性盲腸炎になってしまい入院。中町の時は失態だけで済んだが、どうやら結婚式というものと、とことん相性が悪いらしい。


 そんな芒尾自身は、いまだに独身。恋人くらいはいたことがあるが、ゴールインすることなく途中棄権が続いていた。そう考えると、互いに初めての恋人同士のままゴールインした美和子達は、改めて凄いというか羨ましいというか。


「あれ? でも貴徳の姿が見えないみたいだけど」


 周囲を見回してみるが、しかし言い出しっぺの姿が見えない。


「あー、緊急の仕事が入っちゃってね。なんでも、役場の水道管が破裂したとかで……。少し遅れて来るって」


「そうか。相変わらず配管屋さんは忙しそうだな」

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