3
「頼む! 頼むから、それ以上近寄らんでくれ! さもなくば……」
今度は山村が後退る番だった。いびきをかきながら、ナタを片手に歩み寄ってくる友人の姿は異様で、山村は猟銃を構えたまま少しずつ後退を続ける。
散弾銃は名前の通り、散弾を使用する。ショットシェルと呼ばれるそれは、発射した後に炸裂して、無数の散弾が一定範囲に均等に飛び散る仕組みだ。よって、足を狙って撃ったところで、足だけをピンポイントで撃ち抜くわけではない。足を中心に弾が飛散してしまうため、下手をすると致命傷を与えてしまう恐れがある。
寝訃成は救う手立てがない。よって、殺してやるより方法がない。けれども、昔から付き合いのある酒呑み仲間を――孫のことを嬉しそうに自慢する友人を、この手で殺したくはなかった。
ゆっくりと歩み寄ってきていた友人が、狂ったかのように奇声を上げて地面を蹴った。ナタを振り上げて、恐ろしいほどの速さで山村のほうへと駆けてくる。
「ダイモ! 許せっ!」
このままでは殺られる。そう察した山村は、ぎりぎりまで迷ったすえに引き金を引いた。闇夜に響く銃声、迷っていたがゆえに衝撃への準備が間に合わず、肩を後ろへと仰け反らせる山村。そして――友人の体に向かって炸裂し、いくつもの小さな穴を開けた散弾。視界の隅で、友人が倒れ込む姿が見えた。
急に山村を襲う脱力感。膝が重力に逆らえずに折れ曲がって、猟銃の銃口も地面へと向いた。辛うじて足を前に踏み出して堪えるが、よろけて転倒しそうになる。
山村が撃った友人は、ぴくりとも動かない。妙な体勢で弾を放ってしまったせいか、耳鳴りが酷い。
――これが人を殺すということなのか。全身が罪悪感に包まれ、かすかに痺れている。思った以上の後悔と、別の手段が無かったのかと自責の念が込み上げる。
寝訃成は殺さねばならない。そんな暗黙のルールが村に設けられたとしても、ならばと喜んで人を殺す者はいなかったであろう。きっと明治時代の村も後悔と罪悪感にまみれていたことだろう。
ばちん、とこれまで以上に炎が大きく爆ぜて、屋根の一部が落ちてきた。もし人が中に取り残されているのならば、まだ延焼していない一階部分――店のほうということになるだろう。しかし、そこまで火の手が回るのは時間の問題だ。山村は怖気づきそうになっている自分を奮い立たせ、猟銃に弾を込める。
「ダイモのようになりたいなら、遠慮せずにかかってこい!」
――すまん。動かなくなった友人に駆け寄りたい気持ちを抑えつけて、山村は猟銃を寝訃成達のほうへと向ける。まるで見せしめのようなことをしてしまい、友人には本当に申しわけないと思っている。しっかりと埋葬して、花を手向けたいとも思う。だが、今やるべきことはそれではない。中に取り残された人間を救ってやることだ。
日常から非日常へとスイッチが切り替わり、孤立無援の状況へと陥ってしまった山村。目の前で佇むは寝訃成となった馴染みの人間ばかりで、山村に味方してくれる者は誰一人としていない。だが、実際に人が撃たれたというのが効果的だったようで、蜘蛛の子を散らすかのようにして寝訃成達が逃げ出した。追いかけて殺すなんて真似をするつもりはない。寝訃成は殺さなければならないのかもしれないが、一人でこれだけの相手を撃ち殺すのは
静寂の中に炎が燃え盛る音だけが痛いほどに響く。山村は動かなくなった友人に両手を合わせ、もう一度だけ謝罪してから店のほうへと走った。
二階部分の割れた窓から豪炎が吹き上がる。山村は顔を手で遮りながら、店の入り口へと辿り着く。降りかかる火の粉を振り払いながらも玄関の引き戸に手をかけた。しかし、鍵がかかっている。恐らく、寝訃成達を入れぬように、中から鍵をかけたのであろう。
「おーい! 山村だぁ! 中に誰かおるのか? おるんだったら返事をしてくれぇ!」
山村は中へと声をかけながら、引き戸を力強く叩いた。風向きのおかげで玄関先にまで煙はきていないが、中はどうなっているか分からない。もし生存者が中にいるのであれば、時は一刻を争う。
いくら引き戸を叩いても中からの返事はない。鍵を開けにきてくれもしない。これはいよいよまずいかもしれなかった。先ほどの悲鳴が空耳であってくれることを、山村は心から願った。
「……すまん。後で必ず弁償する」
「おーい! 誰かおるかぁ! 助けにきたぞー!」
炎が
「おい、若女将! しっかりせぇ!」
水色の鮮やかな模様に、赤のアクセントが加えられた着物姿。特に下半身のほうに、赤のアクセントがくどいほどに施されていた。ただ、山村が知っている真美の着物は、透き通るかのような水色だったはず。そのアクセントが真美の体から流れ出たものだとは考えたくもなかった。
「……山さん?」
真美がか細い声を絞り出し、薄っすらと目を開ける。
「あぁそうだ! 山村だ。助けにきたぞ。もう心配いらん」
意識はあるし、寝訃成にもなっていない。ちゃんと山村を山村として認識しているし、こちらの問いかけへの返答もある。まともな人間が、ひどく久しぶりのような気がした。
「とにかく、ここを出よう。立てるか?」
山村が問うと、真美は力無く首を横に振った。ならばと肩を貸そうとするが、真美は切なそうな声を振り絞って、それを拒否した。
「山さん。私、足の感覚が無いの……」
山村は真美の
「誰が……誰がこんな酷いことを」
怒りか、恐れか、それとも言葉では言い表せない感情なのか。山村は真美の足の状態を見て、唇を強く噛み締めた。
本来なら真っ白なのであろう真美の足は、スネの辺りで真っ赤に染まっていた。皮と肉は引き裂かれたかのようにズタズタで、中の白いもの――骨までもが切断されているように見える。辛うじて薄皮で繋がっているようだったが、これでは立てるわけが無い。ご丁寧に両足ともに同じ状態だった。
「あんなに優しかったのに、須藤さんがナタを振り上げて――」
真美は肩を震わせながら嗚咽をあげた。須藤とは山村の同級生の本名。外で山村が撃ち殺した男のことだった。
「何があった? 何がどうなって、こんなことになった?」
山村が問うと、真美が弱々しく、それでいて時折ヒステリックを起こすかのように声を荒げながら、途切れ途切れの言葉でこれまでの経緯を話してくれた。
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