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「ちょっと、先に着替えちゃうから待ってて」


 力無く言うと、美和子は部屋の中へと姿を消した。緊急事態であったとしても、女性の着替えを見るわけにはいかない。それが幼馴染だったとしてもだ。


 待っている間、芒尾は少しばかり扉の開いた両親の寝室のほうを眺めていた。こんな状況だからできることは限られているが、美和子の義両親達を弔ってやらねばならないだろう。このまま放っておくのは忍びない。これもまた、現時点でやらねばならないことのひとつだった。


「お待たせ……。ベッドの脇にあるタンスの中に着替えがあるから、好きなのを選んで。サイズが合うかは分からないけど」


 しばらくすると美和子が部屋から出てくる。交代するかのように芒尾は部屋に入ると、タンスの中から着替えを引っ張り出して手早く着替えた。恐らく、この着替えは全て貴徳のものなのだろう。あまり美和子を一人にはしておけなかったため、中途半端に袖へと腕を通したままの格好で、芒尾は部屋の外へと出た。


「美和子、ちょっとおばさんのとこに寄っていかないか?」


 袖に腕を通しながら言うと、美和子が明らかな拒否反応を示した。家族の遺体をもう一度目の当たりにするなど、精神的に参っている美和子には堪ったものではないだろう。しかし、家族を弔うのは残された人間の務めである。


「このままにしておくのは可哀想だろ? せめて、おばさん達を弔ってやりたいんだ」


 弔うといっても坊主を呼んでお経をあげてもらうわけではないし、ましてや埋葬するわけでもない。とりあえず、死の間際の不恰好な姿だけでも、なんとかしてやりたいだけなのだ。人間、死んでしまえば後のことなど分からない。しかし、それでも遺された人間として、ある程度の敬意を払ってやりたかった。


 美和子は困ったかのような表情を浮かべていたが、しばらくすると意を決したかのごとく力強く頷いた。貴徳が妙な豹変ぶりを見せてしまった今、佐武家の両親を送り出す義務は美和子にある。本人も覚悟を決めたのであろう。


「それじゃあ、まずはおばさんを中に入れてやるぞ……」


 芒尾と美和子は両親の寝室の中へと入り、窓から半身を投げ出しているおばさんの元へと向かう。実際に遺体を見て怖気づいてしまったのだろう。美和子は体を震わせながらも、芒尾と一緒に義母を引き上げた。二人とも無言のまま淡々と作業をする。暗がりの中、美和子の瞳に涙が浮かんでいるように見えた。


 二人がかりで遺体を引き上げると、ベッドの上へと運ぶ。仰向けに寝かせて、両手を組ませてやると、驚きの形相のまま見開かれた瞳を閉じてやった。


「次はおじさんだ……」


 そもそも、おばさんをこんな目に遭わせたのは、長年の連れ合いであったおじさんだ。しかし、死者であることに変わりはないし、美和子の義父であることにも変わりはない。自ら手をかけた芒尾の、せめてもの罪滅ぼしだった。


 様々な葛藤があるのだろうが、美和子はうつむきながらも芒尾の後をついてくる。直視したくない現実が転がっている仏間に入ると、蒼白な顔をした美和子と一緒におじさんを持ち上げた。ゆっくりと時間をかけ、しかし確実におじさんを二階の寝室へと運んでやる。階段を上りきった時点で、額には汗がにじんでいた。美和子も息が上がっていた。


 芒尾は美和子に指示を出しつつ、なんとかおじさんをおばさんの隣へと寝かせてやる。同じように両手を組ませて瞳を閉じてやった。


「おじさん、おばさん……」


 無言でベッドに横たわるおじさんとおばさんの遺体。芒尾は美和子に目配せをすると、一緒に手を合わせて冥福を祈った。壮絶な最期を遂げてしまった二人だが、せめて安らかに眠って欲しい。


 どれくらい、そうしていただろうか。ふと、窓の外に目をやった美和子が、芒尾の肩を叩いて外を指差した。


「ダイちゃん、あれ――何?」


 美和子が指を差した先を見て、芒尾は戦慄せんりつした。ここから見える藤宮商店の外灯。その外灯に集まる虫のように、いくつもの炎が揺らめいていた。


松明たいまつだ……」


 芒尾が呟くと、その松明がゆらゆらと揺れながら列を作り、こちらのほうに向かって動き出した。近付いてくるのは松明の灯りだけではない。いびきと歯ぎしりの音も、松明と一緒に揺らめく。その数は明らかに片手では足りない。


 芒尾は窓を閉めると、鍵をかけてカーテンを閉めた。戸惑う美和子を置いて階段を転げ落ちるかのように降りると、電気を消して回る。


 そのまま玄関の鍵が施錠されていることを確認して、台所の奥にある勝手口の施錠も確かめた。


「美和子、あいつらだ! 手伝ってくれ!」


 松明が照らし出したいくつもの人影。響き渡るいびきと歯ぎしりの音――。貴徳が家を飛び出した理由が、ここでようやく明らかになった。貴徳は……いや、貴徳だった何かは、援軍を呼びに家を飛び出したのだ。そして、その集団がこの家に向かっている。


「手伝うって……何を? もう嫌だよ! 私達が何をしたっていうの!」


 ヒステリックを起こして泣きわめくかのごとく、階段の上から顔を覗かせた美和子が苛立ちをぶつけてくる。泣き叫びたいのは芒尾だって同じだ。


「玄関と勝手口はいいとして、窓が破られるかもしれない! なんでもいいからバリケードを作るぞ! そうしないと……あいつらが入ってくる。どう考えても二人でどうにかなる人数じゃない!」


 芒尾はそう叫ぶと、仏間のテーブルを持ち上げて、それを窓に立てかける。続いて居間のほうへと飛び込むと、美和子を呼んでサイドボードを窓のほうへと運んだ。風呂場は入り口を茶箪笥で塞ぎ、トイレの前にはテレビを台ごと持ってきて封鎖。玄関の向こう側に、松明の灯りらしきものが見えた。


 心許こころもとないが、とりあえず塞ぐべき場所を全て塞ぎ、美和子の手を取って台所へと飛び込んだ。棚を漁って、身を守る武器になりそうなものを探す。


「美和子、これを! もし危険を感じたら、何も考えずにこいつでぶん殴れ!」


 美和子に手渡したのは大振りのフライパン。芒尾は出刃包丁を片手に、再び美和子の手を取って二階へ。


「ダイちゃん! 怖い……。私、怖いよっ!」


「――俺だって怖いさっ!」


 美和子達の寝室に飛び込むと、二人でベッドを扉の前へと持ってきてバリケードとする。


 果たして、この村で何が起きているのか。どうして、こんなことになっているのか。何も分からないまま、芒尾達は生き抜くことを強いられていた。


 どこからともなく、車のクラクションのようなものが辺りに響いた――。

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