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 中町夫妻が住む家は、店のすぐ後ろに建てられている。店商売を始めた当初からのことで、何かあったらすぐに駆け付けることができるようになっていた。もっともそれは先代の言い分であり、現在の大将――中町誉志男の話だと、敷地の都合上そのような形になっただけとのことだった。なんにせよ、そのおかげで自宅から店が良く見えるとのこと。


 スガヤドンのせがれ達との宴は、やはり夜半まで続いたそうだ。しかし、客の立場ではない中町夫妻には店を閉めた後の片付けというものがある。ただ、この宴で大将が酩酊してしまったらしい。後片付けどころではなく、とりあえず真美は大将を家に送ってから店へと戻ることにした。翌日のことを考えると、後片付けをやらないわけにはいかず、一人でやってしまおうと考えたのだ。


 店に戻って後片付けを始めた真美であったが、酒が入っていたせいか急な眠気に襲われた。区切りの良いところで中断して、ほんの少しだけと思い、カウンターに腰をかけて一息をつく。だが、そこで寝入ってしまったらしく、真美は店の玄関戸を叩く音で目を覚ましたそうだ。ふと時計のほうに目をやると午前2時半過ぎ。


 外がほんのりと明るく、玄関のガラス戸にいくつかの人影が浮かび上がった。草木も寝る丑三うしみつ時だ 。客がやってくるとは思えない。


 深夜の来訪者に気味の悪さを感じた真美であったが、玄関戸は何度も叩かれる。もしかするとお客さんが忘れ物か何かをして、それをわざわざ取りにきたのかもしれない。そう考えた真美は玄関の鍵を外し、少しだけ引き戸を開けて外に顔を出した。


 そこにいたのは幽霊でも化け物でもなく、馴染みの客である須藤を筆頭とした村人だった。ほっとして用件を聞こうとしたのも束の間、無理矢理引き戸をこじ開けられ、須藤が飛びかかってきた。


 とっさのことに驚きながらもカウンターまで逃げた真美だったが、須藤に捕まってナタを振り下ろされた。その時に、真美の着物には余計な模様が加わってしまった。


 致命的な怪我を負った真美に須藤は馬乗りになり、ナタを振り上げた。しかし、もう駄目だと覚悟した時、大将が店の中へと飛び込んできた。趣味でやっている草野球で使う金属バットを闇雲に振り回しながらだ。外にいた寝訃成達は、闇雲に金属バッドを振り回す大将に手出しができなかったのであろう。


 店に飛び込んできた大将は、真美が窮地に陥っているのを見つけ、迷いもせず須藤に向かって金属バッドを振るった。きっと、大将は寝訃成のことを知らされていたのだ。家長である父親が病で床に臥せっているため、すでに口伝されていたと思われる。それとも、山村が出なかった電話は寝訃成の出現を報せるもので、それを知った大将が店の様子を見に飛んできたのかもしれない。起きた時には妻がおらず、しかも店の前には明らかに様子のおかしい人影が揺らめく。店の後片付けをしなければならないことは大将も分かっていただろうし、店に真美が残っていたことは容易に想像できたに違いない。


 大将の登場に須藤が臆したのか、真美から離れ、そのまま間合い取るかのように店の外のほうへと向かって後退る。ナタと金属バットでは明らかに金属バットのほうがリーチが長い。とりあえず手近にあったものを持ってきたのであろうが、この武器選択は正解だった。


 これならば須藤を退けることができる――。朦朧もうろうとする意識の中で、心強い旦那の背中を見守っていた真美であったが、後少しで須藤を店の外へと追いやれるという場面になって、金属バットのリーチの長さが仇になった。一心不乱に振り回していたがゆえに、金属バットが玄関脇の柱を叩いてしまい、その反動で大将がバットを取り落としてしまったのだ。


 優勢だった大将がバットを取り落としたことで、もはや半身を店の外に出していた須藤が反撃に出る。振り下ろされたナタは大将の左首筋に食い込んだ。ナタが引き抜かれると、真っ赤な血が噴水のように噴き出した。真美の話を聞く限り、恐らく動脈をやられてしまったのであろう。


 その場で膝を折った大将だったが、火事場の馬鹿力というものなのだろう。雄叫びを上げながら渾身の体当たりで、須藤を店の外へと突き飛ばした。寄りかかるようにして店の鍵をかけた大将だったが、真美のところには駆け寄らず、襖で仕切られている中人数用の小上がりのほうへと姿を消した。それから、いくら真美が声をかけても返事がないという。


 火を放たれたのは、それからすぐのことだと思う――真美は息も絶え絶えに、おぞましい事実を語る。出火したのは恐らく二階部分。火を放ったのは寝訃成達だろう。わざわざ二階部分に火を放つ意味が分からないが、この店の裏手側は割と急な斜面になっている。そこにのぼって火炎瓶でも使えば、二階部分に火を放つことは可能だろう。


 山村は玄関のほうへと視線を移した。真っ先に真美の姿が視界に入ったことと、燃え盛る炎のせいで気づかなかったが、確かに血痕らしきものが玄関口から小上がりのほうへと続いている。しかも、かなりの量だ。


 山村は真美の体をカウンターに任せると、恐る恐る小上がりのほうへと向かう。


 真美の不安そうな、それでいてなかば覚悟したかのような視線をうけながら、山村は大量の血痕が続いている小上がり席を覗き込んだ。襖のせいで真美から見えなかったのは不幸中の幸いだったと言うべきか、それとも最愛の人の最期を見届けられず残念だったと言うべきか。


「……大将」


 山村は呆然と立ち尽くし、目の前に広がる惨状に唇を震わせた。


 大将は小上がり席の窓にもたれかかるような形で動かなくなっていた。血にまみれた手が窓の鍵へと伸びており、その周辺が血の手形でまみれている。酩酊して帰り、着替えもせずに眠りに就いたのだろう。いつもの白い割烹着が赤に染まっていた。


 きっと窓の鍵が閉まっていなかったのだ。田舎のセキュリティーなんてこんなもので、玄関の鍵は閉めても窓の鍵がかかっていないことなんてざらだ。夏場の暑い日には窓を開けたまま寝るなんてことも当たり前。防犯意識の低い地域であるがゆえに、窓の鍵が開いているのは不思議でもなんでもない。


 きっと大将は窓の鍵が開いていることに気づいたのだ。もしかすると、窓が開いていたのかもしれない。最期の力を振り絞り、それを閉めようとしたのである。防犯意識でも何でもなく、寝訃成が中に入ってこないように――。実際、そうであったかは確かめようもないが、妻を差し置いて大将が小上がりに向かった理由は、そうだとしか考えられない。大将はそういう男だった。


 山村は大将に歩み寄り、仰向けに寝かせてやると、見開いたままの瞳を閉じてやる。完全に事切れており、そこには死の一文字しか見当たらなかった。


 大きく炎の爆ぜる音が響いた。天井に広がる火の海は、明らかにその勢力を増している。一刻も早く脱出しなければ、まだ息のある真美と一緒に丸焦げだ。


 山村は後ろ髪引かれる想いで小上がり席を後にし、真美の元へと戻った。真美の視線に答えるべく、山村は首を大きく横に振った。それが山村にできる精一杯のことであり、大将が死んでいたことを自らの口から告げる勇気なんてなかった。

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