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「いや、今後の方針に関して異論はないよ。実は全く別のことを考えていたんだ」
加賀屋がなかなか口を開かなかったのは、今後の方針について文句があるというわけでなく、単純に思考が別のところに飛んでいたからのようだ。言われてみれば、心ここにあらずといった様子だったような気がする。
「全く別のこと?」
芒尾が問うと「あぁ」と答えて続ける加賀屋。
「ちょっと聞きたいんだけど、快晴さんと岬ちゃんは昨日【なか屋】に行ったかい?」
加賀屋が岬へと問うと、彼女は首を横に振った。
「いえ、さっき説明した通り、部活動の都合で帰りも遅かったものですから、昨日は【なか屋】さんには行っていません」
岬の言葉に首を傾げる加賀屋。芒尾が小さく溜め息を漏らした。
「直斗、どうしたんだ?」
加賀屋は何について考えていたのか。いまいち要領を得ない。しかし、ここでようやく具体的な話が出てくる。
「いや、ここにいる僕達。快晴さんと岬ちゃんを除く全員が、昨晩【なか屋】にいたよね? これは偶然なのかな……って思って。実際、昨晩【なか屋】にいながら寝訃成になってしまったと思われるのは、僕らの身内では貴徳だけだし、もしかして寝訃成になった人間と、そうではない人間の違いが【なか屋】にあるんじゃないかと思って」
言われてみればそうだった。ここにいる人のほとんどが、昨晩【なか屋】にいたのだ。もっとも【なか屋】にいながら寝訃成になった人もいるし、逆に昨晩【なか屋】にいなかったにもかかわらず寝訃成になっていない人もいる。これでは【なか屋】に何かがあるとは言えないだろう。
「でも、それだと説明がつかないことがあるだろ?」
芒尾も花巻と同じような考えにたどり着いたがゆえに、その説のほころびが見えたのであろう。山村はただ黙って、二人のやり取りに耳を傾けているようだった。
「まず、直斗自身も言ってるけど貴徳の問題。俺達と同じように【なか屋】にいたはずの貴徳が、どうして寝訃成になった? それに、岬ちゃんと快晴さんは【なか屋】にいなかった。確かに、昨晩【なか屋】にいた人間ばかりが無事だけど、それでも全員ってわけじゃない。寝訃成になった人間と、そうではない人間の違いが【なか屋】にあると考えるのは、まだ気が早いと思う」
芒尾が疑問点を挙げ、加賀屋は考え込むようにして小さく唸る。なんだか納得できていない様子だ。
「でも、こうして【なか屋】にいた人間が、ほとんど寝訃成になっていないのは事実なんだ。もしかすると、何かがあるのかもしれない。僕達がやっていて、貴徳だけがしていないことが――」
加賀屋の言葉に、花巻はあの時のことを思い返す。花巻が【なか屋】に入店した時点で、すでに山村はカウンターで一杯やっていた。小上がりなどでも、他の客が盛り上がっていたような気がする。それを横目に奥の個室に向かい、そして数名の到着を待たずに宴が始まった。この数名とは、加賀屋の先生と美和子の旦那である貴徳のことを指す。そんな加賀屋と貴徳も、途中から宴に参加して楽しい一時を花巻達と共有したわけだ。どこに違いがあるというのだろうか。
「……あの、先生。私達は【なか屋】には行っていませんが、少し気になることがあります」
岬は遠慮がちに手を挙げると、運転席に向かって声をかける。
「快晴! ちょっと聞きたいことがあるの!」
エンジン音に負けぬように声を張る岬。それはすぐに快晴の耳に届いたようで、やや急ブレーキ気味に軽トラックは停車する。
「そんなに声を張らずとも聞こえますよ。姫のお声ともなればなおさらです」
今さらながら、どうして快晴は岬のことを【姫】と呼ぶのであろう。花巻の中では【番長】が定着してしまっており、どうにも彼女が姫と呼ばれるのが変な感じである。
「快晴、昨晩のお酒のつまみの中に、確か【なか屋】さんから仕入れたものがあるって言ってたわよね?」
どうして村の人は寝訃成になったのか。どうして花巻達は寝訃成にならなかったのか。それらが【なか屋】というワードで繋がり始める。
「えぇ、あそこの女将さんに分けてもらったものがありますよ。もちろん、お金を払ってですけどねぇ。姫も多分、口にしていたと思いますけど」
快晴から返ってきた言葉に、加賀屋が何かに気づいたかのごとく目を丸くした。
「僕達がしていて、貴徳がしなかったこと。そして【なか屋】にいなかったはずの快晴さん達は、しかし【なか屋】から購入していた酒の肴を口にした――。快晴さん、もしかして【なか屋】から買った酒の肴って、山菜の料理じゃなかったかい?」
周囲に寝訃成の姿はなく、だからこそ軽トラックを停めて
「えぇ、その通りです。なんでも珍しい山菜をもらったから――とかで、そいつを調理したものを購入させていただきましたよ。いやはや、この村に住んで長いですけど、あれだけ美味い山菜は初めてでしたよ。まぁ、何の山菜なのかは知りませんけど」
「やっぱり――。僕達は共通して同じことをしているんだ。でも、貴徳だけはそれをしていない」
突如として気を狂わせ、他の人間を襲い始める寝訃成。そうなってしまうプロセスは不明で、だからこそ明治時代から時を経て、この平成の時代でも惨劇が起きてしまった。加賀屋は、そのプロセスに気づいたようだった。もしそうであるのならば大発見だ。
「直斗、俺達がやっていて、貴徳がやっていないことってなんだ?」
徐々に核心へと迫りつつある一同。寝訃成になった人間と、そうではない人間の差とは何なのか。みんなの気持ちを代弁するかのごとく、芒尾が加賀屋へと問うた。それに対して、加賀屋の口からひとつの答えらしきものが飛び出した。
「お通しだよ――。正確に言えば、昨晩【なか屋】で最初に出てきた料理に使われていた山菜。あれ、大輔達も食べただろう? 下げる前の空の小鉢があったから、間違いなく口にしていると思うんだけど」
加賀屋の口から出た突飛な発想に、しかし花巻は妙な説得力を垣間見たような気がした。
「あぁ、わらびみたいだけど、ちょっと違う感じの山菜か。俺も、あれは食ったな。これまでずっと村に住んでいたが、食ったことのない食感だったから覚えている」
昨晩の夜に回帰しているのであろう。山村が何もない宙を眺めながら呟く。芒尾も頷くことで、あのお通しを口にしたことを加賀屋へと伝えたようだった。もちろん、花巻もお通しの山菜は食していた。
「遅れてきたのは僕と貴徳。僕はいちから料理をいただいた。でも、貴徳はお通しをすっ飛ばして、メイン料理から持ってくるようにお願いしていたじゃないか。だから、貴徳だけ山菜のお通しを食べていないんだ。恐らく、快晴さんと岬ちゃんが食べたものも、僕達と同じものだと思われる」
花巻達がしていて、貴徳だけがやっていないこと――。言われてみれば、遅れてきた貴徳はお通しをすっ飛ばして、他の料理から一杯やり始めた。あのお通しだけ口にしていなかったはずだ。
「もしかして、これこそが寝訃成になった人間と、そうではない人間の違いじゃないんだろうか? あの山菜の料理を口にした人間だけが、寝訃成にならずに済んだんだよ」
これまで突如として出現したとしか分からなかった寝訃成であったが、加賀屋によってひとつの推測が構築された。
「確かに、それなら筋が通るな……」
芒尾が呟くと、加賀屋は大きく頷いた。しかし、それはあくまでも寝訃成になることを回避した側の人間に通用する推論。そもそも、どうして寝訃成になってしまうのかは解明されていない。
「あぁ、どうして寝訃成になってしまうのかは分からないけど、あの山菜を口にした人間が、こうして正気を保ったままなのは事実だよ」
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