【《過去》平成12年4月16日 夜 ―佐武美和子―】1

【1】


 こうも雰囲気やムードのない再会があっていいものなのだろうか。確かに、貴徳は女心にうといところがあり、これまでも何度か美和子をがっかりさせたことがあった。


 プロポーズの際には、どこぞの夜景を見下ろしながら――なんて考えていたようだが、道を間違えて迷う始末。結局、プロポーズは真っ暗な獣道の真っ只中で、別の意味でムード満点だった。本人は、はりきろうとするのだが、ことごとく空回りしてしまう。それが貴徳という男であって、しかしどこか憎めないでいた。美和子はそれら全てをひっくるめて、貴徳を人生の伴侶として選んだのだから。


 それにしたって、ここまでムードもへったくれもない再会はあり得ないだろう。村の中で離れ離れになってしまった夫婦の片割れが、化け物になってしまっていたなんて馬鹿げた再会は――。


「俺のパンツどこいった?」


 このような状況で、どうして美和子の顔を見るなりそんなことが言えるのか。これが、風呂上がりで自分の下着を見失った時ならば分かる。でも、今はそんなことを言っている場合ではない。やっぱり、こちらと意思疎通を図ることは不可能なのか。


 貴徳は美和子の元へとやってくると、急に物凄い力で腕を引っ張ってきた。突然のことに美和子は小さな悲鳴を漏らすが、それにあらがうことができない。ずるり、ずるりと引きずられる。全体重を後ろにかけるが、雨で滑りやすくなった地面が、願っていたはずの旦那との再会を恐怖へと変える。


 芒尾が飛び込んできて、貴徳の腕に猟銃の銃底を打ち付ける。芒尾の一撃は的確に貴徳の腕を捉え、貴徳は美和子の腕を離した。後ろへと全体重をかけていた美和子は、そのままの尻餅をつく。


「大丈夫かい? 美和子」


 加賀屋が後ろから手を回して、呆然とするしかない美和子を抱き起こしてくれた。どうしてよりによって貴徳が――正直なところ、どうすれば良いのか分からなかった。


「貴徳――。俺だよ。直斗も美和子もいる。それなのに、分からないのか?」


 そう呟いて芒尾は猟銃を構えた。彼の腕が小刻みに震えているのが見えてしまった。怖いのは自分だけではない。幼馴染を目の前にして、芒尾もどうしていいのか分からないのであろう。寝訃成は殺さねばならない――山村はそんなことを言っていたが、ならばと誰でもそれに従えるわけがない。貴徳を殺すなんてことは絶対にしたくなかった。


 貴徳は改めてゴルフクラブを構え、しかし少しばかり躊躇ちゅうちょしているようにも見えた。それは、美和子の願いがそう見せたのかもしれない。実際に化け物になってもなお、貴徳には美和子が分かるということもあり得る。これもまた、そうであって欲しいという美和子の願望であった。


 芒尾、美和子、貴徳。この三人は特別だった。幼馴染という特別な間柄だった。お互いのことはなんでも分かる。そんな腐れ縁でもある。ただ、今この時ばかりは、貴徳のことが分からなくなっていた。当たり前か――と思いながらも、妻として失格の烙印を押されたような気になってしまう。


 猟銃を構える芒尾。ゴルフクラブを構える貴徳。そして、当事者なのに傍観するばかりの美和子。このままでは芒尾と貴徳がやり合うだけだ。それに、寝訃成は貴徳だけではない。今は快晴や加賀屋が牽制してくれてはいるが、いつまで睨み合いだけで済むのか分からない。


 焦る、焦る、焦る――。どうしたらいいのか分からない。寝訃成は殺さねばならないのかもしれないけど、しかし美和子にとって貴徳は貴徳だった。


 美和子はずっとズボンのポケットの中に入れていた、大切なお守りを取り出した。これは、自宅から逃げ出す際――山村のトラックの荷台に飛び乗る前に、わざわざ部屋に戻ってまで持ってきたものだった。


「ねぇ――これ、覚えてる?」


 美和子はそう言いながら、ポケットから大切なお守りを取り出した。それは、うさぎのマスコット人形。背中を押すと目が光る。正直なところ作りはそんなに良いとは言えず、ところどころがほつれていた。


 貴徳と恋人という関係になった頃のこと。流行り始めていたクレーンゲームの中に転がっていたのが、後の美和子のお守りとなるマスコット人形だった。それを見つけた美和子がマスコット人形を欲しがると、一緒にいた貴徳がクレーンゲームにチャレンジ。一回……もう一回と百円玉を何度も投入し、それでも取れずに、最終的に見かねた店員さんからサービスでもらったものだった。そしてこれが、貴徳からの最初のプレゼントだったのである。


 実際に手に取ってみると、なんとなく不細工なところがあるし、何よりも作りが雑。しかも背中を押すと目が光るギミックがちょっと不気味だった。けれども、貴徳からのプレゼントであったそれは、今でも美和子のお守りだ。


「ほら、付き合い始めた頃に一緒に行ったゲームセンターで、貴徳が何千円もかけて取ってくれたやつ。恥ずかしいから貴徳には言わなかったけど、今でもずっと私の宝物――」


 本当に寝訃成に話は通じないのか。想いは伝わらないのか――もう、貴徳は元に戻らないのか。どうしていいのか分からなかった美和子は、気がつくと貴徳を説得しようとしていた。頭では無駄だと分かっていても、必死になって説得しようとしている自分がいた。

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