第4話 白雉の巫女
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外からの暖光は届いていたが、底冷えのする社の収蔵庫は未だ部屋全体が暖まるには至っていなかった。
事情を知った蘭子と知られてしまった樹は寒さのなかで沈黙した。
それはほんの僅かな時間であったが、樹にはその静かな時間がとても長く感じられた。黙っていても気持ちが伝わる家族のような間柄である。蘭子の気持ちは痛いほど伝わってきていた。だが樹には次の言葉を出すことが出来なかった。
そんな閉塞する二人の間に突然、溌剌とした声が響き渡った。それは重苦しい空気を根こそぎ吹き飛ばすような声だった。
「そうですわ! 樹様! そのことは是非この私にもお話し下さいませんと!」
その自信を漲らせた大きな声については今更、誰だと問う必要もない。
声のする方を見ると、やはりそこには
仁王立ちしてこちらを睨み付けている鈴の視線に樹はおろおろしながら後退った。
「――げ、鈴!」
いきなりの鈴の登場に慌てた声を出す蘭子。鈴はフンと顎を上げるだけで蘭子を相手にしなかった。鈴は慌てふためく彼女を横目でチラリと見た後、樹に愛らしい微笑みを向けた。
「鈴ちゃん……」ボソリと名を呟く樹と「はい」と明朗に応える鈴。
微笑みを浮かべ目を潤ませる美少女がそこにいた。
「樹様、先程から黙って聞いておれば、何をウジウジとなさっておられるのですか!」
鈴がピシャリと言い放つ。
「え、あ、あの、鈴ちゃん? いつから?」
「ですから、先程からと申しております!」
鈴は両手を腰に当て胸を張った。
「め、珍しいな鈴、こんな朝早くから……」
蘭子がすかさず機嫌を取ろうとした。
「お二人とも、私は、朝が苦手でも、早起きしていることが珍しい人間でもありませんよ。どうやら誤解をなされているようですから申し上げておきますと、私は早起きが苦手なのではありません。朝はエレガントに自然の摂理に従って目覚めることを大切にしているだけですの、よ!」
言い放って鈴は、つかつかと蘭子の目の前まで近づいていった。
揚々と両腕を組み小さな胸を張る鈴。蘭子の胸の前で見上げる鈴の含み笑いに樹は身を固めた。対抗心を剥き出しにする少女。勘違いするなという鈴の強固な主張に樹は耐えきれずブルブルと震えながら首を左右に振った。
「それにしても鈴、なんだその恰好は。お前はどこぞの姫か!」
蘭子は鈴の態度が気に入らないようだった。それで何か言ってやらねばと思ったのだろう、ムキなっていつもより着飾っている鈴の衣装を揶揄した。
「あら、お分かりになれなくて? 私、本日はエレガントに決めてまいりましたの」
「はあ?」
「エレガントでございますわ。ね、樹様」
鈴は蘭子の揶揄など歯牙にもかけずツインテールにした
「え、あ、ああ、僕は可愛いと思う、よ……」
正直なところ、アンティークドールが身につけているようなドレスの何がエレガントなのかさっぱり分からなかった。
恐る恐る鈴の顔色を窺う。樹は自分の判断が間違いではなかったことを鈴の満面の笑みから読み取って安堵した。ここはとりあえず、逆らうのは不味いと思って誉めておいたが、どうやら鈴は樹の言葉に満足している様子だった。
鈴が纏っている衣装は、黒を基調としたドレスでそれは腰から下が大げさに膨らみ、全体がレースやリボンで華美に飾られていた。ニーハイソックスはわざわざガーターで留められていて、そのガーターのベルトがミニスカートとソックスの間から見える白い肌を魅惑的に演出していた。
「な、なにがエレガントだよ! ただのロリータじゃねぇか!」
鈴の余りに鼻持ちならぬ態度に蘭子は負けじとツッコミを入れた。しかし、今度も鈴は意に介さない。緩やかに口角を上げた鈴は、蘭子の頭の先から足下までを舐めるように見てから小馬鹿にするように溜め息をついた。
「あら、蘭子の方こそ、こんなに寒い日にそんな超ミニスカートで樹様の前に現れて。どういう了見かしら? パンツでもチラチラ見せて樹様を誘惑するおつもりだったのかしら? 全く、はしたないことこの上ないですわね」
「ち、違うわ!」
鈴に言い負けて蘭子が赤面する。
「あら可愛らしいこと。でもね蘭子、足は見せれば良いというものでもないのですよ。ねえ、樹様。ふふふふふ」
見てくる鈴の目が怖い。
「え、あ、あ、あ」
鈴が言わんとしていることが分からない。いや、何となく会話の流れからは察しが付いている。しかし嫌だ。この流れに取り込まれるのは嫌だ……。止めてくれ、そんな話は振らないでくれと樹は返事を濁して逃げようとした。だが……。
「このように、チラリと見えるものを、さらにこうしてチラリと見せるのが至高のチラリズムというものですわ。ねぇ、樹様ぁ」
樹の目が自分の素足に釘付けになっていることを確認すると、鈴がふわりとスカートの裾を持ち上げる。
「あ、あ、わ、わ、わ」
目が捕らわれた。
「あわわじゃないよ樹! 何、幼児に遊ばれてんだ!」
蘭子が樹の頭を一つ叩いた。目線を前後に揺らされた樹は、後頭部に感じる痛みによって我に引き戻された。
「そんなことより樹様、今朝は私も樹様がここでこのように調べ事をなさっておられると聞いて急ぎ参りましたの。どうやらお猿の蘭子の方が一足早かったようですけど。――そうわずかに一足だけ……ああ、こんなことならば、あと二つ三つ目覚まし時計を増やしておくべきでしたわ……チッ」
「寝ぼすけめ。やっぱり起きられなかっただけじゃないか」
蘭子が小さな声で呟く。そんな小馬鹿にするような言葉を鈴が聞き逃す事はない。鈴は素早く蘭子の方を向きキッと睨んで視線で刺した。
「あ、あの……鈴ちゃん?」
「あ、あら、いけませんわ話が逸れてしまいました。樹様、私はそこのお猿と違って、樹様に警察の手伝いをしているのかなどという愚かしい質問はいたしませんわ。 私、昨夜初めてこのような樹様の様子を聞きましたの。それで考えました。私の樹様にはきっと何か深い考えがあるはずだと。今朝ここに来たのはそのことをちゃんとお伺いするためですの」
「おい、鈴! さっきから黙っていれば猿、猿と! それに、あたしはあんたよりも年上だぞ。高校生のお姉さんに向かって、小学生のような中学生のお前が気安く呼び捨てにするな!」
「あら、お猿のお姉さま、ご存じなくて、私はこの春からお・ん・な・じ・高校に通う高校生ですのよ」
「お前、見た目が小学生だろうが! どこにいるんだよそんな何もかも小っちゃい高校生が」
言いながら蘭子はニヤリと笑った。目を細めて鈴を見下した。先程から何かと言いくるめられていた蘭子だが、どうやら自分の優位性を見つけたようである。蘭子は自分の豊かな胸を鈴の目の前に張り出しながらしたり顔を見せた。
「…………」
迫力に負け、鈴がたじろぐ。しかし……。
一瞬下を向き悔しそうな顔を見せた鈴だが、俯いたまま何か思いついたようにフフフと不気味に笑った。
気を取り直した鈴。企みを抱く鈴は恐ろしい。幼少の頃から慣れ親しんだその感覚が、樹に悪い予感をもたらせる。
「――す、鈴ちゃん」
樹の呼びかけに鈴は応えなかった。押し黙る鈴の動きを目で追う樹。
いったい、何が起ころうとしているのだろうか……。樹は注視をした。
「樹様、これをご覧くださいまし!」
鈴が樹に向けてニッと白い歯を見せる。
「え!? あ、あ、あの……す、鈴さん、な、な、なにを……」
――ピンクっ!
「お、こら、てめえ! 鈴! なにすんだ!」
蘭子は慌ててスカートを降ろし床に座りこんだ。
「フン! やっぱりそのような男下着でございましたか。蘭子、そのようなボーイレッグショーツを見たって殿方は喜びませんことよ。特に樹様はね。ねぇ樹様」
そういうことをいちいち確認するのはやめて欲しかった。
「ちょ、ちょっと二人ともやめなよ」
仲裁に入ろうとした樹だが、目の奥に可愛らしいピンクの花畑が広がるばかりで覚束ない。意図せず高揚させられた樹は身の置き場を失っていた。目の前にあるシチュエーションが理解出来ない。もう訳がわからない。なんとかしなければ。
樹は、幼馴染みの二人を取りなそうとしながら、同時に自分の心を静めようとした。
――しかし……。その刹那。
再び樹の耳が鈴のフフッという声を捉えてしまう。
今度は何事が起きるのかと思い鈴を見る。
蘭子を睨め下げる不敵な笑みがまだ続いていたことに気付き樹は凍り付いた。
背中に一筋の汗が流れた。
「……鈴ちゃん? あの……鈴さん? ……」
どこか勝ち誇るような鈴を見る。
「フ、フフ、フフフフフ。樹様、今、この時こそ武力と知力の優を測るとき」
「す、鈴ちゃん?」
「ご覧下さいまし、樹様! 筋肉バカの蘭子と知略の頂たる私の差をお見せ致しますわあー!」
蘭子を見降ろしたまま大きな声で宣言をすると、鈴は直ちに自分のスカートを豪快に捲り上げた。
「フフフフフ。これが猿楽の猿と、この白雉鈴との格の違いでございます!」
――樹の目が点になり、蘭子の口があんぐりと開いた。
樹の目は豪勢なレースで飾られたパールホワイトの小さな三角形にくぎ付けになった。
「な! シ、シルク! 鈴さんの、なんという大人……」
自意識の外側から感嘆の声が漏れ出ていた。
「わ、バカ、樹! 見るな! お、おい! 鈴! こら! スカートを降ろせ!」
蘭子が慌てて鈴のスカートを掴んで降ろした。
「フンッ! ずばり、樹様が好むのはこのようなエレガントな趣向でございますのよ。そう、これこそがエレガンスでございますわ! ほほほほ! ほほほほほ!」
鈴はツインテールの片方を指先でくるりと回し再び蘭子を見下した。
蘭子は肩を落とし、勝ち誇る鈴の声は収蔵庫に響き渡った。
いったいこの少女は自分の趣向をどのように理解しているのだろうかと樹は少し不安になった。しかし樹は鈴の言うところの自分の趣向に関して、確かにそれは間違いでもないなと思ってしまう。
――じゃない! そうではない。
樹は慌てて首を左右に振って熱を帯びた頬を冷ました。
「さてと、樹様」
「は、はい」
「お話し下さいますよね。ここで樹様がお調べになっていることが唯ちゃんの捜索にどう関係があるのか、何故そう考えておられるのかを」
「…………」
樹は迷った。その事は樹にとってはまごうことなき真実ではあったが、打ち明けたところで信じてもらえるのだろうか。二人に話した時の反応が怖かった。それで少し躊躇いの間が開いてしまった。
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