第15話 鬼姫伝承

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「真中家に降りかかった数々の災いと、唯の誘拐事件が万が一にも『鬼姫おにひめ』という文言に繋がるのならば、我らも少なからず伝承というものを捉え直さねばならなくなる。つまりは、定めに従う必要が出てきたというわけじゃ」


 玄眞が言葉を添える。


「その真中家の抱えるものとは何ですか! 唯が家に来ることになった理由も鬼姫と何か関係があるのですか!」

 樹は、座卓に両手を突き前のめりに突っかかった。


五行ごぎょうというものを知っておるかの? 樹」

 玄眞は、その涼しげな表情を少しも崩すことなく、問う樹に対して質問を投げかけた。


 このような脱線と遠回しを繰り返すことに何の意味があるのかと樹は焦れた。

 早く話を聞かせろと構える樹に対して泰然と構える玄眞。その目は樹を捉えたままで動かない。沈黙する周囲の目が両者の緊張を見つめる。部屋の中に静かな時間が流れた。

 樹は、押しきることが出来なかった。座卓の上にある両手を握り着座をする。観念した樹は、拳に一度力を込め不満を吐き捨てるようにして顔を背けた。


「知っております。万物が木・火・土・金・水の五種からなるということでしょう」


「それがどういう働きを持って陰陽いんように関わるかを理解しておるか」


「陰陽とは。――この世界は全て陰と陽の相反する形で存在する。五行において、五元素はそれぞれに影響し合って万物を循環していく。五行は陰陽の中にあって循環し陰陽を左右する。陰陽五行いんようごぎょうをもって世界は盛衰を繰り返して行くということです」


「その通りじゃ。それでは、相生そうせい相克そうこくというものも知っておるじゃろう」

「はい、五行はそれぞれ相生によって力を与え、相克をもって力を制す」

「力を与え? 力を制する?」


 蘭子が、何のことだ? と呟いて首を傾げた。


「蘭子、ジャンケンのようなものですわ、グーよりパー、パーよりチョキ、チョキよりグー」


 鈴が小声で手短に解説をした。


「おお、なるほど! さすがだな鈴」


 横で聞いていた猿楽十和子の身体がフラリと揺れる。十和子の背を猛が苦笑いしながら支えた。どうやら娘の間抜けの様に眩暈を覚えたらしい。


「因みに真中家は土の気を司る家系であった。その真中家についてじゃが、唯の家系は初代を除き代々男しか生まれない特殊な家系であった。このことは先にも話したがこれは偶然に過ぎないであろう。とはいえその期間はあまりに長い、なれば人は、いつの間にかその特殊性をも当然の事だと思うようになってしまう」


「気持ちは分かります」


 樹が理解を示すと、一同も頷いた。


「然るに。そのような特殊な系譜をもつ家に女の子が生まれた。いや、真中家にしてみれば生まれてしまったといってよいかの。その女児こそが唯じゃ。もちろん、当初はそのようなことを気にする者など誰もいなかった。じゃが、日ならずして不吉が起こり、その後も次々と一族に厄災が降りかかるようになると景色は一変した。唯の母が死んだ時にはもう誰もかれもが伝承の事を気にするようになっておった」


 重い話になった。

 話が悲劇に迫る予感を抱くと、次第に皆の顔も下を向き始めた。


「相克でしょうか。もしかしたら、唯ちゃんがこの家に来たのは相克と関係があるのではないですか?」


 鈴が思い立ったように口を開いた。


「そうか! この家は確か木を司る家系……」


 樹も鈴の言おうとしていることに気が付いた。


「そうじゃよ、正にお二人さんの言う通りじゃ。土の気を相克する力、つまり弱めることが出来る力を持つのは木の気をもつ我が加茂家ということになる。唯の呪われた力を抑え込むためというのが、唯が加茂家で暮らすようになった理由じゃ。もっとも、先にも言ったが、陰陽五行など今の時代においてはもはや迷信。お伽噺じゃ、神職を預かるわしらがそれを言っていいのかどうかは分からぬがの。まあ実際のところ、わしらにそのような力などありはしないでの」


 玄眞の言葉に加茂康則、猿楽十和子、そして白雉恵子が揃って頷いた。


「皆も知っているとおり唯は優しい子じゃった。そのさがは慈愛に満ちており、これこそまさに五行の示すところの土の気の性そのものであるといえた。しかし、あの家の系譜は、それでも女児を許さなかったのじゃよ。どんなに才や優れた資質を持ち合わせていようとも、女子は不吉である。真中には禁忌であるといってな」


「今の時代に何を言っているんだ。そんな馬鹿な事があるはずがない。そう言って私達も幾度となく諭していたのだがな」


 猿楽猛がそっと呟くような声で言った。その猛の言葉を受け、一つ頷いてから玄眞が後を続けた。


「そのうちに唯の暮らす社で火災が起こり、ついには唯の父親までこの世を去った。未曾有の厄災。正統後継者の事故死に直面して、ついに一族の者が耐えきれなくなってしまったのじゃ。そしてとうとう唯を『鬼巫女』だと言い出して害するようになった。だからこの家に唯をつれてきたんじゃよ」


「そんなことって……唯ちゃんは何も悪くないじゃないか!」


 蘭子は、目に涙を溜め膝の上で強く拳を握った。


「そうじゃな、唯は悪くない。けれど、詮無きこととも言えた。……あの家は、そのような忌み事に怯えざるを得ない因を抱えておったからの」

「仕方ない? 馬鹿な、そんなこと……。お爺さま。いったい何が、唯の家には何があるというのですか!」

「真中家を恐怖の底に落としうるその事由とは」

「なんです!」

「『鬼姫伝承』」

 暗鬱を湛える玄眞の目が更に陰る。


「お、鬼姫、伝承……」

 樹が震える口で復唱した。


「それは真中家の始祖に纏わる伝説。真中家には始祖が鬼姫であったという言い伝えがあるのじゃ。女子誕生を不吉と言ったのは、実はその事を元にして言われたことなのじゃよ。数々の厄災。後継者とその妻の死。やがて唯は、鬼巫女であり鬼姫の再来なのではないかと言われ初めた。それで、一族の者はこぞって狼狽えてしまった」


「唯……」


「他の三家とは違う事情を抱えた家。女の子の唯が生まれてしまったことこそが真中家にとっては厄災といえるのじゃ」


「可哀想に……唯ちゃん……。ほんとうに何て馬鹿なことを」

 鈴は悔しそうに下を向き口を真一文字につむった。


「悪い事が起こると、人は何かのせい、誰かのせいにしたがるものじゃ。まして唯の家、真中家には不吉な伝承とそれを裏付けるような稀な系譜があった。そうしてそのような一族に事件、事故が続いた……。因果を唯に求めなければ収まりがつかなかったのじゃろうて」


「あの頃の真中家は異常だった。不安や憤りなどの感情が家中に渦巻いていた。皆が恐怖に駆り立てられて殺気立っていた。そしてその狂気は唯ちゃんの命の危機さえ感じさせるほどに激しかった」


 猛が語気を強めた。


「あなた……」

 十和子が慰めるようにそっと夫の腕に手を添えた。


「そうね、猛さんの言う通りだったわ。だから私は十和子と相談して決めた。私達は白雉家当主、猿楽家当主として真中に出向いていき、もっともらしい理由を付けて強引に唯ちゃんをあの家から連れ出したの」

 白雉恵子が力強く語った。


「か、母様!」

 鈴は驚いて母を見た。


「鈴ちゃん。確かに恵子ちゃんと十和子ちゃんが唯をうちに連れてきたときには私達も驚いたよ。でもね、皆、気持ちは同じだったんだよ。真中家での唯の扱いはとても惨いものだった。どうにかして救い出さなきゃいけないと思っていた。あのまま連れ出さずにいたら、唯がどうなっていたか……。それを考えると今も恐ろしくなる」

「私も初めて恵子にそのことを聞いた時は驚いたな。でもよくやったと思ったよ」

「俺もそうだ。あの時は十和子にもでかしたぞ! って言ってやったよ」


 父親らが三人揃って恵子と十和子の行動を肯定してみせたことで、鈴も少し落ち着いたようだった。蘭子は、そんな親達の様子を誇らしげに見ていた。


「連れ出しの名目は、木性による土性の浄化ってことだったけど、理由なんてなんでもよかったんだ。恵子ちゃんと十和子ちゃんが当主として二人で出向いて行ったことも良かった。二人が動くことは、正式に白雉家と猿楽家が責任を持つということになるのだからね。それにこれは事実上、完全に子供を引き取るということだから、そのことを引き受け側の加茂家から言い出す事も難しかった」


 康則が柔らかな物腰で語った。


「白雉家と猿楽家の正式な仲介によって、真中家の次期当主の浄化を加茂家に依頼した。正当な理由で子供を託したという面倒くさい体裁が必要だったということだよ」


 白雉英一郎が補足した。


「しかしの、今でも唯は本質的には真中家の後継なのじゃよ。まぁ真中家はもう我々と歩みを共にする気はないようじゃから、陰陽師としての真中家はもう無いに等しいのじゃがな。――そして岩井さん、これが真中家の事情であり、唯がこの家に来た話の顛末です」


 話を終える加茂玄眞の顔には淋しさのようなものが浮かんでいた。


「お話は確かに承りました。今の話をオカルトなどとは申しません。伝承の中に生きている人間の仕業として、私は一から真中優佳さんと真中文哉さんの事故死について調べるつもりです。もしその二つの事故が事件であり、今回のキーワードとなった鬼姫と繋がるのならば、きっと誘拐の犯人も浮かび上がってくるのではないかと考えます」

「何卒、宜しくお願い致します」


 いって玄眞が深く礼をしようとした。だが、岩井はそれを止めた。


「すみません。自分から言っておいて申し訳ありませんが、残念ながら警察は今の話では動かないと思います。ですから先ずは、自分と自分の回りにいる数名の者による捜査になってしまうことをお許しください」


 岩井の方が深々と皆の前に頭を下げた。

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