第16話 上狛の五神官

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 重たい雨が止んだその日。空気は澄み、空には星々が銀の砂を撒いていた。


 森の中の社では、上位の神官達とそれらを束ねる筆頭陰陽師の上狛かみこま水音みずねに召集がかかった。時局はついに動き出した。


 薄暗い大広間は上座にのみ雪洞ぼんぼりあかりを揺らす。その空間は息づかいさえ聞こえぬほどに静まっていた。

 水音の後ろに控えているのは「上狛の五神官」と呼ばれる者達。いずれも水音に負けず劣らずの一廉ひとかどの者達である。

 水音は時同じくして集められた五人の猛者の先頭に座して目を閉じ、心を空にして総領の登場を待った。後ろの彼等もまた、黙して不動のまま静を保ち水音に従った。


 音無しの大広間に、微かに衣擦れの音が聞こえると、総領そうりょう御出座おでましの声が上がる。


犬童いんどうれい様、御出座ごしゅつざにござりまする」


 総領の登場と共に上狛の陰陽師が一斉に手を突き拝礼をした。

 年経た総領が、側付きの巫女に手を取られそろそろと歩を進ませる。場が張り詰めた空気に包まれた。気配が上段の間に着くと、老婆はゆっくりと腰を下ろし出揃った者達に気を向けた。


「皆の者、苦しゅうない顔を上げなさい」


 またか……。

 つい今しがたまで老婆であったのならば、何故終始そのようにしておれないのか。

 水音は項垂れたまま目を伏せた。耳が捉えた声が少女のものだったので殊更に呆れてしまっていた。


「そう渋い顔をするな水音。婆さんのまま話したでは、かえって深刻な雰囲気になってしまうであろう。物事はやはり柔らかい物腰で取り組まねばの。この際じゃ、皆も忌憚なく考えを申すように」


 麗らかな声色。戯れて笑う少女を目の前にして、集まった者は皆、心得たとばかりに笑みを浮かべていた。その中でただ一人、水音だけが苦虫を噛み潰したような顔でれいを見ていた。


「ではまず聞こうかの」


 犬童澪が尋ねた。受けて水音がコクリと一つ頷いてから報告をする。


一口鬼ひとくちおにが封を解かれました。奴らは道中で十人を喰らいました」

「うむ。してそれはどの一口鬼か?」

「鬼は大、中、小の三匹が連なって動いております。色、振る舞いからみて、恐らくは、『三紫さんしおきな』ではないかと思われます」

「そうか……三紫とはのう……」


 水音の口から鬼の名が出されると、一同から驚きの声が漏れ出た。

 無理もないことだった。三紫の翁のような大物にお目にかかる事など普通ではあり得ない。これは稀事である。


「我らでも、一人で相対すれば手こずるかもしれぬ相手でありますな」


 極月ごくげつが呟く。極月は五神官の中でも序列一位の男である。そのように力もあり際だって体躯も良い大男が四角い顎をさすりながら難しい顔をした。

 他の様子も見ると、他の者も極月の意見に異を唱えることなく頷いていた。


 日頃のお勤めとして魑魅魍魎の類と渡り合っている彼等にとっても敵は破格。三紫の翁はそれ程に伝説級の化け物だった。


 極月が話した「至難の敵」という言葉の意味も皆が理解しているところだ。奴らは、その辺に出没する物の怪とは一線を画す。雑魚とは違い知恵もある厄介な化け物。動作も、俊敏でありながら三位一体の動きをする。その上に、滅するにしても封じるにしても三体同時に行うしかないとくれば討伐の難易度も格段に跳ね上がるのだ。


「うむ、奴も相当退屈しておったようじゃな。初手から中々の駒を出してきよった。それで、一口の奴らはどこへ向かっておるのか?」


 澪が不敵な笑みを浮かべて尋ねる。


氷狼ひょうろう神社へと真っすぐに」

「――やれやれ、それはちと急いておるではないか。遊ぶつもりもないとはな。さてとどうしたものか……」

 思案する体を見せるが、澪に動じる様はなかった。きっとこの様なことも予測の範疇であったに違いない。


「総領、いくらなんでも、今回ばかりは我らが参らねばなりますまい」


 皐月さつきが膝を突き出しながら上申した。

 長髪を後ろで一つ括りにして縛る少女。十代にして五神官の末席の座を占める才気溢れる陰陽師は、意気を盛んに目を輝かせていた。


「そうじゃのぉ……」


 澪は視線を少し上げて思案を始めた。そこに苦さはなかった。むしろ愉しんでいるように見えた。何か策があるのだろうか。水音は澪が見せる仕草に何か含みがあるのではないかとその意を探った。


「水音、加茂かも玄眞げんしんの方はどうじゃ?」


「未だ表立っては動いておりませぬ。相変わらずの様子で人に交じり、未だ真中唯を探し続けているようです」


「総領、それは一体どういう? 氷狼神社の長老がどうかしたんですか?」


 神無月かんなづきが軽い調子で尋ねた。

 横柄ということではないが、神無月は少々礼に欠ける。

 もう少し、大人になって貰わねばな。

 水音は、小柄な陰陽師をみて頬を引きつらせながら苦く笑った。振る舞いについては日頃から煩く諭していたのだが……。

 

「おお、そうか! そうであった。そう言えばまだ、皆には話しておらなんだな。実はな、氷狼神社の長老はな、鬼なのじゃ!」

「…………」

「正しく言えば、加茂玄眞は数年前に魂を殺されておっての、今の中身はすっかりと入れ替わっておる。そして、あれは今も尚、加茂玄眞として氷狼神社におる」

 澪が神無月の態度に乗りかかり調子づく。


「なんだって!」

「それもな、あれはただの鬼ではないぞ。名は朱鬼しゅきといって、あれは赤鬼にして筆頭格。それも神格の者じゃ」


 何も聞かされていなかった者達にはあまりに衝撃的な話だったと思う。

 現に神無月などは、口を大きく開けたままで固まっていた。澪はそんな彼の様子を面白そうに眺めていた。

 まったく……いつものことではあるのだが、この人のこのやり方には……。

 何とかならないものかと、水音は眉根を寄せて憂えた。


「し、神格級にございますか! そ、それでは総領。い、い、今、氷狼神社の神薙かんなぎ桃花とうか様は、神格級の鬼と供に暮らしているというのですか!」


 如月きさらぎが堪らず声を上げた。

 その様なことがあるはずがない。呟いて短髪を振り乱す小柄の女。普段は顔に被さるほどの前髪でその表情を見せなかったが、今この時ばかりは常の冷静さを失わせていた。――すまない。如月……。 


「ああ。まあ、そういうことになるかの」


 澪がしゃあしゃあと答えると陰陽師達は揃って言葉を失った。


 しかしこの時、水音は鋭い光を瞳の奥に宿している澪に気付いた。

 澪様……あなた様は。

 澪は今ここに集う者の中に万が一にも不審を覗わせる者がいないかを見極めているのだ。水音は澪のほんの僅かの所作からその考えを悟った。


 ――試しておられるのか、我らを。一騎当千の、それも、側近中の側近を集めておいてなお、このように警戒しなくてはならないのか。敵は、それほどの者なのか……。


 この場に集められた陰陽師達は、千二百年もの間、厳しい掟を守り続けてきた上狛一族の者である。しかも五神官は、それぞれが苦行をこなし精進して調伏の技を身に付けてきた者である。その事を思えば、信の置けない者などこの中に誰一人としているはずもないのだが……。それでも澪は用心をしている。


「皆の者、そう心配することはない。これは今始まったことではない。それにあれは、まだ動かぬ。加茂かもいつきらを害することも今はまだ無いであろう。そう、今はな」


「それで、大婆様は如何お考えなのでございますか?」


 水音が問うた。大婆と呼んだのは、余りに調子に乗っている総領への当てつけであった。ちゃんと立場を弁えろとの意も含ませていた。


「――水音よ。その大婆というのは止めてもらえぬかのぉ」


 澪が拗ねるように口を尖らせる。


「は、はぁ……。しかし……」

 答えながら水音は嫌な予感を抱く。これは益々不味いことになるかもしれない。


「水音よ」

「はい」

「婆ではなく、れ・い・さ・ま、と呼んでおくれっ」

「…………」


 胸の前で可愛らしく両手を合わせる少女。満面の笑みを浮かべて懇願する澪を見て水音は眩暈を覚えた。


「――さてと。問題は、と朱鬼の関係が未だ見えぬことじゃ。恐らく、今回の一口鬼の一件はが単独で行ったことであろう。このような戯れ事まがいのことをやるのは古今東西において奴しか思い浮かばぬでの。しかしじゃ、それが分かっていたところでその先が見えぬ。鬼姫を朱鬼から横取りして囲っているのも奴であろう。奴と朱鬼が今後どう関わっていくのかが見えぬうちはこちらも動けぬのじゃが……どうしたものか」


「総領、奴とは如何なる者でございますか」


 水無月みなづきが尋ねた。水音は長身の陰陽師に目を向けた。物静かで普段から口数の少ないこの男が口を開くか。珍しいこともあるものだ。


「確かその昔は、黄玉おうぎょく御前と呼ばれておったの。しかしその名も真のものかどうかは分からぬ。黄玉は権謀術数に長けた鬼女で、朱鬼の手下じゃ。いや朱鬼の手下だったと思うておったのだが……。何せあの頃も正体がようは分からなんだ。あの当時も、五行の軍師、白雉はくちりんをして、何を考えておるか読めぬほどの不気味な奴じゃった。そして、奴も恐らくは神格の者じゃろう」


 澪の言葉に一同が息を飲む。皆が気を引き締め直したのを見届けて、澪は話を続けた。


「さて、これからの我らの動きじゃが。まずは、氷狼神社の桃花らは放置をする。ただし、あの子らにも親達にも適当に事情は話しておくべきではあるな。そして必要ならば親らは安全な所へ移す。もちろんその時点で玄眞、いや朱鬼にも何らかの動きがあるだろうから、事の成り行きによっては合わせて行く末も見定めてゆかねばならぬな。じゃがの、くれぐれも敵には上狛一族の存在を知られてはならぬ。これは絶対のことじゃ。どのような事態に直面してもこのことだけは第一とせよ」


「お待ち下さい。一口鬼をそのまま桃花様の元へ向かわせると仰いますか! 桃花様はまだ神薙の力に目覚めておらぬというのに!」


 極月が慌てて問うた。


「――そうじゃな、しかし一口鬼如きを跳ね返せぬようでは話にならぬからのう。多少荒療治ではあるが放っておいてもよいじゃろう。なに、あの子らも一度は自力で神奈備かんなびを開いたのじゃ何とかするであろう」


「総領には深いお考えがあるとは存じますが、それではあまりにも――」

 皐月が否を訴えた。


「……れ・い・様じゃ。皐月」

「あ、ああ、はい。れい様、澪様にも、何かお考えがあるとは存じますが、いきなり右も左も分からぬ状況で化け物退治をさせるとは、それはあまりにも酷というものでございましょう」

 悲壮を浮かべて案じる皐月。そんな皐月の話を制して、澪が諭すように話し出した。


「陽動じゃよ、氷狼神社への襲撃は」

「陽動、でございますか?」

「そうじゃよ、皐月。これも黄玉にとっては遊び事なんじゃよ。何せ黄玉は千二百年前にも我が主様を出し抜こうとした奴じゃ。二手三手先を読んだくらいでは先は見えぬと心得よ。しかし、お前の申す事ももっともなことじゃな。それでは皐月、お前は氷狼神社に張り付いてもらう事にする。ただし手出しは無用じゃ。決して姿を見せてはならぬ。心して掛かるように」


「承知いたしました」


「次に水無月みなづき神無月かんなづき。そなたらには、ここの守りを命ずる。黄玉の奴は必ずここにもやってくる。ただし、それは様子見であって本気ではないじゃろう。そこで我らは、そのことを逆手にとって芝居を打つ。ここは一度負けを見せておくことにする。お前達も能のない振りをして上手く負けるのじゃ、ここを容易く落とし、陰陽師など取るに足りぬと思わせることができれば事は上々。これは難しいぞ出来るか?」


「畏まりました」

「分かったよ、澪様。大丈夫、任せてくれ」


 長身と小柄の陰陽師が相手を欺く任に着いた。


「最後に極月ごくげつ如月きさらぎ

「はい」

「はい」

 体躯の良い陰陽師と、小柄の陰陽師が揃って澪を見つめた。


「お前達は一口鬼の所へ向かえ。道々に犠牲者が出ぬように取り計らうのじゃ。お前達ならば討伐は可能であろう。しかし直接の手出しは無用じゃ。一口鬼を泳がせるのじゃ。両名とも、くれぐれも姿を晒すなよ。それは万が一、一般人に犠牲者が出そうになっても動くなということじゃ。しかと心得よ」

「承知いたしました」

「畏まりました」

「水音には、氷狼神社と鬼灯ほおずきるいのところへ行ってもらう」

「はい」

「鬼灯累のところでは長居は無用ぞ。黄玉もまさかこちらの一手が喉元に食い込んでおるとは思っておらぬだろうが、奴のことだ感づいておることも十分にありうる」

「はい」

「三家の当主達にはわしが直接事情を話す。ここへ連れてきてくれ。あと、ついでに次郎の封を解いてきてくれ。皆、あまりにもあの子達のことを心配しているようじゃからな。一つ保険を掛けておくことにする。なに、次郎が暴れても、こちらの動きには気付くまい。なにせあそこは次郎の社であるからの。ご神体が暴れたようにでも見えるじゃろう」


 話が終わると上狛の五神官はそれぞれの任に着くために大広間から出立した。




「水音よ……」

「はい」

「あの子らは勝てるかの……」

「神奈備を開けるかどうかが境目となりましょう」

「そうか……」

「澪様は何故これほどまでに、手を差し伸べることをお控えになるのでしょうか」


 澪の顔に愁いの影が差したのを見て、水音は尋ねた。


「――いずれ分かる。……ということではダメかの?」

「はあ……」

「そうじゃのう……。何も知らされぬでは済まぬこともあるやもしれぬからのう……」

「はい」

蒼帝そうていじゃ、全ては蒼帝次第ということになるのじゃ。あれが加茂樹を主として認めるかどうかがまず試金石の一つとなるのじゃ」

「加茂樹が、神器、蒼帝そうてい大太刀おおたちに選ばれなければどうなるのですか?」

「今回の一口鬼との戦いにおいて、加茂樹は蒼帝と次郎によって殺されるじゃろう」

「な!」

「――加茂樹、あれは鬼じゃからの。いや、その魂に鬼の因子を宿すものと言った方が良いかの……」

「――そ、そんな馬鹿な! 桃花の神薙が鬼であるなどと……」

「先代桃花の神薙であった主様の言い付けの一つには、加茂家に生まれ来る桃花の神薙を見極めよというものがある。そして万が一にも、桃花が邪に落ちるようであれば……」

「桃花が、邪悪な者に転ずると」

「加茂樹も我らの敵として滅ぼさねばならぬということじゃ。蒼帝も恐らくはそれを主様から託されているのであろう。だから未だ動かぬ」

「そんな……」

「だからといって希望がないわけではないぞ。加茂樹は、神座かもくらを開いた時に一時的にではあるが蒼帝を手にしておる。わしらはな、今は信じて待つしかないのじゃ。辛いことじゃがの」

「――はい」


 畏まり両手をついて首を垂れた水音は身震いを覚えていた。

 悠久の時を経て再び始まった鬼姫討伐戦を前にして、自分達の中心で戦いに加わるはずの桃花の神薙のなんという危うさ。

 この戦、果たして勝ち目があるのだろうか……

 水音の自信が激しく揺らいでいた。

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