第17話 鬼火②
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気温は少し寒いくらいであったが、照りつける日差しは頬を暖めるようで心地よく、時より吹く南風もどこか心を躍らせるように軽やかであった。
春休みの最中ということもあり、街には学生の姿も多くみられた。
歩道の両側に規律を守って並んだ街路樹も新芽を大きく膨らませていた。
雑踏には活気が溢れていた。そこかしこから聞こえてくる声や物音。てんでバラバラで調和などはなかったが、累の耳にはその雑多な音が心地よく聞こえていた。累は胸を張って並木の横を歩いてた。
晴れた日の午後、
通りに並ぶショーウインド。ディスプレイの彩りもすっかりと春の装いに変わっていた。道ゆく人々の足取りも軽くなったように感じる。春の匂いを纏った日だまりが気持ちよかった。
写真シール作製機で、もりもりの写真を撮りそれをスマホに取り込む。雑貨店に入り、新学期から使う文具を手に取りながら、すぐ横の棚に置かれたヌイグルミに心をくすぐられる。少女らはいつでも心を躍らせながら脱線をしてしまう。
予め雑誌で調べておいたパテスリーでは少し並んだが、それでもお喋りをしていれば待ち時間などあっというまに過ぎていった。
行っていることはありきたりな事ではあるが、仲良しの女子中学生が二人で出掛ければ、時間は瞬く間に過ぎていく。
「累、三年生になっても、同じクラスだったらいいね」
「うん、そうだね」
「でも三年生になると、試験が多くなるんだよねぇ、それがねぇ」
「うん、ちょっと面倒くさい」
「累は良いよ、賢いんだから」
「綾香ちゃんもそんなに変わらないじゃん」
「必死にやっているのと、何もしなくてもいいのとは全然違うって」
一緒に居たいと言って笑顔を向けてくれる友人。その何気ない会話に累は安らぎを感じていた。
累は、どちらかといえば友人が多い方である。しかしそれは累が比較的誰にでも合わせられるということであって、どこまでが友達でどこまでがただの知り合いなのかといえば、その一線は曖昧であった。ただ、そんな友人達の中でも隣にいる綾香だけは特別だった。彼女の事だけは自信を持って親友だといえた。
「累、高校はどこに行くかもう決めてるの?」
「うーん……。実はあんまり考えてないんだ。将来何になりたいかも分かんないし」
「そっかぁ、あたしんとこはさぁ、親がいちいち口出ししてくるしさ。もう煩くて仕方ないよ。累のとこの伯母さんは? なんか言ってくんの?」
「ぜーんぜん」
「そっか、じゃあ全部自分の好きにして良いって事じゃん。せっかくなんだからちゃんと考えなよ」
綾香は累の両親に不幸があったことも、累の今の境遇についてもよく知っている。
ただし余計な気を回したりはしなかった。置かれている状況など本人に責任があるわけではない。累は累であり、他の子達と何も変わらないという考え方らしい。
彩香は、累の事を不幸な女の子だとは思わない。「何も変わらないよ。ちょっとだけ不便なだけなんだよ」といって気にも留めなかった。両親も家も失っていた累にとって綾香は信頼が出来る数少ない人間の一人であった。
「きゃあ!」
「お、おわっ!」
強い風が通りを駆け抜けていった。
咄嗟に目を瞑り下を向いた累は、再び目を開いて見た景色が先程見ていたものと微妙にズレていることに勘づいた。肌に感じる違和感。何だろうこの感じは。
ここ数日、どこか調子がおかしい。
奇妙な感覚が自分の中にあることに累は気付いていた。
――私、どうしちゃったのかな。
おかしいと感じ始めたのは数日前こと。きっかけは夢だった。
その夢の中、見渡す限りを雪に支配された白銀の世界で一人の少女が惨殺された。
思わず目を覆ってしまう程の惨劇。だがその時、強烈に感じたことは恐怖では無く怒りであった。
累は雪面を赤く染めた少女のことを知っていた。肌の色こそ違うが明らかにその少女が自身であることが分かった。幼い頃の記憶は失っていたが間違いない。
少女が銀色の大樹の下で殺された夢。
少女は剣を持つ相手に向かって懇願していた。助けて欲しいと手を合わせていた。
だが、少女は殺されてしまった。
累を殺した青年には見覚えが無い。しかしもう忘れることは無いだろう。
能面のように無表情だった。目には何の色も無く、累に剣を向けた際も何の躊躇も見せなかった。
夢から覚めた時、累の視界は涙で霞んでいた。酷く悲しかった。胸には痛みが残っていた。
「――落ち着いてちょうだいね累。私、ようやく見つけたの」
ベッドの上で痛む胸を押さえていると、前の晩に伯母と電話で話した内容を思い出した。
両親が殺されただの、生家の消失が放火だっただのと聞かされても、他人事のようにしか聞けなかった。――しかし。「ようやく犯人が分かった」と話す伯母の恨み声を聞くうちに頭の中心が痺れるようになり……胸の中に……何か鋭利な感覚が……。
それは、累の胸に怒りと憎しみがの感情が芽生えた瞬間だった。
「――信じられないかもしれないけど、聞いてちょうだい。あなたは特別な存在なの」
最初は、叔母が何を言っているのか分からなかった。
話を聞いても何も実感は伴わなかったし、信じる気にもなれなかった。
だが、特別な存在である累を狙う集団がいて、その集団に累の両親が殺されたと聞かされた時には、捜し物を見つけたような気分になった。何故だか心の中にあった隙間が埋められたような気がした。
……この感じ、やはり私は狙われているのか。だとすれば一緒に居る綾香も危ない。累は周囲を取り巻く違和感に反応して、咄嗟に綾香を背に庇った。
「――累! 累! ちょっと、累ってば!」
呼びかけに、ハッと我に返る累は思わず姿勢を崩してしまう。綾香に体を揺らされたことに反応しきれず正面から歩いて来た人にぶつかってしまった。
「ごめんなさ――」
謝罪をしようと頭を下げた時だった。累の目の前で人間が小さな人型の紙切れに変わって宙を舞った。
「なんだこれ!」
綾香の驚きの声を耳が捉える。同時に累は何者かの気配を察知した。
気配のする方を見ると短髪の女と体躯の良い男の姿が見えた。
……見えた? 違うな。
それは見ているというよりも感じたといった方が正しい。何故ならば、累を狙う二人組の影は遠くビルの上にあったからだ。
やはり私は狙われている。逃げなければならない。とにかく彩香を連れてこの場から離れよう。累は目を凝らし周囲を見渡した。
焦っていた。しかし……。
逃げ道を探そうとする累が目にしたものは、自分達の周囲を当たり前のようにして動いている人ではない人の存在であった。
――何? これは、どういうこと!
気が付けば、周囲の雑踏が人ではないものに埋め尽くされていた。
「嫌だ! 来ないで! 消えて!!」 累は夢中で叫んだ。
それは、声と同時に起こった。
身体の奥底で何かが弾けたと思った瞬間、金と黒の光の帯のようなものが累の身体から飛び出した。
光は、一つたりとも逃さないという強い意志のようなものを持っていた。
累の見る前で、我が身から発した金と黒の光の帯が瞬く間に的を射貫いていく。
周辺の人ではない者の全てが人型の紙切れに変わって散っていった。
風に吹かれて紙切れが散る。累と彩香の周囲から全ての人影が消えた。
その場所には生きている人の気配は無かった。生命を感じない無機質の空間。立ち並ぶ建物、道路、看板、街路樹までもが作り物のように思えた。累は映画の為に作られた大がかりなセットの中にいるような気分になっていた。
これで一先ず危機は凌げたのだろうか。
累は先程感じた二人組の気配を辿ろうとした。しかしこの時にはもうビルの上に人影はなかった。
肩から力を抜くと同時に軽く息をつく。ホッと胸をなで下ろし彩香の手を取った。
一難は去ったようだが、それでもここに留まることは出来ない。どの場所が安全であるのかは分からないが、このように怪しい空間からは一刻も早く抜け出さなくてはならない。累は、戸惑う彩香を急かすようにして歩き始めた。
――退屈で平凡な毎日。受験生になることすら緩慢に感じていた。だからといって望んだ刺激はこのように恐ろしいものでは無かったし、あのように不思議な力を発することでも無かった。
唐突に累に訪れた普通ではない事態。いったい何が起ころうとしているのだろうか。自身の出生。殺された両親。仇。そして覚えの無い非常識な力。次々と思考を巡らせる累はいつしか無言のまま歩いていた。
「る、累ちゃん……」
後ろから弱々しく声が掛かると引く手に重さがかかる。累は後方に引っ張られた。
やってしまった。累は一人の世界に浸りすぎていたことを反省し、謝るために振り返ろうとした。
一瞬、時間が凍りついたように感じた。
累の頬を今度は生温い風が撫でた。
累の肌がピリピリと何かに反応して危機を知らせる。
「どうりでのう、腹が膨らまぬはずじゃわい」
「ほんにのう、食っても食っても味もせなんだからのう」
「そうさなぁ、よもや式であったとは、これはまんまと騙されましたわい」
不気味な声を聞いて振り向くと、そこに三匹の化け物の姿があった。
紫色の肌、禿げた頭に残った白髪を肩まで垂らす。口は耳まで裂けていた。
笑う姿はまるで古い時代の飢餓の農民のようであった。
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