第58話 正体
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――あ、赤月か! くっ、こんな時に!
「樹!」
「樹様!」
樹の様子を見ていた蘭子と鈴が直ぐに異変に気付いて駆け寄ろうとした。
「ダメだ。二人とも……まだ、だ」
二人の救援を拒んだ樹は連続して襲い来る攻撃をなんとか凌ぎ、唯を弾きとばした。
閉じよと強く念じる樹と、あざ笑うように軽々とこじ開けてくる鬼。樹の内側で暴威がうねる。
痛みは激しさを増してくる。内側にある強い意志が樹の意識を刈り取ろうとして暴れた。
「ちょっと、まずい事になりそうだ。二人とも……僕の言ったこと、お願いしたことを覚えているかい?」
荒い息を吐きながら樹は声を絞り出した。
「……樹」
「……樹さま」
樹の名を呼ぶ蘭子と鈴の声が弱々しく揺れた。
「赤月の奴が暴れ始めた。これが奴との最後の戦いになりそうだ……備えてくれるかい」
強く訴えて覚悟を促す。その後、二人に憂いが残らぬようにと笑顔を作った。
樹の言葉に蘭子は青ざめ首を振る。鈴は唇をかみしめて下を向いた。
「だ、大丈夫だよ。僕はまだ負けていない。でも――」
「ダメだ! 樹。無理だ! あたしには出来ない」
「蘭子、頼むよ……」
「出来ないよ……そんなこと、出来ないよ」
蘭子がかぶりを振る。樹は鈴を見た。鈴も胸の前で手を組み身体を震わせていた。
「す、鈴ちゃん」
「……」
鈴は無言で後退り、目に涙を浮かべながら嫌々をした。
「唯は、唯はまだなんとかなる。いや、なんとか唯のことは救ってほしい。でも僕の中の鬼はダメだ。頼む、二人とも、僕に万が一のことがあれば――」
「嫌だ! そんなこと絶対に嫌だ!」
「樹様……私にも……私にも……」
息が上がる。目も霞んできた。胸の中でザワザワと蠢く思念がその大きさと強さを増し始めた。
――来るな赤月! お前なんかにこの身体を渡しはしない!
渾身の力を振り絞って立ち向かうが、樹の意志をまるで無視して赤月の桃花の波動は熱を持ち力を強めていく。
徐々に身体が縛られたようになり樹は思うように身体を動かせなくなってきた。
無防備もやむなく地に片膝を突き胸を押さえる頭上に殺気が迫った。
もがき苦しむ樹を再び唯の爪が襲う。目では動きを捉えたが間に合わなかった。手が出せない悔しさを抱きながら樹は目を閉じた。
前髪がふわりと風を受けた。前に壁の気配を感じて目を開く。樹は事なきを得ていた。唯の攻撃は飛び込んできた岩井に止められていた。樹は岩井の背中と唯の姿を目視して猶予を計った。
――今のうちになんとかしなければ……動け……抑えろ……。
樹は胸を押さえ赤月の封じ込めを試みた。
虚ろな視界。岩井は唯を牽制しながらその動きを封じていた。蘭子と鈴を見れば、二人は地面に腰を下ろしてわなわなと震えていた。上狛の者は樹の動向を注視するように見つめたまま黙して動かなかった。
切迫する状況と破られていく均衡。状況が破滅へと向かっていくことを予見すればどんどんと焦りが募る。
「――い、岩井さん……」
縋るように岩井を見た。しかし岩井はチラリとこちらに目を向けるも口を噤んで何も答えてはくれなかった。
そんな時、樹の耳に甘美な旋律が届く。その旋律は声だった。なんだと思ってその方を向くと。そこに黄玉の愉悦に浸る顔があった。
「どうしたの桃花。もうそれで終わりなの? やっぱり大切な女の子には手を上げられないのかしら」
樹は黄玉を睨み上げた。
「お前はもう知っているのでしょう? 真中唯に掛けられた呪いを解く方法を」
得意げに解法を促す黄玉。黄玉の目は挑発していた。唯に掛けられた呪いは敵である黄玉の仕業であるとして間違いない。
「あら? それともあなたは何も知らないのかしら?」
「……」
「それではお教えして差し上げますわ。呪いを解く法はただ一つ。鬼姫の心臓を突くこと。実に簡単なことですわ。フフフ」
「そ、そんなことは……」
「そう、もう気付いているの、流石ね。では、やってごらんなさいな。これは先代の桃花もおこなったこと。ならば加茂樹、お前にもそれが出来るはず」
「……」
「あら? 如何しましたの? 先代桃花に出来た事が、まさか当代の桃花に出来ぬはずもないでしょうに。フフフ」
「お、黄玉、お前に指図されるまでもなく、僕は唯を救う!」
「おや、なんといじらしい。それは是非とも拝見させて頂きたいですわ。お兄様が可愛い妹の心臓を刺し貫く様を。さぞや美しいことでしょう。さぁ早く、我にその苦悶に歪んだ顔をお見せ下さいまし」
「だ、黙れ!」
急かす黄玉。呪いが唯を操るための仕掛けならば術を解かれることは不都合ではないのか。持ち得た有効な手札を早々に手放そうとする意図はどこにあるのか。
――それにしても、黄玉はやけに楽しそうだ。遊んでいるのか? やつこそが元凶と岩井さんは話していたが。黄玉……こいつはいったい何がしたいんだ。
「我も気は長い方じゃがな。こう焦らされてものう。ささ、早う、早う、おやりなされ」
「煩いと言っている。黄玉」
「――はて? お前……まさか自信がないと申すか? よもや桃花が、桃花ともあろうものが……大事な妹も救えぬと、真中唯の呪いを解く自信を持たぬと……。これはなんと哀れな」
「……」
「おお! そうじゃ! お前にそれが出来ぬのなら、お前の中に潜む鬼にでも託してみては如何かの。それもまた一興であるぞ」
身を襲う苦しみのせいもあるが、それにもまして無手の我が身が嘆かわしい。樹は黄玉に反論することさえ出来なかった。
神器も応えず、唯のことを抑え込むことも出来ない。その上に己の中に巣くう鬼が直ちにでも表層に飛び出そうとしている。苦しみの中で樹は瀬戸際まで追い込まれていた。
「フフフ、アハハハハ。早くなされませ桃花。お前の中の鬼も暴れておる様子」
「お前の思い通りにはならない」
「やせ我慢とは可愛らしい。然りとて急がねば、お前から鬼が飛び出して鬼姫を喰らうぞ。救いたいのであろう? 加茂樹よ、事は容易ではないか。何を恐れる。お前がしくじっても、鬼が鬼姫を殺しても、どうせ真中唯は死ぬ。同じことではないか。ならば賭けよ。賭けてみよ」
――こいつは全てを承知しているのか。
知っているのだ。千二百年前に桃花が鬼姫を救ったことも、加茂樹の中に鬼がいることも、現在の加茂樹の状況も力量も全部。全てを分かった上で事の成り行きを楽しんでいるのだ。
「――キャンキャンとよく吠える。随分とまあ楽しそうであるな。黄玉」
岩井が横から口を挟んだ。黄玉は名を呼んだ岩井を訝しんで目を細めた。
「樹よ、こいつの言うことなど聞かずともよいぞ」
「……岩井さん」
「こいつは嘘つきじゃからの。どこまで本当のことを言っているか分かったものではないでの」
岩井が軽口に言うと、黄玉は押し黙った。
「よもやお前は何者だ? などと考えておるまいの?」
「なに?」
「おお、その顔は図星であったか。じゃが教えてはやらん」
「……」
「どうした? 不快が面に出ておるぞ。知らぬことがあるのがそんなに不服か? そうか、そうであろう。己の策に酔いしれるバカじゃからのうお前は。じゃが事がいつもお前の企み通りに進むとは限らぬ」
「フ、フフフ、ハハハ、アハハハ! 面白い。実に愉快。我に挑む――」
「挑むじゃと、はて? 何のことじゃ? 挑んでいるつもりはないのじゃがの」
「――なに?」
「お前はもう掌の上の猿よ。言うてやろうか黄玉。わしは既に全てを見切っておる」
「……」
「おお、良い顔じゃのう。訳が分からぬことがそんなに嬉しいか?」
「……」
「では褒美に一つ言うてやろう。お前の策などたかが知れておる。お前の策などの」
「なに?」
「本体でないお前など、あまりに凡庸であると言うておるのじゃ」
「……」
「ははん、どうやら当たりか。では言うてやろう、お前は何番目の黄玉ぞ!」
「――!」
「おお、愉快、愉快! お主もそのような顔をするのじゃな」
唯の攻撃を軽々といなしながら岩井は黄玉に語る。岩井と黄玉の会話を聞いていても意味が全く分からなかった。
この日までの出来事が黄玉の企みであろうことは何となく察している。その黄玉の策を全て見通しているのだと岩井は言った。
敵の謀略の手を真っ向から受けて差し返す者がいることは想像も出来なかった。
この岩井のような男は何者なのか。味方なのか、敵なのか。澪対する態度から見れば敵ではないと思えるが……。
樹達は一連の出来事について何も知らなかった。至る経過を振り返っても巻き込まれたといった感が強い。
桃花に鬼姫、神器に神獣。神がかりの力。自分達が事象の中心に関わっているであろうことは間違いないだろう。しかし、まるで部外者の如きこの扱いは何なのだ。これではまるで策を弄し合う盤の上に置かれた駒のようではないか。
「すまぬな樹、じゃがまだ全ては明かせぬ」
岩井は、苦痛に顔を歪める樹に申し訳無さそうに話した。岩井のその言葉に、樹は目の前のこの者こそが全てを知る者なのだと確信をする。
「――樹よ、これも時の必然である」
樹は驚きを持って岩井の言葉を聞いた。
同じ言葉を口にした。敵である赤月の桃花と味方だと思っていた岩井が同じ言葉を。
ガラガラと心の中の何かが音を立てて崩れていく。「時の必然」という言葉が樹から根こそぎ力を奪っていく。樹は混乱した。岩井も敵だったのか……刑事のフリをして近付いてきて策を講じていたのか……。そうなのか、本当に。いや、そうは思えない。ならば……。
――ま、まさか! 赤月の桃花が味方だと……。
樹の中で、岩井と赤月が重なる。両者の思惑が似ているように思える。
己の中にいる鬼を否定する樹だが、岩井の行動を見ていると何故か赤月の桃花のことが味方のように思えてくる。いったい何が真実なのか。
樹は赤月との会話を思い起こした。
赤月の桃花は言っていた。敵にも味方にもなると。その言葉の真意はどこにあるのか。何故そのようにあやふやな言い方をしたのか。
赤月は鬼を全て従えるともいったが……。
思えば赤月の言動には様々なところで矛盾があった。
赤月は鬼姫を救えるのかと問いながら、唯の鬼化は解かないと言った。何故だ。
――岩井は全てを見通しているといった。赤月も未来を知っていると話していた。
赤月の桃花が本当に未来と真実を全て知る者だとしたら?
時の必然という言葉が赤月と岩井を繋げる。
これは一体どういうことだ……二人は共謀しているのか。
ここで樹の思考は目まぐるしく回転をした。
――時の必然。自分が消えて赤月と入れ替わること。消えた自分はどこへいくのだろうか。死ぬのか?
『教えてやろう。時の必然とは、桃花の時渡りのことを指すのだ』
「おまえ! 赤月!」
赤月の桃花の気配が直ぐ表層までに迫った。痺れるような感覚が足先から脳天まで駆け上がった。――赤月の桃花が樹の殻を破った。入れ代わりの直後、樹の耳に赤月の桃花の言葉が届いた。
『直ぐに分かる。それはお前が自ら得なければならない答え。そこでよく見ていろ。加茂樹』
「赤月! お前は何をするつもりなんだ!」
『見ていろといっている。任せておけ』
ついに赤月は目覚め、樹は主導権を失った。
任せろと赤月はいった。これで樹は時の必然により消えることになる。
樹は残された時間を思いながら、最後に教えられた「桃花の時渡り」という言葉の意味を考えた。
今宵、樹が消えて赤月と入れ代わる事が歴史であり、それが「時の必然」であるのならば、時を渡るのは誰なのか、それは普通に考えれば赤月の桃花に取って代わられた樹であろう。
間もなく消える樹。――この後、僕は時を渡るのか。
時を渡った樹はその後どうなるのか……直ぐに戻って来られるのか、それとも二度と戻ることが出来ずに行く先で消えて無くなるのか。
あるいはそのまま、千二百六十年の歳月を経るのか……。
――そもそも、人の魂が千二百年もの長き時を越えられるのだろうか……。千二百年の時を超える……そうだ!
樹はその時を越えてきた人物のことを思い出した。
犬童澪である。彼女は千二百年の時を経て生まれ出てきている。
上狛水音の身に起きた事例が確信に近い閃きを与え、その思考は朧げに赤月の桃花の正体へと迫った。
――赤月の桃花、お前、確か言っていたよな。僕とお前は全てが同質であり同等、全く同じものだと。そうか! 赤月の桃花とは時を渡って千二百年を過ごしてきた自分なのか……。
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