第59話 神奈備

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「れ、澪様! お、鬼が、加茂樹様の中の鬼が出ます!」


 皐月の声が震える。

 直後、加茂樹の身体から爆発的に鬼気が放たれた。

 加茂樹の佇む一点を中心に、円を描いた波動が波紋を打って辺りに広がっていく。

 鬼の波動に木々は幹を反らして葉を揺らす。周囲の者は皆、吹き飛ばされそうになるのを必至になって堪えた。

 加茂樹から発せられる鬼気、それは周囲の全てを飲み込む程凄まじいものであった。


 ――やがて葉擦れが止み、辺りに静寂が戻る。


「い、樹!」

「樹様!」


 蘭子と鈴の二人は直ぐに樹の名を呼んだ。しかし加茂樹は黙したままで、そこから返答がくることは無かった。不気味に静けさを保つその姿を見て彼女らは成す術もなく立ち尽くした。


「澪様」

「水音ちゃん」


 神無月と隻腕の陰陽師の何かを確認するような目が澪を見る。

 澪は加茂樹の様子を注意深く探るように見ていた。


「うむ」

 加茂樹から視線を外すことなく掛けられた声に対して頷くと、澪はまだ動くなと手を出し神無月と優佳を制した。

 鬼姫となった真中唯は、加茂樹から発せられた鬼気に当てられ呆然としていた。


 誰もが皆が加茂樹の鬼気に圧倒され動きを止められていた。しかしその中で、飄々とした立ち居振る舞いをする男が一人、悠々とした態度で加茂樹の所に向かう。岩井だった。その岩井が、加茂樹の側で片膝を付いて首を垂れる。


 岩井は、加茂樹の傍らに落ちていた蒼帝の大太刀を拾い上げて黄玉を一睨した。

 視線を受けた黄玉の口元が僅かにほころびを見せた。


 この光景を、身体を失った樹は高みから眺めるようにして見ていた。

 その感覚は、吹雪の中で唯が死んだあの場面を見ていた時とまったく同じものであった。


 ――これから何が起きようとしているんだ……。赤月の桃花は何をしようとしているんだ。僕に何を知れと……。


 赤月の桃花は、樹が身体から離れる間際に言った。答えは自身で得なければならないと。その言葉はまるで樹を導くようなものであったが、はたして彼は、樹に何を見せようとしているのか。

 樹は鬼気を放つ一点を見つめながら宙に浮く身体をゆっくりと地に降ろした。


 静まり返った戦場で樹は状況を注視する。

 黄玉は、桃花の神器である蒼帝の大太刀を手にした岩井を黙したまま見つめていた。

 泰然とする岩井が動く。

 岩井は朱鬼から奪った緋色の太刀をベルトに差し込むと、両の手で蒼帝の大太刀を持ち上げ天に視線を送った。次に岩井は膝間づき太刀を両手でもって頭の上で拝した。この時、どこからともなく流麗な雅楽の旋律が届く。


『――雅楽? これは、氷華の旋律……』


「な、なんですのこれは!」


 鈴の驚く声を聞く。蘭子と鈴、それに澪も周囲に集まる陰陽師達も皆、樹と同じように雅楽の旋律を耳にしているようであった。皆が辺りを見回し、聞こえてくる音の正体を探していた。


「――なんだ?」


 蘭子が疑問の声を上げる。辺りを緑の光が包み込んでいた。

 その場の全ての者が緑色の光にハッとして一斉にその辺りを見回す。一同が光の正体と根源を探すように揃って目を凝らした。


『――なんで岩井さんが! あれは僕のものではないのか!』

 目はその光景に釘付けになっていた。無意識に両手の拳を強く握りしめていた。

 蒼帝の大太刀を我が物とし、天を仰ぎながら太刀を抜いていく様を見せつけられていた。


 少なからずショックを受けた。樹には抜くことが出来なかったあの太刀が、樹の呼びかけには一切応えなかったあの神器が、易々と岩井の意に応えている。


「なんじゃこれは! 何故あの男が……」


 驚き震える澪の声が聞こえた。鈴も澪と同じことを感じたようである。二人が疑義を問い合うように視線を合わせていた。


 ゆっくりと刀身を引き抜いた岩井。

 黄玉の周りに集まっていた野孤達は、大太刀の刀身から放たれる緑の光を見つめ身じろぎもせず立ったままで動かない。

 黄玉は眉根を寄せ探るような目つきで子細を見ていた。


「馬鹿な! 加茂樹の他に神器を扱う者がおるとは! これはいったいどういうことじゃ、まさかあの者が桃花じゃというのか! いやいやありえぬ、加茂樹は確かに桃花のはず。されば、なんじゃこれは!」


 朱鬼はただ狼狽えていた。


 大太刀の刀身を抜き去った岩井が厳かに動き出す。

 辺りから聞こえる拍子が緩やかに鼓動を刻み始める。

 拍子に合わせるようにして琴の旋律が流麗に舞うと合わせて笛の音が躍った。

 月の明かりに照らされた岩井の顔が陰影に伴い変化する。

 その顔は時に悲しみ、時に怒り、時に笑う。

 舞者の岩井がポンと跳ね、トンと地面に着地する。

 地に着いたと同時に屈んだ身体は、両手を広げ次に右手にもった剣を正面に回す。

 たいはそのまま蹲踞そんきょの姿勢で、左手をゆっくりと剣に添えた。 岩井がすっと剣を振り被った。

 頭上で静止した剣が、上から下へと切先を滑らせ空間を切り裂く。


『――なんだって!』


「こ、これは、氷華の舞か!」

「何故、一体何故、岩井さんが!」


 蘭子と鈴が驚いて顔を見合わせる。まるで意味が分からないと二人の声は上ずっていた。

 岩井の舞を見ている澪は、口に手を添え何かを考えるようにして舞を眺めていた。

 そんな澪へ、童のように悪い笑みを浮かべ目を輝かせて視線を送る岩井。彼は澪と目を合わせるとそこでパチリと片目をつむった。


「は、八郎か!」澪の口から名が飛び出す。「――し、しかしまさか!」


 思わずその名を呼んでしまったという感じの澪であったが、それでも直ぐに気を取り直して顔をしかめ思案をする。


「澪さん?」

 鈴は首を傾げた。


「――あれは八郎……岩井の中におる者。それが八郎じゃというのか……いやしかし、ありえぬ。人は、人は生まれ変わったりせぬ。じゃが、あれはまさしく……」

 澪がボソボソを呟くように話した。


「澪さん、八郎とは?」

 鈴が尋ねた。


「八郎……軽部八郎宗重……」


 呆気に取られた表情のまま澪は八郎なる人物の名前を語り、続けて信じられないと言った。


「澪さん、軽部八郎って! まさか」

 何かを思い出したようにハッとして鈴は驚く。


「鈴、それって誰のことだ? 軽部八郎って?」

「軽部八郎宗重。……その者は家を興した後に改名をします。その改名した後の名は加茂八郎宗重。その者は、加茂家の始祖にして、加茂家に舞と太刀と言い付けを残した人物です」

「えっ……」


 蘭子は呆気に取られて固まった。その蘭子の横で話を聞いていた神無月と如月が驚きの声を溢す。

 驚きを見せる神無月と如月の横で一人だけ身を震わせて慌てる様子を見せていた者がいた。


「な、なんだって! いいい、いや、そんな馬鹿な。嗚呼……なんということだ。 あの時の、あのふざけた奴が加茂家の始祖様だって」

「皐月、どういうことだ?」

 澪が皐月に問うた。


「澪様、実は私はあの者に会っておるのでございます。しかもつい先程」

「うむ。して、あの者はその時如何様であったのだ」

「あの時あの者は私に『助太刀に来た』と言いました」

「……助太刀のう」


 皐月は八郎と遭遇したときのことを話した。

 名乗らなかったが味方であると語った。この社を包み込んでいるのは全て自分の気である。それに、犬童澪様は知己であるとも。


「知己、そしてこの社は自分の気で出来ていると……なるほどの。子細を聞けば聞くほど八郎の姿が目に浮かぶようじゃ。して皐月、八郎は他にも何か言っておらなんだか?」

「は、はぁ……」

 問われた皐月は困り顔を見せた。


「なんじゃ皐月、言うてみよ」


 皐月は戸惑った。

「ここは戦場であります。今はそのような事を言っている場合ではない。これは余りにくだらないことでして……」

 前置きをして皐月は恐る恐る切り出した。


「あ、あの……。加茂家の始祖様は、その……」

「なんじゃ、構わぬ申してみよ」

「あ、あの……。始祖様と顔を合わせたことは澪様には内緒にするようにと。そ、そして……千二百年ぶりに図らずも出会うということがサプライズなのだと。その上で、えっと、その、良い場面で颯爽と登場したいと。そのような場面で澪様に自分の格好の良いところをお見せ出来れば、自身の株もグンと上がるだろうと。それは悠々と、しかも戯れた様子で……」


 皐月の言葉を聞いていた澪の顔つきが次第に呆れ顔へと変わっていった。

 話を聞き終えると、澪は最後に溜め息をついてガクリと肩を降ろした。


「――なるほどの、あの者がそのような馬鹿話をのう。しかし、聞けば確かにそれは紛れもなく八郎に思えてくるの。ふん、八郎め相変わらず下らぬことを言っておる。しかし」

「しかし?」


 横で話を聞いていた鈴が急くように口を挟んだ。


「そう急くな。白の巫女よ、わしが気になったのは話の最後の方よ」

「最後?」

「八郎は、このような危急の時に際しても戯れてみたり、悠々と振る舞っていたりしておる。それは何故であろうのう」

「それはどういうことですか? 始祖様の性分ということではないのですか」

「性分のう。確かにそれもあるのじゃが。それは不真面目ということではない。八郎は聡いやつじゃ。然らばそれは、計算ずくで動いているということではないかと思えるのじゃ」

「……計算ずく、でございますか」

「うむ。恐らく八郎は今宵ここで起こる一連の出来事を承知しておるのではないか」

「水音ちゃん! それって」

 隻腕の陰陽師が驚いて澪の顔を見た。


「――そうじゃの」

 澪が隻腕の陰陽師に応えた。


「澪さん、どういうことでございますか?」

「白の巫女よ、よくお聞き。我等は、もう一人、今この場に今宵の事情を知りこの状況の鍵を握る者がおるということを知っておるのだ」

「もう一人?」

「うむ、そうじゃ。もう一人おるのじゃ。それはの――」


 澪が皆に話をしようとした。その時、グラリと空間が歪みを見せた。


「こ、これは何ですの!」

「落ち着け、白の巫女よ。これは神奈備かんなびじゃ」

「神奈備?」

「そうこれは神奈備。この空間のことを我等は神奈備と呼ぶ、そしてこれを作り出したのは八郎の奴じゃ。あやつ、このような事まで……」

「これは岩井さんが。あ、いや始祖様が行ったのですか? して神奈備とは?」

「神奈備とは、神薙かんなぎが作り出す現世うつしよ常世とこよとの間に開かれる特殊な空間のことである。陰陽師の中でも特に術に長けた者だけが扱うことが出来る高等な術での。神奈備の中では我等や陰陽師の力が何倍にもなるのじゃ」

「――陰陽師を強くする空間……」

「そうじゃ。その証拠にほれ、そなたの身体にも変化が現れておろう」

「変化?」

「鈴、お前、髪の色が!」


 鈴の瞳と髪の色がいつかの時のように白銀に輝いていた。


「そういえば!」

 ここで皐月が何かを思いだいたようにハッとした。


「なんじゃ皐月」

「あ、あの方は、ご自身のことを鬼だと、自身の有様を鬼だと語っておられました!」

「ほう、鬼だと申したか。これで我らが知る鬼が二人になったな。これは如何したものかのう」

「事情を知る鬼が二人、でございますか?」

「一人は岩井殿の中におる八郎。そしてもう一人が加茂樹の中におる鬼。ということじゃよ、白の巫女」

「樹様の中の鬼が事情を……」

「そうじゃ。事情を知るもう一人の鬼、それが加茂樹の中の鬼じゃ、我等はそいつを銀の鬼と呼んでおる」

「銀の鬼……樹様が会ったというあの者が銀の鬼」

「ほほう、加茂樹が銀の鬼と会っておるとはの。してその鬼はなんと? 何か言ってはおらなんだか?」

「え、ええ、樹様は言っておられました。確か……銀の鬼、いや赤月の桃花は鬼の王になると――」

「赤月の桃花?」

「え、ええ。樹様の話では、樹様の中の鬼は赤月の桃花と名乗ったと」

「赤月の桃花のう……」


 名を口に出し思案をする。澪は少し間を置いた後に徐に呟いた。


「今宵、桃花は赤い月を背負って時を渡る。か……」

「え?」

「お、おお、すまぬ。まだ話してはおらなんだな。実は加茂樹は今宵、『時渡り』をするのじゃ」

「時渡り? 樹様が時を渡る?」

「そうじゃ、そして加茂樹は時を渡った先で先代桃花と邂逅を果たす」

「そ、そのようなことが! でも何故そのようなことが……」

「全てに終止符を打つ為の天の配剤。そしてそれが加茂樹の定めなのだと、わしは思うておるのじゃがの」

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