第63話 裏切り者

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「ご、極月、お、お前……」


 決意を固めて銀鬼の背を見送った樹の耳が老婆の掠れた呻き声を捉えた。見れば極月なる陰陽師が犬童澪の身体を太刀で貫いていた。

 視界の中で老躯が崩れ落ちる。赤い血が石畳に広がり血だまりを作った。

 急いで澪の元へと駆け寄り澪の状態をみると。

 ……これは不味いな。

 樹は急いで澪を救おうとして手を翳した。


『くそ! なんでだよ!』

 身体を持たない樹には力を発現させることが出来なかった。


「澪様!」


 すかさず澪の傍に駆け寄ってきた皐月は老躯を抱きかかえキッと睨み上げた。極月が恍惚の表情を浮かべていた。


「何のまねだ極月! 何故このようなことを!」


 皐月の怒声を受け極月が我に返る。


「何故だと? 痴れ者を片付けただけではないか」

「なんだと!」

「そのような得体の知れぬ婆に傅くお前達の方こそ気が知れぬ。よくよく考えてもみよ。そいつはいったい何者なのか。そいつは突然現れて我等に指図を始めた。犬童澪? 古の巫女だと? お前達、本当にそのような事があると思うのか? 桃花の予言だか何だか知らぬが、そのような世迷い言で一族を振り回して大きな顔をする。そして、本来ならば陰陽師の筆頭に立つべきはずのこの極月をないがしろにする。このようなことが許されるとでも思うのか! 俺は常々思っていたのだ。このような得体のしれぬ婆に働かされるなど願い下げだとな」

「極月、貴様なんということを……」

「こいつが、裏切り者がいると言い出したときにはヒヤリとしたがな、しかし間抜けな奴よ。こいつは水無月を裏切り者だと思い込んでおったのだからな。そしてその水無月を婆に言われるがままに殺した神無月も憐れ。まったくとんだ茶番だったな」

「おのれ極月。お前だけは、お前だけは生かしておけぬ」


 皐月は鋭い視線を極月に向けた。皐月の全身に殺意が満ちる。


「おい、極月よ」

 皐月の背から躍り出た神無月が極月に声を掛けた。

 呆れ果て、憐れみの色を浮かべた神無月の目が極月を責める。


「フン、馬鹿がもう一人来たか。何だ神無月」

「極月よ、考えてもみろよ。ここは次郎様の社だなんだぜ。お前、次郎様の社で何をしたか分かっているのか?」

「次郎? ここがいかに氷華の神獣の社であろうと、そのようなものは現実にいるかどうかも分からぬ。それに、そもそも犬童澪などおらぬゆえ恐ろしくもなんともないわ」

「お前、さっきのあれを見ていなかったのか?」

「さっき? なんだそれは?」

「……マジか? それ本気で言ってんの?」

「……」

「おいおい、何も感じないのか? 周りをよく見てみろよ極月。次郎様、相当にお怒りだぜ」


 いわれた極月が慌てて辺りを見回す。彼も何かを感じたのだろう顔を引きつらせていた。

 追っかけ戦場に凍てつく冷気が吹き荒れた。荒れ狂うような暴風に煽られ桃の花が一斉にその花弁を散らし始める。

 乱れ散る花弁。桃花の最後の一輪が強風に煽られ黒い枝から引き千切られて空を流れ去った時、花弁の嵐は吹雪に変わった。

 一様に吹雪が去ったその後に風も止むと一帯が静寂に包まれていた。

 周囲を見渡し樹は呆気に囚われた。目の前に現れた景色は辺り一面が畏怖する程の銀世界に変えられていた。


「なんだこれは!」


 極月は慌て狼狽える。


「我が主を裏切り仇なすとは、余程死にたいらしいな。そのようなものに対しての慈悲はないぞ」

 神獣の怒気が降った。

 凍てつく神獣の目が裏切り者の運命を見定める。それは心の芯まで凍らせるような殺意だった。


「な、ななな……まさか神獣とは、氷華の神獣が本当に」


 極月は神獣の波動に恐れおののきガチガチと歯を鳴らした。


「浅はかな奴。五神官の頭ともあろう者が目を掛けてもらえぬと拗ねて短慮をする。その上に化け物に誑かされるとはの。愚かなり。黄玉の甘言に耳を傾けた時点で既にその資格も資質もないことは明白であろうに」

「な、なにを……」

「楽には逝かせぬぞ、覚悟は良いか!」


 大口次郎左衛門景雪が静かに語る。獣が口を大きく開いた。

 ――しかし。


「お待ちくだされ次郎様。そう慌てることもありますまい。ここはひとつ我等に」

 緊迫した場面にまた一人、知らぬ人物が姿を現す。

 落ち着いた声が神獣に話しかけた。次郎はその人物を訝しんで睨みつけた。

 流水を受け流す如き佇まいで神獣と対峙をする長身の男。男は涼しげに目を細めたまま表情も変えずまるで動じる様子もない。


「み、水無月!」

 突然介入してきた男の顔をみるやいなや神無月は驚きを交えた大声で男の名を呼んだ。その後、神無月は呆然として固まってしまった。


「水無月、あ、あなたどうして!」

 皐月は激しく動揺していた。

 そんな二人にそっと柔らかな視線を送り水無月は澪を抱き上げる。


「み、水無月、貴様、澪様をどうするつもりだ!」

「――ん? そんなこと決まっているだろう。銀鬼様の所にお連れするのさ」

「な、なんだと!」


 陰陽師達の動揺をよそに、澪はどこかホッとした顔で水無月を見ていた。


「澪様、事情は後程。では参りましょう」

「ま、待て、水無月!」

 子細を説明しろといって神無月が引き留める。それでも水無月は一度は立ち止まったものの振り向くことはしなかった。


「お前達には裏切り者の始末が残っているだろう。早くしないと逃げてしまうぞ」

 長身の背中が呼び止めた神無月に静かな声で促した。

 水無月の忠告を受け、神無月と皐月がハッとする。

 彼らが振り向く先を見ると、如月が極月の前に立ちはだかって行く手を防いでいた。


「よくやった如月!」


 神無月の声に如月がフフと笑う。


「旦那、澪様に刃を向けた報いはきっちりと受けてもらいますよ」


 神無月、皐月、如月の三人に囲まれた極月にもう逃げ場はなかった。


 情況を見定めて水無月が次郎を見上げる。


「次郎様、皇陣様は如何なされましたか?」

「おう、それがのう、鬼姫の気が消えると共に、あいつも姿をくらましよったのよ」

「左様でございますか」

「それよりもお前……どうやらお前も八郎とつるんでおるようだな」

「――さて、それでは次郎様、御一緒に参りましょうか」


 無表情の中にある口元が少しだけフッと緩んだ。

 神無月たちの様子をチラリと横目で見て、水無月が神獣に目配せをする。


「ふん!」


 神獣の返答を耳にしたあと、水無月は神無月らの様子を全く気にすることもなく澪を抱いたまま銀鬼のも元へと向かった。その水無月の胸の中で澪が問う。


「み、水無月……」

「澪様、今はおしゃべりにならない方が良いですよ」

「み、水無月、そ、そなたは死んで……わしの氷と共に消え失せたはず」

「澪様、いや水音様。やはりあなたも一度ちゃんと学校に通った方が良い」

「……」

「これは物理。世のことわりです。人の身が氷に変わって消えて無くなるわけがないでしょう。人は鬼ではありません。黒い霧と化して消えるのは鬼や化け物だけですよ」

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