第64話 銀鬼の勝負手
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極月の裏切りにより犬童澪が傷ついた。その様を見て黄玉が満悦の笑みを浮かべる。
「銀鬼よ、裏切り者がいると気付いたところまでは良い線をいっておったのだがな」
「ふん!」
「残念であったの」
「勝ったつもりか? せっかちだねぇ。まだ終わってないんだぜ、いいのか」
「加茂樹の気は感じられぬ。どこに隠したのかは知らぬがその身体がお前と共に死ねば問題はない。傷の治癒をする者がおらぬでは犬童澪も終わりじゃ。嗚呼、出来うることならば先代の桃花にも見せてやりたかったの。労苦の末に見つけ出し銀鬼に託した犬童澪の魂も、所詮はあっさりと裏切り者によって消される定めであったとな。アハハハ!」
「…………」
犬童澪の死を告げられ侮蔑の言葉を受けても銀鬼は口を結んだまま言い返す事をしなかった。何故、何も言い返さないのか。盤面は拮抗しているように見える。これで追い込まれたということはないだろうに。
樹には銀鬼が急に受けに回ってしまったように見えていた。
「フフフ、掌の上の猿とはお前のことであったの銀鬼。鬼姫もおらぬ、犬童澪も死ぬ。さて次はどうする?」
「どうするもこうするもないだろう。お前を倒す。それしかないと思うけど?」
『――な、マジか、黄玉を倒す?』
確かに残すは黄玉のみであるが、それでは安直にすぎる。まさか手詰まりということもあるまい。ここまで押し込んでいながら何故急ぐのか。真向勝負だなんて。
「ほう、余裕であるな」
「最初に言ったとおりだ。お前は無能な道化、人を化かすつもりが化かされている憐れな狐」
「……」
「烏合の衆の野孤も手駒の朱鬼も無い。寝返らせた陰陽師も時間の問題だ。そして鬼姫も使えない。この状況、この後にお前に残された手はあるのか?」
「……」
「ほらみろ、もう手は出しつくしたって顔をしているじゃないか」
「我にもう手が無いと、本当にそう思うておるのか?」
「フン、無駄なブラフを打つのは止めろ。もう読めている」
「ほほう……ならば遊んでやる。
「そもそも初めから俺とお前で殺し合えば事は簡単だったんだがな。それをこんな面倒な事をやらせやがって」
『――違う! 誘いだ! この諾々とした流れは。黄玉がこれで終わることなんてない。正気か!』
嫌な予感がしていた。確かに黄玉をみれば、奴の周りに使える手駒はもうない。
『まだ、早すぎる。こちらはまだ手を残しているじゃないか! それに』
唯も犬童澪も傷ついている。二人を治癒する方が先だろう。味方をみれば巫女達も、陰陽師達も、加茂八郎も残している。
時は稼げる。もっと確実に詰めていく方がいい。数ではこちらが優勢に見えるが、黄玉はまだ手を残しているはずだ。まだ、完全には見切れていない。
樹には、銀鬼が勝ち急いでいるように見えていた。
「……」
「さてと、残すはお前のみとなった。これで王手だ。そろそろこの遊びも終わりにさせて――」
銀鬼が太刀を構えて黄玉に向かおうとした時だった。樹の悪い予感が的中する。
「うぅ……黄玉! 貴様」
銀鬼の苦痛の声と共に樹の身体に激痛が走る。
『痛い! なんだこの痛みは、銀鬼に何が起こったんだ!』
樹は銀鬼が黄玉と向かい合っている場所を見た。
黄玉に見下げられ苦悶を見せる銀鬼の姿を見ると、彼の傍らに見知らぬ女が立っていた。その女の手刀が銀鬼の背中にめり込んでいた。
『銀鬼!』
「フン、油断じゃの、銀鬼」
「こ、こんなことが……ま、まさか……」
『誰だ! なんだあいつは。いったいどこから現れた!』
「何んとも間抜けであるの銀鬼。考えても見るがいい、我が千二百年前と同じ轍を踏むと思うてか? そのようなことを我がするはずもなかろう。お前は鬼姫の呪いが心臓にあることを知っている。知るお前ならば姫の心臓を狙うであろう。ならばそこに罠を仕掛けるもまた一興というものじゃ。お前が鬼姫を如何に扱うかなど計るまでもない。ククク、カカカカカカ!」
「お、黄玉よ……俺を甘く見るなよ……そんなことは俺も……百も承知……」
銀鬼は苦痛に顔を歪めながらも笑って黄玉を見返していた。
「もう芝居はよせ銀鬼。これで終いじゃ。それ以上は滑稽で見ておれぬ」
「分からないな。何を言っているのか」
「お前が先代桃花により遣わされた禍根を打ち果たす者であることは既知である」
「……」
「それに、『桃花の時渡り』であったかの? 今宵それが起こるのであろう? 事が起こるのは今宵の
「……黄玉」
「お前は、加茂樹の中に潜んで機会を覗っていた。目論見を無事に成し遂げる為、事態を優位に運ぶために策を弄していた。真中唯の心臓を突き、直ちに我に挑んで勝利し、その後に再び加茂樹と入れ替わり蘇生をする。敵を全て排除し盤石を築き事を成す。これがお前の描いた台本であろう?」
「さて、俺にはお前が何を言っているのかさっぱり分からないんだが……」
「まだそのようにしらを切るとは。なかなか噛み応えがあるではないか」
「……」
「我が何も知らなんだと思うなよ銀鬼。十四年前、あの陰陽師どもを黄泉に送った時にはもうお前の存在に気付いておったのだぞ」
「……」
「いやなに、我もその事を耳にするまでは意味がわからなんだ」
「……耳にするまでは」
銀鬼は悔恨を顔に浮かべた。その顔を見て黄玉はほくそ笑む。
「そうじゃな。我の打つ手に差し返してくる者がおることは直ぐに分かった。しかしその者がやっていることがあまりにチグハグであったからのう。これは一体どういうことじゃと当初は流石に訳が分からなんだ。しかし訳を耳にしてしまえばそれは他愛のない事であった。全ては今宵に起こる時の必然たる桃花の時渡りを成す為であろう、銀鬼よ」
「……」
「いかな鬼姫とて蘇生は急がねばならぬ。お前は詰めを急いだ。明白であったぞ銀鬼」
「全ては策だ、裏の裏だと、そうは思わないのか? いいのか?」
「あはははは! やせ我慢はよせ。この期に及んでも再び加茂樹と入れ替わる気配もない。これで鬼姫の蘇生も叶わぬ。戦えぬは自明、終わりじゃよ。これで逆王手じゃの、銀鬼」
「くっ……」
「桃花の予言と称してそこの犬童を操る。鬼を使って真中唯を加茂家から攫う。その上、鬼姫の母御まで生き返らせるとは愚かよのう。鬼姫の母、それはいわば鬼化への鎮静剤。元の時の流れなど我の知るところではないが、それはもう見え見えであったぞ銀鬼。なまじ時の流れに拘るばかりにそのような見え透いた愚策しか打てぬとは」
「……」
「茶番とは言わぬよ。座興ほどには楽しめた。だがの、及第点に達するまでにはまだ足らぬの。もう少し学んだ方が良かったの銀鬼」
「……そうか、お前、時の流れを知らなかったのか」
銀鬼が目を伏せて肩を落とす。
「ふふふ、お前は己の策に溺れたのじゃ。今の今まで思い通りに事が運んできたと思っていたのであろうが、残念であったの銀鬼。それは我がお前の思惑にわざと乗っておっただけの事である」
「鬼灯累のことも……」
「ああ、あれの。あれは我が下僕ゆえにどうとでもなるものじゃ。様子見ついでに仕込んでおったが結果は上々。もっとも敵が鬼姫を必要とするならばそれは外せばよい。必要としないのであれば鬼姫を操って駒にすればよい。それだけのことであったのだがの。アハハハハ」
「そうして……まんまと、このようにすんでのところで鬼灯累を離して潜ませるとは……」
「ここまでよう我についてきたの。褒めてやるぞ、銀鬼。そしてもう一つ。最後にお前に贈る言葉がある」
「……」
「今宵、桃花は赤い月を背負って時を渡る。であったか? それは鬼姫の力を使って行われる。時を渡った加茂樹は先代との邂逅を果たし、未来を知った先代桃花は千二百年後の戦いに備える。物語はこうであったの?」
「そ、それが……どうした」
「月は沈んだ。見上げてみよ、銀鬼」
「……な!」
銀鬼が空を見上げて呆然とする。その口から嗚呼と弱い声が漏れた。
「残念であったの、銀鬼。これで千二百年越しの棋譜は破られた。クククク、アハハハハハ!」
夜明け前の暗さを残す空。いつしか時は過ぎ、時渡りの時に桃花が背負うはずだった赤い月は沈んだ。勝ち誇る黄玉を前に、傷ついた銀鬼は力なく笑うのが精一杯であった。
「勝負ありじゃ。詰みじゃ、銀鬼。さて、この後はどうしたものかの?」
「フン、好きにするがいいさ、どうせ俺ももう終わりだ。殺せ」
「せっかくここまで楽しめたというに。それはちとつまらぬのう。銀鬼、もそっと足掻いてみせぬか?」
「もういい。これ以上お前を喜ばせたくはない」
「なんと張り合いのない。まぁよい。ならば我はここでゆるりと眺めようぞ。お前が慙愧と苦痛の中でこと切れるのを見取ってやろうぞ。クククク」
「殺せよ! 早く殺せ」
「嫌じゃな」
「くそ! 悪趣味な……」
「よき誉め言葉じゃ、ククク」
「――ならば、好きにさせてもらうぞ」
「存分に」
銀鬼は最後の力を振り絞って立ち上がり、蒼帝の大太刀を杖にして倒れる唯の元へと向かった。
「あははは! これは心地よき光景じゃの。鬼姫と銀鬼の野垂れ死ぬ様をこのようにみられるとわの」
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