第62話 決意

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 悪意を纏って言い放つ。銀鬼は踵を返して敵に向かった。


「さてと、鬼姫の次はどっちが来るんだ」


 太刀を担いで銀鬼はゆっくりと足を運びながら不敵な笑みを浮かべた。


「おい、神格もどき! 次はお前か? お前など刀の錆にもならんが相手をしてやるからかかってこい」


 銀鬼は朱鬼を名指しし手招きをした。朱鬼が銀鬼の勢いに押され動揺を見せる。


「お、黄玉、何をやっておるのじゃ、さっさと奴を片付けろ!」

「……」

「黄玉! 何をしておるのじゃ」


 朱鬼に命じられるが沈黙をする。侮蔑の眼差しを返した黄玉は溜め息をついた。


「やれやれ、おめでたいことじゃな」

「な、なに!」

「朱鬼よ、今しがた銀鬼に教えられたばかりではないか。もう忘れたのかえ?」

「あ、あれは」

「ご指名は銀鬼の戯れ事だとでも思うたか? 面倒な奴じゃのう、さっさとお行きなされ」

「なんじゃと! お主、このわし向かって!」

「だからおめでたいと申した。真相を明かされてなおも主気取り。間抜けであるな。初めから相手にしてはおらぬ。お前など所詮は盤上の駒に過ぎぬ。面白き駒ゆえにちょっと遊んでおっただけのことじゃ」

「……」

「ささ、何をしておる朱鬼よ、そなたにも赤鬼の面目があろう。されば四の五の言わずに行ってくるがよい。銀鬼を討ち果たし、我を愉しませてくれるのならばこの後も使うてやってもよいぞ」


 黄玉は朱鬼を嘲り見下した。言われた朱鬼は、黄玉の迫力に押されてぐうの音も出せずに歯噛みをした。


「ウウ……かくなる上は!」

「おお、その意気じゃ、気張れよ朱鬼。無様を見せれば我が直ちに殺して差し上げましょうぞ。精々足掻いてみせよ、楽しませてみせよ、赤鬼」

「……」


 朱鬼は渋々と前に出て銀鬼と対峙した。


「憐れなものだな、朱鬼」

「ほざけ、銀鬼」

「あんまり可哀そうだから教えておいてやるよ」

「……」

丹仁たんにん和尚よ、そもそもお前が力を持ち赤鬼へと転じられたのも、お前が鬼を従えるようになったのも、そして犬童澪と軽部八郎に追い詰められたときに生き延びられたことも、全部あいつの遊びに過ぎなかったんだよ。お前は使い勝手の良い駒であるからこそここまで生かされてきた。まったく千三百年も転がされているとは、大した道化ぶりだよな、朱鬼」

「うぬぬぬぬ……言わせておけば」

「どうだ? 方々に思い当たる節があるってところだろ。いい加減、観念しろよ」

「黙れ! 銀鬼だか何だか知らぬが、大口を叩くのもそれまでじゃ! わしは、このわしは鬼姫さえも従えることの出来る鬼の頂点に立つ者。そうじゃわしこそが鬼の王である!」

「王ねぇ……」

「フン、戯れておられるのも今の内じゃ。お前が鬼を名乗るのなら、わしにも手はあるのじゃよ銀鬼」


 自信を見せて言い放った朱鬼は徐に懐へと手を差し入れた。


「お前も鬼なのだろう、ならばこれには抗えまい」


 朱鬼は取り出した大数珠を天に向かって掲げ何事が呪を唱えた。山鳴りが起こるとたちまちに社の周囲に数えきれない鬼気が立ち上った。


「なるほど、勾陳こうちんの玉。鬼どもを呼んだか」

「これで終いじゃ、銀鬼」

「それで? 勾陳の玉を使ったところで何がどうお終いなの?」

「強がるな。銀鬼よ鬼ならばこの勾陳の玉の呪には抗えぬ。さっさと我が僕に下れ」

「下れと、そんなこと急に言われてもなぁ」


 朱鬼を小馬鹿にして笑う。銀鬼は朱鬼の言葉を歯牙にもかけていなかった。


「な、ななな、お前何故、この勾陳の玉の前で正気を保って……」

「そのようにいわれましてもねぇ、何ともないのですが? もうちょっと頑張ってみますか?」

「何故じゃ! 何故お前は! お前は鬼であろう。これは鬼を縛る数珠であるぞ!」

「あ? 何故って、そんなこと知らねえよ。で? まだなの? 俺を操るんでしょ?」

「ば、馬鹿な……」

「お、そんなことよりも、これは凄い! こんなに集められるんだぁ」


 狼狽する朱鬼を一通り馬鹿にした後に銀鬼は歓声を上げた。

 銀鬼の感嘆を聞き消沈していた朱鬼が気を持ち直してほくそ笑む。

 銀鬼は周囲を見回した。つられて樹も辺りを見回した。見渡す限りの山肌に無数の鬼気があった。鬼気がこちらに向かって動き出すと瞬く間に社全体が鬼の包囲を受けた。


『なんだこれ! こんなに鬼が……勾陳の玉、あれはいったい?』


「まったく……。朱鬼よ、お前も懲りないな。また多勢か? もう少し自分の力で何とかしようとは思わないわけ?」


「フン、流石はと言ってやろう。この期に及んでまだ戯れ事を吐くとはな。しかし、銀鬼よ、こいつらはそこの野孤どもとは比べもにもならぬぞ。お前こそ観念せい」

「やれやれ」


 銀鬼の口から溜め息が零れた。銀鬼は朱鬼の言葉を聞いてなおげんなりとして呆れたていた。


 やがて社に集まってきた鬼達が一匹、また一匹と姿を現し銀鬼の周囲を取り囲んだ。

 多勢に無勢である。たった一人の銀鬼に対して数え切れぬ程の鬼。さすがにこれは不味いだろう。

 それでも危急の時のであるはずなのに様相はまるで緊迫しなかった。

 そうして、銀鬼を取り囲んだ鬼の一匹が跪き彼に向かって首を垂れると状況が一変する。その跪いた鬼を皮切りに次々と集まった鬼がみな同じように銀鬼に対して跪き傅いていく。


「な、なんじゃこれは! これはいったいどういうわけじゃ!」


 あわてふためく朱鬼に向かって銀鬼がニッと歯を見せて笑んだ。

 


「ご苦労様です。せっかくですのでどうかお力を。あの野孤どもの一掃をお願いできませんか」

 銀鬼が周囲に集まった鬼達にお願いすると、集まった鬼達がいっせいに御意といって首を垂れた。


「これはどうしたことじゃ!」

 朱鬼は狼狽した。その朱鬼を無視して銀鬼は鬼達に声を掛ける。


「あ、黄玉には構わないでくださいね。あれは皆さんの手に負えない。危ないと思ったらとっとと逃げてください。では鬼の皆さんよろしく!」


 鬼が銀鬼の命に頷き一斉に動く。社は野孤と鬼との戦場と化した。

 鬼が圧倒的な力を見せて次々と野孤を倒していく。


「なんじゃ、どうした! なぜじゃ! なぜ鬼どもはわしの言う事を聞かぬのじゃ、――あ!」


 あっと声を出すがもう遅かった。朱鬼は己の手を見て悔しがった。


「勾陳の玉。これじゃよこれ! なまじただの人間がこの様なものを持つからいかんのじゃ、これはちゃんと本来の持ち主に返すべきなのじゃ」

 気配も見せず突然現れた男が朱鬼に話す。


「お、お前は軽部八郎宗重! ど、どうして! そ、それは! わしの玉が、わしの勾陳の玉が……」


『――軽部八郎?』


 どこから現れたのかその男は、朱鬼が持っていた大数珠を易々と奪っていた。その様子は、岩井に扮した八郎が朱鬼の手から達を奪った光景に似ていた。

 男の様子に目を凝らす。その姿は三つ揃えのスーツ姿で歳は壮年を過ぎた頃か、童のように輝かせた目が印象的であった。


「ご苦労様、八郎。全ては手筈通りだな」

「なんのなんの」


『あれが加茂八郎宗重の真の姿。加茂家の始祖様……でもなんでスーツ姿なんだ?』


「樹よ、そう驚くこともあるまい」

『え? ああ、でも、え? 何? あなたには僕が見えて』

「もちろんじゃとも、わしだけではないぞ、銀鬼にもちゃんと見えておる」

『な、なんだって!』


 聞いて銀鬼を見れば、目を伏して笑んでいる。


『あ、あなた方は一体何を……』

「状況は全て見ていたよな、加茂樹」

『……あ、ああ』

「だが、詰めはまだ先だ。そして最後はお前がやらねばならん」

『僕が?』

「そうだ。だからお前は、もう少しそこで色んなものを見聞きしていればいい。その上で最後の最後はお前がどうするかを決めればいい」

『決める? 何を?』

「それは言えぬ。自分の道は自分で考えるものだ」

『――時渡り……時の必然……』


 樹のその呟きを聞いて銀鬼が頷く。その顔には微笑が浮かんでいた。


『で、でも銀鬼、お前な何でこんな面倒な事をやっているんだ。それ程の力があるのならもっと真っ直ぐに策など弄せずにやればいいじゃないか。ならば唯にも悲しい思いをせずに済んだし、優佳さんだってあのように死ぬことはなかった。こんなにたくさんの悲劇を重ねて来なくても、お前ならば何とか出来たんじゃないのか』

「……優佳さんことは」


 事情を言いかけて銀鬼の口が止まる。


『なんだよ、銀鬼』

「今は説明している暇も無い」

『な、またか!』

「いずれにしても、真中優佳の魂魄はギリギリだった。もう持たなかったんだよ」

『お前、何を隠してるんだ。何でそんなに悪びれる』

「樹よ、それも全て後で分かる」

『……』

「さてと、これでほぼ整ったな。だが仕上げのその前に俺は先ずはあの阿呆を片付ける」

『あの阿呆?』


 片付けるといった銀鬼は朱鬼の前に立った。


「お、お前は……何者だ! お、鬼ではないのか?」

「ああ、それね、俺は鬼だよ確かに」

「それに、軽部! お主まで、なんで鬼に」

「何を驚く? お前も元は人であろうに」

「し、しかし、何故にその鬼どもが、神薙の神器を扱えるのじゃ」

「さて。そのような事を何故にそなたに説明せねばならぬのかのう? なぁ銀鬼」

「そうだな八郎、阿呆に説明する道理は無いな。それに、俺はお前と同じで面倒な事が嫌いだ。そして、お前に冥途の土産を持たせてやる義理もない」


 銀鬼の手の中で太刀が煌めきを見せた。銀鬼は瞬時に朱鬼を刻んで滅ぼしてしまった。


「グガガガガガ……ぎ、銀、鬼……」


『ところで始祖様』

「ん? なんじゃ樹」

『始祖様がその姿を見せているということは、岩井さんは?』

「おお、あの者か、あの者なら心配はいらぬ、あちらでぐっすりと眠っておる」

『あちら?』


 樹が尋ねると八郎はニヤと笑って犬童澪の元に集まる集団に向けて指を差す。


「さて、八郎、そろそろ大詰めといったところになるが」

「そうですな、敵は粗方片付きました。そろそろ佳境でございましょう」

「では、次へと参ろうか、八郎」

「御意に」


 銀鬼と八郎の悠々たる様子を見た後で樹は周囲を見渡した。あれ程いた野孤も鬼に倒されて殆ど数を残していなかった。朱鬼は易々と倒れ、野孤も全滅に近い。それは銀鬼と八郎の圧倒的な勝利を現していた。


 戦いの当初は黄玉が次々と口にした事実にその身を震わせた。黄玉の企てをこのように全て受け切っていた銀鬼にも驚愕を覚えていた。


 鬼姫に関わる一連の事件も黄玉と銀鬼の仕業である。これまで身に降りかかってきた不可思議な事象の全てが銀鬼と黄玉の権謀と術数の中にある。


 ――銀鬼は唯を殺していない。

 あれは唯の呪いを解く為の行動である。現に唯の命は留められている。生命を司る神薙である樹にはその事がはっきりと見えていた。

 様々な場面で惨劇を見せてき銀鬼だが、打つ手には何か意味があるのだろう。悪を演じていることにもきっと訳があるはずだ。その理由はまだ分からないが。

 結論としては、黄玉と銀鬼の激しい指し手の応酬の全てが「桃花の時渡り」を基軸としていると理解していた。


 何という攻防であろうか。まさか十六年もの間、互いにそのような指し手をもって争いを繰り出していたとは考えつきもしなかった。


『いや、違う。これは十六年どころの話ではない。先代桃花を巻き込んでの千二百六十年にも及ぶ怪物どうしの化かし合いだ……』


 樹は再び、銀鬼があの時言った言葉を思い出した。

 どちらにしても桃花は棘の道を行くという銀鬼の言葉。それはことの成否にかかわらず桃花の道が過酷なものになるということを暗に語っているのではないのか。


 桃花の時渡りとは。……確かにこれは計り知れない事である。樹が時を渡り千二百年という途方もない時を経て現代に至る。先を思えば気が遠くなる話だ。だがそれはきっと必須のことなのであろう。ここで樹は一つの結論に至ろうとした。


 ――僕は時を渡る。そして銀鬼として帰ってくる。強くなって。その理由は。


 桃花としての樹の使命はそれ程に過酷な道。樹に時を渡らせて千二百年もの長き時間をかけ銀鬼へと変容させねばならない理由。そのことは今の樹が持てる力と銀鬼のそれを比べてみればなんとなく分かる。


 この戦いの先には更に強大な敵が待ち受けているのではないのか。その敵を倒し、この千三百年に亘る魑魅魍魎との戦いに終止符を打つということが自分の定めなのではないのか。


 桃園での戦いはついに佳境を迎えた。残すは黄玉のみ。樹は銀鬼の背を黙って見つめた。


「今は任せるよ。これはお前の仕合だからね。だが、最後は僕に委ねられる。やらねばならないのだろう。だったらその定めを受け入れてやるよ。覚悟ならもう出来た」



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