第21話 鬼が来たりて

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「やだなぁ、鈴ちゃん。鈴ちゃんも人が悪いよねー」

「い、岩井さん!」

「あ、どうもこんばんは、お邪魔します。っていうよりは、話を聞かされていたと言った方がいいのかなぁ」


 鈴に細い目を向けながら、岩井は無精ひげの生えた顎を撫でた。


「なんで岩さんが、鈴ちゃんこれはどういう――」

「あ、それね。僕はね、『氷華祭りの最中に神社を爆破するぞ』っていう脅迫状を送ってきたそこの小さなテロリストさんを逮捕しに来たんだよぉ」


 冗談めかして話す岩井の言葉を受けて鈴がフッと笑う。 それは見慣れた顔だった。樹は鈴の顔を見て嫌な予感に囚われた。鈴はきっと、何かよからぬ事を企んでいるに違いない。


「テ、テロリストって! それに爆破だって! 鈴、おい!」

「それでは岩井さん、そのお話の続きは稽古場に移動してからということで」

 鈴は涼しい顔で退室を促した。


「おいおい、ここじゃダメなのかい? これでも僕は暇じゃないんだよ。あんまり長い話もねぇ、しかもこれって給料出ないんだからね、マジ、サービス残業なんだからねぇ」

「……」

 岩井の軽い態度を鈴の厳しい視線が刺す。


「はいはい、わかりましたよ。ったくもう」

 不真面目な刑事は、渋々ながらも少女に付き合う事を承諾した。



 そこには既に明かりが灯っていた。稽古場に着くと加茂家、猿楽家、白雉家の大人達が全員そろっていた。


「いやぁ、策士だねぇ、策士だよねぇ、鈴ちゃん。一体何を企んでいるんだい?」


 稽古場の面子を見て岩井が面倒くさそうに頭を掻く。


「い、岩井さん! なんであなたまで」


 蘭子の父、猛が驚いて尋ねた。


「実は警察に、ここの爆破予告が届きましてね」

「ば、爆破予告?」


 樹の父、康則が慌てて聞き直した。


「ええそうです。爆破予告です。氷華祭りでこの社を爆破するといった内容の書面がこの僕宛に送られてきました。これがすごく上手でしてね、あまりに粋な書き方をしてあったものですから、まあそれで興味を持った僕はここに来た。そういう訳です」

「予告状のことは分かりましたが、それでも何故このような皆の集まるところに、しかもこんな夜分に……」

 康則が不思議そうに首を傾げた。


「それは、鈴ちゃんに聞いてください。いや、ちょっと待って。やはり僕から話しましょう。今夜、皆をここに集めたのは鈴ちゃんだ。予告状を送ってきたのも鈴ちゃん。その目的は氷華祭りが行われている時にこの社に警察官を集めること。それで合っているよね? ねぇ鈴ちゃん」


 鈴は岩井の問いには何も答えずに、目を伏せたまま微笑を浮かべていた。


「さてと、本題に入ろう。鈴ちゃんがそこまでやる理由とやらを、ひとつ聞かせてもらいましょうか」


 岩井の視線を受け、鈴が愛らしく首を傾げて笑む。


「……鈴。まさか、なんてことを」


 鈴の父、英一郎が狼狽を見せた。だが鈴は涼しい表情を崩さなかった。


「聞いてください! これは鈴ちゃん一人で行ったことではありません。鈴ちゃんは、僕達三人が共に危惧している案件を伝えようとしただけです」


 樹は、前へ出て事情を説明しようとした。腕を組みながら聞いていた蘭子も樹の動きに合わせて大人達へ目配せをした。


「あ、あなた達は!」


 蘭子の母、十和子が叱るように言うと大人達が一斉に厳しい視線を三人の子供に向けた。


「樹様、ここはお任せください」

「……鈴ちゃん」


 落ち着きを見せながら微笑む鈴の顔を見て頷く。樹は少し後ろに下がった。


「先程、私達三人は、近々死ぬであろうことを確認し合いました」

「し、死ぬって。鈴、あなた何てことを――」


 鈴の母、恵子が心配そうに言うと鈴は緩やかに首を振って応えた。


「母様、自殺ではありません。これは、私達が何者かによって殺される可能性があるという話です。そしてそれは、あの真中家の事件を発端とする一連の出来事の延長にあるということをまずはお伝えしておきます」


 鈴の話を聞いて大人達が一斉にどよめいた。


「岩井刑事、これはあなたのお嫌いなオカルト話ですが、どうか今暫くは異を唱えずにお付き合いをお願いします」

「承知した。分かっているよ鈴ちゃん、その為にわざわざ収蔵庫で僕にあんな話を聞かせたんだろう」

 岩井が今度は笑わずに真っすぐに鈴を見て答えた。



「それでは」


 いって鈴は蘭子の母親と岩井を傍に呼んで自分の体を確かめせた。


「それで鈴ちゃん? いったいこれから何を始めようというのさ」


 目を細める岩井が探るように尋ねると、鈴はゆっくりと左手を挙げた。注目が自分の左手に集まったことを目で確認する鈴。場は疑義を持ちながら固唾を呑んだ。

 企てる目が笑いフッと口角が持ち上がる。鈴はサッと左腕を振り下ろした。

 ――シュン! 

 腕が風切り音を放つと、鈴の左手から光る金属が飛び出して壁に突き刺さった。

 短剣のような三本の獲物が壁に食い込みキラリと光る。

 その様子を見ていた大人達は唖然とした。まるで信じられないというように口を開けたまま放心していた。


「これが、白雉家の巫女の力です。そして蘭子」

「ああ、わかったよ鈴。あたしはまだそんなに上手く扱えないんだけどね」


 鈴の方を見てやれやれといって笑う。蘭子が次は自分の番だと意気込んだ。

 鈴の横で右手を挙げる蘭子。再び少女の翳す手に視線が集まった。

「えいっ!」という掛け声と共に蘭子の指先から紅色の炎が噴き出すと、周囲の者達は驚き仰け反った。

 そんな大人達を見て、得意げに目を輝かせる蘭子。樹は蘭子の炎を一度目にしている。あの時は豪快な火柱を放っていた。今回はあの時ほど程の威力を見せていなかったが、そのことで評価が下がるわけではなかった。

 樹は思わず唸った。蘭子のセンスが自分の想像を超えていたからだ。

 蘭子は炎を顕現させた後に、その火炎を鞭のように巧みに操って見せた。


「母さん、これが猿楽家巫女の授かった力だよ」


 それはあまりに人間離れしている仕業。二人の巫女の在り様に、我が子らが見せる振る舞いに、親達は揃って硬直していた。ただただ目を見開き驚きを見せるだけで、目の前に起こっている事態をとても現実としては飲み込めないようだった。


「やだなぁ、これはいったいどんな手品なんだい? 今度の祭りの余興かい?」


 岩井が曲芸の後に起こった沈黙を破る。認めない。とその目は語っているようだった。大袈裟な所作で動き、揶揄からかうように言葉を発すると、その働きにより大人達の気持ちが解けた。互いに視線を交わす親達。それでも一言も話すことはなかった。言葉が出てこなかったのだろう。その場を困惑が包んでいた。

 耳に残る「手品」という言葉は、大人達が今の状況を飲み込むには非常に有効であった。それは希望に添った理解と安心を自身に与えてくれる言葉だった。


 しかし一方では迷いも見えた。不思議ないわれや伝承を聞かされて育った者には、心のどこかで代々守り伝えてきた歴史というものに肯定感がある。自分の子供が親に向かって必死に訴えている姿を信じてやりたいと思う気持ちもあるのだろう。

 現実と非現実の間に立たされた大人達は、その場で困惑を見せることしかできなかった。


 一度は目にしているとは言え、鈴と蘭子がリアルに見せた力には驚かざるを得ない。実際に、このように使えるものになっているとは夢にも思っていなかった。

 二人が見せた力からは、あの時ほどの威力は感じられなかったのだが、それもまだ途上なのだと思えた。樹は僅かに希望を見いだしていた。自身の中にもきっと何かがあるのではないか、と。

 

 状況に背中を押された樹は意を決して岩井に問うた。


「岩井さん、先日起きた、村人十名が殺されたという猟奇殺害事件のことを御存知ですよね」

「なんだい樹君、藪から棒に。それがどうしたっていうんだい?」

「村人の死体が消えていた。いや正しくは、十名全ての人達の腕から先は残されていたが、あとの体は見つかっていない。テレビで見ましたが間違いのないことですか?」


 樹が強い視線を送ると、岩井も眉間に皺を寄せて怪訝な顔で見返してきた。


「おいおい、勘弁してくれよ。まさかあれも鬼の仕業だなんて言い出すんじゃないだろうね」


 岩井が砕けるように肩を落として呆れ顔を見せる。だが、樹は厳しく意を固めたまま岩井の目を見つめた。


「岩井さん、あれがもうすぐここへやってきます」


 樹の強固な訴えを受けても岩井の呆れ顔は何も変わらない。


「だから僕にどうしろと」

 落ち着き、温厚を見せる岩井だが言葉には鋭さがあった。


「祭りの間だけでも、何か起こったときにお客さんを避難誘導して頂けませんか」

「無理だね。警察はそんなことで動けないし、動かない」


 即座に答えを返す岩井の顔には少しだけ怒りの色が浮かんでいた。


「どうしても、だめですか?」

「ああ、どうしてもだ。大体、僕達はこんな茶番に付き合っていられるほど暇じゃなんだよ。こっちは子供の遊びになんて付き合ってられないんだ。この前の昼間の話だって、実際の捜査に繋がると判断して話を聞いただけで、それは君たちのことを信じて付き合ったわけじゃない。分かるよね。君達ももう高校生だ。収蔵庫での話についても、君達が古文書を読めるかどうかなんて僕には関係なし、知らない。そのことをオカルト事件がさも現実であるように証拠として語ることの方がどうかしていると思うし、逆に君達の事が心配にもなるよ。君達が唯ちゃんのことをすごく心配していることはよく分かった。分かったから……ってどうしたんだい蘭子ちゃん?」


 怒りを抑え、優しく諭すように話していた岩井だが、話す途中で蘭子の様子がおかしいことに気付き声を掛けた。


「蘭子、蘭子、どうかしましたの?」


 尋常でない蘭子の様子を見て鈴は慌てる。樹と鈴の見ているそれは今までに見た事もない蘭子の姿だった。


「蘭子! 蘭子!」

 強く呼びかける鈴。それでも蘭子は鈴と視線を合わせる事をしない。

 蘭子は変わらず鋭い目つきで稽古場の壁の一点を見つめていた。

 両手は固く拳を握りしめ、片足を半歩前に出して何かに備える蘭子。

 その肩にはこころなしか緊張のようなものも見えた。


「……感じないのか? 二人とも」

「なんだ蘭子? どうしたんだ? 何を言っているんだ?」

「感じるって、蘭子。あなた何を?」

 樹と鈴の問いに蘭子は答えなかった。樹と鈴が顔を合わせて訝しんだその時だった。


「危ない! 岩井さん!」


 危機を伝える蘭子は声を出すとともに岩井の方へ飛び出した。

 視線の先で蘭子が消えた。いや、消えたと思えるくらいに素早い動きを見せていた。樹は見た。見えていた。ごく自然に動きを目で追っていたが、それでも気付く、蘭子のスピードは軽々と人の領域を超えていたと。


「なんだい! ど、どうしたんだいいきなり! 蘭子ちゃん!」

 驚く岩井は蘭子に突き飛ばされて尻餅をついていた。

 普段から鍛えられている警察官が、女子高生の動きに全く反応することが出来なかった。


「なんだ、あれ!」

「あれはいったい何ですの!」

 樹と鈴が同時に声をあげる。先程まで岩井が立っていたところを見ると、そこに一本の古びた錫杖が突き立てられていた。

 蘭子の方を向くと、彼女は岩井を突き飛ばした後もジッと壁を睨んでいた。


「な! なんだよこれは、こんなものどこから!」


 さすがの岩井も状況が飲み込めていないようだった。


「――樹、鈴、来るぞ! あいつらがここに、来る!」

「あいつ、ら?」


 何のことだろう。樹は起きている状況に思考を追いつかせようとした。


「樹、鈴、来たぞ!」

 蘭子が警告を発すると、樹の全身をザラリとした感触が舐めた。

 まさか……。樹は蘭子の視線の先を見た。

 その場所から嫌な気配を感じ取った。

 ――グラリ。

 壁の前の空気が陽炎の様に歪む。その歪んだ空間から紫色をした化け物がひょっこりと顔を覗かせた。


「やれやれ、やっと見つけられましたぞ」

「ほんにのう、やっと見つけられたのう」

「そうさのう、大兄者、兄者、これでわしらも命拾いできるということですかのう」


 眼の前に現れたのは、したり顔で嗤う大きさの違う三匹の化け物だった。

 紫色の肌、禿げた頭に残った白髪を肩まで垂らし、耳まで裂けた大きな口で笑う化け物。


「なんだ、あれは……。あれが、鬼、なのか……」

 呆然としながら化け物を見る樹。すると――。

 

「蘭子、あなた!」

 鈴の声に反応して振り向く樹。――蘭子! 

 樹と鈴の見る前で、三匹の化け物を睨みつける蘭子の瞳と髪が徐々に深紅に染まっていく。


「こうなったら、やるしかないだろ」

 フッと笑みを溢して言い放つ。挑む目つき。蘭子がワクワクしながらニヤリと笑う。


 化け物の登場により、否応なく始まる戦い。

 神薙達の身に千二百年ぶりの戦いの幕がここに切って落とされた。


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