第20話 作戦会議
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収蔵庫の窓辺に立ち、ぼんやりと暗闇に浮かぶ燈色の提灯の列を見ていた。
心の中にある危機感は、なんの根拠も確証も無い思い込みのようなものであった。 背筋が痺れるような緊迫感と胸を押し潰すような圧迫感は相変わらず不安を与え続けている。
結局のところ、大人達には何も話せていなかった。
信じてもらえる自信がなかったということもあるのだが……。
樹は、すっかりと祭りの様相に整えられた境内を見て一つ息を吐いた。
虚言や妄言としか思われない言葉を、いくら真実だと力説してみても、皆が楽しみにしている祭りを止めることなど出来るはずがない。
だが、危機は確実に眼の前にまで迫ってきている。
やらねばならぬという思いと、事を上手く運べていない現実。その狭間で樹達は途方に暮れていた。
「……やっぱりこっちに近付いて来てるよな」
不安を訴える蘭子の声を、樹は窓の外に目を向けたまま聞いた。
「私も同じ感覚です。あの嫌な感じが直ぐそこにまで迫って来ていると感じます」
鈴のいう「感じる」という言葉は表現としては一番腑に落ちた。
「気がする」ではなく「感じる」というこの感覚は目で見て、耳に聞こえて、手に触れるといった五感に訴える実感のようなものだった。
「だからといって証拠は示せない。そんな僕達にいったい何が出来るのか」
「あの時みたいにズバーン! っていうわけにもいかないだろうなぁ……」
蘭子が軽い口調で言っているのは、あのおかしな空間の中で蘭子と鈴が見せた力のことであるが、あのような事が現実世界の中で再現できないことはすでに確認済みのことであり、そのような不確定なものには頼れない。
樹達はごく普通の高校生である。武術の経験もなければ格闘の訓練も受けていない。鬼が姿を見せたとして、そのような自分達に何が出来るというのか。手に余ることは分かり切っていた。
「――そもそも、あの嫌な者がこちらに向かっている理由は何でございましょうか? それが分かればまだ対応できることがあるかもしれません」
「そうだね。僕も、あれがここを目指しているのはもう確実だと思うけど、それでもあれの狙いが何かといえば……」
「祭りに参加したいってことでもなさそうだしねぇ……」
蘭子の冗談を聞いて鈴がキッと睨み付ける。受けた蘭子が首を竦めた。
「たくさんの人の集まりを目指しているとか?」
「確かに、祭りには大勢の人が集まりますが、それでもその数はたかだか知れているというものでございましょう。多くの命を狙うのなら他にもっと効率的な場所があります」
「ならば、この氷狼神社を狙うということか……ここに狙われる何かがあるとすればそれは……」
「ズバリ言いますと、狙いは私達ではないかと思われます」
一つ間を置いてから鈴が答えた。
「え! マジか! なんで? どうして? えええーー」
「やっぱり鈴ちゃんもそう思うのか……」
「やっぱりって、樹、なんで――」
何故か胸を躍らせている蘭子が再び鈴に睨まれ消沈する。
「ちょっと、蘭子には黙っていてもらいましょうか」
鈴は蘭子の言葉を遮ると口に人差し指を当て蘭子に黙るよう指示した。
「鬼の襲撃か……。だけど、僕がここで調べた限りにおいては過去に氷狼神社が鬼の襲撃を受けたなんて記述はどこにもなかったんだけどな……」
「樹様、ここには何も無いと上狛水音さんは仰っていらしたのでしょう? それが本当ならば私達に過去の鬼の襲来を知る術はありません。――この事態はそもそも真中家の事情を発端としています。そして事が急に動き始めたのはごく最近、この数日の間のことで、しかも私達がこの社に訪れて以降という気がします」
樹と鈴はこの春休みに起こった出来事を一つ一つ確認していった。
「――確かにそうだね。唯が攫われた後の五年は特に何も起きていない」
「まるで、私達がおかしな力に目覚めるのを待っていたかのようなこの動き……」
「恐らく、狙いは人で間違いない。それも……」
「ええ、私もそう思います。狙いは人。それも普通ではない人です」
「僕達を狙ってくるのか」
「私達三人という事については、まだはっきりとは分かりません」
「鈴ちゃん、それはどういう?」
「私達と樹様では少々違う点がありますので……」
鈴は語尾を濁し躊躇いを見せながら樹の目を覗き込んだ。
「話してよ、鈴ちゃん」
「分かりました。ではまず、相手を敵と表現いたしましょう。敵はこの氷狼神社を目指してきています。目的が氷狼神社の何かであるとすれば、狙いは加茂家ということになり、別の社の私達は部外者となります。そこが樹様と私達との一つ目の違い。そして次に敵の狙いが、人なのか鬼なのかと……」
鈴が再び樹の目を見た。
「大丈夫だよ、続けて鈴ちゃん」
「敵の狙いが氷狼神社の鬼であるとすれば、その目的は樹様ということになります。樹様を捕まえるか、あるいは殺すか。どちらにしても樹様が一番危ないのではないかと思われます」
「ああ、なるほどね」
樹は納得して答えた。心がどこかホッとしていた。狙いが自分一人であるのならば案外とやりようがあるのではないか。犠牲を最小限に止めることが出来るのではないか。
「樹様、これはご自分だけが犠牲になれば済むという話ではありませんよ。陰陽五家の者を全て殺すことが目的ならば皆が危ないということになります。仮に樹様が狙いだとしても、邪魔になるだろう者達を見逃すはずはありません。私達も同じように危険なのですからね。そこは間違わないようにしてくださいね」
「あ、ああ、うん」
鈴に鋭く見透かされて樹は苦笑を浮かべた。
「それで鈴ちゃん、僕達はどうするべきだと思う? 僕はとてもじゃないが鬼となんて戦えないと思うんだ」
「……そうですね樹様、私も、戦うことは現実的ではないと考えます。その理由として、まず、こちらには未知の敵に対抗出来うる戦力がありません。実際のところ、拳銃などの銃火器が役に立つのかどうかも分かりませんので、警察も当てに出来ません。それに、一番の問題は敵の正体や力量がまったく読めないということです。敵を知らねば策も練られない」
話をしながら次々と思考を巡らせていく鈴。
口から溢れ出てくる言葉は、樹に語り掛けるようでもあり、自身に問いかけているようでもあった。
「鈴ちゃん、僕の考えを聞いてもらっていいかい?」
「はい」
「さっきも言ったけど正面から鬼と戦うのは無理だ。僕は逃げることしか出来ないと考えている。そこで僕が考えるポイントは三つ。一つ目はお客さんを含めた周囲の皆に危害が及ばないようにする事。そして二つ目は僕達のうち誰も傷つくことがないようにする事。そして三つ目は……」
「三つ目は?」
「なんとかして敵を封じる事だ。あれをそのまま放置することなんか出来ない。今回はうまく逃げ切れたとしてもそれは時間を稼ぐことにしかならないし、あれをなんとかしなければ今後更に犠牲者を増やすことになる」
樹の提案を鈴はゆっくりと咀嚼し始めた。
ジッとして目を瞑り、次に口に当てていた右手を宙へと投げ、そこで指先を動かす。まるで頭に描く棋譜をなぞるように鈴は思考を巡らせていた。
しばらくすると鈴は目を開けて樹にポツリと尋ねた。
「敵を封じるとは、この上にある本殿の風穴へ敵を閉じ込めるということでございましょうか?」
「うん。あそこならば出来るんじゃないかな?」
「樹様、それはかなり難しいことでございますね」
「やっぱり、無理か……」
「敵の姿もその数も分からないじゃ、実際にプランまでは立てられませんし」
「ああ、それはそうだね……」
「しかし、どうやらそれ以外は手が無さそうです。難しいことですが、状況を見ながらそれをやるしかなさそうです」
「うん」
敵と対峙して、敵を人々から遠ざけて誘導し、その敵を封じる。
それは、戦って敵を倒す事よりも難しいことなのかもしれない。
困難な事態。過酷な状況に追い込まれた樹達には残された時間も無かった。
これはフィクションではない。現実に際して、敵を滅する力など持ち得ない上に、封じ込める以外に危機を排除する手段も見付けられない。
何某かの力があれば、もう少しやりようがあるのだろうか……。ふと考えてみるが首を振って否定した。やはりそれは現実から逃避するような甘い考えであろう。
負けない。守るのだ。そうやって己を鼓舞する樹だったが、張り詰めている気持ちを上滑りさせてしまうばかりで心が定まらなかった。
「――さて、では話を少し整理致しましょうか。蘭子」
鈴が蘭子に呼びかけると、すっかり蚊帳の外になっていた蘭子が古文書を読みふけっていた。
「蘭子ーー!」
「う、うわっ! なんだよ鈴、ビックリさせんなよ」
「まったくもう! 私、少し静かにとは申しましたが、ふて腐れていいとは言いませんでしたよ。そんな読めもしない古文書を手に取って、読んでいるフリなどしなくてもいいのです!」
「え? だって、あたしこれ、読めてるよ」
「な! そんなわけないでしょ! 古文書ですよ。素人にそのようなものが読めるはずがありませんわ! 私でさえそんなもの読めませんわよ」
「えー、だってほら」
いうと蘭子は、手に持っている古文書をすらすらと声に出して読み始めた。
「…………」
「す、鈴ちゃん? 鈴ちゃん? 大丈夫? 蘭子もさ、ほら頭が悪いわけじゃないからさ、学校でも成績は上の方なんだよ。いやむしろテストの成績は優秀な方なんだよ。だからさ」
「いやぁー、あたしってばやれば出来る子だったんだよ。もしかしてこれって天才っていうやつなのかなぁ」
蘭子は、得意げに鈴の方に流し目を送りニンマリと笑顔を作ってみせた。
事実、蘭子の学校での成績は悪くない。しかしそれでも易々と古文書を読み上げたことには樹も驚かされた。
「絶対におかしい。そんなことはありえない! 蘭子、ちょっとそれをお貸しなさい!」
鈴が蘭子の手から古文書を取り上げるのを見て、樹は次の事態に備えた。
自分だけが古文書を読めないという現実にプライドが高い鈴が耐えられるはずがない。樹は、そっと鈴の表情を伺った。鈴の顔を見ると、やはりあの時の不敵な笑みを浮かべていた。
「あ、あの……鈴ちゃん……鈴さん?」
心に緊張を抱いた樹は、起こりうる事態に備えた。だがしかしこの時は何も起こらなかった。
「なるほどね」
フッと息を一つ吐いた鈴。どうやら落ちついているようだった。
「え? 何が?」
何が何だか分からずに樹は鈴に尋ねた。
「いえ、私達の身に起こった不思議なことが、たった今もう一つ増えた。ということが分かったのです」
「なんだよそれ」
「どうやら私達は、いつのまにか古文書が読めるようになっていたということです。樹様、樹様はどなたかに古文書の解読を教えられていましたか?」
「いや、そう言われてみれば、そんなことはなかったな……」
「やはり」
「どういうことだい? 鈴ちゃん」
「どうやら、樹様の力は随分前に目覚めていたようです。この古文書の内容が分かるのは目覚めた力のせいです。その証拠がこれです。私達は文章を解読して読んでいるのではなく、自然に内容を読み取っています」
「え? 鈴、それってどういうこと?」
「古文書を読むためには、まず書体の理解から始めねばなりません。文字が読めるようになると、音も頭に浮かんできます。その後に古い文章を現代文に変換して解読する。古文書を読み解くことはこれ程に難儀なことです。しかし、私達は今、無意識に古文を現代文として読んでいます。このようなことは訓練も無しに出来ることではありません。ですからこれは、恐らくは何らかの力によるものと推察できます」
樹は、苦もなく文書が読めていた不思議に気付かなかったことに呆れた。
そもそも小学生の樹が容易に古文書を読んでいたこと自体が異常なことだったのに。
「樹様」
「ああ、えっと、何? 鈴ちゃん」
「今回のこの事態に対処するために、実は私、今夜はここにもう一人ゲストをお招きしておりますの。その方というのは、先程からあの棚の陰で側耳を立てていらっしゃるあの方です」
いって鈴が、死角になって見えない棚の後ろに視線を向けた。
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