第23話 神薙の力①
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「こうなったら、やるしかないだろう」
蘭子は息巻き笑みを浮かべながら敵に向かっていった。
物怖じしない蘭子はまるでイベントに参加するような調子だった。だが樹は、蘭子が戦う姿を見ても、その少女から勇猛な台詞を聞いても同じ事をやれる自信が持てなかった。
目の前にいる紫色の化け物が、幼い頃に神楽殿の上で見た鬼とは似て非なる者だということを直観として理解していた。恐らくは力量も上をゆくであろう。
――出来るのだろうか、僕に……。
せめてもの救いはあの時のあの力かと思いを馳せる。樹は握る拳に力を込めた。
怖くはない。少しも怖じ気づいていない。だからといってこんな化け物とどうやったら渡り合えるのか、その手段について皆目見当もつかない。
――出来るのか、どうやれば倒せるのか……。
樹は戸惑う。その思案の数秒が大きな隙を作ることになってしまった。
敵の殺気に気が付いた時には、すでに化け物が間近まで迫り鋭い爪を振り下ろしていた。
「不味い! 間に合わない!」
その時、樹の視界に赤い影が飛び込んできた。
樹と化け物の間に割って入った赤色が、足を繰り出し化け物の腕を払う。
赤い光を残すように揺らめく影は、滑らかな体裁きを見せながら屈み込むと、伸び上がる反動のまま敵の腹に両の掌底を打ち込んで弾き飛ばした。その赤い影は瞳と髪を紅色に変えた蘭子だった。
「こら、樹。戦いの最中に考え事か! 悪い癖だぞ。こんな時にいちいち細かな事を考えていてもしょうがないだろ! 先ずは動く、そして動きながら考える!」
諭すように話す蘭子の動きは速かった。
助けてもらった礼を伝えようとしたが、蘭子は声を掛ける間もなく鈴の方へと向かってしまい、樹は開きかけた口を停めたままでその背中を見送るだけになってしまった。
現状は蘭子が三匹を相手にする形になっていた。
それでも、化け物をまとめて相手にしてもなお蘭子の動きは軽やかで、まるでダンスのステップを踏んでいるかのように見えた。
連携の中で動く化け物。敵が爪を立てて横殴りに襲い掛かると、その腕を宙に飛んで躱す。次の敵が隙なく着地を狙ってくるが、蘭子は舞い降りながら敵の顔面に蹴りを入れた。攻撃を食らった敵の顔がひしゃげる様をしっかりと見届けて地に着くと、蘭子は残る最後の敵を見ることもせず強襲してくる拳を右手一本で軽々と受け止めた。
その後も三匹は間断なく攻撃を仕掛けていくが、その動きは赤い髪をゆるやかに揺らすだけで少女の身に凶器を届かせる事は出来なかった。蘭子は三匹の攻撃のその悉くを躱していった。
「まぁまぁ早いな! でも見えないわけじゃない。そんでもって躱せないわけでもない」
フッと強めの息を吐き捨て蘭子は口角を上げた。その目には余裕の色すら浮かべている。
「す、凄い……」
鈴の元へ駆け寄る間も、樹は蘭子のその戦いぶりから目が離せないでいた。
「樹様……」
「鈴ちゃん、あの化け物の動きは目で追えているかい?」
「はい、むしろ遅いくらいかと」
「僕もそうだ。これなら倒せないまでも、なんとか封じることくらいは出来そうだ」
蘭子の動きを見て樹の声も弾む。これならば事は案外簡単に片付くかも知れない。
「鈴ちゃん、鈴ちゃん?」
この後の算段を相談しようと話しかけたのだが、鈴の様子がおかしかった。樹とは真逆の反応を見せる鈴は、軽々と敵をあしらう蘭子の様子を見てもまだ厳しい顔を崩してはいなかった。
「は、はいはい。樹様、何か?」
「どうしたんだい? 何か気になることでもあるのかい?」
「い、いえ、気になると……言うほどでもないのでしょうが……」
直ぐにいいえと答えながらも、鈴はツインテールの片方を指でクルクルと回しながらジッと何かを考えていた。
「――思ったよりこれは簡単過ぎますね。それにあれはどこから……」
独り言のように呟く鈴。
「え? あれって?」
「いえ、よろしいのです。それよりも樹様、私達も参りますよ」
「え?」
鈴も簡単に参戦を口にした。さあ参りますよ、と音頭を取られても樹には何をやればいいのかが分からない。
自身の力について考えてみても、蘭子のように炎を操れるでもなく、鈴のように刃を飛び道具として繰り出せるわけでもない。
現時点において、樹の持つ力は全くの不明である。
例えいつかのように手を光らせることが出来たとしても、その力をもって格闘が出来たとしても、恐らく敵にはダメージ一つ与えることが出来ないだろう。敵を倒せるとはとても思えなかった。
「……いくら大目に見たってあり得ないだろ」
持てる力はそれ程に脆弱なものに思えた。樹には戦える自信が全くなかった。
「さあ、樹様」
再び背中を推されるが、劣等感と忸怩たる思いを抱くことしか出来ないでいた。
笑む幼馴染みを見る。この少女は何を期待して相手に発破を掛けているのか。
樹には分からなかった。揺るぎのない鈴の目を見ても分からなかった。
向こうの方では、蘭子が奮戦を続けていた。
今は、こうして悠長に構えている場合では無い。何かやらねばならないことは分かっている。窮状を思えばもう仕方がない。
――こうなったら……。
破れかぶれに思う。せめて二人の邪魔にならないようにしよう。何とかして二人の盾くらいにはなろうと覚悟を決めた。
樹は祈るような思いで自分の両手を見つめ気合いを入れてみた。
だが、このような追い込まれた状況にあってなお、火事場で力を発現させるという幸運が樹に巡ってくることはなかった。仕方なく樹は肩を落とし落胆の息を漏らした。
「分かっております。樹様のお力はまだ不明でありますから、それは私が」
何を言っているのだろうと思いながら様子を見ていると、鈴は目を瞑りそっと両手を前に差し出した。
白光が鈴の全身を淡く包み込むと、直後に上向きに突き出したその両の掌から銀の光と共にゆっくりと太刀が現れる。
鈴は顕現させた太刀のうち短い方を自分の手に取り、長い方を樹に差し出した。
「サイズは樹様に合わせておきました。これをお使いください。しかし、樹様、私達の体は蘭子のように変化を見せておりません。どこまでやれるのか分からないので十分にお気を付けください。ではご武運を」
「あ、いや、え? ご、ご武運をって、鈴ちゃん?」
「男の子でしょ。カッコイイところをお見せくださいね」
あなたなら出来ると言って鈴が微笑んだ。
「……あ、あの」
いきなり太刀を渡され戸惑う。聞き返す間もなかった。
樹は、颯爽と飛び出す少女の背中を、またもや見送ることとなってしまった。
鈴が参戦する。その姿を追うと、鈴は敵とは離れた場所へ行きそこで岩井を狙ったあの古びた錫杖を手にした。鈴は敵の放った武器で何をしようというのか。
鈴は錫杖を引き抜きぬくと、それを手にして敵の一匹と対峙し相手に向かって話しかけた。
「お忘れ物でございますわよ」
いって鈴は愛らしく微笑み、手にしていた錫杖を敵の目の前へと放り投げた。
化け物が不意に投げつけられた物を反射的に掴んだ。その後でこれは何のつもりだというふうに疑念の表情を浮かべて首を傾げる。
「さぁ、参りますわよ!」
気合いを放ち鈴が切り込んでいく。樹は、鈴の踏み込みにどことなく甘さを感じた。どこか手加減しているようにも見える攻撃は、敵に傷を負わせるどころかその身に小太刀を届かせることさえ無い。
「――鈴ちゃん……どういうつもりなんだ?」
その後も、何度も鈴は相手に傷を与えぬように斬りかかった。
鈴の緩慢な攻めを、体を揺らすだけで躱していく化け物。
鈴の斬撃は、時には相手の身体を掠めることもあったのだが、それでも小太刀と錫杖が交わることはなかった。やがて鈴に遊ばれていることに気付いた化け物は手にしていた錫杖を放り投げて怒り出した。
「あら、捨ててしまわれるのですか? せっかく持参した武器ではありませんか、お使いにならなくてもよろしいのですか? それともそれは元々あなたのものではないのでしょうか?」
挑発された化け物は、なりふり構わず怒気を発して鈴に向かって突進した。
そんな化け物を闘牛士のような所作で横へと躱して、鈴は再度あの錫杖を拾い上げる。敵に錫杖を持たせようとする鈴の動きは執拗だった。
樹はその事の意味を測りかねた。まさか鈴までもが、この戦いをレクレーションのように愉しんでいるというのだろうか。
暫くすると、樹が首を傾げて見守る先で、鈴の動きが違う意図を見せる。次に鈴は、手にした錫杖を蘭子と戦っている二匹の元へと放り投げた。
美しく弧を描いて投げられた錫杖は、今にも襲いかかろうとしている二匹と蘭子のちょうど真ん中あたりに突き刺さった。
「おいこら! 鈴、なんだよ、危ないだろう!」
蘭子の怒る声を聞き流す鈴は、目の前の敵をいなしながら蘭子の戦いを観察していた。そのうちに蘭子と戦う化け物の一匹が、邪魔だと言わんばかりに錫杖を払いのけた。そこで鈴の唇が微かに動いたのが見えた。鈴は、いったい何を観ているのか。
少女の目の動きを追う。鈴が何かを探っていることはもう間違いないだろう。その視線は天井、床、壁と、稽古場を隈無く観察していた。
「蘭子、そろそろ遊びも終わりにしましょう。そいつらを倒しますよ!」
呼びかける鈴。考えは至った。と、そう言っているように聞こえていた。
「ああ、わかってるって!」
蘭子は心得たとばかりに自信を見せた。蘭子が跳躍を見せる。少し距離を取った蘭子は一匹に向かって右手を翳した。
――轟音を放つ右手。
少女の右手から炎が噴き出すと、狙われた化け物は途端に炎に包まれ、焼き尽くされて灰になった。
「よし! まずは一匹!」
蘭子がこちらへ振り向き拳を上げてウィンクを投げた。
そんな調子に乗る蘭子見て、鈴がふざけている場合ではないといって窘めようとした時だった。樹の耳が残った化け物の会話を捉えた。
「やれやれ、大兄者にも困ったものじゃ」
「そうさな。我ら揃って、あれほど油断してはならぬと聞かせておりましたのにのう」
二匹の化け物が顔を見合わせて言った。そのうちに、残った二匹のうちの一匹の影から、燃え尽きて灰になったはずの化け物が首を出した。
「聞いておらぬ。言うておらぬぞ、おぬし達」
「はて? そうでありましたかな?」
「そうさのう、言うておらなんだかのう」
消滅させたはずの化け物が何ごともなかったようにすぐさま復活した。紫の化け物は再び三匹に戻った。
「な、なんだこいつら! 蘭子、気を付けろ!」
化け物の異様をみて樹が慌てて忠告する。
「蘭子、一旦こちらへ戻りなさい」
静かに呼びかける声に動揺はなかった。鈴は、蘭子を手元に呼び寄せると直ぐに状況の分析に入った。
「――どうやらあれは、倒してもすぐに復活する化け物のようです。仲間の影の中から現れることからみて、三匹のうちのどれかに本体があるか、もしくは残った奴が分裂するといった感じでしょうか……」
「どうする? 鈴ちゃん」
「そうですね。……敵は復活する。各個に撃破しても元に戻るのならばまとめて始末するより他はありません。蘭子の力を用いれば化け物を滅することが出来ることは分かりましたが、それでも、一人で三匹を相手にするとなるとそれは蘭子にも骨折りでありましょう」
「ならどうするんだ? 鈴」
「手段は単純です。三つ纏めて仕留めるか、それとも復活する前に間髪を入れず全滅させるか。この場合はまとめて屠る方が手間が省けそうですね。蘭子、さっきの相手を燃やした攻撃の威力はまだ上げられますか?」
「ああ、問題ないぞ!」
全くなんていう女の子達なのだろうか。
蘭子も鈴も、初めて得体のしれない化け物を目にしたというのにまったく動じる事がない。それどころか蘭子は遊ぶように敵をあしらってなお簡単に倒してしまうし、鈴は太刀を交えながら敵の在り様を分析し、その上に敵を倒す算段まで行ってしまう。
樹は手に持たされた太刀をジッと見つめた。僕は、僕には何も出来ないのか……。
樹は、力を見せる幼馴染み達と比べてあまりに非力な己の不甲斐なさに悲嘆した。
「――樹様、樹様!」
「あ、ああ、えっと、何? 鈴ちゃん」
「私達は、急ぎあの化け物を倒さなくてはいけません」
「急ぎ?」
「はい、急ぎます。なので樹様にはこれからあの三匹をまとめて引き受けて頂きます。私の所見では、あれらの攻撃には幾つかのパターンがあります。その内の一つに列になって攻撃してくるというものがありますので、なんとかその状況を作ってください」
「え、えええーーー!」
「頼みましたよ、樹様。私達は仕留める為の態勢を作らねばなりません。ですから攻撃には参加いたしません。樹様お一人で三匹を相手にすることになります」
「……僕ひとりで」
「くれぐれも油断なさらぬようにして下さい」
「頑張れよ、樹。まぁいざとなったらさ、なんか呪文でも何でも唱えてみたらどうだ。あんなに勉強してたんだから一つくらい何かあるだろ?」
「そんな便利なもの、あるわけないだろ」
「そうなのか? あんなに文書があるならその中に一つくらいは必殺技のようなものがあるんじゃないかって思ったんだけどな、残念。でも無いなら仕方がない」
「仕方ないって……」
「樹にも相手の動きは見えているんだろ?」
「そりゃまぁ、なんとか見えているっていえば見えているけど……」
「なら、なんとかなるだろ」
「…………」
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