第24話 神薙の力②

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 樹は、蘭子と鈴に肩を叩かれて前に送り出された。

 手に渡された太刀は軽く、不思議と手に馴染んでいるようにも思えた。

 太刀を持つ姿を想像すればどこか面はゆい。それは、子供が遊びの中で「面白いからやってみなよ」と言われてはしゃいでいる感覚に近かった。童心を思う。心が少しだけ高揚していた。


 樹は映画やマンガで見た光景を思い出し、こんな感じだったかなと太刀を正眼で構えた。

 手元から切っ先を眺めると、武器の先で対峙する敵が不気味な笑みを浮かべてこちらの様子を窺っていた。


「――分かったとは言ったものの、剣術なんてやったことないぞ、どうする……」

 樹は頭の中で漫然と戦いを思い描いた。そうして再び敵の姿を見ると。

 ……視界から化け物の姿が消えていた。


「樹様!」


 鈴の声が耳に届くと同時に、横手から風を感じて咄嗟にその気配を太刀で受けた。

 敵の爪と太刀が交わり甲高い金属音を鳴らす。

 樹は強烈な力に払われて向こう側の壁まで飛ばされてしまった。

 打ち付けられた肩の痛みが樹に現実感を想起させる。ゾワリと何かが背筋を走った。

 危なかった。これはゲームではない。ゲームの敵は痛みなど与えてこない。これはまごうことなき命のやり取りである。今の攻撃をまともに食らっていたならばどうなっていたことか。


 何とか姿勢を立て直したものの、その時には壁を背にしたまま残る三方を敵に囲まれてしまっていた。

 敵は早かった。動きのことではない。その行動が素早かった。そのことが否応なしに実戦を思わせた。


 服の下に流れる汗を感じた。

 凶器の爪が鈍い光の線を残して斜めに走るのを見る。そこから先は思考の限界を超えた。殺し合いに待ったはない。考えていては間に合わなかった。

 左右から上下からと爪が空気を裂き、拳が降る。樹の目はコンマの秒の中で絶え間なく凶器を追った。

 ――上、右、左、下、下、左、上、右。

 毒蜂の羽音の如く唸る凶器。殺意を抱いた音が三途川さんずがわみぎわで幾重にも唸りを上げる。

 なまじ恐怖心がなかったからなのか、それとも幼馴染みの少女達が易々と立ち回っていた姿を見たせいなのか。 恐れることもないと軽く見てしまっていたのは結局樹の希望的観測にすぎなかった。


 樹は生まれて初めての戦いに焦燥感を抱いた。だが化け物は樹に戸惑う暇などは与えてくれない。

 敵は息をする間も与えてくれなかった。距離を取ろうとしても直ぐに詰められ次々と攻撃の手を繰り出して来た。 やがて、手数の中に大ぶりの一撃が混ざってくるようになった。樹はその攻撃から敵の享楽の意を受け取る。化け物達は愉しんでいるかのようであった。


 化け物の一手一手を目で追い、どうにか躱し、避けきれない攻撃は太刀で受けた。時に躓き、時に転ぶ。地に膝を落として片手持ちの太刀を振り回す姿はもはや情けなさを通り越して無様である。


「何やってんだ樹! がんばれ!」


 ――いやいやいや、なにやっているも何も。それに、頑張れと言われてもね……。

 お気楽な蘭子の声援に場違いを感じていた。これは体育祭でもなければ学校の武道体会でもない。樹はガクリと肩を落として深く息をついた。


「ダメだ樹! 集中しろ! ――危ない!」


 蘭子の叱責にハッと我に返る。再び意識を戦いに戻すと、真っすぐに自分の中心を貫こうとする鈍い光が見えた。


 ――不味い!

 狂気を捉えた視界の中で、自分の立ち位置と相手の間合いとを測る。どうするか。横か後ろか。思考だけを倍速にして逃げ道を探すが、見えた結論はもう間に合わないという現実だった。


 ――ダメだ!


 諦めると同時に痛みに対する恐怖に襲われて樹は目を閉じた。直ぐに衝撃が来た。

 だが、樹に与えられたものは正面から後ろの方へドンと押された重みだけで、体のどこにも痛みを感じることがなかった。

 何が起こったのかと、たじろぐ心のままに敵を探した。束の間、ふわりとした何かで鼻先を撫でられて下を向く。


「す、鈴ちゃん?」

 腕の中に鈴を抱きかかえていたことに驚く。樹は自分の顔のすぐ真下に鈴の顔を見ていた。何が起こったのかとは問うまでもない。だがその現実を認めることが出来ない。真っ白になる頭。血の気が一気に引いていった。


「鈴ーー!」

 蘭子が素早く二人の元に駆けつけてきて、二撃目をくりだそうとする化け物を払いのけた。


「鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」


 必死に呼びかけるが、鈴は色をなくした眼差しを向けたままカタカタと体を震わせるだけで答えを返さない。見てくるのは優しい瞳だった。

 動かす口からは息も漏れない。だが鈴は何かを訴えようとしていた。精一杯、樹に何かを伝えようとしていた。


「よ……か……」


 弱い音を出した桃色の口が少し動いたのと同時に喉元がゴクリと動きを見せた。次に可憐なその唇が開くと、鈴の喉の奥から鮮血が溢れ出た。


「鈴ちゃん! 鈴ちゃん! 鈴ちゃん!」

「……よ、よかった……樹様……ご、ごぶ、じ、で……」


 ゆっくりと鈴の手が上がり、そっと樹の頬を撫でる。

 樹はその鈴の手を取って強く握りしめた。


「鈴ちゃん! しっかりして! 鈴ちゃん! なんで! なんで!」


 必死に語りかけたが、鈴は目を閉じたまま微笑みを浮かべるだけで後はもう何も語ってはくれなかった。小刻みに震える鈴の華奢な体を抱きしめて、樹は深く失意の底に沈んだ。



 ――甘かったんだ僕は。あんなに鬼が危険だと話をしていたのに。命の危険があるって言っていたのは僕だったのに、結局はこんなことになってしまった。なんでだ。なんでこんなことに……。僕だ、僕がいけないんだ。僕が悪かったんだ。あの鬼を見ても大したことないと思ってしまった。二人の力を見て楽勝だと思ってしまった。二人の力に甘えてしまった。二人を守ると言っていたのにいつの間にか二人に守られる存在になっていた。それに甘んじていた。鬼の力を見くびっていた。二人の盾にすらなれず、鈴ちゃんを犠牲にして助かって……。いつもそうだ。僕はやるフリをするだけで結果としては何もしていない。無力な自分を憐れんで、そこに浸って同情を買って気持ちよくなっていただけだった。こんなの、こんなの嫌だ!



「樹! 鈴は大丈夫なのか!」


 再び三匹の相手をする蘭子が樹に向けて何かを言っている。しかしその声はどこかぼんやりとした音だけを残して樹の耳を通り過ぎていった。

 ――嫌だ! 嫌だ! こんなの嫌だ! 鈴ちゃんを、鈴ちゃんをこんなことで失うなんて絶対に嫌だ!

 心が果てしなく慚愧を繰り返す。


「樹! おい、樹!」

「力ってなんだ! 何の為の力だ! なんなんだよ!」

 もはや蘭子の声を受け付けなくなっていた。

 容赦なく打ち付ける後悔と自責の波。

 樹は鈴を膝の上で抱きしめたまま天へ向かって訴えた。


「――力を、僕に力を、何でもいい、誰でもいい、僕はどうなってもいいから僕に、僕に力を……」


 抱きかかえた鈴の頬に自分の頬を寄せて樹の口が願う。

 助けてほしい。力が欲しいという言葉を呪文のように繰り返す。

 しかし、いくら願っても、いくら祈っても樹は何の力も発現させることは出来なかった。


「――ダメ、なの、か……僕は……また……」


 失意が樹を押しつぶそうとしてくる。腕の中にある鈴の息が、細く、細く、途切れ途切れになっていく。


「鈴ちゃん、鈴ちゃん。鈴ちゃん鈴ちゃん鈴ちゃん……。死なないで鈴ちゃん、お願いだから、お願いだから。誰か、誰か、誰か、鈴ちゃんを助けて……」



 悲傷する心が、己へ向けた嫌悪と無力を抱いて暗く深い闇の中に落ちようとしていた。だがその様なとき、挫ける樹の心に直接響く声があった。


『――樹様、先程から黙って聞いておれば、何をウジウジとなさっておられるのですか!』


 気配を感じて顔を上げると鈴を抱きしめる樹の目の前に銀の瞳と銀の髪を持つ少女が立っていた。


「す、鈴ちゃん?」


『もう分かっておいででしょう樹様。ご自分のお力がどのようなものであるのか』


「分からないよ……。分からないんだよ鈴ちゃん、僕には――」


『あら? それでは樹様は何だか分からない力に頼って私を救おうとなさっておられたのですか?』


「……」


『自分の力なら私を救えると思いになられて、その力の発現を願ったのでありましょう』


「僕の……力……」


『そうです。陰陽五行においての木性の力です』


「木性の……」


『力は己の内にあるものです。他の誰かに頼ってどうしますか』


「……」


『ほら、早くしないと私、死んでしまいますわよ』


 白雉鈴に似た銀の髪の少女が、可憐を振りまきながら困った顔をしてみせる。

 そんな無邪気を見せる少女に苦笑を誘われて下を向いた。


 フッと捨てるように息を吐き樹は自身の内側を探った。

 確たる根拠はまだ持てていない。

 しかしそれがどうしたというのだ。これは頭で考えて行うことではない。感じることが重要なのだ。

 樹は、光り輝く緑の園を見ていた。幻ではない。

 そよぐ風に吹かれ、晴明の下で芽吹く生命……。

 ――ようやく気付く事が出来た。

 淡く輝くそれは自身の中に確かにある。


『もうお分かりですわね。では、お願いいたしますわ、樹様』


 銀の少女が笑みを残して樹の前から消えた。


「鈴ちゃん……そうだったね。この期に及んでもまだ僕は……。また他力本願で……笑っちゃうよね……」


 気力を取り戻す。

 心を縛る枷のようなものが外れた。

 固い殻をゆっくりゆっくりとこじ開けていく。その変化は、例えるならば羽化に近い感覚であろうか。


 誰かに与えてもらうのではない。自分が助けるのだ。

 本気で命を投げ出す覚悟があるのならば出来る。出し惜しみはなしだ。今ここで、この命を鈴の為に燃やし尽くせばいい。全てを賭してでもやる。やってみせる。


「来い! 僕の力! 今この時だ! ここで目覚めろ!!」


 強い思いを込めて己の内に呼びかけると何かがフワリと応じてきた。

 ――見つけたぞ。

 芽生えた力が樹の意思に呼応する。

 気勢が全身の血管を走った。

 力が身体の隅々にまで浸透していくと、鼓動は速さを増し、感覚は研ぎ澄まされていった。秘めた力が次第に熱を帯びていき強い意志のようなものを見せ始める。その力が内側から殻を壊そうと暴れ始めた。

 樹は目覚めた力へ自身を重ねていった。

 指先を、足先を、視覚、聴覚、知覚を。

 力と五感の全てがピタリと重なり合わさったとき、樹は己の中で何かが砕け散る音を聞いた。


 空気が震えた。


「な、なんだ! ――樹の、瞳の、髪の色が……」


 驚く声を聞く。蘭子が食い入るようにしてこちらを見つめていた。化け物は訝しんで動きを止めていた。

 鈴を抱く樹は緑色りょくしょくの光の中にいた。その光が自分の身体から発せられていることは確認するまでもない。息吹を感じる樹は自信を深めた。


「凄い。全身から噴き出すように……それにこれは、なんて美しいエメラルドの光」


 蘭子の声は歓喜に震えていた。


 樹は、緑の輝きの中でそっと目を瞑り魂に刻まれていた言の葉を紡いだ。


「五行木性は命の芽吹き。生命の誕生を誘い、生命の成長を促す。我は木性を司る者。我、東の守護者青龍の力を以て陽の気を春雷に転じ、春雷を春風に転じて木行と成す! 来たれっ!」


 魂の奥から湧いて出る。力の胎動を感じると、鈴を抱きかかえる樹の周囲に緑に輝く光の草木が芽吹き始めた。

 瞬く間に生い茂ったその草木が鈴の体を柔らかく包み込んでいく。

 優しい緑の光の中で少女が目を覚ます。鈴がゆっくりと瞼を持ち上げた。


「――樹様?」

「鈴ちゃん、ごめんね。僕が不甲斐ないばかりに痛い思いをさせちゃったね」

「いえ、そのようなこと……」

「それにありがとう鈴ちゃん、鈴ちゃんのおかげで僕は自分の力と向き合うことができた」

「……?」

「鈴ちゃんが言ってくれたから、気付く事が出来たんだ。ありがとう、君はほんとうに凄い子だ」


 目覚めた鈴が少し首をかしげる。鈴には何のことだか理解出来ていないようだった。

 見つめ合う樹と鈴。微笑みかけると、鈴が頬に紅を浮かべてはにかむ。腕に抱かれる鈴はいつになくしおらしい。樹は幼馴染みに新たな一面を見つけた。

 そんな鈴の幸福に満ちた顔を見て樹は愁眉を開いた。



「もう大丈夫だからね」

「はい、樹様。樹様はこのような温かいお力を秘めていらしたのですね」

「僕にもまだ自分の力がどのようなものなのか分かっていないんだ。でも今はこれでいい。鈴ちゃんを失わずに済んだのだから今はこれで十分さ」


 気恥ずかしい持ちを隠しながら言うと、鈴の手が樹の頬を優しく撫でた。今度はそこに温もりがあった。


「樹様、ありがとうございました」

 しんみりと言って瞳を潤ませる鈴。樹は、うん、と頷きをかえした。

 鈴が、樹の瞳の奥をまじまじと見つめる。

 ――その後。

 鈴は、そっと唇を差し出して瞼を閉じた。


「え!? え、え、あの、あの、その、えっと……」

「樹様……鈴は、まだ……息が苦しくて……どうか……どうか……私の口を吸って下さいまし……」


 かすかに開いた鈴の唇から甘い吐息がもれる。


「え、え、あの、あの」


 戸惑うが、何か抵抗の出来ない力によって鈴の方へと引き寄せられていく自分を止めることができなかった。


「――痛いっ!」


 あわや、樹と鈴の唇が重なろうとしたその時、鈴の頭に拳骨げんこつが落ちた。

 見上げるといつの間にか蘭子が傍で仁王立ちを見せていた。


「まったく! 化け物との戦いをあたし一人に押し付けてイイ感じになってんじゃねえよ鈴!」

「い、痛いではありませんか! 私、今しがたまで死にかけておりましたのよ!」

「でも、生きてんだろ! それだけのことが出来りゃもう大丈夫だ! それに樹! お前も簡単に雰囲気に流されているんじゃないよ! まったくもう!」

「……」

 

 気付かされて顔が火照った。思い返しても恥ずかしい。流されたとは言うものの、あれはどうにも抗いきれるものではなかった。恐るべし、白雉鈴。

 首を振って、脳裏に残る薄桃色の唇の画像を消去しようとした。樹の目が再び化け物を捉えた。ここは戦場だ。悠長に考えごとをしている場合ではなかった。

 蘭子の背中に向かって三匹の化け物が襲い掛かるのを見て樹は叫んだ。


「蘭子! 後ろ!」

「あん? 後ろ? ったく、あたしはね、今、すごく怒ってるんだぞ! 邪魔をすんなーー!」


 振り向き様に、蹴りと拳を繰り出す。蘭子は三匹を圧倒して弾き飛ばした。


「フン!」


「――さ、さて、樹様。そろそろ仕上げといたしましょうか」


 蘭子の怒る様子を見て、少しやり過ぎましたわと笑った鈴は、仕切り直すように表情を変えて立ち上がった。


「す、鈴ちゃん、大丈夫なの? 傷は――」

「おかげさまで」

 愛らしく微笑む鈴。樹は案じていた。目覚めた能力により傷を癒やしたことは分かっていたのだが、それでもつい先程まで鈴は瀕死だったのだ。


「鈴ちゃん、無理はダメだ。後は僕と蘭子で……って、鈴ちゃん?」

 話の途中で少女の視線が動いた。顔の向きはそのままに、鈴の目がチラリと瞬間を捉えて戻る。動いた視線の先には敵と対峙する蘭子がいた。樹は首を傾げた。鈴はいったい何を確かめたのだろうか。



「フッ」

 鈴が目を細めて不敵に笑った。また、悪い顔をしている。


「――え?」


「ウフッ。心配ご無用ですわ樹様。さすがは樹様の術でございます。私はもうこのようにピンピンとしております。そして鈴の傷は……。鈴の胸の傷は……この通り、跡形もなくキレイになりましたわ」


 いって顔を赤らめ恥じらいを見せて俯いた鈴が、次の瞬間、両手で勢いよく衣服をバンとはだけさせた。

 鈴は樹の目の前に惜しげもなく裸を晒した。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」

「――痛いっ!」


 この日二回目の拳骨が鈴の頭に落ちた。


「い、痛いではないですか! 蘭子!」

「嫁入り前の娘がなにやってんだ!」

「いいじゃないですか! どうせ将来、樹様にはお見せすることになるのですから、それがちょっとだけ早く――」

「痛いっ!」


 この日三回目の拳骨が鈴の頭に落ちた。


「あ、あの……」

「なんだよ! 樹!」

「なんですの! 樹様!」

「い、いや、あいつらを何とかしなくてもいいのかなぁって……」

「ふん! なんだか私、もう面倒になってきましたわ、直ぐにでも片付けてしまいましょう!」

「そうだな鈴、あんな奴らに構っていたら喧嘩も出来ない。とっとと始末してしまおう!」

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