第25話 神薙の力③

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 樹は、再び三匹の化け物の前に立った。

 荒ぶる爪が波状に踊り樹を引き裂こうとするが及ばない。力に目覚めた樹の目は敵の動きを緩やかな映像として見ていた。

 見たものに対してありのままに反応する樹は、苦もなく敵の攻撃を躱していった。

 それでも樹は攻撃を避けることには一定の慣れを見せたものの、こちらから攻めるとなると未だどこかぎこちなく、太刀に振り回されているといった感が否めない。大きく振りかぶって叩きつける樹の攻撃は全て空振りに終わる。無骨な様は敵から失笑されるほど無様だった。


 ――考えるな。

 樹は思考を無駄として止めた。思索が先行すればどうしても体捌きに制約を受けて動きが鈍るからだ。


 ――イメージだ。

 大きく息を吸って太刀を構え直す。樹は戦闘の流れに乗ることだけに意識を集中させた。これは刀剣を用いての戦いである。ならば覚えがあるではないか。樹は身体に染みついている剣舞を思い出す。体を操ることにおいては雅楽の調べに身を委ねているときの状態をイメージとした。

 思考は空になる。

 そこにあるのは敵対する者を消し去るという瞭然とした意識のみであった。

 スッと太刀が振れた。途端に手足の動きが変わったことを自覚した。

 大振りであった太刀捌きから無駄な間が無くなり、その足運びは軽快なステップを踏むようにして三匹の間をすり抜けた。

 ――これは。

 勘を掴むという感覚が我が身に落ちる。

 樹は三匹の化け物を相手にして歌舞を舞った。

 打ち合う度に速さを増していく樹に焦れて三匹の化け物が血眼になった。どんどん激しさを増していく化け物の手数。その止まぬ攻撃の中で一匹が気勢を放ち唯一渾身であろう一撃を繰り出してきた。

 その攻撃は鋭かった。しかし樹の生存を脅かそうとするその一撃が命を絶とうと迫った時、樹は更に加速を見せる。

 半身になり皮一枚で避けた樹のたいは素早く敵の周囲を廻った。その直後、敵の身体をすり抜けた樹は、離れ際に敵の腹に翡翠色の一閃を与える。

 確かな手応えを太刀に感じた。

 最上の一撃を避けられてしまった化け物は自身に何が起こったのか理解することも出来ず、ただ空ぶった腕をだらりと下げて、瞬きを繰り返していた。

 その化け物の背後で身を翻した樹がフウッと息を吐く。

 呆然としていた化け物の体が滑るように上半身と下半身をずらしていく。その後、断絶されたその半身は互いに離れたところで黒い霧となって消滅した。


「今のは、僕がやったのか?」


 夢中になって倒した敵の消えゆく様を見ていてなお、樹には自分の行った神憑り的な斬撃を頭で理解するに至っていなかった。

 慌てて我に返って残っている敵を見たが、樹を警戒して簡単には動くことが出来ないようだった。

 心が躍った。その調子のままで蘭子と鈴の様子を見ると……。

 何故だか蘭子は上を向き呆れていて、鈴は苦笑いを浮かべていた。


「あれ? ここは褒めてくれるところじゃないの?」


 こんなに頑張ったのに、少しは期待に応えられたのではないのかと思ったのに、幼馴染みの少女達はそうでもない顔つきで樹を見ていた。


「なんだよ、やっとうまく出来たと思ったのに……」

 樹はガクリと肩を落とした。

 そんな樹に蘭子の厳しい声が届く。


「こら樹! 一匹だけだと、また元にもどっちゃうだろ! 全くもう」

「……あ! そうだった」

「仕方ありませんわ、樹様。それでも最後の残像を描くような華麗な動き、あれは良かったと思いますわ」

 なんとかフォローしようとする鈴。


「仕方ない。それでも。ね……」

 樹はただ力なく笑う事しかできなかった。


「樹、また三匹に戻ったぞ、気を付けろ!」


 蘭子の指摘が、樹を気遣う言葉ではなく無様を見せるなという意味だとすぐに分かった。樹は当初の鈴の指示を思い出して再び太刀を構えた。


「樹様、急ぎますわよ! 今度こそお願いします」

「鈴ちゃん? 急ぐってなにを」


 刀を突きつけ敵をけん制しながら樹は背中の方へ尋ねた。


「私達が戦っている相手は本命ではございません。むしろ雑魚です!」

「えええーーー!」

「マジか! 鈴!」


 樹と蘭子の大きな声が同時に響いた。


「確証はありません。ありませんが本命が隠れている可能性があります。ですからここは早めに切り上げてしまいましょう」

「ほ、本命?」

「はい。私には、どうにもあの錫杖が気にかかるのです」


 鈴の口から錫杖という言葉を聞いて思い出す。言われてみればあの行動は不可解だった。少し前のこと、鈴は化け物と戦いながら手を抜くようにしていた。

 樹は殺し合いの中で見せた鈴の行動の意味を考えた。


 ――どういうことだ? 鈴ちゃんは何を捉えているんだ?


 樹は試した。太刀を振り下ろすと化け物は爪で攻撃を跳ねのけた。次の化け物も、その次の化け物も同じように行動した。

 そうか……。もしかしてそういうことなのか。

 敵は爪以外の武器を取ろうとはしない。それならばあの錫杖は、この化け物の武器ではないということか。それに、頑なまでに己が爪で戦いを挑んでくるこの敵が、機先を制する為とはいえあのような行為をするとも思えない。

 事態をよく考えてみれば一連のことに対してどことなく違和感がある。

 しかしそれはごく些細な事であった。そもそもこの敵が投げたと言えばそれまでであり、投げつけられた錫杖のことなど深く気に留める必要もないことだ。それでも鈴はそこに疑問を感じて、戦闘中にその事を試していた。


 鈴の方にチラリと目をやると、鈴が小さく頷いたのが見えた。

 了解の意を込めて頷く。樹はギアを上げて前へ出た。

 三匹を軽くいなし、打ち据えながら徐々に壁際へと追い込んでいく樹。

 追い込まれた三匹はそこで連続攻撃を仕掛けようとして直線的な隊列を作った。

 その直後、樹は背後に鈴の気勢が上がるのを感じた。

 樹の頭の上を三本の白銀の槍が飛び越えると、それが狙い通りと言わぬばかりに化け物を脳天から貫いた。鈴は、三匹を直列状態で床に磔にした。


「今です! 蘭子! 樹様は横へ飛んで!」


 鈴の指示を聞いた蘭子は、樹が飛んだのを確認すると敵に向かって手を翳した。


「おおおおお!」


 獣のような蘭子の雄叫びが稽古場に響き渡った。

 次の瞬間、轟音と爆風が樹のすぐ横を抜ける。

 串刺しにされた化け物は劫火の中で蒸発するようにして消滅し、蘭子の出した炎はその勢いのままに稽古場の壁を吹き飛ばした。



「……あらら」

「お、おい! 蘭子! いくらなんでもこれはやりすぎだろ!」


 眩暈を覚えた鈴が額に手を当て天を仰ぐ。樹は堪らず叱責の声を上げた。


「ごめん、ごめん、加減が分かんなくて」

「……出鱈目だ、こんなの」


 稽古場に開けられた大きな穴を見ながら樹は呟くように言葉を漏らした。



「それにしても、樹がヒーラーだったとはなぁ。意外というか何というか」

「あら、蘭子。べつに樹様の力が治癒と回復だけと決まったわけではございませんわよ。それに、仮に樹様が回復役だとしても私の命を救ったあの力は驚異的です」

「うーん、まぁそうだなよなぁ。あれは確かに凄いよな。あれであたし達はほぼ無敵ってことになるもんな。なんせ死ななくなるんだから」

「生き返るわけではありませんよ蘭子。死んだら終わりです」

「あ、ああ、そうだよな。鈴も死んでいたわけじゃないもんな」

「無茶をしてはいけませんよ、蘭子」

「あ、あはははは、わかってるって」



 化け物の退治を終えてどこか気が緩んだのか、蘭子と鈴はいつもの調子に戻って樹の力についてあれやこれやと話に花を咲かせた。

 二人の会話の中に出てきた「ヒーラー」という言葉は、治療する人とか医者とかいう意味であるが、蘭子が口にしたその言葉の意味はRPGやファンタジーにおいての回復役や癒やしを与える役目のことを指しているのだろう。

 まさか自分の力が、そのヒーラー的なものだったとは思いもしなかった。欲を言えばもう少し派手目の力の方がカッコイイとは思うのだが、それでももう自分は無力ではない、これはこれで大いに役に立つじゃないかと思えば、そこに誇らしさも感じることが出来た。


「――さてと、そんなことより」


 蘭子と鈴は、肩の力を抜いてすっかり話に夢中になっているようだったが、自分達にはもう一つ片づけねばならない問題があったはずである。その事を樹は鈴に尋ねた。


「鈴ちゃん」

「あ、はい、樹様、何でございましょうか?」

「ほら、さっきの戦いの最中に鈴ちゃんが言っていたことなんだけど、本命がどうのと……」

「ああ、そうでございましたね。蘭子、どうですか? 近くに何か危険な気配を感じますでしょうか?」

「え? いや、別に何も感じないけど?」

「そうですか。樹様、私も化け物退治の後にすぐ警戒して見ておりましたが、あれから特に何も感じておりませんので、それはもう大丈夫ではないかと」


 蘭子と鈴の話を聞いても、何故か樹の心はまだざわついていた。本当にこれで終わったのだろうか。

 蘭子と鈴はもう完全に警戒を解いている。見れば蘭子の瞳と髪の色も元に戻っていた。


「樹様、樹様!」

「あ、えっと、何? 鈴ちゃん」

「まだ何か心配事でも?」

「……う、うん。よく分からないのだけれど、あの三匹が現れた時に感じたザラリとした肌の感触が今も未だ残っているというか……」

「……樹様」


 樹の言葉を聞いて、鈴の顔に緊張が戻った。


「どうしたんだ? 二人とも」

「蘭子、樹様がまだ何か感じておられるようです」

「そうなのか? 樹」

 樹は黙って頷きを返した。


「化け物の気配は何も感じないけど?」


 勘の良い蘭子が首を傾げる様子を見ると自分の思い過ごしではないのかとも思えるのだが、樹にはどうしてもほんの少しだけ心に残る不安感が拭えない。


「――なんだろうこの感じは。この感じは……待てよ! この感じは少し前にもどこかで」

 樹は、その肌が粟立つような悍ましい気配をどこで感じたものだったのかを思い出そうとした。どこだったか。いつのことであったか。


「……樹様?」

 考え込む樹の顔を鈴が心配そうにのぞき込んだ。


「分かったぞ! あの時だ!」

 樹がその時のことを思い出したとき、参道の方で風船が破裂するような乾いた音が鳴り響いた。


「なんだ!? お、おい樹」

「これは……じゅ、銃声? でございましょうか」

「鈴ちゃん、蘭子、行こう!」


 樹、蘭子、鈴の三人は、急いで銃声が鳴った参道へと向かった。

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