第70話 終幕 氷華の舞
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――氷狼神社に祭りが来た。
氷狼神社の本宮のこの日、少年と幼い少女は枯れた桃の木の後ろに隠れるようにして神楽殿を見ていた。
しかし、息を潜めて隠れる必要など無い。二人の存在は誰にも知られる事はない。何故なら二人は社の主の計らいにより隠されていたのだから。
――みなまで言うこともあるまい。二人にも思うところがあるのだろう。
社の大気となり二人を優しく包み込んでいる加茂八郎宗重は、その少年と少女をそっと見守ることにした。
神楽殿を囲うように置かれた篝火。
立ち上る炎はいつもと変わらず厳かに舞台を照らしていた。
氷華祭りは春の訪れを告げる祭りであるが、春を象徴する桃の木は全ての花弁を散らせていた。名物の桃花は枯れ木の如く振る舞うしかなかった。
予定通りに祭りは開催された。花々の喪失が、どことなく物悲しさを醸し出してはいたが、あの激戦のことを思えばそれも仕方のない事だろう。
それでも祭りは賑わいを見せていた。神楽殿の舞台の上で美しい三人の巫女が見事な歌舞を舞い祭りに華やぎを添えていたから。
「三人とも気丈にやっているようじゃな」
「……そうですね。みんな綺麗だ」
「それにしてもこれはどういうことじゃ? 氷華の舞は確か一人、もしくは二人で舞うのではなかったのか? 三人とは」
「いいんですよ、神楽舞なんてどうでも。あれは舞の型を伝えることに意味があるだけで、誰も本当の型なんて知らないんだから」
少年が、三人の巫女の舞を食い入るように見つめながら嬉しそうに答えた。
「氷華の舞、なんともいい加減なものなのじゃな。いったい何なのだ、あの舞は。元々は八郎が伝えたのは桃花の剣技が基となった桃花の舞であろう? いつから氷華の舞なんてものがあるのじゃ?」
「水音さん、それは犬童澪に聞いてみたらどうですか?」
「犬童澪に?」
「そう、犬童澪にね。だって氷華の舞の基礎は、犬童澪が想いを寄せる桃花の剣技を見まねて編み出したものなのだら。言わばあの舞は、氷華の巫女の為の剣技なのだから」
「ほう、氷華の舞とはそのようなものじゃったのか……」
「水音さんは、子供の頃に誰にも教えられることなく氷華を舞ったって聞いたよ」
「ああ、確かにそうであった」
「それはその時、水音さんの中にある澪の想いが表層に現れたせいだと思うんだ」
「想いのう……」
「水音さん?」
「なんじゃ?」
「氷華の舞には剣技伝承の他に実はもう一つ意味があるのを知っていますか?」
「もう一つ?」
「思い浮かびませんか?」
「……さてのう」
幼い少女は顎にちょんと手を当てて小難しい顔をした。
「氷華の舞は、実は恋の舞なんですよ。水音さん」
「恋の舞?」
「そう、犬童澪が桃花に想いを寄せて、思いを伝えたくて舞った舞でもあるんです」
聞いて少女は言葉を無くしてしまった。
「――そうか恋の舞……しかし、なんだか哀れなものじゃな。犬童澪、結局その想いも伝えられずに捕らわれて……」
「そうですね。でもその強い思いが後々に桃花を引き寄せることになった。その思いを受けることで桃花は澪を見つけ出すことが出来たんですよ。そして、澪を見つけ出した桃花は、自ら舞を作ってその想いに応えた。そこから氷華の舞は対の舞になり、想いを伝え合うその舞は舞手に終わりを告げさせないものとなった。まぁ神楽の歌舞は永遠に続けるわけにはいかないから終わるんですけどね」
「なるほどのう、氷華の舞とは、そのようなものであったのか……」
「氷華の舞は想いを伝える舞。舞えば相手に想いを伝えてくれる。そしてこの舞がある限り僕らの心は繋がったままだ。たとえ敵となっていても必ず最後に想いは伝えられる」
「そうじゃな」
「さて、舞台上の舞も佳境だ。そろそろサプライズをといったところかな?」
「サプライズ?」
「はい。せっかくなので彼女たちに贈り物を、と思って。手伝ってくれませんか? 水音さん」
「それはよいが、いったい何を?」
「一緒に、ここで氷華を舞いましょう」
少年は一度周囲を見まわしてから少女に微笑みかけた。
少女は首を傾げる。その後、少女の眼は少年の視線が動いた先を追うようにして辺りを見回した。そこで気付く。そこに傷つき枯れた桃の木々があったことに。
「――ふ、なるほどな」
いって少女は微笑みを返した。
――少年と少女は闇夜に舞を舞った。
水と氷の巫女が氷華を舞う。小さな身体に想いを乗せて舞うその姿は可憐でもあり儚げでもあった。
その少女の舞に応えるようにして桃花の神薙も華麗な舞を見せた。優美で優しい舞であった。
二人の舞が氷狼神社に春を
どこからか柔らかな春の風が吹きはじめる。
春風が暖かく社を包み込み、巫女達の舞う舞台に香しい春の香りを届けた。
舞台の上から巫女達の驚きの声が聞こえてきた。
「なんだこれ!」
「これは、これはどういうことでございましょうか」
「凄い、枯れていた桃の木が一斉に花を咲かせていく……」
巫女達の驚く声を背中に聞き、少年と少女は満足そうに笑みを湛え静かに社を後にした。
街の片隅に、その社はあった。
小高い山の中腹で頭上に大岩を祀り、眼下に海を臨む本殿は、下の拝殿から数十段の石段を登ったところにある。その拝殿へも麓の髄神門から山道を少々登って来なければならない。この社、春には満開の桃の花に包まれた神楽殿で、それは見事な歌舞が披露される。社の名は氷狼神社、歌舞の名を氷華の舞といった。
今年もまた氷狼神社に春が訪れた。
―― 完 ――
氷華の舞 楠 冬野 @Toya-Kusunoki
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