第49話 忠犬シロ

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 見つめる先で事態が動いた。ゆっくりとした足取りで桃花らは戦場に足を踏み入れた。彼らもどうやら落ち着いているようだ。これならば、と一先ず安心をする。ここで皐月さつきは主、犬童いんどうれいの言い付けを思い返す。


 ――指示があるまでは動くな。ギリギリまで近づいて潜め。肝要とするは桃花の時渡りであり、桃花に潜む鬼の封印である。


 皐月は来るべき時に備え神経を研ぎ澄まし戦況を伺った。

 戦闘が始まると桃花と巫女達は神格の鬼を圧倒する程の力を見せた。そこで皐月は再び胸を撫で下ろす。流石は伝説を継ぐ者達である。心配など杞憂であった。これならば自分の出る幕など無い。だがしかし、戦況は朱鬼の変化によって一変する。

 この時、皐月は主が自分に向けた言葉の続きを思い出した。


 ――朱鬼を倒す必要はない。無理をせず命を厭え。現在の朱鬼はあくまで加茂玄眞に憑依している存在に過ぎない。今回は朱鬼を引かせる事さえ出来ればよい。倒せたとしてもどうせ滅ぼすことが出来るのは玄眞の肉体のみである。


 皐月は真の姿を現した朱鬼を見て背筋を凍らせた。


「……あれが、神格の鬼の真の姿」


 直ぐに主の言葉の意味を理解した。冷や汗が頬を伝った。今、目の当たりにしている戦いは己の力では如何ともしがたいレベルであると悟った。

 桃花達を圧倒する朱鬼の力は、上狛水音を加えた五神官が総掛かりでもどうにもならぬものではないのか。

 


 ――くっ、このままでは!

 澪の指示を待つ皐月は焦りを募らせた。目の前では桃花と巫女達が追い詰められていた。如何に五行の神薙とはいえ、劣勢のこのままでは命が危うい。

 ここで今、自分一人が出ていっても犬死にしてしまうところが関の山であろう。皐月とて役立たずの自覚はあった。それでも、己の命を投げ出しても桃花を救わなければならない。強く歯噛みして眉根を寄せる皐月は澪の指示を待って焦れた。

 そうするうちに巫女達は磔にされ、桃花が弄られ始めた。皐月の中に更なる焦燥が湧きおこる。澪からはまだ何の指示も降りてこない。迷う。


「ええい! ままよ! こんなところで桃花を失うわけにはいかない!」


 痺れを切らして戦場へ飛び出そうとしたが直後、その足を止める声が掛かる。


『まぁ待て、上狛の者よ』


 頭の中に届いたそれは覚えのある声であった。


「そ、そのお声は……次郎様!」


 皐月は本殿奥の風穴で犬童澪の呼びかけによって目覚めた神獣、大口おおくち次郎左衛門じろうざえもん景雪かげゆきを思い出した。


『如何にも。さて上狛の者、ここは我と蒼帝そうていに任すが良かろう。お前が出ていったところで今の実力では朱鬼には敵わぬ。それにお前にはこの先にまだやることがあるのであろう』


 気配を辿ると、一匹の犬が戦場へ向け駆けていくのが見えた。その犬が咥えているものを見ると。


 ――あれが蒼帝か。桃花の神器にして、氷狼神社に伝わる宝刀、蒼帝そうてい大太刀おおたち……しかし、それにしても……。


 一見すると、それは貧相な代物でとても伝説の神器には見えなかった。

 桃花も自分と同じことを思ったのだろう。その様子を見ると桃花も飼い犬が掛けてくるのを見て、声を聞いて瞬きを繰り返している。飼い犬が神獣であることなど思いもかけぬことであっただろう。そもそも神獣の存在自体を知っているのかどうかも怪しい。


 満身を痛めつけられ、地に伏せる桃花の目は虚ろで、まるで夢でも見ているかのように現実感を失わせている。それはそうだ。いくら事態が急を要していたとはいえ、何の事情も知らずにこの様な事態に巻き込まれているのだ。きっと、何が何だか分からないと言った具合であろう。

 皐月でさえ、今宵ここで起こりうる出来事を漠然としか理解できていないのだ。その身に置かれる深い事情など桃花に分かるはずもない。


 しかしそのような事よりも重大なことが目の前で起こりつつあることに皐月は気付く。

 次郎は言った。「お前には役目があるのだろう」と

 皐月は、課せられた最たる使命を思い出す。それは「桃花の時渡り」への支援とその後に桃花の中からいずるであろう鬼の封印。

 その事象の鍵が蒼帝であった。時渡りの鍵が蒼帝であることを承知しているのか分からないが、次郎は今、その時渡りの切欠を桃花にもたらせようとしている。

 いよいよと時局が迫ってきた。ここからが本番であり、もう目を離すことなどは出来ない。皐月は口を固く結びジッとして息を殺した。


 加勢が現れたことにより戦況は膠着状態に入った。神獣により一刻の時を与えられた桃花達はその治癒能力により既に回復を見せていた。

 戦況の好転。相克というものを考えれば水と氷の属性を持つ神獣を戦列に加えた味方にやや分があるように思う。桃花の戦場の直ぐ近くまで寄っていた皐月は、落ち着きを取り戻し再びその場所で目を凝らした。


「樹様、なんでシロが!」

 鈴が朱鬼に向けて銀の刃を放ちながら尋ねる。


「そんなこと聞かれても分からないよ」

 樹は太刀を振りまわしながら鈴の言葉を横に聞いて答えた。


「おい、樹! それって神楽の小道具の太刀だろ? そんなもんどっから持ってきたんだ?」

 蘭子が炎の拳を繰り出し朱鬼と渡り合いながら言った。


「どっからって、これもシロが持ってきたんだよ。訳が知りたいのはこっちの方だよ」


 朱鬼を囲って三人と一匹が連携をみせる。攻撃が息をつく間もなく次々と繰り出されていた。飼い犬が右へ左へとステップを踏み朱鬼を攪乱した。神薙達に劣らぬというよりは三人をリードするように動いている。


「へぇ、シロがねぇ……」


 朱鬼をものともしない飼い犬に感心して蘭子は立ち止まってしまった。


「危ない! 蘭子!」


 鈴が危機を告げる。鈴の声を聞くやいなや、飼い犬が咄嗟に駆け寄って蘭子を付き押す。朱鬼の間に割って入った次郎は、蘭子に向かって放たれた朱鬼の炎弾を口から吐いた吹雪で相殺した。


「ああ、ごめん、シロ、助かったよ……ってシロ? 今、何か吐いたよね?」

「――戦いの最中に気を散じるとは。まったく仕方のない! 赤の巫女よ、もそっとしっかりとせよ!」

「あ、ああ、ごめんよシロ……って、えええええ! え、ええええええ! 犬が喋った!」

「我は犬ではない! 狼ぞ!」

「あ、はい、ごめんなさい」


 蘭子は何故か改まってお辞儀をして謝罪をする。


「分かればよい! さぁ気を抜くな。参るぞ!」


 次郎はフンと荒い息を一つ吐いて再び朱鬼へと向かった。


「樹様!」


 全体を眺めつつ朱鬼への攻撃を繰り返していた鈴が樹に声を掛ける。

 樹は相変わらず、小道具の太刀を抜かずに振り回して朱鬼へと打ち付けていた。


「不思議な力を発揮するシロが加勢に来てくれました。そのシロが持ってきたというのならばその太刀にも何か意味があるのでしょう。それは一体?」

「ああ、これね、なにかあるとは思うんだけどね。実はよく分からないんだ」

「分からないって、樹様……」

「いや、力は感じるんだけどね。なんかこう、ワァーってくるような……」

「――力……。やはりそうでございますか。しかしながら樹様」

「ん? なんだい鈴ちゃん」

「何故に、刀を抜かないのですか?」


 器用に連携して攻撃を仕掛けながら樹と鈴の会話は続く。


「ああ、これ?」

「はい、それです」

「えっと……これね、これは……」

「はい」

「実は抜けないんだこの刀」

「はあああ?」

「あ、でも大丈夫だ。なんか手応えはあるし」

「……」


 次郎の参戦により桃花達は余裕を見せていた。

 そんな拍子抜けするような会話を耳にして皐月は首を傾げた。

 そんな馬鹿な事があるものか。あれは桃花の神器だ。加茂樹も真に桃花であるならば、その彼に神器が応えぬわけがないではないか。これは、いったいどうしたことか……。


 不思議を思う皐月の視線の先で戦況が次の動きを見せた。


「――うぬぬぬ。小賢しい奴らじゃ! たかが犬一匹出てきたくらいでこうも煩わしくなるとはの」


 朱鬼が焦れて三人と一匹を睨みつけた。


「こうも煩くては敵わん。そこの犬は直々にやらねばならぬとして、小うるさいガキどもを少し黙らせねばの」


 言うと懐から大数珠を取り出した。朱鬼がその数珠に念を込める。するとたちまちに手にした数珠から邪気が迸った。


「くっ、あのようなものまで持ち込んでおったか」


 次郎が苦虫を噛み潰すと鈴が尋ねる。


「シロ、あのようなものとは何でございますの?」

「あれは勾陳こうちんたま……。鬼を呼ぶ呪具だ」

「……鬼を呼ぶ、呪具」


 鈴の顔に影が差す。愁いを帯びた鈴の瞳が次郎に不安を伝えていた。

 直後、取り巻く周囲の木々が騒ぐと、あちこちから鬼気が立ち上った。


「い、樹!」


 蘭子の驚きの声を聞いて樹は頷くが視線は別の方を見ている。

 樹の視線の先を見るとそこに一つ、また一つと影が蠢く。影の手が木の幹を掴むと次に幹から顔を覗かせるようにして頭が突き出した。


「こ、こいつらは!」

「なんで! こいつらはさっき倒した……」

「樹様、蘭子、違う! こいつらはさっきの奴とは違いますわ! 色が違う」


 なるほど、白雉鈴の言う通りだった。こいつらは確かに違う。しかし出現した化け物はあれに違いなかった。

 現れたのは異相の翁。口は耳まで裂けている。その眼は眼窩がんかに沈み込み、眼光は妖しい光を放っている。それは桃花が稽古場で倒したあの三紫さんしおきなの同類、一口鬼ひとくちおにであった。 


 ――なんだ! どういうことだ!

 そもそも一口鬼を直に見る事など皐月にも経験がない。一般的な鬼族とは違っていて他に類を見ない化け物。一口鬼自体が稀な種であると言っていい。それが何故。

 確かにあれは別格の三紫の翁とは違う。だとしても只でさえ珍しい種の一口鬼が、それもこの様に群れをなして現れることなどは考えられぬ事であった。皐月は目を疑った。その皐月の耳が桃花の焦りの声を拾う。


「なんて数だ!」


 桃花の声に状況が一変した事を知る。見れば現れた一口鬼の数はざっと見ても十数体を数えていた。


 ――これは迂闊だったな、しかし仕方ないなこれでは……。

 皐月は意図せず笑んでいた。向こうの状況とは別に自分の直ぐ近くにも鬼気が出現したことを感じ取っていた。これで皐月も否応なしにでも戦いに巻き込まれる。

 皐月は心を躍らせていた。不可抗力ならばやるしかない。

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