第30話 鬼火⑤

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 光の中で金色の髪を揺らして少年が微笑む。


「そ、それがあなたの本当の姿なの?」

「如何にも」

「それで! 名前は……どうなの! 名前も戻ったの!?」

「はい。私の名は光輪こうりん。光の輪と書いて光輪と申しまする。そして私は貴女様にお仕えする麒麟にござます」

「キリン?」

「……あ、いえそのキリンではございませぬ。麒麟にございます」

「は、はあ……」

「まぁまぁそう気落ちなさらずに。そのうち姿もお見せ出来るようになります」

「まぁいいわ。それでキリンさん? あの、その、どうかしら? 私の事は教えて頂けるのでしょうか?」

「いいえ、そればかりは未だ。しかしここまで来れば後は時間の問題でございましょう。あなたの力はすでに目覚めておられる。あとは呪縛を解き放つのみです」

「え? え? えぇぇぇぇ……なんでぇ……」


 少しだけガッカリした。

 勿論キリンの少年が真の姿を取りもどせたことは喜ばしいことだ。一事が万事と全てが上手く行くことなどないのだろう。

 しかし、必死で気力を振り絞って我が身を取り戻そうとしたのに。それなのに、力んだ結果がこれなのか。隣にいる少年だけが、ちゃっかりと名前を取り戻してしまっただけとは……。

 累は呆れると共に少しだけ拍子抜けをしてしまった。困惑の気持ちだけが取り残された。

 力及ばず、肝心のことはとうとう分からないまま、更に今以上の力を出さねばならぬとは。


「……出来るかな? 私にそんなこと出来るのかな」


 何かを掴みかけているとは思う。ぼんやりと何かが見えた気もした。

 しかしそれは覆い被さるような黒い影に阻まれていた。

 心の中にある黒い影は掴もうとしても手から滑り落ちるように流動的で払っても掻き分けてもすり抜けては累の心にまとわりつく。これは手に負えない。こんなの無理だ。呪縛の打破など途方もないことなのではないのか。



「あの、聞いてもいいかしら? 私が……私がその、私の本来の在り様というものを思い出せばどうなるのでしょうか?」

「本来の金色巫女こんじきのみこのお姿に戻ります」

「本来の金色巫女?」

「はい、金色巫女でございます。金色巫女は陰陽五行において土の性を司る者にございます」

「土の性……」

「土の性とは、聖なる大地のような存在にして万物の母なる者。種子を変容させ芽吹かせるように万物を転変させ育みます。そして土性は唯一四方の理から離れて央に座す五行の要でもございます」

「あ、あの……仰っていることが難しくてよく分からないのですが……」

「大丈夫でございますよ。本来のご自身を取り戻す事が出来ますれば、自然とその魂に刻まれた言の葉を得ることができましょう。そしてこの私も皇陣も生来の姿でお仕えすることが叶います」

「はあ……」


 よく分からないまま無理やり相手に納得させられた気分だったが、名を取り戻し喜びに打ち震えながら累に期待を込める少年の嬉しそうな顔を見ると、舞い上がっている相手に対してそれ以上の説明を求めても無駄な気がした。それに聞けたとしても今の自分にはとても理解出来そうもない。それよりも累にはまだ聞きたいことがある。


「あ、あの……聞きたいことがもう一つあるのですが……」

「なんでございましょうか?」

「それは、私が、もし私が本来の自分を取り戻せなかった場合は、つまりはこのままでいた場合にはどうなるのでしょう?」

「…………」


 少年の顔に影が差す。


「どうかされましたか?」

「――いえ、お気になさらずに。そうですね、その事も話しておかねばなりませんね」


 いって金の髪の少年は少し背筋を伸ばし眼差しを真っすぐに累へと向け直した。


「金色女様はこのままでおりますれば陰へと転じられます。陰とは『おん』とも読みそれは鬼の語源でもあります。つまりは――」

「はあ……」

「陰に転じられた金色巫女はひの巫女となります。そしてそれは古来より鬼姫とも呼ばれておりまする」

「――オニ……ヒメ……」

「はい、鬼姫でございます」

「それでその……鬼姫というのは……」

「世を破滅させ混沌をもたらす者でございます」

「……え?」


 平然として貴女が世界を壊す者ですと言ってのける少年の言葉を累は現実のものとして受け止めることが出来なかった。

 世界の破滅、それは突拍子も無い話でありどうやれば世界を滅ぼすことが出来るかなど累には見当もつかず想像することは出来てもそこには現実感を伴わない。

 累は両手を持ち上げて自分の掌を覗き込んだ。


「驚かれるのも無理はございません。今の貴女様はそれを望まれておられませんので」

「……い、いえ、そうではなくて、そもそも私にこの世を破壊するなどという大それたことが出来るはずもないと思うのですが……」


 累の言葉を聞いて、少年がああといって笑った。


「これは貴女様にそのお力が備わっているというだけのこと。しかしそれは本来神々が創世をお決めになった時にのみ、天啓よって貴女様に示され権限が与えられるものなのです。そしてそれは陽の気である金色巫女の慈悲で行わねばならぬことでもあります」

「私の力が、この世を滅ぼす……」


 唐突に己に破滅の力があるなどと言われても怖さも悲壮も感じなかった。我が身を振り返ってみても、何をどう考えてもあり得ない。


「信じられませぬか?」

「え、ええ、そうですね。私、世界の壊し方なんて知らないし」

「さようでございますか。しかしながらその力が貴女様にあるというのも真実とお受け止めくださいませ。そうそう、もののついでではございますがご安心の為に一つ申し上げておきますと、創世の為の混沌などそうあることではございませぬ。それは神々の御意思に基づいて行われることにございますれば、過去にほんの数回行われただけで、近い過去でも一千八百年ほど前に起こって以来、そのようなことはございませんでした。しかしながら……」

「しかしながら?」

「今から一千三百年ほど前、金色巫女の陰への転身を故意によって成さし利用しようとした者が現れたのでございます」

「は、はあ……」

「その時は、辛くも桃花の機転により事なきを得ましたが、その時その悪の根までは断ち切る事叶わず、今またこうして世は危機を迎えたというわけにございまする」

「その危機が今の私であると……」

「はい。自我を失った鬼姫が世を滅ぼそうとすれば如何様な惨事が引き起こされるのか見当も尽きません」

「惨事ですか……はあ……なるほど、それは大変なことですね……ってちょっと、ちょっと待ってください! それって私はとんでもないことに関わっているということではないですか!」

「はい。さようでございますが」

「いえいえいえいえ、さようでございますじゃなくて、私、もっと頑張って自分を取り戻さなくちゃダメなんじゃないですか!」

「はい。さようで」

「ちょっと! キリン君! あなたなんでそんなに悠長なわけ!」

「いえそういうことではございませぬ。金色巫女様には先程からどうか自我を失いませんようにと申し上げております。一日も早く御自身を取り戻してくださいませ。あの者の思惑に乗ってはいけませぬ。決して陰の方へと転じられてはなりませぬ」

「…………」

「金色巫女様?」

「あの、その金色巫女様というのは止めていただけませんか? 私は累、鬼灯累です」

「……鬼灯……累……」

「そうです。ホオズキルイ! です」

「その名は偽りの名でございますよ。あなたは鬼灯累などというものではございません」

「え?」

「ですから早く御自身の御名を思い出されませと――」

「な、名前を思い出せとは言われていませんでしたよ! それにそれは出来ればもうやっています!」

「はて? さようでございましたかな?」


 なんということだろう。そもそも名前からして偽物だったとは思いもしなかった。

 これが偽物の名前であり、自分に別の名前があるのだとしたら幼い頃から鬼灯累として生きてきたその記憶とは思い出とは一体なんなのだろうか……。

 これまで取り立てて嫌な思い出も無く……というか両親を失い住む家を失っている時点で十分に不幸といえばそうであるのだが、だからといってその後伯母に引き取られてからは十二分な暮らしをしていて普通に学校にも通えて……それに友人も――。


「金色巫女様、良いですか、鬼灯累というその名にこそ貴女様のお姿を歪める呪が掛けれておるのですよ」

「私の名前が呪い?」

「そもそも、鬼灯ほおずきとは偽りを指し示すものであります。その偽名は貴女様の魂を偽りそこに鬼火を灯させ土性を陰に転じさせるためのもの。そして累とは縛られて離れられないということを意味しております。鬼灯を累する、鬼火を縛る。これはそのような呪なのです」

「累……魂を縛る……」

「さようでございます。まずは名を奪う。これはその者を操るための常套というところであります。名を奪い書き換えることが出来れば、あとはその上書きされた名が徐々に魂を侵食していきます。そしてそれが真の名としてその者に落着すればもうその者はそれ以外の存在になることはない。そういうことなのでございます。ですから金色巫女様……」


 饒舌に語る少年が急に口篭もった。


「ど、どうしたの? 大丈夫? ねえ、どうしたの」

「どうやら、時がきたようにございまする」

「え?」

「未だ呪縛の中におられる貴女様とこうしてお話しできる機会が生まれた事が既に稀事なのでございます。その上で私は名を取り戻すことが叶いました。これも千載一遇の奇跡とも言えます。金色巫女様、どうか御自愛くださいませ。そして自我を失うことなく、あ奴めの思惑には乗せられませぬように……」

「なに? あ奴? あ奴って誰? 誰のことなの?」

「それは貴女様の敵、黄玉おうぎょくにございまする……」

「オウギョク……」

「お、お気をつけくだされ。くれぐれも……くれぐれも……」

「ちょ、ちょっと待ってください。もう少し、もう少しだけ聞きたいことがあります――」


 黄玉に気を付けろ、最後に敵の名を言い残して光輪と名乗る少年は消えた。

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