第37話 歯車の起点
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「姉様!」
「駄目だ! 優佳、逃げなさい、早く、早く……」
「姉様、ごめんなさい。ここで私が朱鬼を止めなければどのみち唯に未来はないの」
優佳は朱鬼に向かって呪を放った。
手から放たれた水気が鋭利な刃を成して敵に向かうと朱鬼は直ぐに千佳を手放し防御の構えを取った。
姉が敵の手の内から離れるのを見て間髪を入れず次を放つ。繰り出された優佳の左手は水の塊を作って千佳を包み込む朱鬼の炎を消し去った。
「やる。こいつは私が」
「水の者か……先にあれ程の呪力を使っておいてまだ余力を残しておるとはなかなかのものだな。流石は鬼姫の母御といったところか、褒めてやろうぞ」
「黙れ朱鬼」
優佳の怒る肩が震えた。
凍るような静寂が身を包んでいた。取り戻した冷徹が視線の先の朱鬼を見る。気力が深々と降る雪の如く周囲の空気を呑み込んでいく。
「ふん」
上狛随一といわれる水の巫女の気を受けて朱鬼も目の色を変えた。互いに次の一手を探り合う間が出来た。
焦れた朱鬼が優佳が動くより先に動く。
優佳に向けられた指が軽く円を描くように動くと優佳の周囲を炎が囲った。
「優佳!」
千佳の叫びが耳に届く。
立ち上る炎に囲まれた優佳は、その炎の中にあっても静を保ち目を閉じて呪を唄う。
優佳には分かっていた。この朱鬼の初撃は様子見であり、所詮は
優佳は戦闘のその先を読んだ。
闘いには相性というものがある。
優佳と朱鬼の関係が相克である以上、たとえ相手が神格級の者であろうとも怖れることはない。敵の炎に対して自分の水には相克の利がある。朱鬼にも警戒心が見てとれる。その上に朱鬼は勘違いもしてくれていた。
どうやら、軍勢を滅ぼした力が幼女のものであることに気付いていないようだ。それならばその勘違いを精々利用させてもらおう。必要以上に警戒してくれれば僅かばかりではあるがアドバンテージにもなるだろう。
呪を唱え終えた優佳が
「なるほど、そこまでの力をもっておったとはの。よもや
饒舌に過去を語る朱鬼を無視した。優佳は千佳の傍に寄ると唯を託して言った。
「姉様、動けますね。
「優佳……」
「さ、早く、唯と水音ちゃんを。朱鬼を倒して私も後を追いますので」
優佳は姉の目を見て一つ頷き安堵させるための笑みを見せた。
「よいのか? 娘を離せばこちらは手加減など要らなくなるのじゃぞ」
「御託はいい、かかってこい」
優佳はほくそ笑み朱鬼を睨めさげた。
「うぬぬ、このわし向かってほざくか! ならばこれはどうじゃ!」
朱鬼の背中に巨大な炎が上がる。その炎が八つに分かれそれぞれが渦を成す。
たちまちに八匹の火の蛇が現れた。各々の蛇が優佳を見定め一気に走り出しす。
あるものは空へ飛び、あるものは地を這う。いつしか火の蛇は取り囲むように獲物の周囲をグルグルと回り始めた。
「どうじゃ、堪らんじゃろ、熱いであろう」
「面倒事が嫌いではなかったのか朱鬼よ。それともこのような戯れ事で弄っているつもりか?」
「なんと小賢しい奴め! ならば死ね! すぐ死ね!」
朱鬼の声を聞いて火の蛇が一斉に上空へと舞い上がった。
一匹、また一匹と蛇は空を走る。火の蛇が優佳の頭上からその身体を呑み込まんとして滝のように落ちてきた。
最後の一匹が落ちた時には紅蓮の炎の中で人影さえも消え失せたように見えたであろう。それ程に朱鬼の炎の威力は凄まじかった。
「アハハハハ、虚勢を張ったところでこんなものか。水の陰陽師、他愛のないものよ――」
笑いかけて朱鬼の声が止まる。
「……はて雪? 雪とは」
のべつ幕無し降る雪が、辺りを銀世界に変えていた。
ゆっくりと舞い降りる雪が周囲から音と優佳を消した。
一陣の風が吹いた。ふわりふわり天から降りる雪が、その動きを宙に留めたかと思うと風雪は一気に横へと走り出す。吹雪が強さを増すと取り巻く銀世界に氷の竜巻を起こした。
「グガガガガ!」
氷の竜巻が刃となって敵の体を切り刻む。堪らず朱鬼は片膝を地面に落とした。
「グハッ、借り物の身体とはいえ、こ、このわしに膝を付かせるとは」
「御託はいいと言ったはずですよ」
顔を歪めて睨む朱鬼に正対して優佳が立つ。
右手を前に突き出した優佳は、傍らに氷柱を呼び出しその氷柱に向けて呼びかけた。
「我、氷雪の者なり。我、水神に願い奉る。
光と共に氷が砕け散ると優佳の前に純白の太刀が現れた。
「神器か……」
優佳が手に持つ武器を眺めて朱鬼が呟く。
「逝ってもらうぞ朱鬼」
「ほざくな、水の陰陽師」
ニヤリと笑う朱鬼の手に緋色の太刀が現れる。
直後に氷の刃と炎の刃が交差した。
朱鬼の剣戟は受ける度にその重さを増していくようであった。しかし優佳はその重みを柄を軽くひねるだけでいなし、流れのままにゆらりと動いて斬りかえしてゆく。
次に身体を転じて屈みこむとそのまま跳躍し敵の足元から斬り上げた。純白の太刀を受ける緋色の太刀が悲鳴のような金きり音を上げる。
空に舞った優佳を下で待ち受ける朱鬼は一瞥をくれると、上に向けて翳した手から炎の球を撃ち出した。
その炎を水の弾で相殺し、お返しとばかりに氷塊の雨を打ち付ける。すかさず、優佳は地への降り様に太刀を縦横に走らせ連撃を浴びせた。
朱鬼もわが身に降り注ぐ氷塊を炎を用いて防いでいる。優佳の連撃に太刀を合わせてくる。
互いが高速で動く。その中で敵の切っ先が辿る線を確かに捉え、その先、そのまた先の一手を繰り出す優佳。
朱鬼の剣技は全て見切っていた。躱す事もいなす事も打ち込むことも出来た。
百、千と打ち合う太刀には心地よささえ覚える。優佳は好敵手を前に笑んでいた。
決闘は続く。白と赤の線が入り乱れるその殺し合いの中で互いに決め手を繰り出す事が出来ずに激闘は膠着を見せ始めるかと思えた。だが、朱鬼が僅かな乱れをその動きの中に見せ始める。
「こんなものか、神格の鬼」
優佳の太刀がついに朱鬼を捉えた。朱鬼の右手が太刀と共に地に落ちた。
「ぬぬぬぬ……人間如きがよもやここまでやるとは」
そのような朱鬼の言葉に反応することも無く、たじろぐ朱鬼に優佳は追い打ちをかけた。
優佳の太刀をギリギリのところで躱しているいるように見える朱鬼だったが、連撃の速度を上げる優佳の剣戟の前では成す術もなく切り刻まれていくしかなかった。
優佳は止めの一撃を放った。これで終わりだ。
だが……。渾身の一撃は、朱鬼の目の前で止められる。突如現れた障壁によって阻まれてしまう。
「――なんだ!」
背中に悪寒が走った。
「オホホホホ! 朱鬼様、陰陽師ごときに押されるとは。随分とお遊びが過ぎるではございませぬか」
振り向くと漆黒の闇を纏った黒髪の女がそこにいた。――いつの間に?
その女の後ろに和男の車にもたれ項垂れるようにして地面に腰を下ろす千佳の姿が見えた。
「言うな黄玉。相克の上に借り物の身体ではわしとて力が出せぬ」
「そのような薄汚い殻など脱ぎさればよろしかろうに」
「よいではないか。久しぶりに歯ごたえのある奴と出おうてしまえば血も踊るというものじゃ。それにこのような身体はいくらでも代わりがあるでの。それよりも――」
「はい、首尾は上々にて」
いうと黄玉は目を細め口角を上げて笑いながら千佳の首を掴んで優佳の目の前に放り投げた。
「姉様!」
優佳は直ぐに反応を見せ千佳を抱きとめた。
「オホホホホ、こちらは歯ごたえなどありませなんだのう。ちょっと捻って終わりとは、ほんに詰まらない。しかも朱鬼様に痛めつけられて瀕死というのでは弄る甲斐もなし。ああつまらない、つまらないわ」
「姉様! 姉様!」
強く抱きかかえて名を呼ぶと弱々しくも姉が目を開く。息はあったが今にも途切れそうなくらいに弱い。千佳は震える手をどうにか持ち上げて優佳の頬に添えた。
「ごめん、なさいね……ごめ……」
悔恨の言葉を残して、千佳の手は力を失って地面に落ちた。
「姉様! 姉様!」
「では朱鬼様、姫は私がお連れ致しましょう」
敵は優佳に悲しむ暇も与えなかった。黄玉は目の前には娘の唯と姉の子水音がいる。
「待て!」
優佳は直ぐに子供達の救出に向かおうとする。しかし。
「おい水の陰陽師、お前の相手はわしであろう、どこへ行くつもりじゃ。クククク」
「どけ! 朱鬼!」
「戦場で待てと言われて待つ者などおろうか。戦場でどけと言われてはいと応える者がおろうか。だから聞いたであろう? 子供から離れてもよいのかと。クククク。せっかくじゃ、姫の母御に愛娘が鬼に転じるところをお見せしようではないか」
「やめろ!!」
どうにかして子供達の元へ行こうとするが朱鬼に牽制されて近づけなかった。
「見えますでしょうか? ちゃんと見えておりますでしょうか、母御殿。ホホホホホ」
焦る優佳を嘲り、面白がるように黄玉はゆっくりと子供に近づいていく。
「やめろ! やめろ! やめろ! やめろぉ!」
「アアアア、なんと美しい歎き、堪らないわぁ……。でも、やめない。アハハハ、アハハハハハ」
黄玉の手が唯にそっと触れた。
「ギャアアアア!」
絶望の中で顔を背けた優佳の耳が醜い叫びを捉えた。
「――なに!?」
黄玉の方を見ると、片腕を吹き飛ばされた醜く歪む女の顔が見あった。
唯の方へ目を向けると赤子の身体が金と黒の光に包まれている。
我が子は赤子のものとは思えないほどの強い力を発現させていた。
「な、これは何事じゃこれは! うぬぬぬ」
怒気を発した黄玉が悔しさの滲む顔で唯を睨み下げていた。
唯の発する光からは、水音が生まれた時と同じようなどこか畏れを抱かせるものが感じられた。優佳はその光が赤子が自らを守るために顕現させた力なのだと悟った。
ただし、水音の時と少し様子が違うと感じるのは、唯の力にはどこか他者の意識が混在しているように思えたことだった。
「如何したのだ、黄玉」
「――桃花にございましょう……」
再びの朱鬼の問いに、忌ま忌まし気に赤子を見ていた黄玉が口を開く。
「桃花……」
「姫の魂にあらかじめ仕掛けを施すとはなんと小賢しい奴……」
「なんと、あやつめはこれを、このような千年以上後に起こることまで読んでおったということか……」
「なんと忌ま忌ましいかな桃花、恨めしや、恨めしや……」
「ぬう、黄玉よ、どうやら今回ばかりは違う手立てを考えねばならぬようじゃ」
「如何なさるおつもりで?」
「いやなに、手はあるぞ、手はな。まぁ今回はこのように陰陽師の奴らの力も見られたわけであるし、今宵はここまでにするかの。姫に張り付いておったこやつらが恐らくは陰陽師どものなかでも手練れといったところであろう。このようなゴミのような者どもも捨て置いても問題はない」
「しかし朱鬼様、あの時のように、桃花率いる巫女どもが集まれば……」
「今後、神薙の力を持つ者が現るやもしれぬ、か……しかしそれは杞憂であろう。なにせ今の五家を眺めてみても相応の力を持つ者は見えぬでの。それに当代の桃花はのちと面白いやつであるからして、このまま策を練って待つのもよいであろう。クククク」
「桃花が、面白い? でございますか」
「さよう、面白い、全くもって当代の桃花は面白き奴じゃ、であるから黄玉よ、これからの事は追って指図するゆえ、今は引け、わしも戻る」
「朱鬼様、こやつらは如何いたしましょう」
「暴れ足らぬといった顔であるな。好きにせよ」
言われて黄玉は目を細め含み笑いを浮かべた。
朱鬼は去った。
残った黄玉は愉悦に潤む目で優佳、唯、水音を順に見て舌なめずりをした。
この後、黄玉に優佳は敗北を喫する。
鬼姫の真中唯と桃花の加茂樹、そして猿楽と白雉の巫女達が各々の定めに従って戦いの歯車を回す事になる起点が真中優佳のこの敗北であった。
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