第66話 王手
-66-
「――樹ちゃん……」
涙交じりの唯の声が、周囲に沈痛と悲しみをもたらせる。それぞれの気を読めば、鈴は脱力したまま呆然とし、蘭子は悲痛を抱きワナワナと震えていた。澪は押し黙り、上狛の者達は黙したまま混乱している様子。
だが、そのような重苦しい空気の中を軽い足取りで動く人物がいた。
委細を気にせぬような態度、鼻歌さえ聞こえてくるような陽気。呆気に取られた周囲の者が皆困惑している。
目を閉じていたが、樹には気配でその者が山田綾香だと分かっていた。
少女の足取りは軽い。醸し出す雰囲気は場にそぐわない明るさがあった。
――あいつはこの場面でいったい何をするつもりだ?
疑問がよぎる。このような動きは企てには無かったはずであるが……。
彩香の突飛な行動により、すっかりと目覚めるタイミングを失ってしまった。
まごまごしているうちに彩香が樹の傍まで来る。
――おいおい、ちょっと待て。お前は何を……。
彩香はちょんと地面に座り込んで樹の頭を膝枕に抱き上げた。何か、嫌な予感がした。シナリオが狂わされていく。思惑が乱されていく。
「何じゃ、お主は! このような時に!」
慌てふためく老婆の責めるような声が聞こえた。
「あ、綾香ちゃん?」
唯も不思議そうに友人の名を呼んだ。樹はそっと薄目を開けた。自分の頭を抱いた少女が澪と唯の方を見てニッコリと笑う。
――そうして……。
彩香は樹の顔に両手を添えその位置を確かめると、そっと目を瞑り口づけをした。
驚いた。
「え、えーーーーー!」
「な、な、な、な、な、な」
「あ、あ、綾香ちゃん!」
鈴が驚き、蘭子が慌て、唯が狼狽えた。
動揺する三人を向こうに見まわし、綾香が微笑む。
綾香はさも当然の事だというように胸を張り悪びれることもなく言葉を発した。
「えーー、何かおかしいですかぁ? だってほら、目覚めの時にキスをするっていうのは定番でしょう?」
「ち、違うわ! そんなもん!」
蘭子が肩を怒らせる。
「いつ、いつ、樹様の、くち、くち、唇を。……策を弄してなお奪えなかった唇をいとも容易く……横からしゃしゃり出てきてかっ攫って。――嫌ぁぁぁぁぁ!」
鈴が動揺して震えた。
「あ、あ、綾香ちゃん……」
唯は、何が何だか分から無いといった感じで混乱していた。
「ふーん。でもぉ、それにしてもぉ、お目覚めになりませんねぇ、これはおかしいですねぇ、ことは無事に成し遂げられ再び銀鬼様は降臨なされた。なのにどうして? 銀鬼様、あ、いやそういえば桃花様だっけ、どっちだっけ? ま、いいかぁ、桃花様ぁ」
「大丈夫だ、
「え? でもぉ」
「よく見てみろ、茜。ちゃんと冷や汗をかいているだろう」
「そうだよ茜ちゃん。桃花様はね、親しい巫女達の前でハプニングが起こってしまってどうしていいか分からずに寝たふりをしておられるのよ」
山田彩音のことを「茜」と呼ぶ男と女が膝枕の上で目を瞑る樹の傍らに立っていた。
「――父上! 母上!」
その男女を見た老婆が驚きの声を上げた。
「あら、水音。あ、今は澪様だったわね。澪様、しばらく会わないうちにえらく老けたわね」
「なんてことだ……あの可愛らしい水音、いや澪様だな。あの澪様がこんな御婆ちゃんに……」
二人揃って空々しい。それにしてもこれはどういうことだと澪の声は訝しむ。
樹はそれとなく薄目を閉じる。目が開けられない。確実に不味い事になった。今はそのような事を言っている場合でもないのに。
どうしたものかと思案しているうちに澪が驚きの声を発した。その声に樹は再びチラと薄目を開けた。
「父上! 母上! そ、その額にあるものは!」
その澪の声に、和男は「ああ」と言って自分の額に手を当てる。
「お、鬼! 父上も、母上も、お、鬼に!」
「おお、気付いたか水音、実はな――」
「そんなことよりも和男さん」
「ああ、そうだね、こんな茶番で黄玉をキレさせてもても面倒だ。ここは力ずくでも桃花様に目覚めて頂こう。ほら、起きてください、桃花!」
いって男は拳を振り上げた。
樹は飛び起きた。上狛の筆頭、いや元ではあるが。その筆頭陰陽師に殴られては堪らない。
「わ、止めて下さいよ! 和男さん」
「父上、母上、これは……」
「水音、事情は後だ」
和男が澪の言葉を遮って鋭い視線を飛ばす。そこには呪いの根源が立っていた。
その女は唯の目の前で戸惑いを見せていた。樹がその女に声を掛ける。
「戻れるわけがないだろう、鬼灯累。呪は僕が消して、そして二度とお前が戻れぬように巫女の身体を封じたのだから」
「なんだと!」
「先に鬼灯累の屋敷でも見ているが、端からお前が呪の本体を自在に操れることなど分かっていた。それにお前は御丁寧にも優佳さんに鬼姫の解法まで伝えてる。そんな見え透いた誘導に誰が引っかかるんだよ。そんなもの、そこに罠がありますって言っているようなものじゃないか」
「く……」
「まぁでも、そんなものを見ていなくても、聞いていなくても、全て計算の内には入っていたんだけどね」
ここで、樹達の一連の行動を見ていた黄玉から怒気が湧きおこる。
「随分と物を言うではないか。お前、我に散々と戯れ事まで見せつけて計算ずくじゃと」
「ああ、そうだな全て計算通り、読み通りだ」
「ほほう、面白い。しかし解せぬ。お前は一体何者じゃ」
「僕? 僕は加茂樹だけど何か?」
「なんじゃと?」
「なんじゃとって、そんなに驚かなくても僕は正真正銘ちゃんと加茂樹だよ」
「そんな馬鹿な! 確かに加茂樹は死んだはずだ。それにお前の気配は桃花ではない。鬼ではないか! しかしその気はあの銀鬼とも違う。銀鬼も確かに消滅した。 桃花の時渡りも、時の必然も無くなり、赤い月も沈んだ。お前達にはも何も残されていないはず。何故じゃ!」
「だから、お前は掌の上の猿だと、最初からそう言っているじゃないか。何を聞いて、何を勘違いしてたか知らないけど、裏切り者がいるって分かっているところにまともな情報を流すわけがないだろう。そんなことちょっと考えればわかるじゃないか」
「……うぬぬぬ」
黄玉が歯がみをして悔しがる。
「和男さん、千佳さん、面倒なので、鬼灯累はお願いできますか?」
「御意!」
唯の前で立ち尽くしていた鬼灯累は絶叫を残して瞬時に消された。
「さてと、いよいよお前だけになったよ、黄玉」
「わ、分からぬ……お前は、お前は一体……何故にこのようなことに」
「時の流れだよ、そんなに簡単に変わるわけないだろ、バカだな」
「こいよ! 黄玉、ケリをつけよう」
樹は口元を緩めたまま黄玉を睨みつけた。
「フン、お前が加茂樹だというならば赤子の手を捻る程のこともない。未熟なお前に何が出来るというのだ。あの銀鬼ならともかく、神器にも見放されている出来損ないの桃花に何が出来るというのだ」
「うーん、そうだねぇ。一人になっちゃったけど、でも僕だって頑張ればなんとかなるんじゃないかな」
黄玉の嘲笑を受け流し嘲りを返す。樹は蒼帝の大太刀を天に翳した。
「来い!
樹が名を呼ぶと天に稲妻が走った。その雷光の走る雲間から
蒼竜は舞うようにして天を走ると樹の太刀へと吸い込まれるようにして消えた。
樹の手していた太刀は豪華な細工が施された翡翠色の大太刀へと変化していた。
「ウヌヌヌ、お、お前は、桃花ぁーーー!」
「残念だったね。黄玉様」
樹は言うとすかさず黄玉の前に飛び出した。
「なんだ! 今の樹の動き、見えなかったぞ」
蘭子の驚いた声を樹は背中で聞いた。
「来いよ! 遠慮はいらない」
黄玉の前で立った樹はニタリと笑って鬼達を睨め下げて手招きをする。
「ざ、戯れ事を!」
黄玉の両手から
「なるほどの。桃花の気を纏った事といい、太刀を覚醒させた事といい。先とは違うという訳か」
いって黄玉は呪を唱えた。黄玉の頭上に無数の黒の刃が浮かんだ。
「樹様!」
「大丈夫だよ、鈴ちゃん。何も心配は要らないから」
「鈴ちゃんって……樹様……」
鈴は感じ入って樹の名を呼んだ。
「随分と余裕であるな、桃花。この攻撃は先代桃花も難儀したものぞ。易々と防げるとでも思うてか」
「――余裕かぁ、そうでもないんだよ黄玉。実のところをいうとね、まだ馴染んでないんだ、この身体に」
「くっ、どこまでも戯れるとは小賢しい。その口を封じてくれる。喰らうがいい!」
黄玉は挙げた手を勢いよく振り下ろした。
無数の黒い刃が樹に向かって一斉に降り注ぐ。その黒刃は頭上からだけでなく四方八方のあらゆる角度から樹を包み込み逃げ場を失わせるようにして襲った。
轟音を上げ樹の周囲に土混じりの雪煙が湧く。
「……父上」
「大丈夫だよ、水音。よく見てごらん」
澪が不安を口にすると父親の和男が答えた。
黄玉はこれで終わりだと口元を緩めた。
「――フフッ」
樹の口から失笑が出る。視界がハッキリとしてくると味方が騒然としていた。黄玉は笑みを消して眉根を寄せていた。
「樹ちゃん!」
「あれは何だ!」
「い、樹様!」
樹の周りには半球状に張り巡らされた障壁に阻まれた黒の刃が針山のようにしてあった。
その障壁の中、樹が手に持った太刀の柄で地面をトンと叩く。すると針山のようにして樹を囲っていた黒い刃が一斉に力を失って地面に落ち、直ぐにその場で消滅した。
「凄い! 凄い! さすが桃花様ぁ」
茜の能天気な声が樹を見守る者の肩から力を抜く。
「これで終わりか? 黄玉」
「ムムム……馬鹿にしおって」
「終わりならそろそろ――」
「呆けるな。そのように陳腐な力をひけらかして余裕をみせるのもここまでじゃ。お主が桃花であるのなら、五行の理からは如何にしても抜け出せぬ。油断じゃな桃花。我は五行を全て扱える」
「ほう」
「終わりにしてやるぞ、望みどおりにな」
黄玉は樹に向けて両手を突き出した。黄玉の両手から凄まじい勢いで炎が放たれる。
「ダメです! 樹様、それは避けてください!」
「ダメって、鈴」
「相克です。木性を司る桃花に対して火性は相克であります。いくら樹様が強い力をお示しになっても、五行の理、相克には抗えません」
蘭子は慌てて樹を見た。その時には既に樹の全身が炎に包み込まれ焼かれていた。
「樹ちゃん!」
悲鳴にも似た唯の声が飛ぶ。だが、焦り悲しむ三人の巫女に向かって飄々と言葉を発する者がいた。加茂八郎宗重であった。
「安心して見ておれば良い。大丈夫じゃ」
八郎の声に澪も焦燥に駆られた瞳を向ける。
「な、なんじゃと!」
黄玉が叫ぶ。
業火に包まれながら樹は笑みを浮かべて余裕をみせた。
樹は悠々と炎をその身に纏ったままで歩みを進めた。
「――な、なんじゃこれは! お前は桃花ではないのか!」
ついに黄玉は、吐き出す言葉から余裕を失わせた。
樹は黄玉のすぐ目の前まで歩み出た。そこでようやく手にしていた大太刀を真横に持ち上げゆっくりとその刀身を引き抜いていった。
樹の身を包んでいた業火が大太刀から迸る輝きを受けて消し飛ぶ。緑の閃光に黄玉は狼狽えた。
「お、おのれ、桃花」
「ごめんね、これもう決まっていることなんだよ」
樹はトンとリズムよく前に進んで敵を横一線に払った。
蒼帝の大太刀が撫でるように黄玉の腹の上を滑ると次の瞬間、獲物のその背中を衝撃波が切り裂き飛び出して後方にある拝殿の屋根の一部を削った後、威力そのまま山肌を薙ぎ払った。言うまでもなく黄玉は消滅した。
一刀の元に二つに分かれた黄玉は直後の連撃で切り刻まれ、最後の言葉を発することも許されなかった。
「なんという剣速じゃ。樹と重なることで更に限界を超えるとはの」
八郎が嬉しそうに呆れた。
「うわ、やり過ぎた! もうちょっと加減しなきゃダメだったか……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます