第67話 決別

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 樹は悪びれて頭を掻いた。明らかに銀鬼とは違う佇まい。どことなく樹とも違うように思えるが、彼は自分のことを「鈴ちゃんと」呼んだ。そのことが嬉しかった。


 確かに違和感があるが、おそらくそれは、時渡りが樹に何らかの影響を与えた故だろう。

 成し遂げた樹は凄まじい力を見せていた。自信を漲らせていた。ほんの少し前の華奢なイメージはもうないが、この樹は間違いなく鈴の知る加茂樹だ。樹は帰ってきた。鈴は急ぎ樹の元へ駆け寄った。

 

「まったく、一時はどうなるかと思ったぞ、樹」

「そうですよ樹様、このような展開は流石にこの鈴にも読めませんでしたわ」

「……樹ちゃん、良かった」


 蘭子も、そして唯までも賑々しく樹の無事を喜び、思い思いにこの戦いを語った。

 しかし樹はその少女達に言葉を返さなかった。黄玉が滅んだというのに、まだ気を緩めてはいなかった。


「樹様、如何されましたか?」


 樹は厳しい眼で陰陽師達の方を見た。その時――


「きゃあああ」


 茜の悲鳴がした。見れば陰陽師達に捕らえられていたはずの極月が茜を人質にして逃亡を図ろうとしていた。


「フン、とんだ茶番であったの桃花!」


 その声に樹は目を細める。鈴には何が起こっているのか分からなかった。戦いは終わったはずである。


「――ま、まさか朱鬼!」

 澪が驚きの声を漏らした。


「ほほう、流石は犬童澪じゃ」

「な、何故に朱鬼が生きておるのじゃ……」

「おっと手は出すなよ! 手を出せばこいつの命はないぞ」

「と、桃花様ぁ……」


 茜が朱鬼に羽交い絞めにされて怯えていた。その様子を樹は目を細めて見ていた。樹に動じる様子はない。まるで予見していたかのように淡々とその光景を眺めていた。


「極月の身体を奪うとは」

「よいではないか、所詮はお前達を裏切った者の身体だ」

「……おのれ朱鬼!」

「この身体は実に良いぞ。これならばまだわしにも望みがある。馬鹿な黄玉は倒れ、これで名実ともに儂が頂点。この身体、大事に使ってやる故に安心するが良い」

「朱鬼め……」


 澪は口惜しがった。だが、その朱鬼を思わぬ人物が挑戦的な眼差しで見ていた。

 睨み付ける優男が朱鬼に目掛けて銃口を向ける。


「おお、岩井ではないか。お前、性懲りもなくまたそのように。しかも今のお前は加茂八郎ではなく正真正銘の只の人間。先も言ったであろう。無駄であったであろう。そのような鉛弾で何が出来るというのじゃ。それにじゃ、ククク」


 朱鬼がニヤリと笑った。そこへ樹が呆れて声を掛ける。


「茜、いい加減にしろ」

「すみません、桃花様。ちょっとばかり絶体絶命のヒロインってものになってみたくて」


 樹の言葉に茜は舌を出してお道化る。その様子を見て樹は頭を抱えた。


「じゃ、遊びはこれでお終いです。朱鬼さんさようなら」


 いって茜は軽々と朱鬼の腕から脱した。


「な、なな、なんじゃと!」


 朱鬼が慌てる。


「では、刑事さん、どうぞ!」


 樹が声を掛けると岩井は撃鉄を引いて狙いを定めた。


「フン! まだ弾を残しておったとはの。しかしそのような玩具など、わしには効かぬと言ったであろう」


 朱鬼が自信を浮かべて笑う。岩井は朱鬼に構うことなく引き金を引いた。

 破格の化け物に対して人の武器など無力。岩井は何を考えているのだろうか。一矢報いたい気持ちは分かるが、この戦いは人知を超えたところにある。無理だ。――だが……。

 ニタリと余裕を見せる赤鬼だが、放たれた弾丸は今度は止められることも無く朱鬼の額を打ち抜いた。


「な、何故だ……」

「あの時は、いとも容易く弾丸を蒸発させられた。だがそれは氷華の弾丸。氷弾は相克によりお前を縛り魂魄は滅される。貸しは確かに返してもらったぞ化け物」


 鈴は驚きを隠せなかった。それは凡そこれまでの岩井の態度からは想像出来なかった台詞である。この戦いは岩井にも何らかの変化を与えたようだ。


「お前は本当に阿呆じゃの、あの時に教えていたであろう。弾はまだ一発残っていると。そしてそのわしが向かった先は氷華の神獣の元じゃ、ならばわしがその弾に仕掛けをせぬことなどあるまい。まったくどこまでも憐れ奴じゃ」


 崩れ落ちる朱鬼に八郎が教えた。


「グググ……」


 赤鬼が断末魔を啼いた。無念を浮かべた朱鬼は黒い霧となって消滅した。


「さてと、これで全て片付いたの、銀鬼」

「銀鬼?」


 八郎の言葉に鈴は首を傾げる。


「加茂家始祖様? あ、あの……銀鬼とは? あれは樹様では?」


 鈴は念を押すように尋ねた。


「さて?」

「さてって、違う、のでございましょうか?」


 惚けた加茂家始祖の顔を覗き込む。彼にしてみれば加茂樹は銀鬼と呼ぶ方が慣れがあることは理解出来るが、それでも今の加茂樹は明らかに銀鬼とは違う。


 ――これは、どういうことでございましょうか……。


 直後、社に強大な鬼気が立ち上る。気付けば、側に居たはずの樹が神楽殿の屋根の上に立っていた。そこで樹は大声を発する。


「黄玉は去った! お前達はどうするのだ? 俺に従うのか、それとも俺と戦うのか!」

「――い、樹様!」

「馬鹿なやつらだ。加茂樹などもういない!」

「な、なんだって! 樹、それはどういうことだ!」


 蘭子が樹を睨みつけた。


「どうって? 今言った通りだが」

「い、樹様? お気は確かでございますか?」

「あはははは! それは僕の台詞だよ」

「……樹様」

「白の巫女よ、お前は物事をまるで読めていない。その為体ていたらくで五家の軍師を語るとは笑い種。陳腐。だからお前達は馬鹿だと言ったんだ」

「な、な、な……」

「加茂樹はもういない。お前も神薙ならば感じているだろう、白の巫女よ。俺が加茂樹に見えるか? あの無能と同じに見えるのか? そもそも、時渡りなどあるわけがないだろう。よく考えてみろ」

「なんじゃと! そ、それはどういう――」

「お前もバカだ犬童澪。流石に猿楽爛さるがくらん白雉燐はくちりんを殺しただけのことはある。ここにきてまた易々と誑かされるとはな」

「……うぬぬ」

「教えてやろう。桃花の予言も、時渡りのことも、加茂樹の抹殺も全てはこの銀鬼様が仕組んだことだ」

「な、なんだって! 樹の抹殺って!」

「そうだ。僕が邪魔な加茂樹をこの身体から追い出した」

「い、樹をどこにやった!」

「さあな、まだその辺にでもいるんじゃないか?」

「い、樹の身体を返せ!」

「嫌だね! せっかく苦労して手に入れたんだ。それに僕はこの身体を使ってやるべきことがある」

「やるべきこと? それは何でございましょうか?」

「言っただろ、僕は鬼の王になると」


 いって樹はその手に「勾陳の玉」を現す。


「これは元は卑巫女の物だが、どうせ真中唯にはこれは使えまい。だからこれは僕が使う」

「樹様の身体を使って悪さなどやらせませんわ!」

「ほう? どうするというんだい? 僕の力はさっき見ていただろう?」

「……ううっ」

「お前も軍師を名乗るなら分かるだろう。それはお前の力でどうにかできるものだったか?」

「……」

「お前達にこの僕をどうにか出来るはずがない。しかもこれは加茂樹の身体だ。傷つけることも出来ない」

「銀鬼!」

「そうだな……お前たちが万が一にでも自分の神器を見つけ出し、神装束、神獣を揃えられたならあるいはチャンスもあるかもしれぬがな」

「――神器、神装束、それに神獣……」

「しかしまぁ、お前達には無理だろう」

「くっ……」

「よく聞け。肉体を持たぬ魂は人をこの世に留めさせる事は出来ない」

「――それは!」

「そうだよ白の巫女、急がないと加茂樹は消えて無くなる。お前達には時間も無い」

「……」

「どうした? もうやる気が失せたか?」

「……銀鬼、私達は、必ず樹様を救ってみせますわ!」

「お前達などどうにでもなる。座興ついでに遊んでやるからいつでも挑んでくるがいい。だが時間はないぞ」

「承知!」


 樹と鈴が睨み合う。


「さてと、では行こうか水音」

「――な、わしが何故お前と行かねばならぬ」

「何故って、そんなこと決まっているじゃないか、お前も鬼だからだよ」

「な、なんじゃと!」

「和男さん、千佳さん、娘さんをお連れして下さい」

「御意に」

「父上! 母上! そんな……」


 犬童澪は、両親に確保されて無理やり樹の元に連れられていった。

 勝ち誇る樹が上狛の陰陽師達に目を向ける。


「お前達はどうするのだ、上狛の陰陽師」

「我等は鬼と共には行けません。今宵の御恩は借りとします。しかしこれは桃花の加茂樹様に借りたものだと存じます。だから我等は桃花に借りを返す。巫女様達と共に必ずあなたを打ち負かし、桃花の加茂樹様をお救い致して御覧に入れます」

「そうか、それも一興。それぞれが巫女に付き従うがいい。それで巫女達も少しは学び、歯ごたえが増すというものだ」

 

 春の巡り。春分が過ぎて清明節を迎えるまでのこの数日の間に起こった神薙と魑魅魍魎の激闘は静かにその終焉を迎えた。

 戦模様はまさに「桃園の死闘」と呼べよう。この戦いは、朱鬼、黄玉を倒したことで一応は神薙達の勝利で終わったと言えたのかもしれない。しかし悲劇の全ては解消されなかった。誘拐され鬼姫とされていた唯は無事に帰った。社の者も皆無事であった。しかし加茂樹は姿を消し、銀鬼が現れ宣戦を布告した。

 その銀鬼は氷狼神社に集まった鬼を従え、犬童澪を連れ、鬼となった澪の父母と共に去った。

 千二百年余り続く因果律は複雑に絡み合ったままで未だ解けない。

 全ての謎を解き明かし、平穏を手に入れる事は途方もなく困難に思えた。

 それでも鈴は心に誓った。全てを知って必ずこの因果を断ち切ってみせると。


 時は過ぎ、空は夜明けを迎えて白む。その黎明の空に明けの明星が孤独に瞬きを見せていた。


「――樹様、この鈴が必ずお助けいたします」


 夜明けの空を見上げる。鈴はその星を加茂樹の姿として見ていた。

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