第5話 樹の事情
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「樹様は私達をお信じにはなれないのでございますか?」
「ああ、いや、そういうことでは……」
「見くびらないで下さい樹様、私の心はいつ如何なる時でも樹様のお心と供にあります」
「あたしもそうだ! 樹!」
蘭子が後れを取るまいと言葉をかぶせた。それを鈴は横目でチラリと見て話を続ける。
「樹様は何かを憂えておられるようですが、まずはお話しください。その上でたとえ是々非々があろうとも、鈴の心は絶対に樹様のお気持ちと
鈴の目に強い光が宿る。
「樹! あたしも気持ちは鈴と全く一緒だ。だからあたしもずっと樹と一緒にいたい。って……あの、その、そういうことじゃなくて」
蘭子は頬を赤くして慌てた。
「フン、お猿がどさくさに紛れて言いやがりましたわ」
「なんだと!」
「この様な時でも発情ですか、はしたない」
「違う、今のは! つい」
「つい?」
「それよりもお前、またあたしのことを猿って言ったな!」
二人の掛け合いを眺めて呆れた。この様なことに付き合っている場合ではないのだが。と気概を保とうとしたが気分は拍子抜けしてしまう。そこで樹は肩の力を少しだけ抜いた。
鈴がこの部屋にやって来てからどうにも空気がおかしくなっている。
目の前には丁々発止を続けるかしましい少女達、背の方には憂いを重ねてきた難題。妙にアンバランスな空間で、樹はどっち付かずの心を持て余した。
「――二人とも、聞いてくれるかい?」
なぜ話す気になったのかと問われても答えられない。
何となく……そう、何となく話し出していた。そこには決心というような重さもなかった。
樹の言葉に、言い合いを続けていた蘭子と鈴が同時に振り向いた。
「もちろんだ!」
「もちろんですとも!」
二人の声が共鳴する。そのハーモニーが何とも言えず心地よかった。樹は流れに身を任せて次の言葉を吐き出した。
「――蘭子、鈴ちゃん、鬼だよ、僕は鬼を探しているんだ」
樹はついに秘め事を口に出した。
「――え?」
「――え?」
やはり思いもしない言葉だったのだろう。それは現実感を伴わない世迷い言である。
二人ともどういう反応を返せばよいのか戸惑っている様子だった。
だが、聞けば当然こうなるだろうと予測は出来ていた。
気は確かかと心配されるのか、はたまた馬鹿なことだと笑われるのか……。
それでも樹は慌てることもなく二人の様子を見ていた。
「鬼、でございますか……」
鈴が真面目な面持ちで問い返す。
「そうだよ、もっというなら『鬼姫』というものに関する事をここの古文書から見つけようとしているんだ」
真っ直ぐに鈴の目を見返した。
「鬼姫? ……鬼の姫ってことか?」
蘭子も真剣に樹の言葉を受け取ったようだ。その目には何の迷いもなかった。
「そうだよ、おかしいかい? そうだよね、こんなことは普通じゃないからね。でもね僕はそのおかしなことをここでしているんだ。それはね……僕が唯が攫われた時に鬼の姿を見ていたからなんだ」
「――鬼を見た? のでございますか?」
鈴が難しい顔をして樹を見た。
「そうだよ、あの日あの場所にいた僕には犯人が鬼の姿に見えていたんだ。そして僕はその鬼が唯のことを鬼姫様と呼んだのを聞いた」
「マジか! あの時に? でも……そんなこと……聞いたことがないぞ」
「それはそうさ、あの場にいた者の誰一人も鬼なんか見てはいないんだから。でもこれは僕の見間違いでも聞き違えでもない。と言っても誰も信じてはくれないだろうね……。それでもあれは鬼の起こした事件なんだと僕は思っている」
「樹様、俄には信じられないお話でございます」
鈴の答えに、樹は肩を落とした。こうなることは分かっていたはずだと自嘲し目線を下げた。
「うん、わかっているよ鈴ちゃん……」
「はい、ですからもう少し詳しくお話しください」
「――そうだよね……これは眉唾物の話だ。分かってる。だからさ、信じて貰おうとは思っていないんだ……。って……? えっ? もう少し詳しく……え?」
樹を見る二人の眼差しは疑いの目でも馬鹿にするような目でもなかった。
鈴は冷静に事実を見極めようとしているようで、蘭子は信じ切った様子で自信を見せていた。
「……鈴ちゃん?」
「なにか?」
「なにかって……」
「――まったく樹様には困ったものですね。端から心はいつも樹様と共にと申しておりますでしょうに」
「そうだぞ樹、もっとあたし達の事を信じてくれよ。そりゃさ、いきなり鬼だなんて突拍子もないことだけど、樹は見たんだろ? そして聞いたんだろ? それならあたし達はそれを信じるに決まっているじゃないか」
「鈴ちゃん、蘭子……」
「まったく世話が焼ける!」
「まったく世話が焼ける!」
蘭子と鈴が同時に言って同時に笑った。
「……うん、わかった。ありがとう。話すよ、全部二人に話すよ」
樹は五年前の祭りの日に起こったことを話しはじめた。
――あの日、犯人は唯の前で膝間づき唯の事を鬼姫様と呼んだ。その様子は、まるで家来が主人を迎えに来たようだった。そして樹は鬼と会話をした。
時折、頷くような仕草を見せる鈴。手を顎に添えた鈴は目を閉じて黙したまま何かを考えていた。
「僕は犯人と話をしている。あの時、あいつは、犯人は僕にこう言った。『お前には俺の姿が見えているんだな』と、それから、僕の事を同族だともいった……」
「え、ええ! ということはなんだ、樹も鬼だっていうのか? それはどういう――唯ちゃんが鬼姫で……樹も鬼?」
「蘭子には僕が鬼に見えるかい?」
「あ、いや、そういう事じゃなくて……」
「ゴメンね、少し意地悪だったね。もちろん僕も唯も人間だよ。だけどあいつは違う。あいつは人間に見えていた鬼だ」
「樹様、鬼は樹様に向かって『お前には見えているんだな』といったのですね?」
「うん、そうだよ、鈴ちゃん」
「え、それはどういうことだ? 鈴」
蘭子がわからないと言って首を傾げると、鈴はパチリと目を開き説明を始めた。
「鬼の話した言葉の意味をそのまま受け取ればよろしいかと」
「鬼の言葉?」
「その時、鬼は自身を鬼と自覚していた。そして周囲には鬼の姿を見えないようにしていた。鬼の言葉は、つまりはそういうことです。そして、姿を認識された事で樹様のことも鬼だと思った」
「僕が鬼の姿を見て、鬼姫という言葉を聞いて、正体を明かした鬼が僕の事を鬼と呼んだ。僕が鬼の存在を信じる根拠は正にこのことをしてだ。でもこの話は僕が自分の体験を自身で信じているということだけで証拠は示せない。けれど僕は確信している。あれは鬼の起こした事件だ。鬼など誰も信じない。だから警察には唯を見つけ出す事は出来ない」
「――わかりましたわ」
納得をするように一度頷いてから鈴は静かに言った。
「ええ! なんで? 何がわかったんだよ鈴!」
「フン! 困った人ですわね。では、お猿にも説明して差し上げますわ。まず犯人を鬼として……」
鈴は言いかけて樹をチラリと見た。樹は頷きで答えた。樹の気持ちを確認して鈴は話を続ける。
「唯ちゃんに傅いた態度と言葉から、鬼は唯ちゃんが鬼姫だと知っていたことが分かります。つまり、この誘拐は女児なら誰でも良いということではなかった。犯人は『鬼姫』を迎えに来たのです。事件がなぜ神楽の最中で起こされたのかは調べてみないと分かりませんが、そのことはとりあえず後回しにしましょう」
聞いて樹は目で同意を示す。
「さて、ここからが私達が抱いている疑問に対する答えなのですが。樹様がここで調べものをしている理由は」
「理由は?」
「唯ちゃんは元々、加茂家の人間ではありません。小さいときに加茂家に引き取られた子供です」
「それはあたしも知ってる。でも何でそんなことが関係あるんだ?」
「まず一連の出来事が鬼に纏わる話だと仮定します。そうなると、唯ちゃんが養子となった話は、鬼姫が鬼の子が住む家に引き取られていた。ということになります。まず話はここから始めなければなりません」
「そうなのか? ……それで?」
「子供達が元々鬼だったのか、それともこの家の何かが二人を鬼に変えたのか、それはわかりません。どちらにしても同じ家に鬼の子供が二人いて、しかも二人に血縁はありません。このような偶然は希有なことといって差し支えなきこと」
「うーん……そもそも、鬼が本当にいることさえ知らなかったわけだし……」
「そうです。いくら私たちが神職の家系の者であっても、本物の鬼など信じてはおりませんでした」
「だよな、言い伝えにしても聞いたことがないや」
「ただし、僕たちの始祖は陰陽師だ」
「そう、樹様の言われた通り、私たちの家の始祖は陰陽師。――そして陰陽師の物語には数多く鬼の話があります。それはもう古典にも映画や小説にもこれを題材にしたものが多くあるくらいですわ」
「なるほど……」
「加茂家と鬼に何らかの因果関係があると考えた樹様は、加茂家と鬼、そして鬼姫との関連を古文書から探そうと思ったのでございましょう」
鈴の問いかけに樹は頷いた。
「ちょっと待って、鈴。古文書に鬼のことが書いてあったとして、どうしてそれが唯ちゃんを見つけることに?」
「まったく、蘭子にも困りましたね。いいですか、犯人は普通で言えば架空の生き物ですが」
「そうだな」
「古文書から、鬼に纏わる事柄且つリアルにも繋がる記述を見つけることが出来ればそこでフィクションはリアルと繋がる。キーワードは鬼と鬼姫。樹様は古文書の鬼の話から犯人像を炙り出そうとしておられたのです」
「ほうほう、なるほど……そうだったのか」
蘭子が感嘆を漏らすと、鈴はニコリと笑みを浮かべた。樹は瞬時に全てを把握してしまった鈴の洞察力に舌を巻く思いだった。
「勿論まだまだ謎は多ございます。それはもう細かい事まで考えればきりがない程に。でもそれはひとまず置いておきましょう」
「凄いね、鈴ちゃん」
「樹様のお考えをきちんと理解するのは白雉家の者としては当然のことです。それに白雉家は元々軍略を司る家ですからね。このようなことは朝飯前でございます。それと……」
「それと?」
「将来、樹様の傍で樹様をお支えするのが私の努めでもございますれば……」
鈴がモジモジしながら顔を赤らめた。
「てめぇ、鈴、ぬけぬけと!」
白雉鈴も樹の幼馴染みである。鈴は気遣いながら話す蘭子とは違い、その物言いを真っすぐに向けてくる。だからといって無為に辛辣な言葉を投げかけてくることはない。むしろ鈴の言葉にはいつもどこかに優しさがあった。
鈴は頭の回転が速く利発である。この時の的確な物言いと行動は樹を袋小路から救うようだった。そうして考えれば、蘭子と鈴の型破りで騒々しいやり取りもどこか芝居じみていたようにも思えてくる。もしかするとあれも樹の気持ちを少しでも軽くするため為の鈴の計算だったのではないだろうか。
ずっと秘めていた事情を吐露することでどこか心が軽くなっていた。
樹は再び外に目を向けて祭りを迎える人達の様子を見た。
外から聞こえてくる声。
春を迎えた人たちの声は穏やかな活気に満ちていた。
小春日和は麗らかであったが吹く風はまだ冷たそうだ。しかし、憚りながらも心待ちにしていた祭りの準備にいそしむ人達には、そんな冷たい冬の名残風も汗かく体に心地よさそうに見えた。
祭りを楽しみにする人達の笑顔に恨めしさは抱かなかった。
人々の気持ちは樹も理解はしている。春を心待ちにする人には何の罪もないと思う。今、心の中にこびり付いているこの感情は無力な自分に向けた嫌悪なのだ。
毎年の春の到来は年月の経過と無力をあざ笑うことだった。
今年もそのことに変わりはない。それでも今日から樹は独りではなくなった。
少し離れた神楽殿に目をやると舞台を取り囲む桃の木々が色づき始めているのが見えた。
またこの社に春が巡って来た。
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