第52話 真実の片鱗
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澪は思索に
「何か思うところがあるのか? 優佳殿」
「――あの時、そうあの時。私が記憶を取り戻そうとした時、目の前に姿を現した樹ちゃんは、自分が記憶を封じているのだと言った」
優佳が真剣な面持ちで話した。
「ほう……それで? その加茂樹は何と」
「あなたの記憶は僕が封じていますと、確かに樹ちゃんは言っていた。それでも私が封印からの解放を懇願すると、樹ちゃんは困ったように笑って……そしてその後、私は樹ちゃんによって縛りを解かれた……」
「え? でもちょっと待って下さいよ。それでは、優佳様の記憶を封じたのが別々の人物ってことになりませんか? 先代様と銀の樹様、いったいどっちの言い分が真実なんです?」
「であるな」
「もっというなら澪様、万が一、夢見の先代様と銀の樹様が同一であるならば、話は更にややこしいことになりますよ。これは……。一方を主として同一であるのか、はたまた、二人は別物でどちらかが偽りの姿をみせているのか」
「水音ちゃん、これって……」
「わからぬ……。こうなってしまえば、わしにも何が真実であるのか判断が付かぬ。全て先代様の
「今の桃花様が全てやっているということは?」
「ないであろう。そればかりは考えられぬ。いくら無意識に
「今の桃花様の、無意識の別人格の力が行ったということは?」
「わたしは現在の樹ちゃんにそれほどの力を感じていない」
「であるの。わしも賛同する。今の加茂樹には無理じゃ。しからば全く別の加茂樹ということになるのじゃが……」
「能ある何とかは爪を隠す。魂を分けて飛ばせるとか……」
「ありえぬな」
どこか得体の知れない不安に焦燥する神無月がしつこく食い下がるが、澪はそれを一蹴した。
「くそっ! 一体何なんだ。これではまるで加茂樹様が二人いるみたいじゃないか! ――あ!」
神無月は意図せずその事を口に出してしまい狼狽した。
「じゃな。銀の加茂樹……。今のとは違う加茂樹。それは……」
「水音ちゃん、まさか……」
「くそっ! マジか! やっぱりそうなのか」
「うむ、銀の加茂樹。先代とは違う存在……その正体は」
その場を重い空気が包んだ。銀の樹の正体はその場にいた誰もがすぐに思いつくことが出来た存在ではあるが、それはどうしても口にすることが憚れる者を指していた。
立ち尽くす三人が揃って口を噤んで沈黙をする。
「――考えたくはないが、それしかあるまいのう」
沈黙を澪の呟きが破った。途端に神無月と優佳の表情が陰った。
「……鬼だというの。あれが、樹ちゃんの中にいるという」
「……鬼、桃花様の中に巣くう鬼」
「そうじゃな、それしかあるまい。たぶんそれは加茂樹の中におる鬼じゃ」
「し、しかし澪様、その鬼は桃花の力によって封じられているはずでは……」
「我らが聞かされておったことが真のことならばな。不味いことになったな。これは危うい事態じゃ」
「ちっ、なんてことだ! 夢見の先代と銀の鬼が同一であるなら、俺達はまんまと加茂樹様の中に巣くう鬼に踊らされていたということになるのか!」
「……であるの」
加茂樹の中には鬼がいる。その事実は上狛の者ならば誰もが知るところである。その上で突き付けられている新たなるこの謎。
上狛の者にとって拠り所である夢見の桃花の正体が、実は加茂樹の中の鬼であった。そのようなことはあってはならない事である。だがしかし、ここにきてその桃花の正体が鬼気を持つ加茂樹その人である可能性が出てきた。
一縷の望みを持つのならば、銀髪の加茂樹が、時渡りをする桃花とも、その身に巣くう鬼とも全く別の者ではないのかと可能性を思うことも出来る。しかしそれは甘い考えであろう。その希望的観測は世の理からはあまりにもかけ離れ過ぎている。
桃花の加茂樹と鬼の加茂樹が共存しているのは事実。だがそこに矛盾もあった。人と鬼とはいえ二つの魂が一つの肉体を共有することなどが果たしてありえるのだろうか。
――陰陽は別としても同じ五行。陽の気の桃花と、陰の気を持つ鬼ならばあるいは共存も可能なのではと思えるのだが……。
何故そのようにして加茂樹はこの世に生を受けたのか。加茂樹の背負う宿命とは一体何のか。澪の中に浮かんだ疑問は更に次々と謎を生んでいった。
澪は深く息をついた。
「銀の樹様……そいつは人なのか鬼なのか。味方なのか、それとも敵なのか……」
神無月が困惑を見せながら言った。
その時、意を決するように優佳が澪の顔を見つめてきた。
「私は銀の鬼を、いや樹ちゃんを信じたいと思う」
「優佳殿……」
「樹ちゃんは誓ってくれた。必ず唯を守って見せると」
「……」
「こうも言ったわ。私を死なせたくなかった。そして、必ず私のことも救って見せるから待っていて欲しいと」
「優佳様、それは信じてもよろしいことなのでしょうか? 鬼の言う事ですよ」
「勿論、確証はないわ。だけど私は鬼灯累の屋敷で見てしまったの。鬼が人のような情を抱いて唯を守る姿を」
「敵ですよ鬼は、有史以来の人の敵です」
「――分かっています。分かっていますが私は自分の目を信じたい。私はあの時、感涙した鬼の姿が嘘には見えなかった。きっと何か事情があるのだと。だから考えたい。鬼が全て悪ではないのだということを」
「優佳様……」
「――分かった」
「れ、澪様!」
「わしも、桃花の予言に確信が持てなくなってきておる。だからといって未だそのほどこされた予言に悪意があったとは奈辺も感じておらぬ。然らば優佳殿の前に現れた者の語ることにも悪意はないと思いたい」
優佳が強い眼で同調した。
「優佳殿、その銀の鬼は他にも何かいうておらなんだか?」
「他にも……」
「そうじゃ。聞いたところでは、その銀の鬼も『桃花の時渡り』を成そうとしているようじゃ。そういう意味ではまずは味方であろう。もっともその銀の鬼が桃花に時を渡らせたあとで加茂樹の体を使って何をやろうとしているのかまでは分からぬ。しかし、銀の鬼は時渡りの後に優佳殿を救うと言ったのじゃろう。そして唯を守るとも」
「そうね、樹ちゃんはそう約束してくれたわ」
澪が一つ頷いた。
「そういえば樹ちゃんがこんな事を言っていたわ。桃花の時渡りは時の必然であり変わりようのない事ではあるが、絶対に変わらないということも断言出来ないと」
優佳が記憶を辿って吐露した。
「時の必然が変えられると?」
「そう言ったわ。それは私の存在が証明していると」
「優佳殿の存在?」
「樹ちゃんは教えてくれた。私の在り様は今とは違っていたと。そして、今起こっている事は自分の知っている事実からは随分と齟齬が出てきていると」
「――銀の鬼の知る事実……。銀の鬼とは、もしかすると事の成り行きを知る者であるのか……」
「樹ちゃんが、成り行きを知る者?」
「うむ、そうじゃな。それならばあり得るな」
「え? 何がです? 何があり得るのですか、澪様」
「桃花の予言は全て断片的なものじゃった」
「はい」
「全てを知り、全てを見通して知らせてきているわけではなかった」
「そうですね」
「つまり夢見の桃花は全能という訳ではなかった。……現在、ここに至るまでの事も決して確定して進んできたものではなかったということは」
「ああ! もう! なんですか、煮え切らない!」
「おお、すまぬな神無月。つまりは桃花の予言が、銀の鬼により授けられていたものだとすれば全ては辻褄が合うということなのじゃ」
「……」
「そうか! 逆に言えば、樹ちゃんは自身が知っている範疇のことでしか桃花の予言を伝えられなかったということね」
「そうじゃ。銀の鬼である加茂樹は事の成り行きを知っていた。知っていたからこそ、次々と起こることが自分の知っている事象と違っていることに気付く。銀の鬼は少しでも己が知る『桃花の時渡り』に事を近づけていく必要に迫られた。ゆえに夢見の桃花としてわしの前に現れ、「桃花の予言」としてその事を伝えて歴史の修正を図っていた。未来が変えられてしまうことを阻止する必要性……これは」
「これは? 何ですか、澪様」
「銀の鬼は、自分の知っている事実と現実に齟齬が生じているといった」
「――そうか! そうね!」
「……」
「わからぬか神無月」
「……」
「到達地点を狂わせておる者がいる。何かに気付き、銀の樹の行動を阻害している者がおるということじゃ」
「その何者かが桃花の時渡りを邪魔しているというのね」
「そうなるな」
「まったく、なんて面倒な事に……。でも待てよ! そんなに桃花の時渡りを邪魔したいならいっそ樹様を殺した方が早くないですか?」
「――時渡りという未来までは知らぬのかも知れぬな」
「それにしても、敵は何故、一気に事を片付けないのでしょうか。優佳様と朱鬼との戦いより数年が経っています。まるで樹様らが育つまで待っていたかのようなこの動きはいったい……」
「遊んでおるのじゃよ。そやつは遊んでおるのじゃ」
「……」
「これはまさに化かし合い。全くもってとんでもないやつらじゃ」
「水音ちゃん、これからどうするの?」
「――うむ。難しいところであるな……。第三極が下手に動けば歴史を変えてしまう恐れがある」
「でも澪様、歴史には元々、修正力というものがあるのでは?」
「加茂樹の時渡りで既に歴史は歪められておる。本来、人は時渡りなど出来ぬはずじゃ、ならば時渡りが無い方が本来の歴史となるのではないか」
「どちらの歴史が真なのか……ああもう! 俺には無理だ。頭が痛くなってきた」
「ここまで来れば、わしにも分からぬ。これはまさに神のみぞ知るじゃ。そもそも『時渡り』が必要であることは分かるがそれが何故に必要なのかは我等にも分からぬこと」
「俺達はこの後どうするのですか?」
「そうであるな、ここまで来れば仕方が無い。後は桃花が何とかするであろう」
「み、水音ちゃん、それはあまりに乱暴すぎます!」
「何を言っておる。優佳殿の方が余程乱暴ではないか」
「それは……」
「とにかくじゃ、我等は流れに乗って動くしかあるまい。優佳殿が来たのも流れであるならばそれも必然であろう。ただし、命は粗末にするな。銀の鬼が何を企んでおるかは知らぬが、必ず助けると約束したのであろう。それに応えるならば、優佳殿、そなた、死ぬのは無しじゃ。よいな!」
最終局面を迎えて知った桃花の予言の真実と銀の鬼の思惑。その上に「桃花の時渡り」という歴史を弄ぶ敵の存在。
こうなったらなんとしてでも桃花に時を渡らせると澪は心に誓った。
澪は戦いが始まった参道を見上げた。
そんな澪の前に、悲壮を浮かべた
厳しい眼をした如月が告げた。
「急報です! 山の東側に無数の野火が現れました。数は数えきれません!」
知らせを聞いた澪がやれやれと笑う。どうやら面白くなってきたようだ。
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