第40話 胎動

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 化け物退治を終え緊張を解いていた蘭子と鈴の様子を横目にしながら、樹の心はどこか落ち着いてしまう事を拒んでいた。

 先程の戦いの中で鈴が口にした「本命」がいるという言葉がどうにも気になって仕方がない。

 そのことを蘭子と鈴に問うてはみたが二人とも揃って危機は感じないといった。

 それでも疑心は拭えない。肌に纏わり付く嫌悪感も消えない。まだ見落としている何かがある。これで終わりでは無いと訴える樹の心は、その原因を探っていた。


 今のこの感覚を味わった場所がどこであったのか。いつであったのか。思索を巡らせる。樹の様子を見て鈴は緊迫の色を瞳に戻していた。蘭子はいぶかりながらも気を張って周囲を警戒していた。

 その様に三人が束の間の安堵の時から寒気立つ戦場へと踏み込もうとしているとき唐突に耳にしたのは、銃声――。

 乾いた破裂音はその場に一気に緊張をもたらせるものであったが、樹の耳はその音をどこか他所事のように捉えて素通りさせていく。樹の心は「本命」の姿を追っていた。


「そうか、あの時か……。そこに、確かにいたな。しかし誰だ?」


 身を震わせる嫌悪と重圧を抱かせた者があの時、あの場所に確かに存在していた。

 急いで廊下を走る足音と蘭子と鈴の焦りの混じった息遣いを聞きながら、樹は記憶の中にいた人物を一人ずつ思い浮かべては、朧気に見えている敵の姿と照合していった。


 建物から外に出るとそこには薄明かりがあり、見上げれば空に真円の月が見えた。


「いやですわ、赤い月だなんて……」


 鈴が眉根を寄せて呟いた。


「鈴、悠長に月なんか眺めている場合じゃないぞ」


 諭すように言って蘭子は参道の方を睨む。

 空を見上げていた樹も「悠長な」という蘭子の言葉を受けて気を取り直し急ぎ参道へ向かおうとした。だがしかし、樹は天上に浮かぶ月に目を奪われて動けなくなってしまう。心は囚われていた。目にする赤い月にどこか見覚えがある気がしていた。


「赤い……月……」

 何気なく口に出してみると、突然、痺れるような感覚が足先から脳天まで駆け上がった。次に締め付けるような痛みが樹の胸を襲う。

 苦しみに耐えきれず片膝を地に落とし痛む胸に手を当てると心臓が激しく脈を打っていた。


 ――誰だ! 何者だ!

 この時樹は、自分の中に自分とは違う何者かの存在を感じていた。

 漠然とした印象のそれは、先の戦いの中で樹の呼びかけに応じた木気の力とは違い畏れを抱かせるものだった。


 体の内側にいる何者かが樹という殻を引き裂き外へはい出ようとしている。

 全身が粟立つ。押し寄せる不快感に胸の悪さを感じると酸が食道を駆け上がってきた。全身が真っ二つに引き裂かれていくような激しい痛み。

 この内側で暴れる何者かを決して外に出してはいけない。だが、必死で抵抗しようとするものの自身の中にいる何者かは樹の力を遥かに凌駕していて抑え込むことが難しかった。


「ウッ……な、なんだ……これ……」

「樹! おい、樹!」

「ら、蘭子……」

 名前を呼ぶ蘭子の声がどこか遠くの方から聞こえてくるように感じると、徐々に意識が薄らいだ。直後に周囲から音が消えた。

 脂汗が頬を伝い悪寒が樹を襲う。

 何とかしなくてはいけないと思いながら苦しみに耐える。歯を食いしばったまま声のした方へ顔を向けると蘭子が口を開けたままで固まっていた。


「――時間が、止まっている? ……な、なんだ! 何が起きた!」


 全身を巡る不快感は更にその強さを増していき与えられる痛みに気が狂いそうになる。身悶える樹は成す術もなく両手を地につけひたすら痛みに耐える事しか出来なかった。


 程なくして「来る」と感じた。根拠はない。そう感じるとしか言えなかったが何故か分かる。


 突然、背中に何かが滑っていく感覚を捉えるとその直後に焼け火箸を当てられたような痛みを感じた。

 瞬間、刀か何かで切り付けられたのだと思った。

 だが苦痛はそれで終わりではない。

 次に樹を襲ったのは更に悍ましいものであった。

 切り裂かれたその切れ目を抉じ開けながら何者かが這い出てきたのだ。

 背中から内臓を引きずり出されているようなその感覚に、気絶させられていたならまだ楽であったかもしれない。しかし状況はそれを許してはくれなかった。


「――加茂樹」


 後ろから、不意に聞き慣れた声で呼びかけられてビクリと肩が動いた。それでも受ける苦痛によって、直ぐに声に反応することが出来なかった。

 横隔膜が呼吸を求めて波打つ。荒く繰り返されているの器官の動きをもってしても全く空気を吸うことが出来ない。樹は肺を大きく動かし何とか深く息を吸おうとした。

 そうしてどれくらいの時間が過ぎたのか、五分か十分かそれとも1時間か……。

 グラグラと揺れる視界の中で時間の感覚はすでに失われていた。


 自分の中から出てきた者は樹の名を呼んでからは身じろぎもせず一言の声も発しなかった。


 しばらくすると全身に感じていた痛みは潮が引いていくように少しずつ静まっていった。何とか心を落ち着けると頭と身体が早春の冷気によって徐々に冷まされていく。


「もういいか?」


 声が聞こえた。ゆっくりと立ち上がって振り向くと、そこに銀の髪に銀の瞳を持つ少女の姿があった。


「ここはお前の意識の中だ。だから感じるわけもないだろうに。痛いだの、呼吸だの、冷たいだのって……」


「――す、ず、ちゃん?」


 相手の発する言葉を度外視する。目にしているその姿に安堵してしまっていた。


「馬鹿か」


 あの時と同じ鈴の姿を見とめて束の間に安心したのだが、侮辱の言葉が安堵を急反転させる。再び先程の畏れの存在が頭をよぎった。

 混乱した。そう言えば、あいつはどこに行ったのかと銀の白雉鈴を見つめながら首を傾げると、呼びかけた少女は知ったふうな感じで嗚呼といって視線を横に向けた。

 その視線の先を追うと……止まった時間の中に動かない鈴の姿があった。

 樹は見比べるようにしてもう一度少女を見た。


「俺は白雉鈴ではないよ」


 苦笑を浮かべる少女から直ぐに返事がくる。少女の声には落胆の色が混ざっていた。

 鈴ではないと鈴に似た少女は答えるが樹はこの少女を知っている。

 この少女こそが、先の化け物との戦いで瀕死の鈴を抱える樹を励まし導いた者で間違いなかった。

 しかしあの時とは違い目の前の少女は何か得体のしれない不穏な気配を醸し出している。


「――君、なのか、僕から出てきたのは」

「ああ、そうだ」

「僕の中にいたのか?」

「そうだ」

「……」

「いつからかとかそんな愚問はするなよ。お前にはもう分かっているだろう?」


 分かることを当たり前のことのように言われて樹は戸惑うが思い当たることがあった。それは樹の在り様を人外の者と称させるもの、「鬼」の存在であった。樹の意中を汲み取ったかのようにニタリと笑う少女。


「まぁ、いいだろう。俺はお前と共にこの世に生まれ落ちた。それでいい」

「僕は鬼と共に生まれたのか」

「鬼、鬼ねぇ……」

「鬼なのだろう、君は。あの時も鈴ちゃんに化けていたのか? 目的は何だ」


 樹に存在を問われた少女はやれやれと困ったように笑った。


「何が可笑しい」

 

 会話が噛み合っていないように感じたがそれでも何故か目の前にいる少女の考えていることが手に取るように分かる。樹は苛立ちを覚えた。


 こいつは嫌だと直観が危機を告げる。語気を強め少女を睨みつけながら樹は注意深く後ろの蘭子と鈴を庇うように少しずつ位置を変えていった。


「そんなに警戒しなくても俺は何もしやしないよ。それよりも、せっかくこうして会えたんだ。少し話をしないか」

「話? 僕と君で何の話をしょうというんだ? 僕が知りたいのは、君が何者なのかということだ。あの時、僕を導いてくれたことには感謝している。だけど僕は今、君に嫌なものを感じている」


 樹の問いに少女は落胆し首を左右に振りながら溜め息をついた。


「――俺の正体ねぇ……。そもそもさ、俺が呆れたのは、お前がこの俺を目の前にして正体を訪ねていることに対してなんだよ。お前ってほんと間抜けだよな。さっきの戦いにしても、あの程度の者に対して右往左往してしまうし、戦いの最中にも気を散らせてしまう。あげく白の巫女を盾にして死なせてしまうところだった。これにはもう百万回溜め息をついても足りないくらいだ。すっかりと失念してしまっていたよ。まさかここまで愚かだったとは……。いやはやこれはどうしたものかと思えば情けなくて死んでしまいたくなるね」

 

 少女はガクリと肩を落とすと手を額にあてがい頭が痛いといって嘆いた。


「……」


 辛辣な言われようであった。相手に見下され軽く見られている。しかしそれが事実となればぐうの音も出ない。樹は全く反論することが出来なかった。

 消沈する樹を見て少女がまた溜め息をついた。

 無力は認める。しかし悪し様に言われる筋合いはない。お前は何様だというのか。悔しさに歯がみをして樹は睨んだ。


「やれやれ、仕方のない奴だな。俺が何者なのか目で見なきゃ分からないのなら見せてやるよ」


 少女は含み笑いを落として一度下を向いたのだが、次に顔を上げると挑戦的な視線を樹に向けてきた。

 嘲るように笑う少女。その姿が歪み始めると、徐々にその形を変えていく。鈴に似た少女は、やがて一人の見慣れた少年の姿を見せた。


「これでいいか?」


 凛とした瞳は深い海を思わせるようなへき色で、高潔を感じささせる銀の髪はふわりと揺れればそこに青みが差して美しい。目の前の少年からは樹を圧倒する程の力と自信が感じられた。それでも樹はその正体を見ても怯むことなどはなかった。

 自分と同じ容姿を持つ少年。それは見覚えのある姿だった。樹の心の中に抑えきれぬほどの怒りが湧き上がってくる。


「お前は!」

「どうだ? 覚えがあっただろ? この姿を見てやっと思い出せたか?」


 確かに言われた通り覚えがあった。いや、それどころか忘れることなど出来はしない。樹は吹雪の中で幼い唯を殺した夢を思い出していた。


「君が、君があの時、僕を体から追い出して唯を――」

「そうだ、あの時のあれは俺がやった」

「……」

「何の為に、とは聞かないのか?」

「どうせ鬼のやることだ。唯を殺してみせることに大した意味などあるはずもない」

「意味が無い? おいおい、俺がそんな事をしないということはお前が一番分かっているだろう加茂樹。俺もお前も同じ加茂樹なのだからな」

「なんだって!」


 銀の鬼の言葉に衝撃を受けた。

 銀の鬼は自分も加茂樹であると宣言をした。姿を似せているということではなく同じだと断言した。

 言われてみれば目の当たりにしているもう一人の自分とは思考も意識もまるで共有物のようにリンクしているのだと感じてしまう。

 感覚の共有はあの夢の中でも感じた事ではあるが今はなお共鳴しているようで近かった。

 銀の鬼と樹は二人で一つ、一つで二人といったように、己の全てを鏡に映したように見えてその区別がつかなかった。

 根を張る足元からその存在が揺らぎ始めた樹は、鬼に魂を根こそぎ飲み込まれ自分を見失いそうになった。


「分かったか加茂樹。俺とお前は同質で同等、全てが同じものだ」

「――こんなことが、こんなことがあってたまるか!」


 樹は激しくかぶりを振った。


「あるんだよ。これは二重人格や二つの魂の混在なんいう陳腐なものじゃない。正真正銘にここに加茂樹の魂が二つあるということだ」

「…………」

「さっき俺がお前を分離させるときに魂に痛みを感じただろ?」


 淡々と話すもう一人の自分の言葉に嘘はないと思ってしまう。まるで自分が自分に言って聞かせているようにさえ感じてしまっていた。しかし問題はそこではない、たとえ目の前の自分の言っていることが本当のことであったとしても、納得できる理由がみつからない。


「どうしてこんなことに? なんて思ったか桃花」

「トウカ?」

「そう、桃の花と書いて『桃花』それがお前だ。そして俺は……」

「――君は」

「そうだな、赤月の桃花、とでも呼んでもらおうか?」

「アカツキノトウカ……」

「赤い月の元に現れる桃花で赤月の桃花だ。そして今夜、お前と入れ代わる予定になっている者だ」

「――入れ替わる?」

「そうだ、今夜、お前はいなくなり、その身体は俺のものになる」

「ふざけるな!」

「別にふざけているわけではない。その体は俺の身体でもあるんだ。返してもらわねばならない」

「そんなこと、僕がやらせると思うのか?」

「お前がどうしようとこれは変わることのない事実だ。仕方のない事なんだよ」

「事実?」

「そうだ、事実だ。歴史の流れは変えられない。これは時の必然というものだ」

「時の必然だって? まるで未来のことがわかっているみたいな言い方をするじゃないか、先のことなど、未来のことなど分からないだろ。今この時がこれからどうなるかは僕達が作るんだ。決められているわけじゃない」

「まぁそれはそうだな。未来はまだ決まっていない。でもここまでのことは桃花の予言を誘引する俺にとっては過去のことなのさ」

「またか、さっきから何を訳の分からない事を――」

「訳なら分かるさ、お前が消えた後にな」

「僕は消えたりなんかしない。そしてお前にこの体を譲る気もない」

「いいのか、桃花。これから起こる事はお前ではどうすることもできないぞ」

「やってみなければ分からない」

「分かるさ、今のお前には力が無い。そもそも考えてもみろよ。桃花、お前は自分の力の本質を知らないだろ。さっき鈴を助けたのはお前のどの力だ?」

「そ、それは……」

「今にもこと切れそうな人間をこの世に引き留め、怪我を完全に治癒した力はどこから来た? お前はあの時に何を考えた? 魂のこと、傷の状態のことを考えたのか? お前はただ鈴を助けて欲しいと力に願っただけだろう?」

「……」

「今のお前では奴には勝てない。奴のしっぽを掴む事すら出来ないだろう。だからお前は知る必要があるのさ。そしてこれは定めだ。残念だけど抗えることじゃない」

「奴? 奴とは、今、参道にいる敵のことか?」

「参道? ああ、朱鬼のことか」

「シュキ?」

「朱色に鬼と書いて朱鬼。御爺様の中にいる赤鬼のことだよ」

「赤鬼?」

「一三〇〇年前のある日、邪道を極めた一人の僧が鬼気を纏って鬼に昇華した。それが朱鬼だ。元の名を『丹仁』という。だけど本命は朱鬼ではないよ」

「本命……」

「そんな話はいいんだ。後のことは俺に任せてくれればいい。お前にはお前のやるべきことがある」

「……君のやる事と、僕のやるべき事」

「そうだ」

「――そんな都合のいい話を僕が信じるとでも思っているのか?」

「いいか、信じる信じないといった話では無いんだ。これは時の必然だって言ったろ」

「僕は、君を認めない。鬼なんかにこの身体を渡すものか」

「頑固だよねぇ、ま、いいよ、どうせ直ぐに分かることだ。そうだ、俺の言う事が信じられないというのならその証しとしてこれから起こることを一つ教えておいてやるよ」

「…………」

「今夜、鬼灯累がもう直ぐここに来る」

「ホオズキルイ?」

「ああそうか、すまない。鬼灯累は、そうだなお前の知っている名でいうと真中唯だ」


「――な、唯だと? そんな、なんで」

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