第41話 時の必然

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 あり得ないと思う。苦悩の日々が徒労であったことを知らされたのも数日前である。その上に苦心しながら探していた唯の方からこちらに出向いてくるという。

 まるで何者かに仕組まれているかのように物事が進んでいる。

 これが赤月の桃花のいう「時の必然」というものなのだとしたら自分はこれまでなんという茶番を演じて来たのだろうか……。


「必然なんだよ。ここに鬼姫となった真中唯がやってくるのは。ついでに言えば、真中唯の鬼化を解くことはお前には出来ない。無理だ」

「鬼姫……唯の鬼化……」

「そうだ。真中唯は鬼姫となっている。鬼姫とは古の大戦において陰陽五家と戦った敵の総大将のことをいう」

「……」

「出来るのか、お前に。鬼姫と切り結びながら鬼気を押さえ込み、その上で鬼化を解くことが出来るというのか? 桃花、今のお前に」

「――君ならば、出来るのか」

「出来る」

 赤月の桃花はあっさりと言って自信を見せた。


 唯を救わねばならない。もしも赤月の桃花の言う事が本当のことならば、言われた通り、唯を救う術を持たない樹では役に立たない。樹の脳裏が迷いに霞む。迷う。何か方法は無いのか。たとえこの身を犠牲にしてでも唯を救いたいという気持ちはある。だが出来るのか、自分に。――出来るのか、こいつになら……。

 樹は、赤月の桃花の顔を伺った。厳しい目つきで相手を睨み付け意図を尋ねた。


「俺には出来る。だが、俺はそれをしない」

 口を開いた赤月の桃花の言葉に樹は愕然とする。

 赤月の桃花は何の迷いも見せずに唯を救わないといった。

 こいつの言っている事はおかしい。こいつの話している事には矛盾がある。

 赤月の桃花は唯を救えるのかと問うてきた。それは唯を救いたいと言っている事に等しいのではないのか。しかし、唯の鬼化を解いて救うのかと尋ねればその答えは否だという。ふざけている。一体何がしたいのだと胸の中に怒りが込み上げてきた。


「何故だ! 君には出来るのだろう!」

「何故? また質問か、考えてみろよ単純な事だ。使える鬼姫が必要だからさ」

「唯を利用する気か?」

「そうだな」


 赤月の桃花は不敵に笑い平然と言ってのけた。


「目的は何だ。君は僕に代わって何をしようと企んでいる」

「言ったところでどうなるんだ? どうせお前が消えた後のことじゃないか」

「僕は消えたりなんかしない!」

「消えるよ。この俺が消すのだからな」

「僕は君なんかには負けない」

「お前が残れば、世界は唯によって破滅させられるぞ。いいのかそれでも? お前に唯を止められるのか?」

「……またか。さっきから君の言っていることは矛盾だらけだ。唯を救わなければ世界が滅ぶと脅し、僕に唯を救うことが出来るのかと問う。君は唯を救いたいのか、それとも救いたくないのか。世界の破滅を止めたいのか、破滅を望んでいるのかどっちなんだ! 訳が分からいよ! 何がしたいんだ君は! 世界を破滅させるのは君なんじないのか!」

「まずは鬼の王となり鬼を従えるっていったら?」

「――な、そんな……」

「この俺ならば、それは容易いことだ」

「……」

「良い考えだとは思わないか? 桃花が、あの桃花が鬼の王だ! こんな愉快なことは無い」

「馬鹿な事を。そんな奴を自由になどさせない。この僕が君を止めて見せる。そして唯も救う」

「出来るのか? もう分かっているだろう、俺とお前の力量の差など。それどころか、お前は唯と刃を交えることが出来るのか? 斬り合って刃を突き立てることが出来るのか? 唯を救う手立てはある。それはもう知ってるだろ? 俺が一度やって見せているからな」

「見せた? ……まさか、まさかあの夢は!」

「そう、俺がお前に見せた。猿楽蘭子にも、白雉鈴にも、そして真中唯にも同じ夢をな」

「な、何のために」

「いちいち聞くな、俺とお前は同じだと言った。自分の心に聞いてみろ」

「嫌だ。君の口車には乗らない」

「――やれやれ、まるで幼子のようじゃないか。じゃあ試してやるよ。お前が本当に唯を救えるのかどうか」


 赤月の桃花が言って手を翳すと樹は吹雪の中に放り込まれた。その極寒の世界で樹の記憶が蘇る。


 ――吹雪の中で唯を殺した。

 狂気を浮かべる自分の姿がそこにあった。

 樹の持った剣が深々と唯の心臓へと食い込み背中に突き抜けた。

 樹は手を見る。そこには唯から流れ出た赤い血がべっとりと貼り付いていた。

 口から血を吐きガクリと首を落とした唯の最後。凄惨な光景が何度も巻き戻されては再生される。「ありがとうと」唯の断末魔の声も頭の中で何度も繰り返された。悔恨と罪悪感が樹を襲った。

 

「うわぁぁぁぁ!」


 心の中心に大きな穴が開く。暗闇が樹の心を飲み込もうとする。

 両手で頭を抱えガクガクと震える。樹は全身から力が抜けていくのを感じると再び膝を地に落とした。


「まったく……。これくらのことで音を上げてどうするんだ」


 揶揄する言葉を受けた樹は両手を地に付けたまま首だけをどうにか上げて睨みつける。


「――死をもってしか、唯は呪縛から解放されないということなのか?」

「それは唯の状況にもよる。唯が鬼灯累となっているのならば、唯を縛る呪の核を破壊する必要がある。そしてその核は唯の心臓と重なるようにしてあるんだよ。出来るのかお前に、一撃で核を貫くことが。唯を鬼籍に渡して引き戻すことが今のお前に出来るというのか? ……出来ないよ」

「……」

「分かっただろ?」

「……それを信じろというのか? 君の言うことなど、鬼の言うことなど信じられるわけがないだろう。唯を救う方法はきっと他にも――」

「無い! 無いんだよ」

「なんでそんなことが分かるんだ?」

「おいおい、お前は自分の言っていることが信じられないのか?」

「――僕は君じゃない! 君は……鬼の王になって、唯を利用して何がしたいんだ! 世界を手に入れたいのか? 君の目的はなんだ!  敵なのか! 味方なのか!」

「目的か……それに敵? 味方? うーん……そうだな、五家が下僕として使えるのならば味方ということにもなるな」

「ふざけるな!」

「そうだな、これは状況にもよるが、俺が陰陽五家を滅ぼすなんてこともあり得るかもな」

「鬼の王になり、五家をも従える。本気で言っているのか?」

「まぁ、それもまた必然? ってところか」

「そんな奴を野放しになんて出来ない」

「それがお前の結論か? 桃花」

「そうだ。残るのは僕だ。鬼の加茂樹が存在している事は事実だが、君が僕だということは認めない。僕か君か、どちらか一方しか残れないことはもう理解している。それでもまだ主導権はこちらにある。さっきの痛み、あれは魂の分離による痛みだ。君が僕から応分の力を引きはがしたことによる痛みなのだろう」

「……」

「君は自分に聞けといった。だから僕は自分に問うた。僕には僕の力がそのまま残っている。君には負けない。絶対にこの身体からは出さない。たとえ死んでも君を道づれにする」

「……まぁ、お前ならそう言うだろうとは思っていたのだがな。仕方ない、あくまで抵抗するというのならばやってみるがいいさ。だが言っておくぞ桃花、俺はお前が消えるまでの未来を知っている。それは抗えるものではない。未来を知っている俺はお前を送り出す為に今日の日までありとあらゆるお膳立てをしてきた。それでも俺がお前に消されるというのならばそれも定めなのだろう。どちらにしても桃花は棘の道を行く」

「僕は負けない。あそこにいる朱鬼という鬼にも、定めにも勝つ。そして唯を救う。必ずだ」

「分かった。まずはお手並みを拝見するとしよう」


 赤月の桃花は樹の意識の中から姿を消した。樹は力を込めた拳を見つめた。自分の中に木性の力が宿っていることはもう確かめるまでもない。あとはやるだけだと強く決意するだけであった。


 ――樹の周囲に色と音が戻った。


「い、樹様!」


 鈴の声が聞こえた。


「大丈夫でございますか! 一体何が」

「鈴ちゃん、僕が苦しみだしてからどれくらい経った?」

「どれくらい? いえ、まだほんの僅かな時しか経っておりませんが……」

「樹? お前なんだか感じが変わったような……何かあったのか?」

「樹様……」

「蘭子、鈴ちゃん、僕は今、自分の中の鬼と会って来たよ」

「鬼、でございますか?」

「そこでこれから起こる重大な事を聞いた」

「重大な事?」

「参道にいる敵は、御爺様だ。奴は朱色の鬼、その名を朱鬼というらしい」

「朱鬼?」

「そして今夜、唯がここにやってくる」

「な、マジか! あれだけ探して見つけられなかったのに……」

「でも、何故、樹様の中の鬼はそのような事を――」

「これは『時の必然』であると赤月の桃花は言っていた。未来を知っていると言っていたんだ」

「時の必然……赤月の桃花……」


 鈴が空を見上げた。


「そうだ、赤い月の夜に現れる桃花で赤月の桃花。あいつは強い。そしてあいつは今夜、僕をこの体から追い出して僕になり替わろうとしている」

「なんだって!」

「参道にいる鬼など比べるまでもない。あいつは強い……」

「樹様……」

「鈴ちゃん、蘭子、これからの戦い、朱鬼を倒して父さん達を救うことがまず第一なんだけど、ここにやってくる唯を救うことの方が更に難しいことになるのだと僕は思う。何せ唯は鬼姫となって現れるのだから」

「鬼姫だって! 唯ちゃんが」

「鬼姫ですか……」


 蘭子と鈴の驚きに樹は無言で頷く。


「朱鬼のことはみんなで力を合わせるとして、唯に関しては僕に任せて欲しい」

「……樹」

「どうやら、唯の鬼化を解くのに僕の『桃花』としての力が必要らしい」

「桃花、でございますか?」

「うん。桃花だ、鈴ちゃん。実はこの桃花というものについて僕が何かを知っているわけじゃない。赤月の桃花の受け売りでもあるから信じて良いのかどうかも分からない。ただ、あいつが言ったことに嘘はないように感じた。鬼化を解くために桃花の蘇生の力が必要というならば、やはりその力を持つ僕が唯を救う役には適任ということになるのだろう」

「……蘇生」


 言葉を口にしながら鈴は厳しい眼を樹に向ける。


「大丈夫。僕は唯を必ず救って見せる」


 樹は鈴に笑顔を作って見せた。


「――だけどこの戦いで朱鬼や唯のことよりも最も重要で気を付けなければならないことがある」

「気を付けること?」

「最も重要なこと……」

「それは僕の中にいる鬼を決して外には出さないということだ。その戦いの最中、僕に万一のことがあれば……」

「なんだよ樹、万一って」

「僕は僕の中の鬼を封じるつもりだ。だけど、もし僕が負けた時は」

「……負けた時は」

「二人で力を合わせて僕を殺してくれ」

「な! 樹、そんな馬鹿な事が出来るわけないだろ!」

「……」

「あいつは鬼の王になるといっていた。僕が負ければこの世にどんな災厄をもたらせるのか分からない」

「だからって! 樹を殺すだなんて……そんなこと……そんなことあたし達に出来るはずないだろ!」


 蘭子は激しく首を振って下を向いた。

 そんな蘭子を見て一度目を閉じて上を向く。目を開いた樹は次に乞うように鈴を見た。


「鈴ちゃん」

「……分かりました」


 鈴の潤む瞳が強い決意を湛える。


「お、おい、鈴!」

「私は、樹様を信じます。樹様はきっと負けない」

「蘭子、鈴ちゃん、僕は負けるつもりはないよ」

「樹……」

「さぁ行こうか! 敵は朱鬼、鬼姫は捕らえる。そして赤月の桃花は僕が封じる」


 加茂樹、猿楽蘭子、白雉鈴の三人と、朱鬼、鬼姫、赤月の桃花の戦いが始まる。

 鐘は鳴った。

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