第28話 時を紡ぐ者

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「皆、今回の事は本当に申し訳なかった」


 老婆は深々と頭を下げた。


「しかしながら、今はまだ全てを明かす事が出来ぬことも許してほしい。じゃが神無月の言う『桃花の予言』については少しだけ話をしておこう。桃花の予言とは、わしが先代、桃花の神薙様より託された言葉じゃ」

「……先代様の」

 皐月は伝聞に思いを馳せた。


「そうじゃ、先代様の言葉じゃ。しかしそれは予言とはいっておるものの全ての事象を解き明かし我らを導くものではない。それでも、今夜ここで一つ確実に起こることがある。その経緯を見守り、来る惨事に備えることが今、我々に課せられた第一の役目であると心得て欲しい」


「澪様、今夜確実にここで起こる出来事とはどのようなことでございますか」

 極月が尋ねた。


「うむ。それはの、平たく言えば今夜ここで過去と現在の時の交わりが起こるという事である」


「――現在と過去……」

 皐月が呟くようにいった。


「先代の桃花の神薙は、未来の桃花が赤い満月を背負い千年の時を渡って自分の前に現れたといっておられた。そしてその時に未来の蒼帝より過去の蒼帝にもたらされた話を聞いて千年後に備える事を思いつかれたと言っておられた」

「――つまりは、その……こういうことでございますか。桃花の予言に基づいた我等の行動は全て、我らが集まっているこの時までの出来事を基に構築されていると……いやはやこれは何ともややこしい……」


「鶏が先か……卵が先か……」

 極月の言葉の後で如月がなるほどといった感じでボソリと呟いた。


「そうじゃ。先代は加茂樹に出会う事でこれ程の策を練ることが出来たのじゃ。そしてそれを予言として残すことが出来た。しかしそれは先代様が後世に予言として策を授けたからこそ起こる事となる。まさにこれは因果のジレンマとでもいえる事かの。しかしのう、問題は別の所にあるのじゃ」

「……別の所に、でございますか?」

 如月が小首を傾げる。


「そうじゃ、別の問題じゃ。予言については先代様の事情であって、今の桃花の事情ではないということじゃ」

「……それは一体どういうことです?」

 神無月が聞いた。


「うむ。先代様は、加茂樹が無事に元の時代へ戻るところまでは見届けていないのじゃ」

「なるほど、過去からはそこまで見通せなかったというわけでございますな」

 極月がいって頷く。


「予言といっても、これは、先代様が未来を見通せたということではなく、今夜、加茂樹が時空を超えたことで、たまたまこの時代の情報を得られたという方が分かりやすい。じゃからここから先の未来は分からぬし、その先を示す予言はない。後は自力でなんとかしろということになるのじゃが……」

「じゃが?」

 如月が問う。


「……うむ。その時渡りの後のことは加茂樹が無事に戻るかどうかで大きく変わってくるのじゃ」

「桃花様が戻らねばどうなるというのですか?」

 如月が再び問う。


「うむ。それはの、それはちょっと言いにくいのじゃが……」

「なんだよ澪様、今更言いにくいも何も――」

  そうじゃよな……今更じゃよな……」

 老婆が口をすぼめ表情を歪めた。


「澪様にしちゃ煮え切らないじゃないですか。俺達なら大丈夫ですよ! ほら、どーんと安心して話しちゃって下さいよ!」

「そうか! そうじゃな。さすがは神無月じゃ! ならば安心じゃな。実はの、実は加茂樹は鬼なのじゃ」


 先程までとは表情を一変させ老婆が愛らしい顔で微笑んだ。


「なぁんだ、そんなことかぁ……。って、ええええええ! って、桃花様が鬼って、ええええええ!」


 驚く神無月の顔を見てしてやったりと老婆が悪戯な笑みを浮かべる。


「正しくは鬼の因子を持つ者ということじゃがの、その加茂樹の中の鬼というのが正確にはどのようなものなのかはよく分からないのじゃ。先代様の話では加茂樹が鬼として目覚めれば恐らくは神格級かそれ以上の存在となってこの世に害を及ぼすであろうということじゃった」

 老婆が口角を目一杯広げてニコリと微笑み目をキラリと輝かせた。


「な! なんと! 下にいる朱鬼でさえ相当な奴でございますのに、それを超えるとは……」


 驚愕の事実を知らされて極月は震え、如月の顔は青ざめた。神無月はショックのあまりあんぐりと口を開いたまま固まっていた。

 驚く五神官の顔をそれぞれ見渡してから老婆はフッと息を一つ吐いて真顔に戻る。 老婆は優しい声色で再び話を始めた。


「皆、そんなに思い詰めた顔をするでない。何らかの強い意志で過去を求めたのであれば、目的を果たす為に何としてでも帰ろうとするであろう。桃花を信じようでは無いか」

「そ、それでは、桃花様がお戻りになれば万時上手く行くと考えて良いのですか!」

 皐月が必死に縋るような目をしていった。


「そうじゃの、上手く帰って来られればこの上のない幸いよの。なにせ先代が言うには加茂樹は先代をも凌ぐ才の持ち主らしいからの」

「戻れば最強、戻らねば最凶って、なんですかそれは! それって、もの凄くふり幅のデカい大博打じゃないですか!」

「お、おい、神無月! 先程から澪様の御前で口の利き方が過ぎるぞ! お前は――」

「よいよい極月、畏まっておっても話は進まぬ。それにこれは神無月の申す通りに博打じゃからの」

「は、はい……」

「しかしの一番の問題は、加茂樹の魂が時渡りをしたすぐ後に起きる」

「澪様、それは如何なることでございましょうか」

 極月が緊張を浮かべて聞いた。


「――それはの、時を渡るのは加茂樹の桃花としての魂のみで、鬼としての加茂樹の魂と肉体がここに残されるということなのじゃ。加茂樹の魂は実に危ういバランスの上に成り立っておっての。これまで何事も起きなかったのは、おそらくは桃花の魂が尋常ならざる鬼の魂を押さえ込んでいた故であろう。さすれば、加茂樹の身体から桃花というタガが外れればどうなるのか……」


 老婆の言葉を受け、思い浮かべたことはみな同じであろう。重い空気が、皐月ら五神官達の肩に圧し掛かる。

 沈降する空気の中で如月が何かを思いついたようにポツリと言葉を吐いた。


「――澪様、桃花様が時をお渡りなるきっかけとは如何なるものにございましょうか?」

「ふむ。如月よ、良いところに気付いたの。じゃがそのことは、わしも教えてもらいたいことでの。加茂樹は今宵の戦いの中で窮地に陥った時に神奈備かんなびのようなものを開いた。と、ことまでは分かっておるのじゃが、それがどの敵と戦っているどの場面なのかは分からないらしいのじゃ。まったく、蒼帝も神獣のくせに記憶が飛んでしまうとは。全くもって情けない事じゃの。ははは……」

「はははじゃないですよ澪様。それで? 俺達はこれからどうするんですか?」

「そうじゃの、三紫の討伐後も加茂樹はそのままで健在じゃ。なれば次はいよいよ朱鬼戦となるのじゃが……」

「では、朱鬼との戦いにおいて加茂樹様が過去へ渡るということでございましょうか?」

 皐月が聞いた。


「…………」


「――澪様?」

「それが分からぬのじゃ。ここにはあの三紫を放った黄玉おうぎょくめも来ておるはずだからの……。あやつがどう出てくるかが分からぬのじゃよ」

「では、その黄玉とも戦いになる可能性があり、桃花様が旅立たれるのは朱鬼戦か黄玉戦かのどちらかになると?」


 極月が尋ねた。


「わからぬのう、どうかのう、どうしたものじゃろうのう……」

「澪様、今は遊んでおられる場合ではございませぬ!」

「いや、すまないの。とにかく不確定要素が多すぎての。こればかりは起きうる流れにその都度対応していくしかないということになる。ただし、朱鬼戦においてはそれほど危惧せずともよかろう。あれも玄眞の体ではその力の半分も出せないだろうからの。それに朱鬼の目的はやはり加茂樹の中に眠る鬼であろうからよもや加茂樹を殺す事はないとは思うしの。危ういというならば赤と白の巫女の命は危ういの。それに相克と相生というものもある。火の性質の朱鬼を相手に、木は力を与え、火は同性、金は力を削がれる。これで対峙するのはちと荷が重いであろうからの。それに今の神薙達は素人も同然で神器も神装束も持たない。とても歯が立たぬであろうのう……」

「では澪様、今のままでは動きようがないという事でござりますか?」


 思案する澪が一つ唸ってから答えた。


「ヒントはある」


「それは何です?」

「蒼帝じゃ。加茂樹が過去に渡るとき、蒼帝の大太刀も一緒に向かう。これは歴史の必然であるから曲げようのない確実な事。であれば事が起こるのは加茂樹が蒼帝の大太刀を手にした後という事になるはずじゃ」

「なるほどね! 歴史は曲げられないか。それは水無月の件でも証明されていることだよな。ならば見極めるべきポイントは桃花様が蒼帝の大太刀を手にされた時ということで間違いないな」

「そうじゃ、神無月。じゃから我等が今からとるべき行動は、朱鬼戦を見定めることが第一となる。その上で黄玉にも備える。なに、桃花は死なぬ。これは歴史の必然じゃ、じゃから戦いに於いては桃花は見守り、守るのは赤と白の神薙を主とする。ただし手を出すタイミングはわしが見極めて指示する。それまでは動くでないぞ。戦場いくさばでは極月と皐月で神薙の支援を行うこととする。ギリギリの所まで近付いて潜め。事が起こっても朱鬼は倒さずともよいぞ無理はするな命を厭え。あれはあくまで加茂玄眞に憑依している存在に過ぎぬ。ここで倒せたとしてもどうせ滅ぼすことが出来るのは玄眞の肉体のみとなろう。引かせる事さえ出来ればよい」

「御意」

 極月が強い眼で返答し皐月が頷く。


「如月と神無月は、黄玉出現に備えよ」

「了解!」

 神無月が軽い口調で答え、如月も目を光らせ意欲を見せた。


「最後に、加茂樹は過去に渡ることになるが、いつ戻るのか、また、必ず戻ってくるのかも分からぬ。じゃから、加茂樹の神薙としての魂が体から離れた時には、加茂樹の中の鬼が目覚めぬように全員でそれを封じることになるので心せよ! この策は加茂樹の鬼を封じることこそが一番肝要であると心得よ。それでは皆の者武運を祈る」


 主の意を受けた五神官はそれぞれ片膝をついて一礼をした。

 皐月と極月はすぐさま戦いを始めた桃花の元へと向かった。



 皐月は意気を上げて己が戦場へと向かった。

 薄明かりの差す森の中を走る。月光が繁る枝の間を抜け落ちるようにして地を照らしていた。

 気配を殺し、音もたてず走る皐月の中にもう動揺はない。皐月は勇んだ。

 風になる。闘志を沸き立たせるが火照るその身を三月の冷気が心地よく冷ました。

 いよいよ主戦に赴くことが出来る。伝説の赤鬼と相まみえようとしている。

 皐月の頭は冴えていた。主は、朱鬼討伐を命じなかった。しかいそれも部下に気負わせない為の心遣いでもあると分かっている。今の皐月にはたとえ相手が神格級の鬼であろうとも存分に戦える自負があり自信がある。

 皐月の体は震えていた。しかしその震えは恐怖から来るもではない。


「戦えることがこんなに嬉しいなんて」


 向かう先からは少し前から大きな音が聞こえてきていた。


「桃花様、今、皐月が参ります!」


 桃花と共に戦えることに喜びを感じている。皐月の顔に自然と笑みが浮かんだ。


****


 神無月と如月に添われるようにして犬童澪は水無月の亡骸の前に立った。


「すまなかったな水無月……。時を紡ぐ者として、お前の定めを変えてやることが出来なんだわしをどうか許しておくれ……」 

 老婆が骸に向かって頭を下げる。

 老婆が骸に向かって手を翳すと、たちまち水無月が直方体の氷棺に収まった。


「おやすみ。水無月」


 亡骸を収めた氷棺が、隅から順にキラキラと輝きながら砕けていく。砕けた氷はさらに細かく雪のようになって風と共に舞った。雪が空気に溶けるようにして消えていく

 雪へと変わって流れ去る水無月を最後まで見届けた後、澪は眼に強い光を戻し天を見上げた。

 その時、澪の頬を伝った一筋の涙も、地面に落ちる前に風に乗り水無月を追うようにして消えていった。






※第1部 完。次回より第2部 残すところ二十万字弱です。よろしくお願いいたします。

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