第11話 凍える夢

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 白い霧の中を彷徨っていた。視界は不良で辺りを見渡す事も出来ない。上りもなく下りもない平坦な道のり。平野であろう事は感覚が知らせていた。

 歩いていた。気が付けば一心に歩いていた。意識の中に目指すところはない。それでも、ただひたすらに歩く。建物などどこにも見えなかった。


 しばらく進むと、ポツリ、ポツリと木立が見え始める。まばらに立つ木々はみな枯れていた。


 ……ここは、どこだ? 僕は何故、このようなところに居るのだろう。


 自らの意思があるようでない行進。

 樹は歩かされていた。行く先に何があるのかも知らず、目的も分からず。ただ漠然と先へ先へと進む。


 それでも後戻りは考えなかった。いや違う。突き動かされる欲求に抗うことが出来ないでいたのだ。

 その場所に行かなければならないという強い欲求が樹の背中を押していた。


 ――進め、進め、僕はそこへ行く。行かなきゃならない。


 もうどれくらい歩いただろうか。思うが時間の経過を測ることは出来なかった。見ている景色もまるで変わらなかった。

 代わり映えのしない景色。変化を感じようと目を凝らす。心なしか霧も深くなってきているような気もするが……。いや、確かに霧は濃くなってきている。


 とうとう樹は深い霧の中で行き先を見失った。

 霧煙る平原。その白い世界で独り途方に暮れると疲労を溜めた足から力が抜けていった。樹はその場に崩れ膝をついた。


「樹君、心配しなくていいよ」

 霧の中から折れかけている心に語り掛ける者が現れた。姿は見えなかった。


「誰、ですか?」

「この世にはね鬼なんていないんだよ、よほど怖かったんだよね、大丈夫だよ後はおじさん達警察に任せてくれ。大丈夫、きっと妹さんを見つけるからね」


 それはかつて、誘拐事件の事情聴取をした警察官の声だった。



「樹、こんなところに籠もって一体何をしているんだ。そんなことしたって唯は喜ばないぞ。警察は今も必死に捜索を続けてくれている。私達も一生懸命に探している。だから樹は普通の生活に戻りなさい」

「……父さん」

 次に現れたのは父親だった。


「樹、無理をしないで。唯ちゃんの事は大人と警察の皆さんに任せましょう。あなたまで体を壊してしまったら母さんもう……」

「何してんだよ樹、こんなところで探し物か? 鬼? バカだな、鬼なんているわけないだろ」

「樹様、この様な所で必死になったところで唯ちゃんは見つかりませんよ。それに鬼なんて、いつまで子供みたいなことを言っているのですか、しっかりしてください」

 次々に人が現れて樹を諭す。皆が揃って無理だ、無謀だ、現実的になれと語る。

 

「ねえ、樹君。君がここの収蔵庫で調べものをしているのは唯の為? それとも可愛い妹を失った可哀そうな自分の為?」

 最後に上狛水音が現れて、樹のことを嘲笑った。


「なんだよ、みんな。なんでそんなことを言うんだよ。蘭子も鈴ちゃんも、僕のことを信じてくれたのではないのか? それに水音さんまで……。唯を救うヒントをくれたのはあなたじゃないか。それなのに」


「樹君、無駄なことは止めた方がいいのよ」

「樹、馬鹿なことは早く止めろ」

「樹様、所詮は無理なことでございますわよ」

「なんだよ! みんなして……。僕は無駄なことをやっているわけじゃないよ。馬鹿なことでもない。無理でもないんだ!」

 握りしめた両拳を大地に叩き付ける。樹はその後、迷いを振り払うようにして首を振りキッと唇を噛んだ。


「諦めの悪い子ね。ならば聞くけど、あなたには本当に鬼と戦う覚悟があるのかしら? 鬼姫が災厄として目の前に現れたら、その時どうするのかしら? あなたに救えるの? それとも殺す? 力を見せることが出来ないあなたに、いったい何が出来るって言うの? 意地だけではどうにもならないことがあるのよ。もう観念なさい」


 水音の言葉の終わりと共に周囲が銀世界に変わる。立ち込めていた霧は吹雪に変わった。

 頭に肩に雪を積もらせ呆然とする。吹き付ける雪に身も心も凍える。樹は意識が細くなっていくのを感じた。

 僕は無力だ。何も出来ないならばここでこのまま氷柱に成り果てるのもありか……。

 雪原の中で雪の塊となり身を竦ませていた時だった。


「……樹ちゃん、樹ちゃん」


 ヒューという風の中に微かに聞こえる声を捉えた。すぐに唯の声だと分かった。


「――唯か!? 唯! どこだ! どこにいる!」


 雪の塊を弾き飛ばしながら立ち上がった。吹雪により何も見えなかった。だが、声の方向は逃していない。風に負けないくらいの白息を吐きながら樹は走った。

 途中で何度も雪に足を取られた。それでも樹は雪原を転げてはまた立ち上がり、声のする方へと急ぐ。繰り返し、繰り返し名前を呼んだ。応えてくれ、教えてくれと叫びながら。


「……樹ちゃん? 樹ちゃん!」

「そこか! そこにいるのか唯!」


 耳に届く唯の声が次第に大きくなる。応じる声が樹に力を与えた。

 方向の定まらない純白の世界の中で、ひたすら声のする方へと向かって直進する。 そうして樹は、遂に銀の大樹の下に唯を見つけた。


「唯、やっと、やっと見つけた!」

「……樹お兄ちゃん」


 身体を震わせながらこちらを見てくる妹。唯は攫われた当時の幼い姿のままだった。


「ありがとう、樹ちゃん。私を見つけてくれてありがとう」

「うん、よかった。本当によかった……」

「――でも、もういいの」

「え?」

「これでいい。ここまで来てくれて、それだけでもういいの……」


 唯は、涙を浮かべながら精一杯の笑顔を作った。


「何をいっているんだ。帰るんだ! 唯は僕と一緒に帰るんだよ!」

「帰れない。帰れないよ。だって唯はもう鬼だもの」


 首を左右に振って拒む妹。頬に涙が零れ落ちると、唯の額に小さな角が浮き上がった。


「そんなの、そんなの関係ない! きっと僕がなんとかするから」

「……無理なの。もう元には戻らないもの」

「大丈夫だ! 唯は鬼なんかじゃない。僕が必ず元通りの姿に戻してみせる」

「……なら、お願い。唯を殺して、私は人に戻りたい」

「そんなこと、出来るはずがないじゃないか」

「もう、生きて人に戻ることは出来ないの。死ぬしかないの。人間に戻るためには死ぬしか……だから樹ちゃん、お願い、私を殺して」


 大粒の涙を溢しながら唯ははにかんだ。


『さて、どうする? 加茂樹』

 唐突に脳裏に言葉が響いた。よく覚えのある声だったが。


「誰だ!」

『愛する妹が、人に戻してくれと懇願している。殺してくれと頼んでいる』

「未だだ。まだ唯は完全に鬼にはなっていない」

『ほう? お前にも分かるのか。そうだな唯はまだギリギリ踏みとどまっている。だが、もう遅い』

「遅い?」

『手遅れと言っている。ならばどうするのか」


 含みを残す物言い。直後、まるごと意識を身体から引き抜かれていくような感覚に陥る。樹は狼狽する。


「どうしたんだ! これは一体なんだ!」


 次に見えたのは、身体の外から見る自分の姿だった。

 何者かに魂を弾き飛ばされ身体を奪われてしまったのだろうか。

 妹と向き合う兄の姿。樹の目の前で自分の身体が語る。


「そうだね、唯。君の言う通り鬼を封じるにはこれしかない。大丈夫だよ僕に全てを任せて」


『なんだ、僕は何を……。いや、僕に似たこいつは何を言っているんだ』

 いや違う。目の前に居る樹も間違いなく加茂樹である。ならばあの者は別人格ということになるのだろうか。


「ありがとう、樹ちゃん……」


 微笑む唯と応える樹の身体。その手にはいつしか大太刀が握られていた。


『唯、何を言ってる! 駄目だ! そんなことは絶対に駄目だ! おい、お前、何をしようとしているんだ、待て! 唯をどうする気だ!』

 

 叫んでも届かない。

 樹には、これから自分の身体が行おうとしていることが分かる。

 身体は手に持った大太刀で唯を刺し貫こうとしていた。

 唯の心臓に狙いを定めていることも、一撃で楽に死なせることを考えていることも自分の思考として受け取れていた。感覚がリンクしていた。

 樹は必死に抵抗した。自分の身体に戻ろうともしたし、なんとか唯を連れて逃げようともした。だが、目の前の自分の身体と唯に干渉する事は出来なかった。

 やがて唯は、雪原に正座をして膝の上で手を組み目を瞑った。


「やめろーーー!!」


 肌に切っ先が触れた。唯の胸が抵抗なく刃を受け入れていく。手に伝わってきたのは骨と肉の中を易々と通り過ぎていく切れる感触。

 深々と唯の心臓へと食い込んだ大太刀が背中の向こう側へと突き抜けた。


「あ、り、が、とう……お兄ちゃん」


 唯の口から鮮血が溢れ出す。前に首を落とした妹の体はそのまま雪原に埋もれた。流れ出た血が雪原を赤く染めていく。


「唯ーーー!!」


 樹は跳ね起きた。


「――夢、夢か!」


 樹は、汗ばんだ両手を見た。

 意識は体から離れていたはずなのに……。その手には唯を貫いた時の感触が残っていた。その感触を思い起こして吐き気を催す。酸が食道を駆け上ってくるのを感じて手で口を塞いだ。

 荒い呼吸が肩を上下させた。髪を掻き上げると額も髪も汗だくになっていた。

 本当に恐ろしい夢だった。唯を殺したことの罪悪感も悲しみも全てが体験したことのように感覚に刻まれている。そこにある実感……。


「――本当に今のは夢だったのだろうか」


 身体がガタガタと震える。

 まさか……。

 夢ならば唯を殺してしまっているはずはない。しかし、昼間の不思議な体験のせいもあってか夢と現実の境界が曖昧になっていた。確信が持てない。

 安らかに目を閉じた唯の笑みを思い出した樹は、真っ暗な部屋の中で嗚咽を漏らした。


 夜が明けて居間へと向かった。

 今しがたの夢のこともあり、とても朝食を取る気にはなれなかった。しかしそれでは蘭子と鈴がまたうるさく小言を言ってくるだろう。樹は言い訳をして食卓へと向かった。だが……。実は違う。今朝は独りでいることがたまらなく嫌に思えたのだ。


 食卓に着くと、蘭子と鈴が着替えを済ませて既に席についていた。

 神楽殿での不思議な出来事は夢ではない。そのことは昨夜寝る前に三人で話をして結論を出していた。現実であるとはいうものの、あの曲芸じみた行いについては再現することが出来なかった。それで力についてはいずれまたゆっくり考えようということになっていたのだが……。

 蘭子と鈴の様子がおかしい。不思議な力のことが原因で二人が沈んでいるとは思えないのだが。


「あ、おはよう、樹……」

「樹様、おはようございます……」


 二人の樹を見る目が何故か物悲しい。

 何事かと訪ねようとしたのだが、樹は視線をそのまま素通りさせてTVの画面に向けた。そこから流れるニュースに気を取られていた。


「――昨日未明、――県――村で十人の村民全員が行方不明になった事件について、建物の中に残された遺体の状態から、県警捜査本部はこの事件を連続殺人事件として捜査することになりました。なお……」


「連続殺人事件……」


 夢の中で唯を殺したことで、殺人という言葉に過敏になっているのだろうか。

 樹は画面に映し出されるニュース映像をぼんやりと眺めて、そのあと血塗られた自分の手をみた。

 朝食の後、収蔵庫から屋敷へと続く渡り廊下で立ち止まり、満開の桃の花をぼんやりと眺めた。樹は消化しきれない気持ちの落としどころを探っていた。

 次々と身の上に起きる不思議。樹の徒労を嘲るようなことが次々と起こっていく。

 その上に、事態は幼馴染みの蘭子と鈴までをも巻き込んで前に進もうとしている。

 まずは大人たちが知る事実をきちんと聞かねばならない。相手は人知を超える。誰の命も危険にさらす事は出来ない。


「――命の危機、か……。なんだか凄く嫌な感じがする……」


 心がザワつく。何故これほどまで嫌な予感に囚われているのか。

 なんだろう。嫌なものがこちらに近付いてきているような気がする。


「こら! 樹! しっかりせんか! で、ございます」


 鈴が近寄ってきて笑顔をみせた。


「鈴ちゃん……」

「心ここにあらずですね。何を見ておられたのですか?」鈴は樹の視線の先を見た。「ああ、桃の花ですか」

「ああ、えっと……そうだね」

「まさか、あの神憑りの時に一気に満開になるとは思いもしませんでしたわ。今年の桃の花はまるで慌て者の樹様のようですわね」


 鈴が笑った。


「そうかもね……」

「何か心配事でもございますの? 樹様」

「い、いや……」

「実は私には気になることがありますの。そしてその理由は蘭子も同じものでして……」

「え?」

「昨晩、嫌な夢をみました。その夢の中身が蘭子と全く同じでして」

 鈴の言葉に、二人の様子がおかしかったことを思い出した。


「鈴ちゃん、もしかしてそれは僕が唯を殺した夢かい?」

「……やはりそうでしたか。そうではないかと思っておりました。きっと三人とも同じ夢を見ていたのではないかと」

「…………」

「それと、今朝のニュースことですが。根拠は何もありませんが何か嫌なものがこちらに向かってきているという感じがするのです。この感覚も蘭子と同じでした。これについても樹様と見解を共有できるのではないかと……」

「うん。同じだよ、僕も同じことを思っていた」

「あのニュースを見て、僕は何故か鬼の仕業だと直感してしまった。そして鬼がこちらを目指してきていると思った」

「樹様、どうやら事態は風雲急を告げているようです。取り越し苦労、何も無いにこしたことはありませんが、昨日の神楽殿のことといい、夢のことといい、どうやらこれは妄想だと片付けて無視してよいことではなさそうです。大人たちがどう判断するかは分かりませんが、情報を共有する必要があると思われます」

「そうだね、鈴ちゃん。鈴ちゃんの言う通りだ。出来ることはやった方が良い。とにかく大人に話を聞いて、その上で僕達三人もしっかり話をしよう」

「樹様、私は陰陽五家の軍師、白雉鈴でございます。どうぞお任せくださいまし」

「鈴ちゃん、これはマンガや遊びじゃないんだよ」


 樹が苦笑いを見せると鈴は満面の笑みを返してきた。

「これくらい肩の力を抜いていて丁度いいのですよ、樹様」

 鈴は樹の腰をポンと一つ叩いて稽古場の方へ揚々と歩いて行った。

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