第9話 覚醒の兆し

   -9-

「唯ちゃんを救うためには全部を調べりゃいいんだよな!」


 単純な事ではないかと蘭子が笑った。


「蘭子もたまには良い事を言いますわね。そうですよ樹様。調べによって唯ちゃんが見つけられるというのならば、やらない手はありません。書物が数多というのなら答え皆無ということはないでしょう。それに、道のりの途中にもヒント位は掴めるでしょう。書物の全部を調べるまでもないかもしれません」

「でも……」

「途方に暮れていても仕方ありませんよ。ジグソーパズルも枠が決まればあとは自然に埋まっていきます。謎もそういうものでございましょう」

「そうだぞ、樹」

「――鈴ちゃん、蘭子……」

「それより樹様、考えすぎかもしれませんが気になることが一つ」

「なんだい、鈴ちゃん」

「その……。水音さんは、唯ちゃんをとおっしゃったんですよね? ではなくて救うと」

「……うん、そうなんだ。実は僕もそこが少し気になっていたんだ」

「え? どういうことだ?」


 尋ねる蘭子を見て鈴は呆れる。蘭子はバツが悪そうに苦笑を浮かべた。

 一つ息をつき肩を落とす鈴。それでも鈴は、呑み込みの悪い蘭子にはもう慣れたといった感じで話を始めた。


「つまり、唯ちゃんは救わねばならないのです。探し出して終わりにはならないということですわ」


 聞いて樹は頷いた。


「唯を救出すること。すなわちそれは鬼との対峙を意味しているのではないのかと僕は考えている。そして……」

「その上に、救出を成す為には陰陽五家の全てを調べなければならない。そういうことですか」

「分からないことが、多すぎるな……」

「そうなんだ。今の僕達は本当に何も知らなすぎる。ただ……」

「ただ?」

「気付くべきだった。鬼を相手にすること自体が危険な事だった。万が一、あの鬼と戦うことにでもなったら……僕たちにはどうすることも出来ないだろう。いや、人にはどうすることも出来ない」


 樹は省みる。犯人のことを鬼だと言っておきながら、救出時に鬼と対決する可能性を全く想像していなかったことを。どうかしていた。これは命の危険すらある事態だったのに。


「鬼との戦い。そんな危険なことに、蘭子と鈴ちゃんを巻き込みたくはない」

「樹、それは唯ちゃんが見つかってから考えよう! 今から怖じ気づいて一歩も進めないんじゃ話にならないよ!」

 蘭子が樹に向かって破顔した。


「そうですわ、蘭子の言う通り。危険は、そこにあることが分かるだけでも善です。いざとなれば対処する手立てを見つければ良いだけのことです。先ずは唯ちゃんを探しましょう」

 鈴も力強く言った。


「それでだけど、鬼との決闘はともかくとして、どうするんだ樹? このままじゃ不味いんじゃないのか?」

「そうでございますわね。まずはこの状況を何とかしなくては」


 鈴が好奇心を顔に浮かべ辺りを観察し始めた。蘭子は身体を動かしたくて仕方がないといった感じだった。

 流石は代々続く陰陽師の後継。二人のなんと頼もしいことか。あのような話を聞いても、こんな状況に置かれても鈴は少しも動じず冷静に物事を捉えて考える事が出来る。蘭子は楽しげに目を輝かせてワクワクしている。


「何とかするって言っても、正直どうしたらいいか分からないんだけど……」

「うーん……」

 蘭子がニンマリと笑みを浮かべて思案する。


「蘭子? 何か良い考えでも?」

「とりあえずさ、今のあたし達ってば神憑りしているんだろ? じゃさ、なんか超凄いことが出来たりするんじゃない?」

「はあ? 蘭子、それはマンガの見過ぎだ。いくらなんでもありえない。くだらない事考えていないでもっと現実的に――」

「えいっ!」


 無邪気にはしゃぐ蘭子を窘めようとしたときだった。

 蘭子がいきなりポーズを取って手を振り上げる。途端に蘭子の指先から轟音と共に真っ赤な火柱が放たれた。

 空の彼方へと消えていく火炎の柱……。


「な、な、な、なんでーーー!」


 すかさず樹の目が点になった。


「おお! スッゲー! 今の見たか! ねぇねぇあたしって凄くない? 凄いよね!」


 馬鹿々々しい。やはりこれは夢だ。

 ……つい今しがたまで、とても重要な話し合いをしていたというのに。

 これまでの深刻な空気が蘭子の一撃によって霧散してしまった。

 ――あり得ないだろう。指先から火炎を放つなんて。これはやはり夢だったんだ。どうせ夢なら覚めれば終わりだ。


 大はしゃぎする蘭子の様子に呆れかえる。「もうどうしようもないね」と吐き捨ててから同意を求めるように鈴を見た。現実的な鈴ならばきっと同意をしてくれる。

 ともかく、この悪夢から覚めなければならない。


「鈴ちゃん、どうしようか、この状況だけは何とかしなくてはならないのだけれど……」


 鈴が樹の足元に向けて手刀を振り下げるのが見えた。床にトトトンと小さな振動を感じた。小首を傾げる樹。見ると鈴は慌てた様子で視線を外す。

 風がふわりと樹の前髪を揺らした。――直後、キンッ! と、甲高い金属音を耳が捉える。

 

「…………何?」

 驚いて下を見ると銀色に光る棒状の金属が三本、樹の足元で神楽の舞台を貫いていた。

 ゆっくりと顔を上げて鈴の方を見る。

 鈴が後ろ手を組んで素知らぬ顔をしていた。目を合わせると、鈴はスッと静かに目を逸らし空で視線を泳がせた。


「鈴ちゃん? 死んじゃうよ。これが当たっていたら、僕、死んじゃってるよ」

「い、いやですわ、大丈夫でございますよ、樹様。ちゃんと計算どおりに射貫いておりますのでっ。てへっ」

「てへって……。鈴ちゃん? 今、僕の事を全く見ていなかったよね? 絶対に何も考えずに手を振っていたよね?」

「いいえ、そのようなことは決して。狙い通りでした。わ」


 なんて白々しい子だ。見れば分かる。だって冷や汗が出ているじゃないか……。


「ああ……神様、お願いです。どうか僕に夢オチを下さい」


 樹は心から願った。


「おい、樹、こんな楽しい時に何をへこんでいるんだ? 面白いことになっているんだから樹もなんかやってみろよ! あたしなんかほら見て!」


 ガクリと肩を落として項垂れる樹に、蘭子の明るい声が追い打ちをかける。

 細めた目を向けると、蘭子がリング状の炎を頭上でクルクルと回していた。


「……蘭子、熱くないのそれ?」

「ああ、なんともないぞ」


 蘭子は満面の笑みを浮かべて楽しんでいた。

 その後しばらくの間、まるで曲芸師のような蘭子と鈴の様子を見ていた。

 器用なものだと感心する一方で、考えることが馬鹿らしく思えてきた。――もう何でもいいや。こんなのどうせ夢なんだから。


「樹様? ほら、樹様も何かやってみてはいかがですか?」

「ああ、鈴ちゃん……そうだね。どうせ夢だからね、もう夢で確定だからね」


 高校生になってまでこのような幼稚な夢を見るとは情けない。しかしこれも自分の見ている夢である。要因には思い当たることもある。きっと何年も塞ぎ込んできた反動が出ているのだろう。

 ――そう言えば、あの事件が起きてから、はしゃぐことなんてなかったよな……。

 樹もまだまだ少年である。漫画のようなこの場面を面白いと感じてしまう。

 これまでは愉しむと言うことに忌避感があった。

 それでも今、道程は目の前に示されている。それに考えてもみれば、このような摩訶不思議な神楽の夢に何の意味もないということも考えられなかった。

 だから……。少しくらいは……羽目を外してみても……。

 樹は、蘭子や鈴を真似て手を翳してみた。掛け声などは恥ずかしくて出せなかった。


 ――しかし……樹からは何も出てこなかった。


「――え?」

「――え?」

「えー! なんだよ、なんでだよ! えいっ! えいっ! えいっ!」


 何度繰り返しても同じだった。

 樹ならば、一体どんな凄い事が起こるのだろうと、心を踊らせながら見ていた蘭子と鈴は拍子抜けしてしまっていた。

 気持ちが塞ぐ樹。劣等感の上に疎外感を抱いていた。

 樹を憐れんで、蘭子と鈴が慰めるような眼差しを向けてきた。


「いいんだよ! どうせこれは夢なんだから!」

「ま、まぁまぁ、樹様。樹様のものはちょっと出づらいのかもしれません。でも大丈夫ですわよ、鈴には見えておりました。樹様の手からはちゃんと緑の燐光が出ておりましたので……」

「そ、そうだぞ! これはほら、なんだ。後の方がなんか凄い技とか出てくるっていうフラグじゃないのかな? あは、あははは……」

「……そ、そうだよね」


 樹は二人に背を向けて床にしゃがみ込んだ。――なんでだよ。なんでだよ。なんでだよ。


「さてと……。お遊びはここまでにして、そろそろ、ここから脱することを考えませんか」


 鈴が場の空気を読んで切り替えを図る。


「あ、ああ、そうだな。あんまり面白がっていても仕方ないし、そろそろ戻ろう。な、樹」

「――戻ると言っても、これは夢なんだから、放って置いてもいつか覚めるんじゃない」


 二人の顔を見ることが出来ない。樹は膝を抱えたまま床板の伏し目を数えた。


「樹様! 夢だなどと腐れている場合ではございませんよ! これが現実であることは皆で確かめたはずです。逃避していては帰れるものも帰れません!」


 叱責を受けたものの早々に立ち直れる精神状態ではなかった。

 なんだよこれと樹はいつまでも納得がいかない。

 ゲームで言えばあまりにチートな幼馴染み達。そんな彼女らと比べて樹のなんと非力なことか。

 この際は、夢でも現実でもどちらでも構わない。だが、この現状は余りに酷すぎる。いくら念じても、気合いを入れても樹の手はポッと弱々しい光を放つだけでそこからは何も出てこない。手が光ることの意味も結局は何も分からなかった。


「これが、神楽のせいで起こったのならば、舞を最後まで舞っちゃえば、終わるんじゃないかな?」


 樹は上の空でおざなりに言った。


「おお、なるほど!」

「さすがは樹様でございます!」

「二人が舞っているのは氷華の舞だろ? それなら僕が桃花をやるよ。どうせなら表も裏も舞えばいい……」

 樹は、どうにでもなれと事態を投げ出していた。


「あ、あの……よろしいのですか樹様。その……お止めになっていた舞を……」

「ああいいよ。もういいんだよ、鈴さん」

「へ?」

「……なんかさ、僕はもうすっかりと疲れてしまっているんだよ」

「――い、樹?」

「いやね、鬼だ何だって一人で騒いでしまってそりゃもう僕ってばお寒い感じじゃないですか。あー、痛い人? そうだね僕は痛い人だったんだ。僕はね、ちょっと考えてしまっていたのですよ。ほら、鬼って凄いじゃないですかぁ? ムキムキだし、角なんか生やしているし、武器なんか持たせたら人間なんてあっという間に殺されちゃうじゃん。そんな者と戦う。そう、戦うことになっても僕の光る手っていったいどうなの。いやはや蘭子さんや鈴さんは大したもんだ。あれならズバーンとかドカーンとかやれちゃうよね。僕なんかはポワンだよ。ポワンだよ……」

「お、おい、樹」

「樹様! 樹様! しっかりとなさってください!」

「ポワン……ポワーン……いやだからねポワーンなのよ……」

「――鈴、どうやらダメになったみたいだな」

「ですわね、まさかこれほどのショックをお受けになるとは……」

「連れ戻すぞ、鈴!」

「了解いたしましたわ、蘭子!」

「――うおぉぉぉー! 帰ってこい! 樹!」


 蘭子の右ストレートが頬に炸裂すると、鈴の左ストレートが腹に突き刺さる。樹の身体はそのまま空を回転して床に落ちた。


「げふっ!」

「さあ樹様、帰りますわよ」


 ――雅を耳に聞く。樹、蘭子、鈴の神楽が始まった。

 樹を真ん中にして、左に鈴、右に蘭子がそれぞれ脇を固めた。

 神楽の旋律は変わらず流麗に奏でられている。


 傅くように跪くと、樹は両手を高々と持ち上げ天を拝した。

 頭上に光の玉が現れる。光に包み込まれた樹の手に太刀が舞い降りた。

 天から太刀を授かった樹。光は徐々に舞台全体に広がりを見せる。

 三人の装束が錦の衣に変わっていた。

 樹は豪華な細工が施された翡翠色の大太刀を手にしていた。蘭子と鈴の手にはそれぞれ一本ずつ金色の扇が納まっていた。


 大太刀の感触を確かめ目で合図を送った。

 蘭子と鈴の扇が僅かの時間も違えることなくシンクロして開いた。二人の様を見て頷き、樹はゆっくりと立ち上がった。


 舞が始まる。

 舞台のへりを回り太刀を翳すと、周囲を取り囲む桃の木が一斉に花を咲かせた。

 緩やかに、軽やかに、永遠に流れる川の如く舞は続いていく。

 春の到来を寿ぐ舞が辺りに春の風を巻き起こした。

 命の息吹を歓喜で迎えた神楽殿はいつしか満開の桃花が咲き乱れる金色の園となっていた。


 舞は佳境へ移る。

 空に錦の瑞雲ながれ、地には桃花が咲き誇る。

 花吹雪が舞う神の園。

 永久とこしえの春を謳う三人の神薙。

 金銀の鳥獣が寿ぎ空に踊った。


 舞は終わりへと向かう。

 三人が舞を緩め始めた。

 神薙達に合わせるように拍子が刻みを緩めると、琴の旋律が名残を惜しむ。最後に笛の音が余韻を奏で終いを告げた。

 ――やがて。

 舞の終わりと共に不思議な空間は儚く消えていった。


 目が覚めると、樹の身体は桃の木の木陰に戻っていた。

 舞台上で蘭子と鈴のたいが崩れた。

 周囲の者が慌てて駆けつける様子を見取った後、樹は桃の木に身を預けながら目を閉じた。樹の手には小道具の大太刀が握られていた。





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