第69話 真実

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 心に意気を取り戻して樹に噛みついた。


「こ、これはどういうことじゃ! 加茂樹、これはどういう――」

「死んではいなかったんだよ、水音」

「ち、父上!」

「あの時、樹君は全てを読み切って行動していた」

「読み切る?」

「優佳ちゃんが流れの中で娘を庇う事も銀鬼の予測の範疇であったということさ」

「父上、それはどういう――」

「一連の流れの中で、樹君は策を弄しながら優佳ちゃんの魂を蒼帝の大太刀の中に封じる機会を窺っていたたんだよ」

「な、なんじゃと! ま、まさか、あの流れの中で」


 樹が下を向き目を伏せて笑みを浮かべる。

 あの時、銀鬼には殺気があった。本気としか思えなかった。それが芝居であったというのか。

 絵空事を並べる如き手筋であった。一手でも違えれば真中唯を巡る攻防の全てが水疱に喫したであろう。とても正気の沙汰とは思えない。二転三転どころか、目まぐるしく情況が変わる戦場で、敵とも味方とも言えない立場で、全ての者を欺き盤面を転がすとは。


「お前は何者じゃ?」


 戸惑う水音は樹を睨み付ける。受けた樹は優佳の具合を一通り確かめて話し出した。


「水音さん、銀鬼も、桃花も、どちらも加茂樹なんですよ」

「どちらも?」

「そう、銀鬼も、桃花も、二人とも全てが同質にて同等、同じものです」


 それはおかしい。一つの肉体に魂は一つだけ。これは世界の理である。


「同じ? ありえぬ! 二つの魂が一つの肉体に宿るなどは」

「あるのですよ、二つが全く同じであるならばそれは可能だ。しかも二つは陰と陽に別れていて互いが互いを阻害しない」

「……しかし、例えそうだとしても今のお前の存在は説明できない。銀鬼も加茂樹も両方ともが消えたのに何故お前はこうしてここにいるのだ。お前は誰じゃ!」

「加茂樹ですよ、勿論」

「ちょっと待て、わけが分からない。桃花の時渡りとは、時の必然とはなんなのだ。銀鬼は消え、加茂樹は死んだのではないのか? 時渡りは失敗したのではなかったのか?」

「銀鬼は消えてはいません。正確には少々変わっていますが、ちゃんとここに居ます。そして、全てを見届け覚悟を持って時を渡った僕もまたここにいる」

「くっ、訳がわからん。それに、時渡りが成されておったじゃと?」

「はい、終わっていました。あそこに現れていた銀鬼が、前回、時を渡って戻ってきていた加茂樹なのですから」


 樹はいった。自分は千二百年を過ごしてきたのだと。その所業はもはや狂気としか思えない。いったい何が樹にそのような行動を取らせたのか。銀鬼が加茂樹だというのならば、彼は何故、皆を欺きながらあのような深謀をめぐらせていたのか。


「銀鬼は何故――」

「悪を演じてまで策を弄したのか、ですか?」

「うむ」

「簡単なことです。前回の僕は愛する者を救えなかった。彼は何としてでも愛する者を取り返したかった。……時を渡ってまでも」


 樹の口から哀切が漏れる。彼は前回の歴史を見たといった。銀鬼の時渡りがなければ、この戦いも同じ運命を辿っていたに違いないと加茂樹は断言した。


「時渡りは既に済んでいた……。し、しかし、それならばわしらが必死になって守ろうとしていた時の必然とは――」

「前の銀鬼と今のこの僕が入れ代わること。それが彼の願いだった」

「入れ替わる?」

「変容といってもいいのかな?」

「……変容。お前はあの銀鬼とは違うというのか」

「彼は僕が時を渡れば自ずと消え去ることが分かっていた」

「自分が消えると知っていて、その為に行動していたというのか」

「僕が時を渡っても、あのまま残っていても、銀鬼は消える定めにあった。その銀鬼は最後の最後に僕に選択を委ねた。銀鬼が見せた前回の歴史は、力不足であった僕がこの戦いで招くであろう悲劇であった。だから僕は迷わず銀鬼の思いを引き継いで時を渡った」


「うむむむむ……あ、頭が痛くなってきた」


 なんとなくだが要旨は分かる。だが……。肉体を持たない魂は人を現世に留めておくことが出来ないという。生まれ変わりなど出来ないとも言う。ならば何故、過去に飛んだ樹の魂が千二百年も生きていられたのか。「どうしてそのようなことが……」疑問が独り言のようにして口から零れた。


「確かに人の魂は肉体無しでは直ぐに消えてしまう。だけどね、鬼は違うんですよ」

「鬼? それではやはり、お前は鬼になったのか」

「まぁそうですね。今は少し違うのですが、結果としては鬼となって生きてきたということになりますね」

「やはり、お前は敵……」

「水音さん、鬼を悪という概念で見てはいけません。鬼は決して悪ではない。いんと書いてオンと呼んでそれが鬼となる。鬼は陰、つまり陰陽五行において魂の裏にあるものが陰であり、その陰が鬼であるということになるのです」

「……おん

「そうです、陰です。それを魂の核と言う者もいる」

「魂の核……」


 混乱する頭が、核という言葉を拾うと胸のどこかが熱くなった。水音は理屈ではなくそのことを知っていた。自分の中にも犬童澪がいる。ただしそれは加茂樹とは違って上狛水音に姿を変えた氷華の巫女のことではあるが。



「そんなことよりも、これでみんな揃ったということになりますので、これからのことを少し話しましょうか」

「ん? これからのことじゃと?」

「そう、これからのことだよ、水音さん。こうして優佳さんも目覚めてくれた。ここにいる和男さん、千佳さん、そして水音さんと、優佳さん。皆でこれからのことを話さなくてはいけない」

「鬼の王になるのだろう。お前のやることといったら……」

「ああ、それね、それはまぁ嘘ではないのだけれど、本当でもない」

「なんだと。……お前という奴は」

「僕達の目指すところ、それは勿論、この千三百年に亘る因果に終止符を打つということですよ、水音さん」

「それならば、巫女達と共闘した方が――」

「それは出来ない」

「何故じゃ?」

「今は未だ、犬童澪が裏切者になっていますからね」

「……うぬぬ」

「この先の戦いは、そんなに甘いものじゃない。それに僕は千二百年前に名誉を失った犬童澪の魂も救いたいんだ」

「犬童澪の……」

えにしはあまりにも複雑に絡まりすぎている。それは一朝一夕にどうにかできるものではない」

「……」

「今回は、この時代の戦いには皆の力が必要なのです。誰一人も欠けてはいけないんだ。みんなで力を合わせて奴を討たねばならない」

「奴……」

「そう、僕達の目指す最後の敵。最終的に僕達はそれを討って因果に終止符を打つ。そしてこれは先代桃花の願いでもある」

「先代桃花の願い……してその最後の敵とは? お前は知っているのか、加茂樹」

「はい、知っています。その為の千二百年でもありましたからね」

「で? その敵とは?」

「――その敵はとは『傾国の美女』と呼ばれている者。そしてそれは桃花が遣唐使に行った折に、大陸からこの国に連れてきてしまった化け物。その名を褒姒ほうじ。遣唐使があったあの時代でいうならば楊貴妃だったでしょうか」

「楊貴妃……」

「この国ではそうですね……玉藻の前として知られている。そういえば淀君もそうであったとか言われているな。とにかく時代の折々に現れて国を傾け惨事をまき散らしてきた化け物です。しかし正体はもう分かっている」


 水音は聞いて息をのむ。気づけば皆が険しい眼で樹を見て、次の言葉を待っていた。


「――して、その正体とは?」


 訊ねられた樹の眼が鋭く光った。


「それはまぁ、おいおいと」


「お、おい! ここまで話しておきながら」

「まぁいいじゃないですか。直ぐに知ることになりますよ。敵は正体を見せないだけにやっかいではある。しかし今回の戦いで餌は撒きました。奴は、もう盤上に乗せられてしまっている。僕らはこれからそれを絡めとっていく」


 水音は、桃園の死闘で繰り広げられた樹の深謀の奥深さに畏れさえ抱いた。

 笑顔を見せていたが水音の身体は震えていた。――なんて奴だ。しかし、なるほど確かにこいつは先代桃花を上回る。


「さて、これからのことですが、まず、八郎と次郎にはこのまま氷狼神社に留まってもらう事にします。確実に安全な陣地はやはり必要ですからね」


 樹の提案に、皆が揃って頷いた。


「優佳さんには上狛の陰陽師を率いて頂きましょう。表向きには銀鬼討伐を旨として動いて頂いて構わないです。五神官は猿楽家と白雉家に分けてください。先にも言った通り、蘭子も鈴ちゃんも、今のままではダメだ。力不足でとても戦えない。二人にはもっと力を付けてもらわなくてはならない。五神官に付き添ってもらえれば事は上手く運べるでしょう。いずれは各々の神器を見つけ出し、神装束を整え、神獣と契約を交わす事を目指してもらいます」

「わかりました。お二人のことはそれで良いと思います。しかし唯はどうするのですか?」

「金色の巫女である唯は、本来は戦いには不向き」

「し、しかしそれでは――」

「そう、それでは向かってくる敵に打ち勝つ事は出来ない。だから僕は彼女の神器である、数珠丸じゅずまる勾陳こうちんの玉を奪い返し、太刀を唯に残した」

「数珠丸? 勾陳の玉?」

「数珠丸は金色の巫女の太刀。そして勾陳の玉は卑巫女が天啓を受けて世界を再構築する時に鬼を使役するための神器です」

「天啓? 鬼を使役? 金色の巫女にそのような秘密があったとは……」

「五行の真ん中に座す土性にはそのような二面を司る役割があるのです。だから従える神獣も二頭」

「二頭? ……あの皇陣の他にもまだ?」

「まぁ、その事もおいおいに。ちなみに鬼を使役する勾陳の玉は今、僕が預かっています。もっとも僕に鬼を使役するつもりはありません」

「お前が持つことの意味はなんじゃ」

「勾陳の玉が朱鬼に奪われて以来、存在が歪められていた鬼を救わなければならなかった。それと、鬼を守るため。唯ではまだ荷が重い」

「そ、そういうことだったのね、だからあの時、鬼は託すような目をして唯を見ていた……」

「そういえば優佳さんはご覧になっていましたね。そうです。あの姿が本来の鬼の姿なのです。それは人と何ら変わりがありません。ただし、この世には自らを歪めている鬼もいますので、全ての鬼が善だとまではいえないのですけどね」

「善の鬼と悪の鬼……」

「そうです。僕はその事も優佳さんに知って欲しかった」

「ま、まさか樹ちゃん。その事も計算に入れて動いていたなんてことはないでしょうね」

「――さぁどうでしょうね」


 驚きを見せる優佳に向けて樹は言葉をはぐらかせて微笑んだ。


「さて、これからの僕達のことですが」

「これからの……僕達? わしと父上、母上、そしてお前のことか」

「そうですね、いわば悪党になった僕達のことです」

「あ、悪党!」

「そうですよ、何と言っても僕達は鬼を名乗り、鬼を率いている」

「うぬぬぬぬぬ! おのれ加茂樹!」

「あ、あはははは、まぁいいじゃないですか、仕方のない事と諦めてください」

「――う、うう。まぁよい。それで、我等はどうするのじゃ?」

「僕達は、そのまま日常生活を送りながら敵を待ちましょう」

「は、はぁ!?」

「いいんだよ、水音。桃花様は、いや、樹君はちゃんと考えてくれている」


 怒りに震える水音を父の和男が優しく諭す。


「水音さん、僕達は餌なんだから、放っておいてもあちらから攻めてくる。それに、やっと家族に会えたんだから、少しは日常を愉しんでもいいんじゃないでしょうか? 勿論、敵との戦いはあるでしょうが、それは毎日ではない。三人ともそれくらいならなんとでもなるでしょ? なんといっても三人ともが揃って上狛最強の陰陽師なんだから」

「……そんな気楽な事で」

「いいんですよ。それよりも、水音さん、もう良いんじゃなないですか?」

「え?」

「元の姿に戻っても」

 

 樹の言葉に全員が揃って頷いた。その様子を見て水音はホッと息をついて肩の力を抜いた。


「ああ、そうじゃな」


 言って水音は手を胸の前に組み呪を唱えた。水音から冷気と共に青い閃光が迸る。

 水音の姿が変化したが――しかし……。


「な、なんじゃこれは!」


 水音の姿は二十二歳の女性の姿ではなく八歳の幼女の姿まで戻ってしまっていた。

 水音は慌てた。何故こうなってしまっているのか原因も分からなかった。

 皆の憐れむ視線が痛かった。

 水音は何度も印を組み直し呪を唱えた。それでも、何度やってみても身体は幼女のままで一向に大きくはならなかった。

 これには周囲の者も苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「うううう……」

「し、仕方ないですよ水音さん。まぁ、その内なんとかなるんじゃないですか? 和男さんと千佳さんも何だか嬉しそうだし、しばらくそのままでも」

「え?」


 父母を見ると、二人とも目じりを下げて喜んでいた。その時、ポロリと千佳の額から何かが落ちる。


「は、母上、つ、角が……」

「へへへ、バレたか!」

「バレたって、鬼になったのではなかったのですか?」

「ゴメン、水音、芝居なんだ」


 和男が頭を掻いて笑った。


「し、芝居?」

「そう、芝居。やっぱり真に迫るっていうの? リアリティっていうの? そういうのって必要なんじゃないかなぁって思ってさ」

「……父上」


 お道化る両親を見て水音は呆れた。


「それより水音さん、戦いの最中に水無月がいっていたでしょ? ほらあの時に」

「あの時? 何のことだ」

「ほら、水音さんが傷ついた時にさ、水無月が、もう少し学んだ方が良いとか、学校に通った方が良いとかなんとかってさ」

「……あ、ああ、そのことか」

「せっかくそのような姿になったのならさ」


 樹がニヤリと笑う。水音は、なんだこの気持ち悪い顔は、と樹の嬉しそうな悪戯顔を見て小首を傾げた。


「この姿になったのなら何だ?」

「ほらさ、ランドセルなんか似合うんじゃないかなぁって思ってさ」


 樹が小馬鹿にするようにニヤリと笑う。その樹の冗談を聞き千佳と和男が目を輝かせていた。


「それはいい! とてもよい考えだよ、樹君!」

「そうね、私達もまるであの頃に戻ってやり直せるような気分になれるわ」

「ち、父上、母上、私はもう二十二ですぞ!」

「あら、水音ちゃん。確か以前、私の前で学校に通ってみたいとかって言ってなかったかしら?」

「ゆ、優佳殿まで、止めてくだされ」

「い、いや、僕は水音のランドセルをしょった姿が見てみたいぞ」

「あら、和男さん奇遇ね。私もよ、良い考えだわ。せっかくだし家族写真でも撮りましょうよ」

「……ダメだ、この人達は」


 水音は呆れかえった。相変わらず惚けた両親だったが、そのお気楽な雰囲気がどこか懐かしくもあり、暖かくもあった。

 それは十数年ぶりに水音に訪れた束の間の平穏だった。進む先にはこれまでよりもっと苛烈な戦いが待ち受けているのだろう。ならば今はこれでいい。水音は生きて再会できた両親を見て目を細めて微笑んだ。


※次回、最終回です。

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