(8)
「では、次回は必ず良い中古物件を探して持ってまいりますので……」
「よろしく頼む」
短く答え、わざとらしく腕時計を確認しながら眉間にしわを寄せる。こちらの要望に応える能力はなくとも空気はまともに読めるようで、黒いビジネスバッグにグレーのスーツといった、いかにもな風体の営業マンは早々に店を後にした。
「ふう……」
出入口まで彼を見送り、ドアに鍵をかけてから、再び元の席に戻った私は、無駄な時間を費やしてしまったことにふと虚無を覚えて嘆息した。
店先に”Close”の看板を出し、従業員にも午後から休みを取らせて人払いしたお陰で、先ほどの苛ついてみっともない態度を誰にも見られなくて済んだことが、今日私が得ることができた唯一の収穫かもしれない。
オフィス街からほど近いところにあるこの小さなカフェは、私がいくつか持っている店舗の内の一つだ。持っている、とは言え、経営権は別の人間に譲っている。亜人は不動産から細かな所持品に至るまで、有形無形に関わらず全てCROの干渉の手が加わるので、それが煩わしいが為にそのような対策をとっているのだ。偶にふらっと覗いては、適当にアレンジしたメニューを加えたり、模様替えを提案してみたりと自由にさせてもらっているので、この立場は意外と快適に楽しめている。
趣味が高じて商売を始めるほどに極めてしまう者は多くいるが、私もその中の一人だと言えるだろう。気晴らしに渡った海外で十年ほどのんびり過ごし、気分の赴くままに料理を学ぶ内に、私はいつか”季節を料理で彩る一日”というものを人に提供したいという思いを抱くようになった。宿泊がメインのホテルや旅館などではなく、料理がメインの宿泊施設を経営しようと思い立ったのだが、なかなか良い物件が見つからない。店舗物件に強いと評判の不動産会社をいくつか掛け持ちで当たっているが、現時点で一度も理想のものと出会えていない。
ならば土地から探して新築で、という提案ももちろんあったが、それらは
何故、中古物件にそこまでこだわるのか。その問いに対しては、望みに沿った完璧なものを一から作るのは簡単だが、それでは時間経過が織りなす重厚感が演出できない、というそれなりに格好付けた理由を準備してある。手間を惜しまず大切にされてきたものは、古くとも独特のよい風情を醸し出してくれるのだ。
傍目から見れば、誰かが長い年月を掛けて育ててきたその風情を、私が横からかすめ取ってやろうと目論んでいるかに見えることだろう。実際、紫藤もそう捉えたようで、悠久の時を生きるヴァンパイアにしては性急すぎる、と苦笑していたが、私にそんなつもりはない。過不足なく、申し分なく熟成させたものが単に欲しいのではなく、そういったものに出会えるかどうか、一種の賭けのようなものをしているのだ。今は存在しなくとも、今後誰かが作り上げたものが、私の理想の物件となって運命の出会いを果たすかもしれない。そのことに掛ける時間なら、私にはたっぷりある。
「雨か……」
湿ったコンクリートの香りがやや強くなったのはこのせいだったかと思いながら、椅子から腰を上げる。そのまま、先の営業マンが置いていった資料を丸ごと迷うことなくゴミ箱に放り込むと、僅かに開けていた窓を閉めようと、窓枠に手をかけた。
「……」
店の入口に、スーツを着た女性の影が見える。外回り中に立ち寄ろうとしたのだろうが、表に分かりやすく閉店を示す看板を出しておいたから、入れないことは分かるはずだ。それなのに、その女性はそこから動こうとしない。もしかしたら看板に気付いていないのかもしれない、そう思い、声を掛けるために入口へと向かった。
「う、わっ」
鍵を開けてレバーを下げた途端、予想外の勢いでドアが開いたので、私は驚いて声を上げた。入り口前で立ち尽くしているとばかり思っていたその女性は、体調を崩したのか自力で立っていられなかったためにドアにもたれかかっていたらしい。店内に向かって開く構造のドアはその女性の重みに逆らうことなく、勢いよく開いてしまったのだ。
「おい、君、大丈夫か」
倒れこんできた女性を支えながら声を掛ける。息遣いはやや荒いが意識はあるようで、ごく小さい音量での謝罪の言葉が耳に届いた。
「そこのソファに横になるといい。常用薬はあるのか?」
尋ねながら彼女を横たわらせる。顔色を確かめるべく覗き込んだ、その時だった。
「……
掠れた声で名を呼ばれ、私は目を丸くした。
「玲、よね……。私のこと、分かる?」
その顔に、見覚えはあった。目の前の彼女は、年の頃は四十代半ばくらいといったところだが、手繰り寄せた記憶にあるのはもう少し若く溌溂として、元気いっぱいに笑っている姿で――。
「
私の問いかけに、彼女は力なく微笑んで答えた。
◇
「十四、五年ぶりになるんだっけ? なんか、変な再会になっちゃったね」
急遽、店にある食材を使い有り合わせで作ったパスタとスープを平らげた留美は、申し訳なさそうにそう言いながらも、スイーツ――試作品として店に偶然持ち込んでいたフルーツタルトを味わっていた。
「仕事が忙しいのかもしれないが、食事はちゃんと摂れ。空腹で倒れるまで働いていたら、その内大病を患うことになるぞ」
「はぁーい」
たまらず呈した私の苦言に対し、留美は気の抜けたような声で返答する。自分に都合のよくないことにはしばしば聞く耳を持たなくなるところは昔から変わらないな、と嬉しく思う反面、それ以上に心配だった。
「自分で用意できなくても、この辺ならいくらでも飲食店があるだろう?……まったく、
「あの人が知ることはないわ」
私ではなくフルーツタルトにまっすぐ向き合いながら、留美がサラリと返した。
「……まさか、別れたのか?」
「亡くなったの。去年にね」
淀みなく簡潔に答える彼女の様子を、私は黙って見つめた。
これほどあっさりとした報告をされてしまったからか、それとも離れた時間が長かったせいで気持ちが薄らいでしまったのか。あんなに親しかった友人の訃報だというのに、悲しみが湧いてこない。仁哉が亡くなっているなど予想だにしなかったことだったので、驚きのあまりに感情が動かないだけなのかもしれないが、私は自身の心が何かしらの強い反応を見せないことにひどく動揺した。
「そう、だったのか。……すまない、ちっとも知らなかった」
「謝らないで。仁哉が玲の担当から外れてもう十年以上も経つんだもの。エージェントは基本、亜人とプライベートで関わることは禁じられているんだし、仕方ないわよ」
何の感情も乗せられていないように感じられるその声音。大して気にする風でもなく、ただ事実を伝えているだけという態度が、私に違和感を覚えさせた。
「病気か、それとも事故に?」
「事故……そうね、任務中の不幸な事故ってことになっているわね」
「
先の違和感に加えてこの含みのある言い回し、それを聞き逃すはずはない。フルーツタルトを幸せそうに頬張る留美の横顔をしばし見つめてから、私は大仰にため息をついてみせた。
「留美。お前、ここに来たのは偶然ではないな」
こちらに何かを気付かせることを期待してそのように話したのだろう。そのことをすぐに悟り、テーブルの上の空いた食器を片付けながらそう言うと、留美は食べる手を止めて僅かにこちらを見やった。
「……どうしてそう思うの」
「どうしてかは今問題ではない。何の目的で私に会いに来たのか、それを先に聞かせてくれ」
留美はフォークを置いて手を膝に乗せ、しばらく無言のまま一点を見つめていたが、ようやく心を決めたのか口を開いた。
「玲の言う通りよ。私、あなたに会いたいと思って探してた」
「……やはり、そうだったのか」
「今は近くの企業に出向で来ているの。このあたりであなたらしき人が店をやっているって噂を聞いたんけど、お宅の店にヴァンパイアはいますか、なんて聞いて回るわけにもいかないでしょ? 連絡先も分からないからなかなか見つけられなくて」
そう言って微笑んでみせたが、その顔には疲れの色が浮かんでいた。
「今日、探し当てることができたのはホントに偶然。空腹に感謝しなくちゃ」
残ったフルーツタルトをすべて平らげると、留美は満足したように手を合わせた。
「お会計してくれる? 私、そろそろ行くから」
「ああ、代金ならもらうつもりは……いや、待て。ちょっと待ってくれ」
立ち上がりかけた留美の肩に手を置き、私は再び彼女をソファに座らせた。
「話はまだ終わっていないだろう。満腹になったせいで本来の用事を忘れたのか?」
私が焦ったようにそう言うと、留美は困った顔で首を傾げた。
「まだ私を探していた理由を聞けていない。何か特別な話があったんじゃないのか」
「理由ならさっき言ったでしょ、『会いたかったから』って」
「……!? それが、理由だと?」
「そうよ」
唖然とする私を尻目に、彼女は腕時計で時間を確かめながらバッグを肩にかけ、帰る準備をやめようとはしない。
「いや、だが……」
「思い出話に花を咲かせたいところだけど、そろそろ出なきゃ。咲葵が学校から帰る時間に間に合わなくなっちゃう」
「……」
懐かしい名前を聞いて、私はつい本題を忘れてそちらに反応してしまった。
「咲葵は……元気にしているのか」
「もう十八歳になったわ。年々、仁哉に似てきちゃって……ほら」
留美が差し出したスマートフォンを覗き込む。待ち受け画面には、恥ずかしそうに微笑む少女の姿があった。
「最後に会った時はあんなに小さかったのに……綺麗になったな」
「仁哉に似た割に美人でしょ? けっこうクラスでもモテるんだから」
黒く長い髪に、仁哉譲りの少し色素の薄い瞳がよく映えている。小食気味なのかもしれないが、細い体つきが少し心配だ。それでもこんなに大きく立派に育ったことに感動を覚え、私はしばらくその写真に見入ってしまった。
「……ごめんなさい」
夢中で画面を見つめる私に、留美がふと沈んだトーンで謝罪の言葉を口にした。
何に対して謝られているのか見当がつかず、思わず顔を上げる。彼女は眉尻をやや下げて、少しばかり泣きそうな表情になっていた。
「ずっと連絡もせず疎遠にしていたのに……こんな風にもてなしてもらっちゃって。だから、何て言うか」
言い淀む留美に、私は笑みを返した。
「距離を置いたのは私の方だ。それに連絡が来たところで、恐らく応じなかっただろうからな。気にすることはない」
「……ありがとう」
留美は小声で感謝の言葉を口にすると、僅かに視線を下へと向けた。何事かを思案するかのように瞳はうろうろと落ち着きなく動き、口元も小さく開いては閉じてを繰り返している。
「……仁哉のことで、相談に来たのか」
何か言いたいことがあるに違いない。確信した上でそう尋ねたが、留美は首を横に振った。
「いいえ。ただ顔を見たかった、それだけよ」
「……」
これ以上問い詰めたところでおそらく、留美は何も喋らないだろう。だが、その言葉を額面通りに受け取るかどうかはこちらの裁量で決めることができる。
私は、彼女を大人しく見送ることにした。
「ここは普通のカフェだ。また時間があるときにでも、気軽に来るといい」
「ええ、ありがとう」
「元気でな」
「玲、あなたもね」
留美はそう言って私に微笑みかけてから、店を後にした。予報になかった突然の雨に遭って慌てて駆けていくサラリーマンたちに紛れ、彼女は濡れながらも悠然と歩いていく。その後ろ姿が見えなくなってから店のドアを閉めると、私はすぐにスマートフォンを取り出した。
「……いや、今連絡するのはまずいか」
アドレスをめくって画面に出した紫藤の電話番号を見つめ、一人ごちる。
我々が持つ通信機器は全てCROが傍受できるようになっていて、下手な会話をすれば奴らから”危険分子”と見做され、最悪の場合拘束されてしまうこともあるのだ。
「……」
私はしばらくソファに座り込んで思考を巡らせた。
留美はエージェントの妻、というだけでなく、以前はCROに所属する優秀なアナリストだった。仁哉の死についてCROに対し疑問を抱いているなら、それを秘密裏に調査したとしてもおかしくはないだろう。そのことをCROに嗅ぎつけられ、自由に動くことができなくなったのだとしたら……私を探していたのは、調査に協力してほしいという思いがあったのだとしたら。
留美は私に詳細を”話さなかった”のではなく、”話せない状態”だったのだ。電話だけではなく、すべての会話や行動に至るまで、事細かに監視されていたのかもしれない。そんな中でせっかく偶然を装ってここへたどり着いたというのに、私が怪しい振る舞いを見せようものなら、彼女の努力は水の泡となってしまうだろう。
私がまずやるべきことは、監視の網を逃れて自由に動ける場所と手段、ツテを用意すること。そして私がエージェント達を欺き、益にも害にもならないが不穏な動きをするのは日常茶飯である、と印象付けることだ。
奴らの裏を探るには、組織のごく近いところまで接近して動く必要がある。本来の目的のためだけにそんな距離感で行動しまっては、少し手入れをされただけで一発アウトだろう。
だから、相手をかく乱するのだ。調べられても何も出ない、もしくは軽い処罰で済ませられるような行いを積み重ねれば、奴らの目は曇り、死角は少しずつ増えていくに違いない。
いつもは品行方正な者が急に
「さて……」
長い戦いになる、そんな事を考えつつ、私は最初の一手を打つために立ち上がった。
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