(2)




 あの件から数日後、正式に”滝山たきやま”となった、ということで私のもとへ来た帆高ほだかから、お近づきのしるしにと携帯電話を渡された。どこでどう用意したのかは知らないが、CROの監視下にはないものだと言う。特に悪いことを企んでいるわけではないが、こういうものはあっても困らないだろうと、軽々に受け取ったことが悲劇の始まりだった。


『おはよう、れい! 今日はひま!?』

「忙しいから掛けてくるな」


『ちょっと空き時間ができたんだ。玲、今晩ひまかな?』

「忙しいから掛けてくるな」


『ねえ、明日は!? 明後日は!? 玲、どうしていつも君は』

「忙しいから掛けてくるな」


 おはようからおやすみまでこんな調子だ。ヴァンパイアが病に伏せることはないはずだが、私は彼から着信が入るたびに具合が悪くなっていくような気がした。


「調子が悪いようですが……もうですか?」


 電話を切ってソファに座り込んだ私に、手紙の束を手にした紫藤しどうが心配そうにそう言った。


「いや……たぶん、奴に追い込まれているせいだ」

「ああ、なるほど」

「……」


 紫藤でもどうにもできない相手であることは重々分かっているが、私が抱く憂心をおもんばかることなく、たった一言気のない言葉で片づけられるのは癪に障る。もう少し何か言う事はないのかという思いを込めて睨みつけると、紫藤はやれやれといった様子で肩をすくめた。


「胸中はお察しします。しかし、そろそろ気を付けておいた方が良いですよ。帆高さんのことを除いても、あなたはここしばらく不安定なようですから」

「分かっている。落ち着くまで、無用な外出は控えておくつもりだ」


 紫藤は、私のドナーだ。ドナー、というのは、ヴァンパイアにおいては定期的に訪れる渇望期に血を提供してくれる者を指しており、また、ヴァンパイアから与えられる影響によって共に永遠とも言われる時間を生きる者でもある。

 紫藤は元は、家に奉公に来ていた普通の人間で、執事のような立場にあった。私がヴァンパイアとして覚醒した時、偶然そばについていた彼は、半ば事故のように私の専属ドナーとして選定されたのだ。


「紫藤。お前、虚しいと感じたことはないのか」

「……虚しい、とは?」


 口をついて出た言葉を受けて、紫藤が向かいのソファに腰を落としながらこちらに目をやった。


「長く生き続け自分の死期も分からず……ただただ時間が過ぎていくのを眺めて生きる毎日など、意味はあるのかと思ったんだ」

「……」


 普段あまり感情を顔に出さない紫藤がこうして眉をひそめたというだけで、また叱られてしまう、という焦燥感が湧きあがる。時々やらかしてしまうのだが、言葉は一度脳を通してから発するべきだという後悔を、今回もまたすることになってしまうのだと思った。


「それは死期がある程度定まっている人間とて同じことです。元より生死に意味などはないのですから、そのような考え方をするだけ無駄です」


 頭ごなしの叱責か、長々と続く説教か。どちらかを覚悟していたが、意外にもあっさりとした答えを返してくれた為、私は驚き目をしばたたいて紫藤を見つめた。


「……何ですか、その目は」

「いや……てっきり何かしらの小言を並べるのかと思っていたから、まともな返答をされてびっくりしている」

「質問にはきちんと答えを返しますよ。またいつもの”死にたい病”からくる愚痴なら、その対応だったと思いますが」

「私の苦悩におかしな病名をつけないでくれ」


 体裁を保つためにも言い返しはしたが、言い得て妙なその表現に、反論する語調も幾ばくか弱いものとなってしまう。

 ヴァンパイアは基本的に寿命の概念がないものとされていて、ただ待っていてもいわゆる”死”が訪れることはない。銀でなくともどんな杭でも心臓に打ち込まれれば生命活動は停止するし、純血のヴァンパイアは日光によって肌が焼かれてしまうので、短時間なら軽度の火傷で済むが、長時間太陽の元に晒されればそれなりの重傷を負うことにはなる。

 だが、どれも完全な死を迎えるには至らない。

 杭を抜けば再び目覚めるし、日光による火傷も、それを負いながら治癒されてしまうので、死を与えるという目的においてはほとんど意味はない。重罪を犯したヴァンパイアを死刑に処するために、CROはあらゆる手を尽くしたらしいが、今のところ”死刑執行”という点では有用な手は見つかっていないのだそうだ。

 私はかねてから、この生から逃れたい、と考えていた。生きることに飽きてしまったと紫藤に零しては、その考えを咎められるということを何度も繰り返した。何をやっても味気なく、何かを成し遂げたとしてもそこに喜びはない。去年も、先月も、昨日も、どこを切り取ってみても今ここにいる自分と何ら変化はなく、ただただ平坦な道を歩き続けるだけの毎日が、これまでと変わらずこの先も永遠に続いていくのだ。

 時間の影響を受けないのが体だけなら、まだましだったかもしれない。様々な時代を経ていろいろなものを見聞きし、多くの刺激を受けた心は、既に飽和状態だった。これ以上は、どんな事象も自分を変えることはない。体と同じくして心までもその形を留めてしまったと気付いた私に残された道は、自らの人生を閉じる方法を探すこと位だった。


「お前からの血の提供が途絶えれば、私は簡単に人生を終わらせることができるというのに……」


 最終的にたどり着いた、自分なりの幕の下ろし方。ふと零したそれを目ざとく拾い上げた紫藤の眼光は、容赦なく私を射抜いた。


「渇望期に血の供給がなく闇へ落ちたヴァンパイアの末路は、充分すぎるほどご存じでしょう。あなたが本当に手にしたい終焉は、そんなものではないはずです」

「……だが少なくとも、心だけは無に帰すことができる。それさえ叶うなら私は」

「そのような発言、冗談でも許しませんよ。たとえあなたが本気で拒絶したとしても、私の血は受け入れて頂きます。……どんな手を使っても」


 紫藤の頑なな態度は、私の心を悪い意味で動かした。

 死にたい、などと自分でも馬鹿なことを言っているのは分かっているし、それを取りなそうとする気持ちも分かる。だが、生死は無意味だと言ってのける一方で、その無意味な生を閉じることを許さない、言動と矛盾しているとしか思えない紫藤のその主張に、私は激しい苛立ちを覚えた。


「なぜ私が生きることにそこまでこだわる? どんな末路を私が辿ることになっても問題ないはずだ。これは私の人生で、お前には何の関係もないことだろう」

「何をもって無関係だと仰るのですか。これまでの人生を振り返ってみても、あなたにとって私はそこまではっきりと断じられる程度の価値のない存在ですか」

「……っ違う、そうではない!」


 冷静に返されたことによって昂った感情は、思った以上の熱を帯びて言葉に載ってしまった。冷たい無表情のまま微動だにしない紫藤と相反するように、怒鳴り声を上げた張本人である私の方が衝撃を受けて息を呑む。

 沈黙が冷気のように足元へと降りていくのを感じながら、私は唇をかみしめた。紫藤を疎んじたことなどなく、何の関わり合いもないなどと思ったこともない。ただ……。


「……お前には感謝してもし尽くせない程の恩義はある。それに、何ものにも代えがたい存在だと、そう思っている」

「……」

「しかし紫藤……本当にこれで良かったと思っているのか? あの時……私がヴァンパイアとして覚醒した時に傍にいなければ、お前はもしかしたら……」


 生死に意味などない。万物は、始まれば終わるという自然な形を辿るだけ。その摂理から爪弾きにされた私に付き合うべき理由はないはずで、何より紫藤には選択する権利があったはず。

 だが私はその機会を与えなかった。ただ猛烈に湧きあがった渇きを癒そうと、傍にいた人間――紫藤に襲い掛かったのだ。そこに理性などあるはずもなく、ひたすら自分が苦しみから逃れることしか頭になかった。


「私との関係を絶てば、お前は再び人間としての本来の機能を取り戻すことができる。私によって不自然に引き延ばされたその人生を、自然の摂理に従って閉じることができるんだ。お前までが私と同じ苦しみを味わう必要性など少しも、」

「それが、本音だったのですね」


 紫藤の瞳には、先ほどまでの鋭い気配は感じられない。いつもの穏やかな、それ以上に柔らかな雰囲気を帯びていて、私は僅かに動揺した。


「これで得心がいきました。あなたは無暗に死を求めるような、短絡的な人ではないと信じていましたから」

「……」

「ご心配には及びません。私の人生は、私だけのものです。他の誰にも干渉することはできない。……言っている意味は分かりますか?」

「……今も私のドナーでいるのは、自らの選択だと?」


 私の問いかけに、紫藤は黙って微笑みながらうなずいた。


「悪くない人生だと思っているんですよ。恐らく長く生きていなければ、得られなかったものもありましたし」

「得られなかったもの……」

「ええ。”生きる意味”です」


 生死は無意味だと言い放った同じ口で全く逆のことを言い出した紫藤に、私は眉をひそめた。


「探しても無いものは無い。それなら作れば良いだけ、ということです」

「作る? ……生きる意味を、か?」

「せっかく生きているのに、虚しいだけなのはもったいないでしょう」


 もったいない。ただそれだけの理由で、紫藤は生きることに意味づけしたということらしい。単純明快な考えだが、それを信条にするのはとても難しいことなのだろう。少なくとも、これまで自分自身を軽んじ受け入れがたく思っていた私には至難の業のように思えた。


「今の私にとっての生きる意味は、あなたが生きることに喜ぶ姿を見ることなのです。あなたがこの先幸せを掴めないまま自分を見失ってしまっては、私はせっかく作り上げた生きる意味を失ってしまう。そんなのは嫌ですから」


 だから私に生きてほしいと、あくまでも、紫藤は自分の為だけに私を生かそうとしていると言うつもりらしい。それが本心か否かは、長年顔を突き合わせてきた私にも分からないが……。


「生きる喜びを見つけるなど……私には到底無理な話だ」

「では、私があなたとの関係を絶つのは無理な話、ということですね」


 こうなるともう話は堂々巡りになってしまう。

 卑怯者め、と呟いたが、紫藤は聞こえないふりをして開封した手紙に目を通し始めた。


「今のあなたなら、見つけられそうな気はするのですが」

「どうしてだ?」

「それは……ああ、ほら。電話ですよ」


 再び鳴り始めた着信音。画面を確認しなくとも、誰からの電話かは分かっている。私はうんざりしてため息をつきながら、頭を抱えた。





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