Life is meaningless

(1)

※玲視点になります




「良かったわね~! 元気な女の子ですよ、!」

「私は父親ではない!」


 分娩室に響くのは、赤ん坊の泣き声と助産師の上ずった祝福の言葉、そして私の魂の叫びだった。


(こんなことになるなら、妊婦など拾わなければよかった……!)


 過去に時間を巻き戻すことはできないことは分かっているので、せめて後悔の念だけは全力で抱くことにした私は、強く強く心の中でそう思った。

 数時間前、私はディーラーから受け取ったばかりの車を走行確認するという目的で、街なかをあてどなく走らせていた。自ら経営する会社の節税対策のためにと中古車を購入したのだが、意外と快適な乗り心地だ。

 そうこうしている内にある住宅街に入り込んでしまった私は、車載ナビもない状態でこのまま迷子になるのは勘弁願いたいと思い、どうにか分かる場所に出ようと自分の方向感覚を頼りに道を探していた。平日の昼前という時間帯のせいもあるのだろうが、見かけるのはお年寄りや小さな子供を連れた親ばかりだ。私は彼らに何かしらの危害が及ばないよう、ゆっくりと徐行運転をしていたのだが、もうすぐで大きな道路に交わる、というところで人だかりを見つけた。


「大丈夫!? 今、救急車呼んだとこだから……!」

「ま、間に合うかな!?」

「分かんないわよ! でも私たち、自転車しか乗れないし!」

 

 騒ぐ声が耳に届く。つい、好奇心から車を横づけし、運転席から顔を覗かせてしまったのが運の尽きだった。


「ああ、あんた! ちょうどいいところに!」


 私に気付いた見知らぬ初老の女性が駆け寄り、開けた窓のところに手を掛けると、市民病院に急行してほしいと頼んできたのだ。


「どうしたんだ、病人か?」

「違うの、妊婦さん! 臨月なんだけど、急に陣痛が来ちゃって」


 覗き込むと、周囲の人に肩やら足をさすられながら外塀にもたれて息を荒くし、何とか急場をしのごうとしている大きなおなかの女性が見えた。

 救急車は呼んだらしいが、今すぐ私が車を飛ばして送っていく方が、おそらく早く病院に到着するだろう。


「分かった。後部座席に寝かせてやってくれ」

「ありがとう! ……ほら、すぐ病院に連れてってくれるって!」


 誰かの手によって開けられた後ろのドアから、慎重にその妊婦が運び込まれる。


「大丈夫か?」

「は、い……! いやっ、ちょっと、分かんない、です……!」


 あまり大丈夫ではないようだ。

 私はさっきの女性から承った「全速力の安全運転でお願い」という到底無理な要求にできるだけ応えるべく、アクセルを踏んだ。






 誰かが連絡を入れてくれたのか、病院に到着して駐車場に向かう私の車を、待ち構えていた職員らしき人が救急搬送の入口の方へ誘導してくれた。


「陣痛はどれくらい前から?」


 彼女をストレッチャーに乗せ、分娩室に向かって移動しながら容体を確認していた看護師が私に問いかける。


「いや、はっきりとは分からないが……十分前に彼女を車に乗せたときは、もうすでにこんな状態で」


 状況を聞かせてほしいとのことで一緒に院内に入った私は、看護師に並んで歩きつつそう答えた。


「それからあまり様子は変わっていないんですね」

「ああ、そうかもしれない。それより、エンジンを掛けたまま車をあそこに置いてきてしまったんだが」

「大丈夫、うちの職員が責任もって駐車場に……」


 その瞬間、彼女が今までよりさらに大きな声を上げて苦しみだした。


「子宮口が開き始めたのかも……! ご主人、急いでください!」

「はっ!? ご、ごしゅじん……!?」

「早く!」


 送り届けた後すぐに帰れば良かったものを、そのタイミングを完全に失っていた私は、壮大な勘違いをされて分娩室へと強制連行されたのだ。

 陣痛の感覚はだんだん短くなり、強さも増してきているらしく、彼女はほぼ叫び続けている状態だった。ただ叫んでいるだけならいいのだが、時折、自分の夫の悪口を挟んでくるので、そのたびに『気にしないで』と慰められるのは非常に居心地が悪かった。


「全開来たよー。お母さん、そろそろ本気で行っていいからね~」


 医者のその言葉に、彼女はここぞとばかりに上半身を起こし、これまで我慢していた何かを発散しようという臨戦態勢に入る。

 それからはあっという間だった。助産師の有無を言わせない命令に従って、手を握って背中をさすり、大丈夫だがんばれと言葉で励ました、そのすぐ後。


「おめでとうございます! 生まれましたよー!」


 元気な産声と共に、小さな赤い生き物が医者の手によって取り上げられた。

 生命の誕生の瞬間など、それこそ生まれて初めて見る光景で、私の意思を完全に無視された結果立ち会うことになった見も知らない他人のお産に、不覚にも感動を覚えてしまった。

 呼吸をし、声を上げ、母親の胸元にしがみつくその小さな姿はいじらしくもあり、そしてこれは不思議な感覚なのだが、美しいとも思った。


「さあ、ほらっ! 次はお父さんの番ですよ~」

「いや、だから……私はこの子の父親ではないとさっきから」

「まーっ往生際の悪い事! いいからほら、抱っこしてあげなさいな」


 バスタオルにくるまれた新生児を差し出された私は、助けを求めるべく今この子を産んだばかりの母親に目を向けた。


「ああもうダメ……。ホントあいつ、絶対ぶちのめしてやるんだから」


 さっきまで胸元に我が子を抱いて感動していたのに、今はぐったりとしながらも自分の本当の夫に対して悪態をついている。ともかく、私のことに構っていられないようだ。


「左手はこう! 右手は……ああ待ってちがうちがう、肩の力は抜いて」


 何を言ってもまともに取り合ってくれないその助産師の手によって、私の体は”新生児をしっかり支える何か”へと形を変えていく。ひとしきり、私の腕やらなにやらの角度を調整したのち、助産師はそっと、赤ん坊を私の懐へと預けた。


「……」


 重い、と感じた。3kgに満たない重さなど、日常生活の中ではほとんど感じないはずなのに。まだ目も開かず、横たわって息をするだけのこの生き物を絶対に落としてはいけない、というプレッシャーからそんな風に感じてしまうのだろうか。

 額に汗がにじんでくる。百年以上も生きてきた私は、生まれてまだ一時間もしないこの赤ん坊にすっかり圧倒されてしまっていた。


「あらぁ~! いいじゃない、いいじゃない! ちゃんとお父さんらしく見えるじゃな~い!」

「……それは、どうも」

「ね、言ったでしょ? 赤ちゃんは、ちゃんとあなたを親にしてくれるから心配ないって」


 父親であることを受け入れたのではなく、もういちいち否定する気力が失せただけだ。

 釈然としないまま、誰か早く私の腕からこの子を取り上げてくれ、とそろそろ限界を感じ始めた時だった。


「先生、大変です! 二人目のお父さんが!」

「えっ!?」


 内線で連絡を受けた看護師が、慌ててそう報告した。

 母親は既に精魂尽き果てており、分娩台の上で眠ってしまっている。となると、視線が集中するのは当然、私で。


「院内での喧嘩は、ご遠慮くださいね」


 いい加減にしろ。それは二人目ではない、本物のお父さんだ。







「本当に、ほんっとうに! 申し訳ございませんでした!」


 平謝りの医師と看護師に、私は不機嫌な表情を浮かべたまま、もういい、と小さく答えて彼らをすぐに業務へ戻らせた。あの失礼な助産師が並んでいなかったことが大いに不満だったが、もう今後関わることもない場所だ。とにかく、ここからさっさと離れたかった私は、職員に預けたままの車のキーを受け取るため、総合受付に向かった。


「あっ! 見つけた!」


 突然声を上げてこちらに向かって走ってくる男性……が、通りがかった看護師に、走るな騒ぐなと注意を受けている。見つけた、と叫んでいたが、まあ私には関係ないだろう。どちらにしろ見知らぬ人間であるし、積極的に関わる気は全くない。私は無事に受け取ったキーをポケットにしまいながら、早足で病院を脱出した。


「……なんだ、あいつは」


 駐車場でやっと自分の車を探し当てたと思ったら、そのボンネットに軽く腰掛けて私に手を振る人物がいる。見覚えがあるのは気のせいではなく、さっき病院のロビーで看護師に叱られていた男だった。

 人の物に触るなと言ってやるつもりで近づいてみれば、目は充血し顔も全体的に紅潮していて、まるで泣きはらした後のような顔つきをしている。大の男のそんな相貌を見るとは思わず、私はぎょっとして一歩後ろに下がった。


「さっきは本当にありがとう。妻を病院まで送り届けて、その上お産の立会いまでしてくれたんだってね」

「誰だ、君は」

「僕はあの赤ちゃんのお父さんで、赤ちゃんのお母さんの夫だよ!」


 子どもと対面して感動のあまり大泣きした後のその顔かと合点はいったが、ややこしい自己紹介をする奴がいたものだと、私は頭を抱えた。こういう面倒な人間とはなるべく関わり合いにならない方が得策だ。


「この度は、おめでとう。とりあえずそこをどいてくれ」

「あっ、ごめんごめん。買ったばかりの車にお尻乗っけられちゃ嫌だよね」

「……何?」


 私は、慌てて車から離れたその男を睨み、さらにもう一歩距離を取った。

 この男はなぜ、私の車で待ち伏せできたのか。新車でもない、経年劣化をそれなりに感じられるこの車をなぜ”買ったばかり”と判断したのか。

 そもそも、なぜ私があの母子を助けた者だと分かったのか。

 私が警戒しながら逡巡しているのを感じ取ったのか、彼は人懐っこそうに微笑んだ。


「一週間前にこの車種を購入契約したっていう書類を提出しただろ。ナンバーも、こちらが指定したものでちゃんと申請してくれて感謝するよ、さん?」


 そう言いながら、私の目の前で黒い合皮製の手帳型ホルダーを開いてみせた。はっきりと確認しなくても分かるほど、それはこれまで何度も目にしてきたものだった。ホルダー内のIDカードとバッジが意味するもの、それは彼が亜人保護管理局C R Oのエージェントである、ということだ。


「僕、帆高ほだかっていいます。よろしくね!」

「ああ。それでは、失礼する」


 差し出された手を握り返すことなく、私は車に乗り込むために運転席の方へ回り込んだ。


「ち、ちょっと待ってよ! 家族の命の恩人なんだし、せめてちゃんとお礼を……」

「あまり私に構わないでほしい。共の関係者なら、担当の者だけで間に合っている」

「あはは! ずいぶんな嫌われっぷりだなぁ。まあ、今の担当者は感じ悪い奴だし、仕方ないと言えば仕方ないか」


 CROのエージェントが普段から真っ黒なスーツを着込んでいることから、彼らを揶揄する目的でつけられた”カラス”というあだ名を口にしても、彼は気にすることもない様子で朗らかにそう言った。


「でも安心して。今度から君の担当は僕になるから」


 その言葉に、私は驚いて彼の方を振り返った。


「……私につく担当は、この地域では必ず”滝山たきやま”と名乗るはずだが」

「うん、そうそう。だから、次の”滝山”は僕なんだよ」


 CROのエージェントには、それぞれ担当の地域・亜人によって苗字が割り振られる。いわゆるコードネームのようなもので、エージェントの個人情報が亜人に流れないようにということと、組織を介さない間柄にならないようにする、という目的があるらしい。必要以上に仲良くするな、ということらしいが、担当の人間が変わるたびに新しい名前を覚えなくて済むので、CROが構築した数ある制度の中で唯一、私が評価しているものだった。


「では、”帆高”というのは」

「本名だよ。帆高仁哉じんやっていいます。よろしくね!」

「それはさっきも聞いたし、ファーストネームまで追加するんじゃない。これが知れたら、上の者から何を言われるか……」

「あ、いいのいいの。僕、しょっちゅう怒られてるから」

「君は勝手に怒られていろ。何か言われるのは私だって同じなんだからな」


 ひどいなぁ、などと言いながら、それでもニコニコと笑みを絶やさないその男――次期滝山、もとい、帆高をジロジロと見ながら、おかしな奴だと思った。

 私の事は、次の担当ということで事前に確認はしていただろう。だが、彼の妻にもこの病院の者にも自分の名をはじめ、個人的な情報は伝えていない。つまり、”家族の命の恩人たる人物=私”という答えを導き出すのは、藁の山から一本の針を見つけ出すのと同じくらい至難の業のはずだった。それなのに、彼はあっという間に私を特定してしまったのだ。おそらく、看護師や医師に人相、背格好などの特徴は聞き出したのだろうが、その程度の情報から素早く私を見つけ出したのは見事としか言いようがない。


「なぜ、彼女らを助けたのが私だと分かった?」

「んー……まあ、色白で背が高くてすごいイケメン、なんて目立つだろ。ロビーで張ってれば、通りかかったらすぐ分かるかなって思って待ってたんだ」

「別の出入口から出るとは思わなかったのか」

「受付で車のキーを預かってるって聞いたから。だったら絶対、正面玄関に向かうはずだって確信してたけど、まさかそのイケメンが次の管理対象だとは予想してなかったなあ」

「……君が私を見つけたのは、ずいぶん離れた場所からだ。遠くからちらっと見ただけで私を”都倉玲”だと判別できるとは、到底思えないのだが」

「たとえ写真でも一度見た顔は忘れないし、その大股で堂々と歩く癖は、何度か参考資料の動画で確認したからね。すぐに分かったよ」


 観察眼に優れ、なおかつ正しい分析力、判断力もあり、エージェントとしては優秀だと言える。言動や態度が多少おかしいことを除けば、の話だが。


「まあ……、担当につくということは、世話になることもあるだろう。その時はよろしく頼む」

「うんうん! というわけでさ、留美るみ――ああ、僕の妻と、まだ名もなきお姫様が退院したら、僕の家に遊びに来なよ!」

「断る」


 優秀な分、常識をどこかに置いてきてしまったタイプの人間なのだろう。やはりこういった者と関わるのは、ご免こうむりたい。





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