ドーン・ウィズ・ヴァンパイア

(1)




「忘れることは、悪いことではないと思いますよ」


 都倉さんの元へ向かう車内で、ハンドルを握りながら暮野さんが静かにそう言った。


「そうすることによって前に進めたり、違った幸せを見つけることも可能なのですから。実際、咲葵さんはそうだったのではありませんか?」


 そう問われ、私はためらいながらも素直にうなずいた。

 確かにその通りだった。今まで私は自分なりの新しい道を見つけられているつもりでいて、そしてそれなりに幸せをつかんだつもりでいた。つもり、だったとしても、それがこの先ずっと、それこそ一生続けられればそれは本物に変わっただろう。

 でも気付いてしまった今、隠された真実から目を逸らしてまでその境地に至ることは、私にとっては価値のないものになってしまった。

 両親が亡くなったという事実は絶対に覆らない。でも、そうなってしまった理由が他にあるのだとしたら、残された私が掬い上げたい、そう思ったのだ。


「私、こうして都倉さんと出会ったことに運命を感じてて」

「運命、ですか」

「……あ、いやあの、運命って別に赤い糸がどうのとかじゃないですよ? ほら何て言うか、父が真相を私に伝えたくて、あの世から色々手引きしてるんじゃないかなっていうような」


 暮野さんがしみじみと呟くものだから、つい焦って妙なことを口走ってしまう。

 こちらからは暮野さんの表情は見えないけれど、その肩が小さく揺れているような気がして、私は温度を上げ始めた頬を手で抑えた。


「わ、笑わないで下さい」

「ああ、いや、これは……失礼をいたしました。あと二、三分もすれば収まるかと思いますので」


 私は憮然として暮野さんの後頭部を睨みつけてから、窓外に目をやった。どんどん流れていく景色を何とはなしに眺めながら、そう言えば今この車がどこへ向かっているのか知らされていないことに気が付いた。


「あの、暮野さん」

「はい」

「今さら聞くのもなんなんですけど、これからどこに行くつもりなんでしょうか」

「行く、というより、もう到着したと言った方が良いかもしれません」


 暮野さんがそう答えると同時に、車はスピードを落とし始めた。


「え、ここって……」


 見覚えのあるその佇まい。そこは、ベイエリアに堂々とそびえる外資系高級ホテルだった。

 以前、関連会社主催のコンプライアンスに関する勉強会がここの大宴会場で開かれた際、私は新山部長の付き添いとして一緒に参加したのだけれど、スタイリッシュで和モダンな豪華さにものすごく感動した覚えがある。部長に、みっともないからきょろきょろするな、と叱られたこともいい思い出だ。


「都倉さん、ここに宿泊なさってるんですか?」

「ええ。昨日は打ち合わせが長引いてしまいまして、もう自宅に戻るのが面倒だと」

「あ……そ、そうなんですか」


 都倉さんという人は、家に帰るのが面倒だからという理由でこんな高級な所に気軽に泊まれるようなお方、ということだろうか。ホテルにドレスコードがあるかどうかなんて知らないけれど、とりあえずいつもの部屋着のような緩い恰好ではなく、ワンピースを着て来て良かったと思った。

 正面玄関前にゆっくりと停車する。と、私の座る後部座席のドアが勝手に開いたことに驚いた私は、寸でのところで悲鳴を上げそうになった。


「いらっしゃいませ。ようこそ、お待ちしておりました」


 おののきながらも下車した私に恭しく頭を下げるドアマン。タクシーのように自動ドアだったわけではなく、どうやらこの人が開けてくれたようだ。


「大切なお客様ですので、失礼のないようにお願いします」

「心得ております」


 暮野さんはドアマンとそう言葉を交わすと、私に軽く会釈をしてから再び車を発進させてしまった。


「えっ、ちょっ、私一人で……!?」

「こちらにどうぞ。ご案内いたします」


 危うく車の後を追いかけてしまうところだったけれど、ドアマンのその一言で何とか踏みとどまる。


「……どうなさいました?」

「あ、いえ。すみません、何でもないです」


 完全に挙動不審な私を訝しむ様子など一切見せず、彼は営業スマイルをこちらに向けてくれた。







 一度来たことがあったものの、三十二階からの眺めがこんなに素敵だとは知らなかった。

 エレベーターホールを出てすぐにあった、カフェスペース。都倉さんは今ジムを利用していて部屋にはいないらしく、ここで待つようにと案内されたのだ。窓際の一番良い席で、私は出された紅茶と焼き菓子に手を付けることもなく、ただひたすらベイビューを堪能していた。何も口にしたくないわけじゃなくて、ただ緊張しすぎて何も喉を通らないから、仕方なくそうしていた。


「すまない、また君を待たせてしまった」


 ふわりとラグジュアリーな香りが鼻を掠め、私ははっと気づいてそちらに顔を向けた。

 白いポロシャツに黒い細身のチノーズパンツというシンプルな服装に身を包んでいながら、都倉さん自身が放つオーラは先日と変わらないハイクラスな輝きを保っている。何を着ても決まってしまう人というのは、きっと都倉さんみたいな人のことを指すのだろう。そんなことを密かに考えながら、私は首を横に振った。


「大丈夫です。そんなに待っていないですから」

「だが、紅茶はすっかり冷めているようだ」


 そう指摘を受けて、しまった、と思った。実は、カウンターの奥に控えている女性スタッフが取り替えを申し出てくれていたのに、どうせ今は飲めそうにないしもったいないからと断ってしまったのだ。相手を気遣って待っていないていを装うなら、言葉だけではなく、こういうところも抜かりなく配慮しておくべきだというのに、詰めが甘いというかなんというか……。


「いや、これは意地悪だったね。フロントから連絡を受けていたから、二十分前から待たせていることは分かっていたんだ」


 都倉さんはそう言って微笑み、軽く手を上げてスタッフを呼んだ。


「はい」

「ラテを頼む。それから、彼女の飲み物も新しく淹れてくれ」

「かしこまりました」


 彼女は軽く会釈をしてから、私の前に並べられたカップを下げていく。私はカウンターの奥へ向かうその後姿を見送ってから、ちらりと都倉さんを上目づかいで見上げた。


「あの……」

「ん、どうした?」

「ここで、いいんですか?」


 飲み物を注文したということは、ここで話をするということだ。誰でも出入りできるようなこの場所で話すことではないような気がしてそう尋ねたのだけれど、なぜか都倉さんの瞳が挑戦的に細められた。


「それは、私の部屋に来たいと言っているのかな」

「あ、えっと、だって……」

「男女が二人きりで密室にこもるのはまずいだろうと思ってここにしたのだが。……しかし、君がそう望むなら」


 あっ、違う。これはたぶん、私が今思っていることと違うことを都倉さんは想像しているに違いない。


「まままま待って下さい! そういう意味じゃなくて、あの、誰かに聞かれてはまずいかなと、私はそう思っただけで」


 今は他のお客さんは見当たらないけれど、スタッフは普通に行き来している。そんな中で話すのはちょっとどうなのかと思ってそう聞いたのであって、いわゆるアレな下心とかそんなんは決して、


「大丈夫、分かっているよ。少しからかっただけだ」


 立ち上がりかけた都倉さんを制しながら取り繕った私に、都倉さんはニヤリと口の端を上げる悪役な笑みを向ける。

 再びソファに深く掛け直した都倉さんを一旦強く睨みつけてから、私はふいと顔をそむけた。

 私一人があたふたして、なんだかバカみたい。

 そう思うと、そんな私の様子を楽しそうに見物する都倉さんが急に憎らしく思えてきた。

 何か言い返してすっきりしたい、この苛立ちと言うか、悔しい思いをどうにか言葉にして昇華したいと思ったけれど、こちらが優位に立てそうなセリフは全く思いつかない。何を言っても軽くいなされるどころか、むしろいいのネタを与えることになってしまいそうで、結局私は不機嫌な表情で抗議の意を示すことしかできなかった。


「……何ですか」


 テーブルの上で手を組みながらこちらをじっと見つめている都倉さんに、私は平静さを装いながらそう尋ねた。

 さっきまでの悪どい微笑みは見られないけれど、油断はできない。また何か、私を焦らせてやろうと企んでいるのかもしれない。

 どんな剛速球がきてもすげなく打ち返してやる、という前のめりな意気込みに気付かれないよう、心をフラットにするべく深く息を吸い込んだその時だった。


「咲葵」

「!!」


 名前を呼ばれただけなのに、そしてこの展開はすでに経験済みだというのに、私の脈拍は有り得ないくらいに急上昇してしまった。

 思った以上の剛速球だった。投げた次の瞬間にはキャッチャーミットに収まっている位に凄まじい球威に、名スラッガーでも何でもない平凡打者な私が為す術などあるはずもない。


「だっ、だからっ、そうやって距離感を縮めようとしないで下さい!」


 打ち返してやるどころかさっきと同じ、焦りと緊張を最前面に押し出した対応を繰り返してしまった私は、都倉さんの顔をまっすぐ見られずに、ガラスのテーブル越しに見える自分のつま先に視線を落とした。

 ああ、またからかわれてしまう。そう思ってちらりと都倉さんの様子を盗み見ると、都倉さんは意外にも真剣な顔を崩してはいなかった。


「縮めようとしているわけではないし、その必要もない。もともと私と君は

――少なくとも私にとっては今も、この距離感の間柄なのだから」

「え……」


 射抜くようなまっすぐな視線。表情には、ふざけたような淀みは一切見られない。使い古されたパターンのやつかと思ったけれど、どうやらそうではないようだ。


「私は、ずっと前に君と会っている。……それこそ記憶に残らないくらい、君が幼い頃に」


 確か、予約の名前を見ただけで私だと気付いたと都倉さんは言っていた。両親から私のことを聞いていたのなら、それは決しておかしなことではない。でも、私が覚えていないくらい小さい頃って……。


「それなら、私たちは幼馴染ということでしょうか」

「違う」

「で、でも……都倉さん、私とそこまで年齢は変わらないです、よね?」

「そう見えるだけのことだ。実際は、仁哉や留美よりもずっと年上だよ」


 都倉さんが若く見えるタイプの人だったとしても、それは絶対に有り得ない。さすがにそれを素直に鵜呑みにできなかった私は、首を横に振りながら笑いを零した。


「父も母も生きていれば五十歳を過ぎているんですよ? それよりも都倉さんの方が年が上だなんてことは」

「確かに、普通の事ではないだろうな」


 都倉さんは小さくそう呟くと、テーブルの上で組んでいた手をそのまま口元に当て、熟考するような様子を見せた。

 いつのまにか傍らまで来ていた先ほどの女性スタッフが、私と都倉さんの前に飲み物の入ったカップを静かに置いていく。そして、今度はカウンターの方ではなくカフェスペースの出入り口の方へ向かうと、赤いロープのついたパーテーションポールをそこに置いて人が入れないようにしてから、こちらの様子をうかがうことも無くその場を立ち去ってしまった。たぶん、都倉さんから事前に人払いした上で私と二人きりにするよう言い含められていたのだろう。

 途端に訪れる静寂。自分の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うほどのその静けさに、私は思わず息をのんだ。


「あの……」


 不用意に出した声は、緊張からか掠れてしまっていた。でもそれは、ちゃんと都倉さんの耳に届いていたようだ。

 まつ毛が揺れ、再び私はその視界に捉えられていく。前髪の隙間から覗く瞳が、なぜか赤い色を帯びているような気がして、私はぎくりと体を強張らせた。


「私は普通の人間ではない。信じられないかもしれないが」

「都倉、さん……?」

「百三十年、この姿で生きてきた。卑しくも人の血をすすりながら、これまで命を永らえてきたんだ」


 思いもよらない言葉に、問い直す声さえ出ない。


(百、三十年? 人の血、って……。そんな。それじゃあ……都倉さんはまるで、)


「私は、ヴァンパイアだ」





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