(2)




 瞳に揺らぐ、赤く妖しい光。それが店内の明かりを反射したものではなく、都倉さん自身が放っている色であるということは分かった。

 そのミステリアスな揺らめきに、言葉にできない漠然とした不安を感じながらも、強く心惹かれてしまう。

 目を逸らさなきゃ。こんなにじっと見つめるなんて相手にも失礼だし、それよりとにかく何か答えないと。

 でも、そう思うだけ。それ以上の思考は正常に動作せず、視線だけでなく指一本も動かすこともできなくなっている。そしてなぜか、私はこの状況から逃れたくないと望んでしまっていた。

 その目にずっと見つめられていたい、そうすればいつまでもこの幸福感に浸っていられる。それが叶うのなら私、この人に命じられたことなら何でも


「咲葵、しっかりしろ」


 不意に体を揺すぶられ、私はハッと我に返った。

 都倉さんはソファから腰を上げ、テーブルに体を乗り出す体勢で私の肩に手を当てていた。先ほどの妖艶な光は瞳から消えており、まなざしはいつも通りに戻っている。


「あれ、私……」

「驚いた。君は催眠にかかりやすい性質のようだな」

「さい、みん?」


 まだぼんやりする頭ではすぐに理解を示せなかった私は、眉根を寄せて首を傾げた。


「ヴァンパイアの赤い瞳は人心を惹きつけ、今のように相手を催眠状態に陥らせることができるんだ。口で言うだけでは信じてもらえないかと、特徴を少し見せるだけのつもりだったのだが」


 都倉さんは少し困ったような表情を浮かべながら、再びソファに深く腰掛けた。


「私は人間とヴァンパイアの混血であるせいか、純血と比べてこの能力が与える影響は少ない。だから君も大丈夫だろうと決め込んでいたのだが……まさか、こんなに簡単にかかるとは思わなかった」


 その言葉に他意のないことは分かりつつも、つい落ち込んでしまう。こないだも『コロッと騙されて変な絵を買わされるタイプだ』と指摘されたばかりだし、私は自分が思っている以上に人に振り回されやすいタチなのだろうかと、何だか情けない気持ちになってしまった。


「ごめんなさい、気を付けます……」

「謝ることはない。これは個人の資質の問題で、気持ちでどうなるものでもないからな。まあ、訓練すればある程度の抵抗力はつくと思うが」

「訓練?」


 私が問い返したことに答えようとしてくれたのだろう、都倉さんは更に言葉を続けようと口を開きかけたが、すぐに首を横に振った。


「知りたいことはあるだろうが、それはまた追々にしてそろそろ本題に入ろう。

……仁哉について、君に一つ心得ておいてもらいたいことがある」


 テーブルに置かれた、プラスチック製のカード。覗き込んでその表面を見てみると、都倉さんの名前、そして何桁もの数字がエンボスで印字されていた。デザインの感じからクレジットカードのようだけれど、見たことのないロゴと社名の略称らしき”CRO”というアルファベットが左上に記載されている。


「この世界には、人間に近しいものの、容貌や生活習慣を隔する種族がいくつか存在している。ヴァンパイアもその内の一つでね。それらは一まとめに、”亜人”と称されている」


 亜人。その言葉を受けて頭に浮かんだのは、小さい頃に読んだ童話に出てきた、人魚や狼男、妖精などの、恐ろしかったり美しかったり、とにかく心惹かれる不思議な生き物たちだった。


「それは、人間と同じ社会で生活する亜人一人ひとりに与えられている識別カードだ。そこに書かれている”CRO”というアルファベットは”亜人保護管理局Conservation of Rare species Organization”の略称なんだ」


 都倉さんに差し出されたカードを受け取り、改めてそれをじっくりと眺める。

 亜人保護管理局という組織は、亜人という存在を人間から秘匿し、その個体をそれぞれが生息する環境に合わせて管理することで保護しているのだそうだ。世界中に拠点を置くCROが持つ権限は計り知れず、各国の元首に値する者ですら、そうおいそれと干渉することはできないらしい。


「簡単に言えば、世界の知られざるところを牛耳る秘密組織、ということだ。私が生まれるよりずいぶん前から存在していたそうだから、歴史の深い組織であることは間違いない」


 都倉さんの正体、その種族を秘密裏に管理しているというCRO。

 もらったピースを徐々に組み立てていく中で、都倉さんが私に伝えようとしていること、その完成図がぼんやりとではあるが姿を見せ始めたような気がしたのだ。


「裏側を見てくれないか」


 そう促され、カードを裏に返す。

 磁気ストライプや署名欄、簡単な注意事項に拾得時の連絡先。細部に至るまで完全にクレジットカードを模していて、事情を知らない人が見ればそれは疑う余地もないほど精巧に作られている。


(ん……?)


 その中で、一つ気になる所を見つけた。

 本来ならセキュリティーコードが記されている箇所に並ぶ、”D22-ga084”という英数字。違和感、とまではいかないけれど、これには何か特別な意味があるような、そんな気がしたのだ。


「すみません、あの。ここに印字されている英数字は」


 そう言いながら私は都倉さんにカードを差し出し、その箇所を指さした。


「CROの者はエージェントコードと呼んでいた。これで、私が今どこの支部の誰に管理されている個体であるかが分かるようになっているらしい」

「……つまり、都倉さんに付いている担当の人を示した番号、ということですか?」

「その通り。まあ、そのカードはずいぶん昔のものだから、今私には違うエージェントが付いているんだが」


 都倉さんはそう言うと、ラテの入ったカップを取り上げて口を付けてから、息を一つ吐き出した。


「”D22-ga084”。それは、仁哉のことを指している」


 心臓が、大きな音を一つたてる。指先の温度がゆっくりと失われていくように思えた。


「仁哉は自分の職業をどこかの企業の営業だと言っていたそうだが、実際は違う。あいつはCROの局員だったんだ」


 やはり、という得心。さっきまで曖昧な輪郭でふちどられていた完成図は、私の予想通りの形で今はっきりとその姿を現した。

 そしてその完成図は、私がずいぶん前に描き、不完全なまましまい込んだ真実に現実味を与える結果となってしまった。


「私とあいつの間に、立場による隔たりはなかった。仁哉とは純粋な友人関係であったことは確かだ。その上で、しっかりと聞いてほしい」

「……は、はい」

「私は、仁哉は殺されたのだと確信している」


 口の中の水分が一気に蒸発したのかと思った。

 かさかさに乾いた唇から漏れ出たのは掠れた吐息のみで、それ以上の声は出せそうにない。あの時に描いた真実は、私の独りよがりな妄想ではなかったのだ。

 喉の奥がひりつくような、声帯がぎゅっとしまるような。とにかく息苦しさを感じた私は、思わず胸元で右手を硬く握り締めた。

 それは、私が父の死に疑問を抱き始めた時から考えていたことだった。

 峠道をたった一人、車で下るはずのない父があんなところで事故に巻き込まれるのはどう考えても不自然で、もし交通事故で亡くなったのではないとするなら、死因は偽装されたということになる。ではなぜ、そうする必要があるのか。それは後ろ暗い事実を隠したいからではないのか、と思い至ったところで、行き着く結論は一つしかないことに気付いたのだ。

 でも、そんなことに巻き込まれるような、危ない道を歩む人ではなかったはずだと信じていた私は、その結論を心の奥深くへとしまい込んでいた。父が私の知らないところで、そういう結末を辿ってもおかしくない振る舞いをしていた可能性から目を背けてしまった。

 私は、私の知る父を守りたかった。ともすれば思い出を汚してしまうかもしれない真実など受け入れられない、そう考えて。

 そう、考えて……。


「……あまり、驚かないんだな」

「はい。最悪の結果として、そんな可能性もあるって思っていましたから」


 カードをテーブルに置き、なるべく感情を込めないように気を付けながらそう答えた。

 胸元で固めていた拳を、そのままの形で膝へとおろす。

 ちゃんと向き合うと決めたのだ。こんな入り口部分でへたり込んでいるようでは、この先を進むことなどできない。遺された私がすべて掬い上げると覚悟をしたのだから、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 私は、視界を歪ませるものを排除するべく、大きく深呼吸をした。


「すみません、もう大丈夫です。続きを」

「いや。一旦切り上げよう」

「えっ?」


 カップをソーサーに置いて、都倉さんは突然ソファから立ち上がった。


「あの、切り上げるって……」

 つられるように私も慌てて立ち上がりながらそう尋ねるが、それに対する返答はない。私は、腕時計を確認してから何事か考える仕草をする都倉さんを見て、首を傾げた。


「都倉さん……?」

「今日この後、何か予定はあるのか?」

「え、と……特にないです、けど」

「よし。では行こうか」


 都倉さんはそう言っていたずらっぽい笑みを私に向けると、状況を飲み込めずにただ立ち尽くしていた私の手を取った。





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