(6)




 倉木は、不機嫌な表情を浮かべながらパソコンの画面を眺めていた。眺めるというよりは睨みつける、といった表現が正しいかもしれない。

 そこに表示されているのは人の名前がずらりとならんだリストで、カーソルは”帆高咲葵”という名前の上に置かれている。


「不幸を気取って弱さを演出して、庇護欲をそそろうとする女って大っ嫌いなのよね」


 自分は弱者であるということを主張するかのような、おどおどした話し方や遠慮がちな咲葵の態度を思い出し、倉木は苛々しながらそう呟いた。元来そういった性格であるならいざ知らず、相手の懐を探ろうとする気概も、知恵が回る一面もあった。垣間見えたしたたかさから、自分を過小評価させて男に守らせようとするタイプであると咲葵を断じていた倉木は、玲がその手の女に心奪われてしまうことがどうしても許せないようだった。


「ホントやだ。今までこれといった女の影がないから安心してたのに、なんでよりによってああいうのを選んじゃうかな」


 玲の見る目のなさに失望しながら、咲葵の名前をクリックする。

 ここは、CRO地方局内にある情報管理室だ。幾つかの地域ごとに設置された地方局の中でも、この”C区局”と呼ばれる局は管理すべき亜人・人間が特に多い。今週もまたリストに連なる名が増えたことに、C区局長である満重みつしげが頭を抱えていたことを思い出しながら、倉木はデータに目を通した。

 満重の心労はそれだけではない。玲がしょっちゅう起こす下らない問題に対処するのにも、すっかり辟易していたのだ。だが、局長のそんな思いとは裏腹に、倉木は玲の奔放な振る舞いを大変好ましく感じていた。

 組織への反発心か、それとも何か別の理由があるのか。とにかく、どれだけ圧力をかけようとも涼しい顔でかわしては、またつまらない悪事を働く彼のことを、倉木はエージェントの立場そっちのけで自分のものにしたいと考えていた。そのこともまた、満重の心を煩わせている一因になっているのだが……。


「あれっ、お前いたの」


 不意にドアが開く。そこから顔を覗かせたのは満重で、倉木は軽く片手を上げて応えた。


「何してんだ? 今日は休みのはずだろ」

「更新データの確認です。ちゃんと反映されてるか見とこうと思って」

「へーぇ……」


 休みを返上しての殊勝な勤務態度に感心する様子はない。満重はむしろ、嫌悪感をあらわにして倉木を睨んだ。


「そんな真面目アピールをしたところで、こないだの件は俺は許さんからな」

「こないだの件?」


 スクロールする画面を見つめたまま、倉木が問い返す。満重はポケットから煙草ケースを取り出しながら、大仰にため息をついた。


「先週アタマに、帆高咲葵に無断で接触したことだ。都倉が絡むと目の色変えんのやめろって、何度も言ったはずだぞ」

「あれは帆高さんからの依頼で申請書を渡しに行ったんだって、何回も説明したはずですけど」

「あのなぁ……」


 オイルライターのふたを開け閉めする音が、機械音に交じって室内に響く。それは、満重の苛立ちがどんどん積みあがっていく音のように倉木は感じていた。


「彼女にも確認が取れたんでしょう、確かに自分が頼んだって。それなのに、どうしてあたしが独断で動いたことになるわけ?」

「依頼があったとしても、どう対応するか判断を下すのは俺だ。俺からの指示なく動いたのなら、それは”独断”でしかないんだよ」


 至極まっとうな答えに、倉木は反論する術をもたなかった。彼女はしばらく画面と睨み合いをした後、満重に聞こえるようわざとらしく舌打ちをして、席を立った。


「おい、まだ話は」

「帰んのよ。確認は済んだし、知っての通りあたし今日は休みなんだから」


 これ以上の説教はごめんだとばかりに早口にまくしたてると、倉木はヒールの高い音を立てながら部屋を出て行った。

 年齢も立場も下のはずである彼女の横柄な態度に、満重は自分の境遇を哀れみながらがっくりと項垂れた。


「ったく……。何を企んでんだか」


 乾いた唇から漏れる、部下に対する不信感。まだまだこぼれてきそうな愚痴を封じるべく、満重は煙草をくわえて先端に火をつけた。

 倉木がただの嫉妬心だけで動く人間ではないことを、満重はよく知っている。何かを嗅ぎ付けて、それを確かめようとして咲葵に接触したのだろうというアタリはついていたが、彼女が一体”誰”の”何”を、どこまで掴んでいるのかはまだはっきりしなかった。追い込みをかけるならもっと明確な目的が見えてから、今の段階では『勝手な行動は許さない』と釘を刺すだけでいい。満重はそう考えていたが、できれば倉木にはこれ以上余計なことに首を突っ込まないでほしいと、そう願っていた。


が妙な動き見せてるってのに、身内にまでおかしな真似されちゃ俺の身がもたねえわ」


 不穏な独り言を紫煙と共に吐き出しながら、ついさっきまで倉木が座っていたオフィスチェアにどっかりと腰掛ける。画面にはまだ、咲葵の顔写真と共に彼女の情報が映し出されていて、満重はくわえた煙草から立ち上る煙越しにそれをぼんやり眺めた。


「できれば何事もなく、平和であってほしいんだけどなぁ」


 満重の祈りにも似た言葉は、誰に拾われることもなく静寂の中へ吸い込まれていった。







 オーベルジュ”la lune”の厨房では、玲がフォン・ド・ヴォーの仕込みをしていた。宿泊客からのリクエストで、ディナーに牛ほほ肉の赤ワイン煮込みを出すことになったのだ。

 フォンはいい状態でほぼ仕上げの段階まで出来上がっているし、牛ほほ肉は、筋が幾層も重なった口元の部分を用意できた。これからじっくり丁寧に煮込めば、絡み合った筋繊維は柔らかくなり、味だけでなく絶妙な口当たりで楽しませることができる。風味のまろやかなこの二番フォンに、深いコクのある一番フォンを足して使えば、ほほ肉自体のおいしさが引き立つに違いない。いい秋ナスも手に入ったから、あれはキャビア・ド・オーベルジーヌにして出そうか……。

 頭の中でメニューを組み立てながらも、玲は小さく嘆息した。こうやって料理のことを考えるのは楽しいし、自分が作り出したもので人を喜ばせられることに心地よさも感じていた。だがこんなに忙しくなると思っていなかったせいか、少しばかり心が重くなっていた。

 開店してから一週間経ったが、今のところ客足が途切れたことはなく、宿泊の方も部屋に若干の空きがあるものの、とりあえず三か月先までの予約は埋まっている。開店前に試泊プランを導入したお陰で、口コミによる評判が思ったより広がったのかもしれないが、SNSを使っての宣伝くらいしかおこなっていなかったこともあり、正直言ってこの店にこれ程客が入るとは想定していなかった。

 そもそも、オーベルジュというのはニッチな産業である。立地や必要とされる知識を鑑みても人材確保は難しく、客の心と胃袋を掴むために準備した高級食材のロスによる損失は、日々を重ねていけばかなり大きくなる。そして広い庭や宿泊部屋、調度品などの施設そのものも、常に最高の状態で保たなければならない。諸々を考えればこれほど金を食うビジネスもないだろう。簡単につぶす気はないが、長続きしそうもないと玲は考えていた。

 外観や内装などには力を入れたから、いわゆるSNS映えする風景を求めて人は集まりはするだろう。しかしそれも恐らく初めの内だけ。こういったインパクトの強いものは人心を簡単に惹きつけるが、飽きられるのも恐ろしく早いのだ。料理の方も、目や舌を楽しませる自信はあるにせよ、星を獲れるほどではないという自覚もある。つまり、近場でもっと質のいい料理が食べられる状況下にあるなら、わざわざこんな人里離れた場所に足を運ぶ者は少ないというわけだ。

 この店には金も時間も掛けたが、それを取り戻すための利益を上げる気は玲にはなかった。留美に影響を受けてふと湧いた、”料理で季節を感じさせたい”という思いを昇華させたかっただけなのだ。資産もそれを増やす術も、すでに充分持っている。ほぼ自分の娯楽のためにここを造ったというのに、忙しさのあまり楽しめていないなど本末転倒だという思いから、玲はため息をつく回数を日々増やしていた。

 だが、今日を乗り越えれば明日が来る。明日は、以前から咲葵と約束していた、料理を教える日だ。先日の一件以来、咲葵が負担を感じないように配慮して、メッセージを送る回数を極端に減らしていたこともあり、その分余計に会うことを楽しみにしていた。このところ憂鬱さが抜けないのは、咲葵とのやりとりがままならないことも一因であることは確かだった。

 彼女はもう立派な大人の女性であるとはいえ、玲にとっては亡き親友の忘れ形見である。玲は、自分が彼女のことを過剰に心配してしまうのも無理はない、と思う反面、なぜこんなに会いたい、触れたいという衝動が起こるのかよく分からなかった。

 さまざまな形の恋愛を一通り経験してきていることもあり、それが恋愛感情からくるものならばすぐに察知できるはず。しかし、一線を画する強い何かを咲葵に感じており、手に余る感覚の扱いに困っていた。

 結局玲は、親が子を思う気持ちを疑似的に感じているだけだ、と無理やり結論付けた。それならば子を持ったことのない自分が理解できない衝動であることも納得できる、ということだ。玲は、友人としてもう少し関係性を深めればこの思いは立ち消えるだろうと、あまり深く考えないでおくことにした。


「玲、お電話です」


 厨房に顔を出した紫藤に声を掛けられ、玲はゆっくりとそちらを振り返った。


「……それは、どういった心境の表情でしょうか」


 玲の虚ろな目つきに、紫藤は心配からではなく薄気味悪さを覚えてそう尋ねる。


「電話をたたき切ってこい、という気持ちをあらわしている」

「それはできません。佐々部ささべ様からのご連絡は必ず受けると言ったのは、あなたですよ」


 佐々部というのは玲にとって、紫藤を除けば、事情を知る者の中で一番付き合いが長い人間だ。中央官庁の官僚から政治家の道へと転身した経緯から、量産型議員と揶揄されながらも、省のトップに立った経験もある政界のエリートである。

 政財界の重鎮も集まる新年の初顔合わせの為に開かれた催しがあり、玲が招待を受けて参加した際、当時はまだ若く、議員秘書をしていた佐々部が代理として会に顔を出したのが出会いのきっかけだった。

 以前咲葵がここに宿泊した際、予約が前倒しになったが、その時の本来の予約者が佐々部だった。先日反故にした先約の相手がこの人物だったこともあり、玲はここ最近で一番の大きなため息をついてから、紫藤に厨房を預けてフロントへと向かった。


『おう、都倉。元気にやってるか』


 佐々部が政治家としては若年の内に隠居宣言をしてから、数年が経っている。現役の頃のような尖った溌剌さはもうないが、豪快な声量は変わらないと思いながら、玲は受話器からわずかに耳を離した。


「元気なものか。こないだ開けた店が順調に客足を伸ばしていて、辟易していたところだ」

『儲かってんのにうんざりするとは、贅沢な奴だな! ”お陰様”の尽力に感謝くらいしろよ』


 その言葉に何かを察知した様子の玲は、眉間にしわを寄せて相手に聞こえる音量の舌打ちをした。


「なるほどな。客を送り込んだのはお前か」

『そんな辺鄙な場所の飲食店なんぞ、人が集まるわけはないからな。開店祝いにでっかい花輪を贈るよりゃよっぽどいいだろって、ちょろっと宣伝しといてやった』


 通りで客層に偏りがあったわけだ、と頭を抱える。しかし、そういう裏があるならこの盛況ぶりもその内やむだろうと、玲は少しではあるが安堵を覚えた。


「それで、今日は何の用だ」

『何の用だって……そりゃないだろうよ。こないだの約束すっぽかした癖に』

「その後何度連絡しても返してこなかったのは、どこの誰だったかな」

『ハハハ! まあ、そこはお互い様ってことで……ところで、来週の予約はどうなってる?』


 自分も佐々部も礼儀を欠いたことを詫びる気はなく、まさにお互い様だと思いながら、玲はタブレットで予約状況を確認した。


「曜日による。土日は満席、満室だ。”お陰様”でな」

『そうかそうか。俺の一声はまだまだ遠くまで響くようだな』

「なんでもいいからさっさと用件を言え。仕込みの途中なんだ」


 自分を絶賛するセリフに苦笑を漏らしながら、玲はわざとぶっきらぼうにそう言って先を促した。


『話がある。お前の親父のことだ』

「……」


 途端に玲の表情が曇る。しかし玲の不穏な様子が相手に伝わるはずもなく、佐々部は声を低くしながらも話を続けた。


『知り合いの事務所の若い奴からちらっと聞いたんだ。御大おんたいが何かやろうとしてるってな』

「……何か、というのは?」

『近日中にまた情報が入る。カラス共がざわついてるとこみると、信憑性は高いらしい』


 それならば、会わないわけにはいかない。遅い時間になるが、と前置きをして来店の日程を組むと、玲は挨拶もそこそこに電話を切った。

 アンティークな額縁に入ったプリザーブドフラワーのアレンジメントが、フロントのカウンターに置かれている。咲葵が開店祝いにと贈ってくれたものだ。玲はそれに目をやり、長らく忘れていた憎悪が再び熱を持たないよう、心を落ち着かせようと努めた。






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