(2)




 CRO地方局C区局内。現場組はみな出払っているせいで静まり返る情報管理室では、倉木くらきがダラダラとデータの確認をしていた。

 夜勤続きのシフトには慣れてはいたが、月末が近づくとやはり疲れはそれなりに溜まってくる。担当している玲も最近はあまり動きを見せず大人しくしているし、疲労感とマンネリ感が相まって、倉木は仕事への情熱をすっかり失っていた。


「おい倉木、応接室片すの手伝ってくれ」


 眠りを誘う心地よい静寂を割って、慌ただしい足音を立てながら部屋に入ってきたのは満重みつしげだ。倉木は彼の唐突な指示に、あからさまに不機嫌な表情をして振り返った。


「何ですかいきなり。あたし今、重要な案件についての資料をチェックしてるとこなんですけど」

「外回り行きたくねえからって勝手に仕事を作るな。いいからさっさと来い

よ」


 焦った様子の満重を不審に思い、首を傾げながらも渋々席を立つ倉木。


「誰か来んの?」

「タメ口やめろっつってんだろ。次官にもそんな態度取ったら、お前マジでぶっ飛ばすからな」


 次官、という言葉に、ここへの来客が中央局上層部の人間であることを悟った倉木は、眉をひそめてますます表情を険しくした。


「どうして本店のお偉いさんが、こんな地方局にわざわざ出向くんですか」

「中央でデスクワークしかしてない人間がゴリゴリの現場に来る理由なんて、俺だって知りたいわ」

「デスクワーク? ……ああ、結城次官が来るんだ。へーぇ」


 苛ついたように唸る満重を尻目に、倉木は以前中央局へ行った際に見かけた、結城の澄ました横顔を思い出していた。

 一体どんな用件でここに来るのだろう。好奇心をくすぐられた倉木は、部屋を片づける手を進めながら、自分もこの場に同席できないかと頭を巡らせた。


「良かったらあたし、お茶出ししましょうか」

「お茶は結構です。それより時間がないので、すぐに本題に入りたいのですが」


 柔らかな声が響く。満重と倉木がそろって入口を振り返ると、そこには結城が立っていた。


「す、すみません。いらっしゃったことに気付かず……。おい、倉木」


 満重が小声で倉木に退室するよう促したが、結城は首を小さく振ってそれを制した。


「この局内で周知して頂きたい話なので、いて下さって構いませんよ。ええと……それじゃ、C区局長というのはあなたですね」


 うなずく満重に、結城は脇に抱えていた黒いバインダーを差し出した。


「先日から、中央局の者がC区域で内密の調査をおこなっています。今日は遅ればせながらではありますが、そのご挨拶に伺ったんですよ」

「調査、ですか……」


 バインダーを受け取り、表紙を開く。その資料には、中央局の情報管理課に所属する局員の一人、”相沢あいざわ”の情報が記載されており、満重はこの人物が調査にあたっているのだと解釈した。


「詳しい内容は明かせませんが、あなた方の仕事に支障が出るのは本意ではありませんので、対象者の名前だけお教えしましょう。――都倉玲、帆高咲葵の二名です」


 その名前に反応を見せたのは倉木だった。どちらも自分が担当している者であるというだけでなく、特に咲葵に関しては中央局と何らかの関係があると睨んでいた為、新たな展開が見込めるかもしれないという期待感に胸を震わせたのだ。


「ご存じの範囲で構わないのでお教え願いたいのですが、この二人はいわゆる深い仲では」

「ありません。ただの友人だと伺っておりますし、これまでの動向観察を鑑みても、その関係性は妥当なものと思われます」


 上司を差し置いてそう答える倉木を、満重は黙って睨みつける。余計な口を挟むなと言いたげな視線に気付きながらも、倉木は素知らぬ振りでそっぽを向いた。


「なるほど……。では帆高咲葵が都倉玲のドナーになる可能性は、今のところあまり高くないというわけですか」

「……記録にある限り、都倉玲がドナーを変えたことはこれまで一度もありません。ですので両者の関係がどうなろうとも、その可能性は限りなくゼロに近いかと」


 結城の言葉に僅かな違和感を覚えながらも、倉木ははっきりとそう答える。結城はしばらく考え込むような仕草をしていたが、やがて顔を上げ、倉木に穏やかな笑みを向けた。


「つまり、完全に無いとは言い切れない、そういう解釈でよろしいですね?」


 柔らかな物腰で放たれたそのたった一言に気圧されて、倉木は口を引き結んだ。下手なことを言えばこの場ですぐに消されるのではないか、そんな気さえする得体の知れない重圧。本当は「完全に無いんだよバーカ」と言ってやりたいと考えた倉木だが、ここで我を通しても自分の身を危ぶめるだけだと判断し、小さくうなずいて結城の意見を肯定した。


「ありがとう、大変参考になりました。……ところで彼らのことにお詳しいようですが、もしかしてあなたが二人の担当エージェントですか」

「ええ、そうです」

「それなら話は早い。調査に入っている相沢にも、今のように力になって頂けると助かります。この件は、C区局の全面協力なくして円滑に進めることはできないでしょうから」


 耳触りのいい言葉を並べてはいるが、要は何も教えないがそちらは全て差し出せと言っているだけのことだ。自分の求める答えを強引に引き出そうとしたり、ただ盲目的に情報や人手を提供しろと暗に示したりと、その尊大な態度は倉木の苛立ちを一気に増幅させた。


「出来る限りの援助は致しますよ。詳細は何も知らされていない状態ですので、ご期待に沿えるかどうかは分かりませんが」


 自分たちの縄張りを我が物顔で侵食されて不愉快なのは、満重も同じだったらしい。素直に従う体を装いつつもチクリと嫌味を混ぜ込んだ返答に、倉木はそっと口の端を上げたが、結城の瞳が一瞬冷たく光ったのを見て、すぐにその表情を引き締めた。


「……相沢は、C区域においては次官である僕と同等の権限があると思って下さい。妨害はもちろんのこと、要請に従わない場合もそれなりの処遇があることをお忘れなきよう」


 口調も表情も、先ほどと何も変わらない。それでも、満重の物言いに釘を刺す結城の言葉の重みは計り知れず、二人はそれ以上何も言うことができなくなった。


「後日、相沢の方から改めて連絡させます。若いからと言って、あまりいじめないでやって下さいね」


 ニコリと微笑んでそう言い残し、結城はその場を後にした。


「なんっなの、アイツ! めっちゃ腹立つんだけど!」


 しばらくの沈黙が続いてから、ソファにどっかり腰を落として倉木が怒りを露わにした。普段ならそういった倉木の横柄な態度を咎める満重も、何も言わずに煙草に火を点けている。


「お前らは黙って言うこと聞いてりゃいいなんて、たかが内務管理の雑魚次官が何様のつもり? 地方のこと馬鹿にしすぎじゃないの」

「俺らを遥か下に見てるってのは確かに癪だが、結城はただの雑魚じゃねえだろ。次期長官の呼び声高い次官様で、副長官と補佐の席が空いてる今、奴は実質組織のナンバー2なんだぞ」

「だから何、あいつの言う通りにしろって? 信じらんない!」


 どうしようもない現実を悟っているが故の満重の弱腰発言に、倉木はますますヒートアップしていく。


「それ以外に手なんてあるか。逆らったらどうなるか」

「ホント、どうなるかあたしも知りたいからさ、試しにちょっと命令違反してきてよ」

「はあ!? ……あのなあ」


 突然の無茶ぶりに、満重はがっくりと肩を落としてため息を吐いた。


「何度も言ってるけど、俺お前の上司だぞ。なんでそんなナチュラルにタメ口で八つ当たりできるわけ?」

「上司だなんだって偉そうになさるなら、部下のストレスぐらい寛大に受け止めたらいかがですか」

「なっ……ああ、もう」


 こうなったらもう倉木を止める術はない。自分にできるのはただ黙って彼女が燃料切れになるのを待つだけであることを悟った満重は、いつから置きっぱなしになっているのか分からないコーヒーの空き缶に煙草の灰を落とし、遠く一点をぼんやりと見つめた。


「なーにが『完全に無いとは言い切れないのですね』よ、含みのある言い方しちゃってさ。ただの”亜人のオトモダチ”じゃCROが干渉できる範囲は限られるからって、ドナーにして亜人と同等の扱いにしてやろうなんて、やり方がこすいのよ」


 その点に関しては倉木と同意見だと密かに心の内で大きくうなずきながら、満重はくわえた煙草のフィルターを噛んだ。実際に彼らがどうこうならなくとも、二人を管理している地方局のおさである自分なら、データに手ごころを加えてしまうことは簡単にできる。結城のあの発言がおそらくその辺の忖度を期待してのものであるということは、満重にも察知できていた。

 しかし権力には逆らわない、できるだけ波風は立てずにいたい穏健主義の満重にも、矜持というものはある。亜人を守る組織の人間としての最低限の誇りを失うくらいなら、結城が示した含みに気付かない無能と思われる方がましだと考えていた。


「……言っておきますけど、データ改ざんなんてあたしはやりませんからね」

「その件については奴に配慮するつもりはねえから安心しろ。うちが管理してる限り、手出しはさせんさ」


 いつになく頼もしい発言に、倉木は少しだけ彼を見直したが、明確にお達しが下ればあっさりなびいてしまう姿が簡単に想像できてしまい、やはり満重への尊敬と信頼の気持ちはこれ以上プラスへ傾くことはなかった。






 

 父が亡くなる原因となった任務について知っている人、父を亜人の売買に手を染めた背信者だと糾弾した人、そしてその周囲の関係者から、母は証言を引き出そうとしていた。協力してくれたのは本当にわずかで、決定的な証拠はもちろん、手掛かりになり得るものはほぼ手に入らなかったようなのに、母はある一つの細い道を見つけていた。

 白いセダンタイプの車に乗り込もうとしている、一人の男性の写真。画像の下にはその人のコードネームなのだろう、”剣崎けんざき”という苗字が記されている。数少ない証言者の口から共通して聞こえたこの名を持つ人物が、父の死とどのように関わったのかは書かれていない。でも、証言者をはじめ他の疑わしい人間についての資料よりはるかに詳しいことが調べられていて、剣崎は真相のかなり近いところにいる、と母が確信していたのは間違いないようだった。

 都倉さんはこの資料を元に調査を進めていて、何をどうやったのかは分からないけれど、母には口を割らなかった人たちからも話を聞き出すことに成功していた。だけど、その内の何人か――亜人売買に関する証言をした人たちにおいてはことごとく行方不明になっていて、現在彼らと接触するのは不可能な状態らしい。

 剣崎、というのはもちろん当時のコードネームで、今は別のものに変わっている。都倉さんは、そこから現在に至るまでの遍歴もしっかり調べ上げていた。

剣崎時代は中央局の情報保管・システム部に在籍し、その後同じ部署で”千波せんば”を名乗っていた。千波というのは情報保管・システム部の部長のことを指すらしく、母が亡くなった直後に昇進したようだった。

 そして現在、彼は更に上層の内務管理室長及び次官となり、CRO長官に次ぐ権力をもってその辣腕を振るっているのだという。

 剣崎、千波、そして今は――結城。

 父に手を下した張本人だとは、今ある情報だけでは断言できない。だけど私は確信していた。父を殺したのは、間違いなくこの男だと。

 写真に写っているのと同じ、何もかもを達観したかのような澄ました横顔を、私は母の葬儀で見た記憶があった。

 焼香したあと熱心に手を合わせてから、彼は神妙な表情を浮かべて母の遺影を見上げていた。そして口の端に笑みを載せて、ポツリと小声で言ったのだ。残念でしたね、と。

 当時は、マンションの住民か母の勤め先の人なのだと思っていた。遺族である私ではなく母に対してそんな風に声を掛けたのは彼だけだったから、故人を悼んでくれていることに少し嬉しさを感じたのを覚えている。

 だけどそれはお悔やみの言葉なんかではなく、母の追及の手が届かなかったことに対して揶揄したものだったということが、今になってようやく分かった。結城は父を殺しただけでなく、母の死まで汚したのだ。


「あなたの顔、絶対に忘れない」


 私は写真の中の結城をじっと見据えて、小さく呟いた。






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