(13)





 深夜を回り、雨もすっかり上がった頃。煌びやかな繁華街の大通りを横に逸れ、暗く細い路地に入ったところにある雑居ビルの前では、一人の少年が座り込んでいた。中性的な顔と華奢な体つきのせいで少女のようにも見え、この夜の街という場にはそぐわない風貌をしている。ただその表情に子どもらしいあどけなさや溌剌さはなく、纏う雰囲気は長い年月を生きたかのように重厚だ。虚ろな目つきであるのに眼光は鋭く、漆黒の瞳を際立たせる青白い肌は、月明かりに照らされて透き通って見えるようだった。


「あっれぇ? しのぶさんじゃないですかぁ」


 とつぜん背後から響いた高く弾んだ声に、忍と呼ばれた少年は少し嫌な顔をしつつ立ち上がり、そちらの方を振り返った。


「こんなところで何してるんです? 一人でうろうろしてたら、まーたお巡りさんに補導されちゃいますよ!」

「やっぱりお前だったんだ……」


 忍に声を掛けてきたのは、渡利百花ももかだった。彼女はどうやらこの雑居ビルの一室にいたらしく、コンクリートの階段を軽快にトントンと駆け降りると、ぴょん、と弾んで忍の隣に並んだ。


「なに勝手に僕の仕事場を使ってんの? 鍵まで替えちゃってさ」


 おっとりした口調ではあるが、その声音には怒りが満ちている。百花を見据える瞳には剣呑な光が宿っており、彼が放つ威圧感は儚げな見た目からは想像できないほどすさまじかった。

 しかし百花はその圧力に臆することなく、いつもの可愛こぶった上目づかいで忍を見つめ、そんなに怒らなくても、と唇をとがらせた。


「ここが連絡取り合うのに一番安全なんですもん。まあ、忍さんを締め出しちゃったのは悪いとは思ってますけど」

「いいから鍵を寄越せよ。そんで二度とここに顔を出すな」

「それはできませーん。気に入ったとこがあるなら自由に使っていいってお達し受けてるんで」

「……ハァ?」


 からかうように言ってその場を後にしようとした百花。忍は苛立ちを抑えきれない様子で百花に歩み寄ると、その腕を乱暴につかんだ。


「ちょっと、気安く触んないでくれます? あたしヴァンパイアアレルギーなんですよぅ」

「ほざいてろ。とにかくお前の好きにはさせない、ここは返してもらうからな」


 とたんに、百花の表情が褪めたものに変わる。さっきまでのふざけた空気感は一掃され、普段なら決して見せることのない冷たい目つきで忍を睨みつけた。


「あたしのの邪魔をしたらどうなるか、分かった上でそんな威勢のいいこと言ってるなら鍵はお渡ししますけど?」


 黙り込む忍。百花は勝ち誇ったようにあごをくいっと上げ、口の端に感じの悪い笑みを載せると、掴まれた腕を勢いよく振り払った。 


「心配しなくても、任務が無事終わったら部屋はちゃーんとお返ししますってば。それまでは大人しくしといて下さいよ」

「そんなの待てるか。資料の搬出くらいはさせろよ」

「しつっこいなあ……」

「もちろん、ただでとは言わない」


 その提案に、百花はピクリと眉を上げた。腕を組んで斜に構え、値踏みするかのように忍の顔をまじまじと見つめている。自分を動かせるものならやってみろ、と言わんばかりの挑戦的で尊大な態度に、忍は更に苛々を募らせながらも口を開いた。


「昨夜、そろそろクスリが無くなる頃だろうと思ってあいつに連絡したんだ。前より強めのやつを用意するって言ったけど、もう必要ないって断られたよ」

「……」

「一度ダメになったドナーと元サヤに戻ることはほぼないはずだから、どうするつもりなのかは分からないけど。何にしろ、近々にも状況は動くと思う」

「ふうん……?」


 百花は短く呟くと、口元に人差し指を軽く当て、視線を下に落として何事か思案し始めた。


「この情報はお前一人じゃ得られなかったはずだ。だけど、僕なら手に入れることができる。ここの合鍵を僕に黙って渡してくれれば、お前のいいように今後も動いてやるよ」


 忍が与えた情報というより、続いて持ち出されたその提案の方が百花にとってはかなり魅力的なものだったらしい。顔を上げてにっこり微笑むと、バッグから鍵を取り出し、忍の前にちらつかせるようにぶら下げた。


「今の話、すぐにでも報告しときたいんで部屋に戻ろうと思うんですけど、一緒に来ます?」


 どうやら取引は成立したようだ。忍は憮然としたまま、その差し出された鍵に手を伸ばそうとした。


「おっと、これは渡さないですよ。あたしがここを使う時に同行するっていう形でいいなら、出入りを許可してあげます」

「……お前、ホントいい性格してるよね」

「えへへ、よく言われます~」


 忍の吐き捨てるようなセリフにそう返し、軽い足取りで再び雑居ビルへと戻って行く百花。その後を、忍は呆れたように首を振りながら追って行った。






「あのさあ……どんよりした雰囲気でビール啜るのマジでやめてくれよ。こっちまで気分悪くなるんですけど」


 苦虫をかみつぶしたような表情で拓己を嗜めるのは、この部屋の主のミナトだ。久しぶりに芹香と会って楽しい時間を過ごして帰ってきてみれば、玄関の前に拓己がうずくまっており、こんな奈落の底に落ちたかのような状態になっていた。雨が上がってすっかり冷え切った夜半、いつからそこにいたのかも分からない様子のおかしい幼馴染を放っておけるはずもなく、部屋に引き入れてやったのだが。


「さっきから何回も聞いてるけど、一体何があってそんなにヘコんでるわけ?」


 かれこれ5回目にはなろうかというこの問い掛けに、ミナト自身正直うんざりしていた。話したくないなら何も聞かずにおく事もできる。しかし、拓己が暗黙の内に放つ”聞いてほしいオーラ”を敏感に感じ取ってしまい、そっとしておくという選択ができないでいた。

 酒でも飲ませればそれなりに舌が回るかと思って出したビールもあまり効果はなく、何ならどんどん泥沼に沈んで行っている気がして、ミナトは深いため息をついた。


「……ホントなんなのお前。めんどくせーわぁ」

「めんどくさいとか言うなよ……。俺だって、別に好きでこんなに落ち込んでるわけじゃ」

「何でもいいからさっさと吐き出しちゃえよ。ちょっとは楽になるだろ」


 次も口ごもるようなら叩き出してやろう、ミナトは密かにそう心に決めると、拓己の手からビールの缶を取り上げて一気にそれを呷った。


「……俺の恋、完全に終わったかもしれない」

「まったその話題かよ」


 ミナトはそう言いながらほとんど空になったビール缶を拓己の目の前に乱暴に置き、ダイニングチェアから立ち上がると、テレビの前のソファの方へと移動した。


「何回も告ってフラれてんだから、そんなの慣れっこだろー。何を今さら」

「慣れちゃいねーよ! つか、今回はいつもと状況が違うんだって」

「あーハイハイ」


 咲葵にフラれた拓己に泣きつかれたのは、今回が初めてのことではない。いつも同じ方法で真正面から猛進しては玉砕を繰り返し、その度にこういう泣き言に付き合わされてきた。いつもと違うんだ、という主張がセットで付いてくるのもいつもと違わないため、つまらないことに時間を食われたと、ミナトはすっかり脱力してソファに寝転んだ。


「今日、すげー雨が降っただろ。そん時に会社の近くのマンションで雨宿りしてる帆高さんを見かけたんだ」

「ほー」

「こりゃ運命の出会いだって思うじゃん。雨で視界が悪いのに、道路はさんだ向こう側にいるのを見つけちゃうんだからさ」


 無視するのはちょっとかわいそうだと一応合いの手だけは入れつつ、テレビの電源をつけるミナト。どうせまた声を掛けたけど邪険にされたとかそんな程度のことだろうと決め込んでいたが、拓己がその後に続けたのは、本人が言った通りいつもと違った内容だった。


「声かけようと思って横断歩道渡ろうとしたんだけど……帆高さん、何でかそのマンションに入ってっちゃって」

「……」

「もしかしたら友達が住んでるとかかもしれないけど、そういう雰囲気じゃなかったんだよな。なんつーか……彼氏にもらった合鍵で部屋に入る彼女、みたいな空気感でさぁ」


 そこまで聞いてから、ミナトの表情は一変した。寝転んでテレビを見ている体勢はそのままだったが、画面に映る内容は入ってきておらず、何か別のことを考えているようだった。


「それって、どんなマンション?」

「金持ちが住んでそうな感じのとこだよ。一番上の階だけ造りが違っててさ、ペントハウスっていうのかな。どっかの社長が愛人を住まわせてそうだって、うちの課の女性陣は言ってた」


 ミナトは視線を左上に向け、あそこか、と拓己には聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた。どうやらそのマンションに見覚えがあるらしい。


「なー、やっぱオトコかな、オトコができたのかなあ!?」

「んー……」

「いやそこは否定してくれよ! 嘘でもいいからさ!」


 気のないおざなりな返事を肯定と受け取った拓己は、テーブルを拳でがんがんとたたいて嘆き始めた。ミナトは煩わしそうに眉間にしわを寄せると、ゆっくり体を起こして拓己の方へと向き直った。


「もういいじゃん、諦めろ。そんなマンションに住めるような金持ちの彼氏がホントにできたんだとしたら、お前にゃ勝ち目ないってきっと」

「なんで追い打ちかけるようなこと言うの、お前……」


 拓己は力なくそう言うと、まるで溶けてしまったかのようにテーブルに突っ伏した。


「今までそんなオトコの気配なんてちっともなかったんだぜ? 帆高さんの魅力に気づいてんのは俺だけって思ってたのに……」

「それはねーだろ。地味かもしれないけど帆高さん美人だし、密かに目ェつけてる奴はいると思うけど」


 何気なく言い放ったその言葉に、拓己は勢いよく頭を上げてミナトを睨みつけた。


「おい、今のは聞き捨てならねーぞ。ミナトお前、もしかして帆高さんのこと」

「何でそうなるかね……」


 呆れたようにミナトは呟いたが、拓己はなおも疑り深い目を向けている。


「そういやお前、帆高さんに偶然会ったことがあるって言ってたな。……まさか、一目ぼれした帆高さんを追っかけてここに越してきたんじゃ」

「あのなあ……俺がそんなストーカー野郎に見えるか?」

「見えない! だが可能性が無いとは言い切れない!」


 拓己はきっぱりそう言うと、妙な唸り声を上げながら再びテーブルに額を押し付けた。


「とにかくもう彼女には関わんなって。お前が事あるごとにそうやって落ち込んでんの、見てらんねーんだわ」

「そんなの無理だ……」

「新しい出会いに目を向けようぜ! 今度合コンしてやるから、な?」

「俺は帆高さんがいい」


 頑なにミナトの助言を受け入れようとしない拓己の態度に、ミナトは今日一番の大きなため息をついた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る