(9)
私は無事に”素行の悪いヴァンパイア”として認められ、CROからお叱りを受ける日々を送っているし、
そうやって水面下で動いている間も、私は折に触れて
しかし、時間は何も変えてはくれなかった。あの時と同じに、いや、時間がたってしまった分余計に、私の心はかたくなに悲しもうとはしてくれない。会えるものなら会いたいと思うし、彼と過ごした時間を思い出して頬が緩むこともある。それなのに……。
私の心はそんな状態ではあったが、仁哉の命日には、彼の好きだったシカ肉のローストと安ワインで故人を偲んだ。本当は墓参りにも行きたかったが、留美や
「また呼び出しを食らったのですか」
外出して戻ってきた私に、紫藤は読書中の態勢を崩すことなくそう尋ねる。私はコートツリーにマフラーと上着を掛けながら、ああ、と短く答えてうなずいた。
「今回はどんなやらかしを?」
「亜人限定のバーで私が主催したクリスマスパーティーが騒々しかったらしくてな。地元の警察に騒音のクレームが十数件入ったらしい。
「……また、
「私のことが煩わしくて仕方ないらしい。年の瀬なのにしっかり仕事をするとは、大いに結構なことだ」
倉木というのは今私についている担当エージェントで、満重はCRO地方局の局長だ。倉木の方はいろいろと面倒な女だが、私の奔放な振る舞いを気に入っているらしく、何かと便宜を図ってくれる。それに対して苛々を募らせているのが満重というわけだ。
先の呼び出しというのも奴らからの出頭要請で、今週だけでも私は三度、カラス共の巣に足を運んでいる。自分が蒔いた種とは言え、悪いことをする度に逐一訪ねて行くのは面倒だ。どうせ逃げも隠れもしないのだから、出頭要請は週一でまとめた方が無駄がなくいいのではと進言したら、満重は烈火の如く怒っていた。
「そう言えば……紫藤、あの廃墟はどうなっている?」
コーヒーの入ったマグカップを手に、私も紫藤に倣うかのように一人掛けのソファに腰を落ち着けた。インスタントではやはり豆を挽いて淹れるコーヒーには敵わないが、味や香りはそれほど嫌いではない。手っ取り早く温かい飲み物が欲しいときには活躍してくれる優れもので、実はなかなかに重宝しているのだ。
「廃墟、とはまた……。お気に入りなのではなかったのですか」
「愛しいが故の悪口だ。売却の算段は付きそうか?」
私の問いかけに、紫藤は首を横に振って答えた。
「債権者は、競売申し立てをするつもりのようですね」
「ふむ……。やはり債務者の同意は得られなかったか」
「と言うより、行方不明で話し合いすらできないようで」
読んでいた本をサイドテーブルに置くと、紫藤は立ち上がって本棚の一角から資料を取り出した。
「取り壊し価格も馬鹿にならないですし、おそらくあのままの状態で出されるでしょう。ただ長く塩漬けされていた土地ですから、二束三文の価値しかない商品に買い手がつくかどうか」
「つくさ。私が買う」
「……そういえば、そうでしたね」
私が即答すると、紫藤はこちらを振り返って肩をすくめた。
「だが……これから申し立て、ということは、まだ裁判所の査定やらで時間はかかりそうだな」
「お急ぎなら今の内に購入しておきますか? 行方不明とはいえ調べる手段はいろいろと考えられますし、まだ交渉の余地はあると思われますが」
紫藤から資料を手渡され、パラパラとめくりながら簡単に情報を取り入れていく。債権者が個人的に設定した売却希望価格を確認すると、相場よりずいぶん低い値札がついていることから、この物件の現状を把握した上できちんと評価できていることが見て取れた。
正直、この値段で買い付けできるなら即決してもいいかもしれない。だが……。
「やめておこう。競売にかけると競争が激しくなる、とかなんとか、ありもしない脅し文句を掲げながら値段を吊り上げられるかもしれないし、まず債務者を探し出す手間を考えるとデメリットの方が大きい。中はもう、空っぽなんだろう?」
「ええ。占有者もおりませんし家財道具もなく、きれいに片付けられていました」
「なら問題ない。下手につつかず、静かに三度目の特別売却まで待とう」
おそらく、あの物件は私以外には買い手がつかないだろう。紫藤が言った通り
「横取りされても知りませんよ」
「大丈夫だ。あれは、私のものになる」
根拠もなく言い切る私に、紫藤はそれ以上口を挟むこともなく資料を元の位置に戻していく。
「ああ、そう言えば」
何か思い出したように呟くと、スマートフォンを取り出しながら紫藤がこちらを振り返った。
「
そう問われ、首を振ってみせる。
「三十分ほど前、留守電にメッセージを入れたが返事がない、と、私に連絡が来たんです。何か急ぎで対応してほしいことがあるとかで」
「……面倒な奴らだ」
「そう言わずに。小さくとも恩を売っておけば、後に大きな実になって返ってくるかもしれないんですから」
確かに一理ある、と思いながらも、しぶしぶスマートフォンを取り出して確認する。多分、私が経営権を譲った店のどれか、そこのオーナーからだろう。また店で起きた厄介ごとを私に押し付ける気なのは分かっているから、あまり彼らとは話したくなかったのだが。
「……」
案の定、いくつか伝言メモと着信履歴が残っていたが、その番号と共に画面に表示された店名を見て、嫌な予感がした。それは、以前留美がやってきた、あの店のものだったのだ。
「……少し出てくる」
「はい。夕食はどういたしますか」
「用意しなくていい」
さっき脱いだばかりのコートを再び着込んで外へ飛び出した私は、雪がちらつく街道を早足で歩いた。
◇
「ああ良かった。今日はもう、いらっしゃらないかと」
「すまない、少し別件が立て込んでいてな。……それで、客人は?」
「奥でお待ちいただいています」
ほっとした様子で私を出迎えた店員に礼を言い、今日はもう閉店するように指示を出してから、私は事務室のドアを開けた。
「遅かったわね。ずいぶん待たせるじゃない?」
予感は的中した。来客用のソファに深く腰掛け私を待ち構えていたのは、やはり留美だったのだ。
「なぜ、ここに……」
「あら。普通のカフェだから気軽に来いって言ったのは、玲の方でしょう」
軽口を言いながらいたずらっぽく笑うその表情は、あの頃と変わらない。ずいぶんと老け込み、やせ衰えているところを除けば、ではあるが……。
「なんてね。冗談を言っている時間なんて、私にはないんだったわ」
「留美、お前」
「気遣いはいらない。私、自分のことはよく分かっているから」
有無を言わせないその口調は、不自然なほどぎょろりとした目つきと頬に落ちる暗い影も相まって、非常に厳しいものに感じられた。
「見て。これが、私が今まで集めた資料よ」
バサリ、と音を立てて、分厚い紙束がコーヒーテーブルに乱暴に置かれる。私はその内の一つを手に取り、一枚一枚をめくって眺めた。
「こんなに……たった一人でこれを?」
「そうよ。だけど、全部同じ。どれもこれも、仁哉がCROに殺されたっていう事実を証明してくれないわ。あなたの言う通り、こんなにたくさん集めたのに」
「……」
「無駄だったのよ!」
たまらずに感情を爆発させた留美は、紙が散乱するテーブルの上を勢いよく殴りつけた。強く握りしめられた拳は、血の気が引いてみるみる青白くなってく。
「無駄だった。この四年間……私、あの人の無念を晴らしたかったのに……!」
うつむいたまま肩を震わせ、嗚咽を漏らしながら留美は吠える。私はその姿を、黙って見つめることしかできないでいた。
「仁哉が亡くなってから、CROはクリーンになったって言われたの。あいつら、組織内で横行していた不正を全部仁哉のせいにしたのよ。亡くなったのをいいことに罪を全て押し付けて、自分たちはのうのうと……」
「……」
「こんなこと、許されると思う!? 表向きはあくまでも殉職したはずの仲間を、自分の汚れた手を拭くために使うだなんて!」
資料をつかむと、留美は力任せにそれを床へたたきつけた。
「葬式にも来なかったくせに! 私たちに、死に顔も見せてくれなかったくせに!」
何度も、何度も。自身が必死に積み上げてきたはずの、きっと真相にたどり着く証拠になると信じて集め続けたはずのそれらを、留美はあらん限りの力を振り絞って床に打ち付ける。
昇華できるはずがないと分かっていても、思いを果たせないという無念をそこに必死にぶつけていた。
「留美、やめろ。大丈夫、分かっている人間はいるはずだ」
「そんな人、いるわけない!」
「ここにいるだろう」
あまりに痛々しいその姿に見かねて、私は肩をつかんで止めようとした。しかしそんな私の手を振り払うと、留美はこちらへ向き直って胸倉を勢い良くつかんだ。
「誰も分かってくれないのよ! あなただってそう、分かるはずなんてない!」
「そんなことはない。だから少し落ち着くんだ」
「落ち着いてなんかいられない! 私、もうすぐ死ぬのよ!」
涙に濡れ、燃え盛る怒りを宿したその瞳は、まっすぐに私を射抜く。
「仁哉の汚名をすすげず、
「留美……!」
崩れ落ちそうになった体を支え、私は彼女をそっと抱きしめた。嗚咽に揺れる肩は小さく、背中は骨ばってすっかり薄くなっている。
こんな体で、留美はずっと一人で戦ってきたのだ。誰も信用できず、頼りにする者もいない中、咲葵を必死で守りながら、いつか仁哉を穏やかに眠らせてやれると信じて……。
事実を目の当たりにした私の心が痛いくらいに締め付けられていく中、思いは自然と仁哉へと向かっていた。
仁哉、お前が死んだせいで留美はこんなにも苦しんでいる。そして咲葵も……、あの子は、この先ずっと一人でこの苦しみを背負うことになる。
大事な時に、なぜいつもお前はいないんだ? 咲葵が生まれたあの時も、そして留美が死の間際にいるこの今も。なぜ、お前は自分の大事なものを、すべて私に預けようとする?
なぜ、なぜ。
どうして、何も言わずにいってしまったんだ。
「私が、何とかする」
喉がつまり、声がうまく出ない。それでも、私は振り絞るようにそう言った。
「仁哉の死を汚した人間は必ずあぶり出して償わせる。仁哉を殺した張本人も」
「玲……」
「絶対に、許さない。断罪する者がいないなら、私が直接手を下してやる」
「だめ……それはだめよ」
「だったら、私はどうすればいい!」
強い感情が胸を突き上げ、それはそのまま咆哮へと姿を変えて放たれる。
「このまま黙って忘れろと!? 己の無力さに絶望しながら永遠を生きろと、そう言うのか!」
私を見つめるその目はひどく悲しげで、そこに映る自分もまた、彼女と同じ表情をしているのだと思った。
「仁哉の無念を晴らしたいのは、私だって同じなんだ。だから……」
「……」
頬を流れるその感触は、ずいぶん遠い昔に忘れていたものだった。気付いた時にはもう、一つ、二つとそれは数を増やしていて、留美はぎこちなくそれを指で拭ってくれた。
「……ごめんなさい」
脈絡のない謝罪。また、あの時と同じだと思った。
「いえ、ありがとうと言うべきよね。玲にこんなに思われて、きっと仁哉はそれだけで満足していると思うわ」
「留美……?」
「あなたは無力ではない。私の心をこうしてちゃんと救ってくれたもの。だけど、これからはあなたの為にその力を使ってほしいの」
留美のその言葉は、この状況を把握していないものが聞けば『これ以上は手出し無用』という意味に捉えることだろう。
だが、私は違っていた。そっとポケットに落とされた、小さなメモリーカード。それは真実への道へとつなぐ最後の希望だと気付いた私だけは。
「だから、忘れて。お願い」
「……何かできることはないか? 君の為に、私が今できることは」
「もう、してもらった。あの時食べたパスタとフルーツタルト、本当においしかったわ」
その言葉に、留美にもらったレシピノートの事を思い出した。最後のページに書かれていたメッセージ、その約束を、あの日私は図らずも果たしていたのだ。
「そうか……。ちゃんと思い出していたら、もっといいものを出したのに」
「何言ってるの、あれで充分。約束、守ってくれてありがとね」
これが、最後だった。留美はこの一週間後、息を引き取った。
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